深き夜の始まり(コステロ私邸)
ハイネ旧市街の北東の一角に富裕階層の邸宅が集まっている、ハイネ聖霊教会の礼拝殿に近く、前にルディ達が宿をとっていた『ハイネの野菊亭』のある商店街も近い。
そこに一際大きなコステロ商会会長の邸宅があった、邸宅は重厚な石造建築で屋根は石のアーチで支えられている、古いテレーゼの貴族の邸宅で、ドーム状の屋根に残るかすれた碧色が往年の王都ハイネの栄華を残している。
二階の南側は広いバルコニーになっていた、瀟洒な美しい柱列が古代建築を模した屋根を支えている。
そして柱に取り付けられた魔術道具の淡い暖かな光がバルコニーと眼下の美しい庭園を照らし出していた、その贅沢がコステロ商会の富と権力を象徴していた。
その邸宅は今宵珍しい客人を迎えて、屋敷の使用人達も何時にもまして緊張していた。
彼らは客人は会長の古い客人と聞かされていた、彼らも真紅の淑女が真夜中に密かに訪れる事は知っていたが、その彼女が今日は客として正面玄関からやって来た。
恐ろしい真紅の淑女が公式に出迎える程の存在ともなればおろそかにはできない。
その二階の広い客間から使用人達は遠ざけられ、大理石のテーブルを囲むのは邸宅の主人エルヴィス=コステロと真紅の淑女ことドロシー、そして彼らの古き友アンソニー=ダドリー博士の三人だけだ、彼らがはたして人なのかはさておいて。
「ドロシー珍しいな・・」
エルヴィは隣でソファに足を組んで座るドロシーを眩しそうに見つめていた、ドロシーは婦人用の乗馬服の姿のままだった。
「ドレスがまたダメになった、もう残り一つしか無い」
なぜダメになったのか聞こうとしてエルヴィスはやめた、敵と戦って破壊されたなら彼女から話してくれる、強大なドロシーだがドレスは簡単に破壊されてしまう、そして彼女の剛力の前にドレスは紙に等しい。
「わかった新しいドレスだが、アルムトあたりで作らせるか」
「おねがい」
「ところで先生は明日エルニアに?」
「うん、明日リエカに向かうよ、ところで君達はどうするんだい?」
先生が迫りくる戦火の話をしているのは明らかだ。
「何時でも本部を動かす事ができますよ、俺達はエスタニア大陸全体に根をはっているんだ、だがテレーゼは居心地が良くてね、ここがやられると痛いちゃ痛い」
エルヴィスはため息を吐いた。
「君は連合軍を支持しているのかね?」
「もちろんです、ハイネは共和制でやりやすい、俺もハイネ評議員でね今回もいろいろ協力してますよ、それに連合軍に勝ってもらわなければならない理由がありましてね」
エルヴィスは不敵に笑った、それでアンソニー先生も興味を惹かれた様子だ。
「ハイネはグディムカル帝国の皇弟派を支援していた、俺たちは皇太子派の地域にソムニの樹脂を流していたんだ」
「はは、富を吸い上げつつ腐らせるんだね」
エルヴィスはそれをうなずくことで認めた、ソムニの樹脂の生産、加工、流通にコステロ商会は大きな支配力を持っている。
「私も闘おうか?」
急にドロシーが呟く。
「おいおい止めてくれ、お前が本気になったら聖霊教会が聖戦を起こすぜ?それにハイネ通商連合は一応聖霊教を護って闘う大義名分をかかげている」
エルヴィスは含み笑いを漏らしながら笑った、ドロシーの顔が不機嫌に変わるのを見てさらに笑いを深める。
「君の見立てでは連合軍は勝てるかい?」
「俺は軍事には詳しくねえ、数では連合軍が多いが、連合軍の方が不利らしいな、どうも良い防御拠点が無いとさ、野戦ではグディムカル軍に苦戦するのは確実だそうだ」
「テレーゼ平原は何もないからね」
アンソニー先生はそう言いながらお茶を飲んだ、そしてこれは凄いと言った顔をする。
「それはとっておきの茶ですよ先生」
「そうだエルヴィス、アイツラをついに見つけた」
ドロシーが会話の沈黙の間を破るように言葉を紡いだ。
「なんだと、化け物共か?」
ドロシーがそれを聞いて笑った、それが妙に人間臭くエルヴィスは眩しいものを見るような目をした。
「セナ村に戻ってた、たぶんあの屋敷に魔術陣地を作って隠れている」
「調べていたのか?流石だなドロシー」
「街の中を堂々と動き回っていた、地精霊術師を確保したから調べさせる」
「なんだとギルドを通したのか?俺の所に・・・そうか」
「冷凍ミイラが結界を作るために地精霊術師を潰してしまったから」
「もしや幽界の神々の眷属の話かい?」
先程から二人の会話に聞き入っていたアンソニー先生が言葉を発する。
「そうですよ」
「それはやっかいだね、人の力の及ぶ者共ではないからね」
そう言いながらも先生の口調はどこか他人事だ。
「ところでエルヴィス君、吟遊詩人に会ったかい?」
「会ったよ優男に見えるがアレも人じゃねえな」
「優男?」
ドロシーが何の話か解らず少し身を乗り出してきた。
「ドロシー君私の同類だよ、エルトレスクの東の滅びた小国生まれの吟遊詩人さ、勝手気ままに旅をしている、どうもグディムカルと因縁があるみたいでね」
「魔界の神々の眷属か、エルトレスクは北の国ね」
「彼は誰かの命令なんて聞かないからね、悪名高いコステロ商会の会頭に会って見たいと気まぐれを起こしたから紹介状を書いたんだ、いずれ君も会えるさ」
「なるほど」
ドロシーはどこか気の抜けた返事だ。
「先生、俺も驚きましたよ?」
アンソニーは済まなそうに笑ったが、済まないとは思っていないのは明らかだった。
「先生、グディムカルにも同類がいる」
「ああやっぱりね、英雄の話を聞くと神々の干渉を考える様になってしまった、昔のような憧れを持てなくなったよ」
「先生も憧れたの?」
ドロシーが少し興味が湧いたのかアンソニー先生をその真紅に濡れた瞳で見つめた。
「僕が考古学者になった理由なんだ、昔の偉人にあこがれたんだよ、神々の操り人形だったなんて幻滅するよね」
しばらく会話が途切れた、アンソニー先生も魔界の神の一柱の眷属なのだから。
「先生、そのグディムカルの南進を急がせたのは北の大魔術師だ」
「そうなんだねえ」
「あいつらうるさい、始めは様子を見ようと近づいてきた、次はへりくだって媚びてきた、その次は脅してきた、最後に滅ぼそうとしたけど全部失敗したわ、冷凍ミイラは奴らの手先」
ドロシーが最後に冷凍ミイラに触れた時、鼻の穴を大きくして息で笑った。
「セザーレは北の大魔術師の手先ですよ先生」
「やっぱりそうだったんだね」
エルヴィスはその気のない返事に苦笑いをするしかなかった。
ドロシーと先生は個としてあまりにも強固な為か、世界の運命が絡んだこの舞台の上の役者のはずだが、己の関心と興味以外に熱を感じさせない。
コステロ商会を背負うエルヴィスと温度差があるのだ、それに気づいてエルヴィスは皮肉な笑みを浮かべる。
ドロシーは元々そうだった、アンソニー先生が加わってそれが良く見える様になった、世の人々は戦乱や災害にその運命を翻弄される、だからこそ世の動きに敏感だったそれは身分に関係ない。
自分達は政治や世界の流れと関係が無いと思っていられるのは、統治が安定している極一部の幸運な国の民だけだ。
個として強くなりすぎると周囲への興味を失うのか?それとも永遠に近い寿命のせいか?エルヴィスは自分の考えに浸り始めた。
「どうかしたのかいエルヴィス君」
「いえ先生、ちょっとした考え事です」
その後は取り留めのない世間話が続いた、だが会話が昔の話に流れそうになる度に気まずくなり修正される。
そしてやがて東エスタニアの神々の話に話題が移った。
「ん?兆しの一つが遠ざかっていく」
突然アンソニー先生が熱中していたテレーゼの歴史の講義を中断させて東の方を見つめた。