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想念の汚泥

漆黒のタールの様な水面(ミナモ)が天に輝く赤い月を映し出していた、僅かに揺らぐと真紅の影がよぎる、やがて水辺の白い砂地に真紅のヒールがゆっくりと舞い降りた。

黒い水鏡が人形の様なドロシーの美貌を映しだした、彼女の青白き肌は赤い月光に照らされて血が通った人肌のように艶めかしい。


やがて彼女は顔を真っ直ぐに持ち上げると対岸を見つめた、永遠の夜の闇を背景に闇より暗い巨大な城の影が浮かぶ、崩れかけた廃墟の影がのこぎりの刃のように並び立つ。


それは死都の影だ。


やがてタールの様な水面(ミナモ)にさざなみが生まれ輪のように広がる、ドロシーは無感動にそれを眺めていた。

やがて黒い水面(ミナモ)が盛り上がり美しい女の顔が現れた、細面で通った鼻筋とこぶりな口、唇は肉感的でこころもち厚く魅惑的だ、僅かに見える髪の色は薄いブラウン、だが彼女は眠るように目を閉じていた。

また黒いタールが盛り上がると形の良い白き双丘が現れた、彼女は痩せていたがとても豊かな胸をしている。

ゆっくりと瞼が開いた、アーモンド型の目はどこかエキゾチックで瞳の色は薄い灰色、その瞳がドロシーをはっきりと捉えた。


ドロシーの唇が僅かに動く。


シーリ・・・・


水面(ミナモ)から(タオ)やかな二本の腕が伸び胸の前で交差した、ゆっくりとその腕が豊かな双丘に降ろされる、そして彼女の両の手のひらが豊かな双丘を強く鷲掴んだ。

そして嘲るような、憎しみすら感じさせる笑みを浮かべる、彼女の美貌にふさわしからぬ微笑みだ。


それを無感動に眺めていたドロシーの瞳の奥に暗い炎が灯った。


やがてシーリの右手がゆっくりと胸から離れタールに沈んで行く。

シーリはくるりと体幹を軸にしてゆっくりと回転し始めた、見事にくびれた腰、水面から白い球を二つ並べた様な尻が現れて沈んで行く、まるで真紅の淑女に見せびらかす様に。

再び元の位置に戻るとドロシーをまっすぐに見つめる。

彼女の左脚の膝が水面から姿を現した、白い肌が月光で赤く染まった。


やがてシーリの表情に変化が現れた、ドロシーの片眉が僅かに上る。

どこか夢を見るような、悩ましげな切なげな、何かに耐えるような貌を魅せる、そして深いため息を吐く、だがまったく声は聞こえてこない。


やがてシーリは激しく大きくのけぞった、無駄の無い美しい滑らかな白い腹とヘソが水面(ミナモ)から飛び出すと、彼女の頭はタールに深く沈む。


それを見たドロシーの目は驚きで大きく見開かれていた。


再び水面(ミナモ)に顔を出したシーリはドロシーを見つめた、彼女は満足げに楽しげな嘲るような微笑みを浮かべている。

そしてタールの様な水面(ミナモ)にゆっくりと沈んで消えていく。


ドロシーは目を見開く、そして自分がいつのまにか浜辺に寝転がっている事に気づいた、その姿勢はシーリとまったく同じになっていた。

真紅の古風なドレスは自らの力で引き裂かれボロ切れの様な無残な姿になっていた、そして両手で肩を抱きしめ全身を震わせた。


ドロシーはバネの様に跳ね起きると、ドレスにこびりついた泥と砂が飛び散った。

何かが軋む音が聞こえて来る、ドロシーの骨と筋肉が暴力的な負荷に悲鳴を上げる、ギチギチと軋み何かが裂ける音が聞こえる、真紅のドレスの残骸の下で彼女の筋肉と皮膚が裂かれ引きちぎられて行く、それが圧倒的な速度で修復されるきしみだ。


彼女の唇を引き裂くように鋭い牙が伸び、目は真っ赤に血で染まり、両腕の爪が鋭く長く伸びワインの様な液体が爪の先から滴り落ちた。

そして音無き怒りの咆哮がその傷ついた口からほとばしる。


ドロシーの立つ砂浜から波紋の様な波が凄まじい速さで水面を幾重にも走る、どこまでもどこまでも広がって行く、この世界に果てはないのだから。


それからどれほど時が過ぎただろうか、彫像の様に真紅のボロ布を巻いたまま立ち呆けていた彼女は突然空を見上げた。


誰かきている・・・


彼女の口はそう動いた。







豪華な客間は落ち着いたオレンジ色の魔術道具の灯りで薄暗く照らされている。

その部屋は現実界からずれた世界にあるコステロ商会別邸の応接間だ、窓は分厚いカーテンが締め切られ荒涼とした永遠の夜の世界の風景を隠していた。

豪華なソファに三人の子供達が思い思いの姿で寛いでいた、みな豪華な子供服を身にまとっている、貴族か大商人の子弟でなければ叶わぬ贅沢な品々だ。


その中でも一際美しい白いドレスの少女がお菓子をつまみながら客人に話しかけた、客人は温厚な楽しそうな微笑みを浮かべている、客人はアンソニー先生その人だ。


「おじさんはドロシーのお友達なの?先生なんですって?」

「そうだよエルマ君、僕は学者なんだ考古学と言語学が専門さ、君たちは考古学に興味はあるかい?」


「エルマ君って素敵な響きだわ」

「全然似合わないよエルマ」

ヨハン少年がさっそく突っ込みを入れた。

「ドロシー!ヨハン!!」

可愛らしい顔をした素朴な少女が二人を叱る。


「ごめんなさいマフダ、アンソニー先生、あの考古学ってその何かしら?」

エルマは南の聖霊教会で文字の読み書きを少し習った事しかなかった、新市街の住民の殆どは文字の読み書きなどできないのが普通だ。


「ははは、昔の事を研究する学問だよ、少し難しかったかな?」

「そうよね100年ぐらい前の事かしら?」

「そうだね僕は2000年から2400年前くらいが専門なんだ」


「凄いわね、どのくらい昔か良くわからないわ」

「ゲイル君いやドロシー君は10万年生きているんだよ?」


「えっ、ゲイルってドロシーのファミリーネームなのかしら?知らなかったわ、全然教えてくれないのよ、昔の事話すの嫌みたいだし」

「そうだね、みんな触れられたくない過去があるものだよ、ところで遅いね彼女」

アンソニー先生はなかなかドロシーが姿を現さないのに不審を感じ始めているようだ。


エルマは周囲を見回したドロシーの気配を探っているのだろう。

「へんねドロシー何をやっているのかしら?」

「何かあったの?」

マフダも不安になり始めた、それを否定するようにヨハンが二人を宥める。

「ドロシーをやっつけられる奴なんていないよ」


「あれドロシーが帰ってきたのかしら?」

するとエルマが小首を傾げた。




コステロ商会別邸のキッチンで美しい使用人が突然の来訪者に饗する食事の準備をしていた、彼女はこの舘で働くポーラだ、だが舘にはまともな料理人がいないので彼女が働くしか無い、幸いな事に舘の主人達は貴族ではないので料理にうるさい事は言わないのが救いだ。


「ポーラ」


いきなり主人に呼びかけられ驚嘆する、まさかキッチンに来るとは思ってもいなかった、慌てて主人を振り返りそれ以上に驚嘆させられる事になる。

主人の異名『真紅の淑女』の元になった、古風で豪奢な真紅のドレスが引き裂かれ、白い下着も引き裂かれ、隙間から赤みすら帯びた彼女の素肌が見える、まるで誰かに暴行された様にも見えた。


前にも一度だけ主人が丸裸になった事を思い出す、強大な主人をここまで追い込める敵がまた現れたのだろうか?


「お、お嬢様、そのお姿はどうなされたのですか?」

「たいした事は無い、はやく身を整える」

主人がそういう時はそれ以上の詮索は許されない、並の貴族よりずっと寛容な主人だが絶対に逆らってはいけない事は本能に刻み込まれていた。

だが主人が目をポーラから僅かに逸したので内心驚く、いつも恐ろしい虚無と叡智に満たされた瞳をまっすぐに向けてくるのだ。


「ご存知でしたか、お嬢様にお客様です、お名前はアンソニー=ダトリー様でございます、ではいそいで二階のお部屋にまいりましょう」


ポーラはキッチンの高級魔術道具の調理台の火を止めたところで、甘やかで上品な香水の香りを感じた、お嬢様の香水にこんな香りがあったのか記憶を探る。


「ポーラ?」

その言葉で今すぐやるべき事を思い出す。

「申し訳ありません、では」

ポーラは早足で階段のあるエントランスに向かった、その後をドロシーが落ち着きなさげについて行く。




「アンソニー先生遅れました、少し外出していたの」


半時間ほど経った頃、豪華な客間にドロシーが姿を現した、客間には客人とドロシーの子供達がいた、子供達は彼女の姿に驚かされる。

見慣れた真紅のドレスを着ていなかったからだ、上等な乗馬ドレスと婦人用の乗馬パンツに黒い皮の長ブーツを履いていた。

ドロシーの切りそろえられたショートボブの黒い髪形と相まって、中性的で倒錯的な美しさを醸し出していた。


「ひさしぶりだね・・ゲイル君」

ソファから立ち上がったアンソニー先生はしばらく躊躇してから言葉を続けた。


「そんな服もっていたのねドロシー」

エルマの声に憧れるような率直な賛美の色がある。


子供達が席を譲るとドロシーは先生の正面に座った。


「先生こそお元気で」

ドロシーとアンソニーは他愛のない昔話を始めた、だが二人ともどこかぎこちない、慎重に言葉を選んでいる。

会話を聞いた者は皆そう感じるはずだ、子供達も次第に疑問を感じ始めていた。


「そうだ、私達お勉強があるのよエルマ」

マフダが元気よく立ち上がるとエルマの裾を引っ張った。

「思い出した今日中にしなきゃならないんだ」

ヨハンも立ち上がる。


「えっ?」

お土産のお菓子に食いついていたエルマの顔に、こいつら何を言っているんだと書いてある。


「お菓子をお部屋に持って行きなさい」

ドロシーは穏やかに子供達を見渡した、だがこれは命令に等しい。




子供達が部屋から立ち去ると、アンソニーはドロシーに語りかける。


「君はあいかわらずやさしいんだね、前に来た時は子供達はいなかったね」

ドロシーはうなずいた。

「私は子供達が好きでした・・」

「今は違うのかな?」

ドロシーが小首を傾けてから微笑んだ。


「きっと好きだから眷属にしたのね、先生」

そして子供達が去った扉を見つめた、その瞳は闇の慈愛とでも言うべき妖しい色彩を帯びていた。

「故郷のご家族に会ったのかい」

ドロシーは首を横に振った。

「タバルカ・・・人として死んだと思って欲しいから、遠くから見ただけ、アルムトの方は殺してきた、血の繋がっているほうも両方とも」

ドロシーは凄絶な恐ろしい笑みを浮かべた、目が赤く燃え上がり恐ろしい闇妖精の本性を現し牙を剥いた、だがアンソニー先生は平然としている。


「いつ帰ったんだい?前は怖がっていたと感じたよ」

「そうね、昔は自分が信用できなかったのよ不安定すぎて、何をするかわからない」

「そうなんだ」


やがて二人は取り留めのない雑談を始めた、ふとアンソニーの態度が改まった。


「東方絶海の彼方から何かが来た様だね」

「エルニアに漂流したらしい」

「君はあまり興味がないからね、だが君には古代文明の知識があるはずだ」

ドロシーの顔があからさまに不機嫌に変わった。

「アイツは壊れていて知識に触ると狂気が伝染る、私達はその点では協力していたの」

ドロシーの口調は人間臭くなっていたが、ドロシーははたして気づいているのだろうか。


「今もそのままなのかい?」

「アイツは呪いと復讐の感情だけ、私は今のまま楽しく暮らしたい」

「危険なんだね」

ドロシーはそれに頷くだけだ。

「闇精霊術の知識はなんとか吸い上げました、でもまだまだ抜けが多い」

その口調は美しき水精霊術師のシーリを思わせる。


「制御できなくなると闇王国の二の舞になるんだね?」

「もっと酷い事になる、その力を狙らう愚か者達がいる」

「君はそれを望まない?」

「そんな世界つまらないと思いません?先生、私は楽しい事、面白い事だけできればいいの」

ドロシーは笑うと真っ赤な舌で唇を舐めた。


「ははは、歴史が終わってしまったら僕の生きがいもなくなってしまうね、あははは」

アンソニーが哄笑した、その瞳は赤い光を帯び金色の彩光が揺らめいた。






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