過去からの来訪者
セナ村の魔術陣地の屋敷のエントランスの前で、囚われのリズはルディ達に囲まれて落ち着き無く佇んでいた、みんな彼女の術の発動を今かと待ち構えていた。
リズの顔が意を決したかのように変わった、ベルは術を行使する時のリズの顔は別人だと場違いな感想を抱く。
その直後に幽界の神々に選ばれた者達は刺激的な不快な波動を感じる、それは激しく脈動し弾けるように消えた直後にリズの魔術術式が完成した。
「いくよー『ガイナックの朽木の巨人』あなたはブルータス!!」
勢いよくリズの詠唱が終わった。
地面が小さく揺れひび割れが生じると広がる、リズを遠巻きに囲んでいた者達の前に、枯れ木を適当につなぎ合わせて人の形に似せたかのような巨大な人形が地面から姿を現した、人形の背の高さは二メートル以上もあるだろう。
「これはアヤツと戦った時に見た事があるのう」
ホンザが関心しながら朽木の巨人をしげしげと観察している。
「そっか、おじいちゃんメトジェフと戦った事があったね」
リズがホンザの方を向き直った。
「その通り」
アゼルが感嘆しながらブルータスに近づいて仰ぎ見る。
「しかし召喚術がこれほど簡単にできるなんて信じられません、なぜですかリズ?」
少し小首を傾げてからリズは答えた。
「誰も教えてはくれないけどね、あたしにも推理ぐらいできるよ、きっと世界境界に穴が空いている」
「さてはセザーレめのしわざか?」
「おじいちゃん、そこまではわからない、確かに不浄の結界をつくれば異世界との境界が低くなるけど、でもねそれだけじゃない、精霊術でもこれだけの大きさの精霊を具現化できるのは上位精霊召喚術師にしかできない、それも大きな代償を支払うのさ」
リズが先程下位の召喚術を披露した時に使った骨の触媒を地面にばらまいた、そして魔術術式の構築を始める、だが誰も慌てなかった骸骨の下僕を呼び出す術だとすぐに気付いたからだ。
「さあ『死せる墓所の下働き』イヴァン、アレクセイ、ドミートリイ!!私を守りなさい」
骨片が膨張すると三体の骸骨の戦士となり乾いた音を立てながら立ち上がりリズの周りを固めた。
「精霊術と比較してみ?下位の精霊でもこんな簡単にはいかないでしょ?」
リズは友を紹介するかのように両手を広げ骸骨の兄弟たちをしめす。
「下位と言うが人のサイズほどある、呆れた事を簡単にやってのけるわい」
ホンザが嘆息するうようにつぶやく、忠実な骸骨共はカクカクと口を開け閉めしながら主人の周囲を警戒している。
「リズさんこいつら壊していいです?」
ベルはコッキーの言葉に内心呆れた、もともと過激な性格だと思っていたが、最近すこしずつふてぶてしくなっている様な気がする、それは小さな違和感だ。
リズが怯えた様に目を見開くと声の主のコッキーを恐る恐る見た、彼女の目には明らかに怯えの色がある。
「ひっ、可愛そうな事しないで!みんなお還り!!」
リズが骸骨共を解放してやると骸骨の兄弟達は異界に還っていった、骨がサラサラと崩れ落ちて地に撒き散らされる。
ベルはため息をつくと僅かにズレたこの世界の青い陽光の下でゆらめく風景を見渡してから空を見上げた。
不気味な青い太陽が狂った様な光を投げかけていた、大気が蜃気楼の様に揺らめくが、それは空気のせいではないと何かが確信させた。
光その物がうねっている、ベルの超常感覚がそう訴えていた。
「少し気持ち悪くなってきた」
ベルが軽い目眩を感じると、コッキーもうんざりした様にささやく。
「あまりお外にいたくないです」
「さあ、みんな中に入ろう、俺も外に出る時はできるだけ屋根の下にいるようにしているんだ」
ルディの意見に誰も異論は無かった、みな逃げるように屋敷に引き上げていく。
そして背後で朽木の巨人が土に還って行く。
屋敷の二階の天窓から差し込む不気味な日の光が床に落ちなくなった頃、二階の大部屋で武器の手入れをしていたベルの処にアゼルがやってきた、アゼルが二階に来るのは珍しい事だ。
ベルとコッキーの領地を区切る家具とカーテンの壁の向こう側からアゼルの顔の半分が現れる。
「そこにいましたか、このメモにある本を買って来てくれませんか?戦火が近いですからね、いつまで本屋が営業しているかわかりません、今の内に確保しておきたいのです」
「いいよ貸して」
ハイネに行くのは少し面倒だが物置の囚人の監視に飽きていた、アゼルからメモと金貨を素直に受け取った、メモにはアゼルの贔屓の本屋の名前が記されている。
「店員にこれを見せれば済みますよ」
「リズ達の監視は?」
「コッキーにおまかせします」
ベルは壁に立て掛けてあった愛剣グラディウスを帯剣ベルトに装着する、アマリアからもらった精霊変性物質の剣は切れない物を切る事ができるが、普通の剣として特別強度があるわけではないとアマリアから警告を受けていたからだ。
「すぐに行ってくる」
階段を降ると台所から音痴なコッキーの鼻歌が聞こえてくる、そして裏庭から木を切る音が聞こえる、ルディが斧で倒木を切断して燃料にしているのだろう。
居間を覗くとホンザが薬草茶を飲んでくつろいでいた、二人がけのソファの背もたれの上でエリザが寝ていた。
「ホンザ行ってくる!」
「コッキー後はよろしく!!」
ベルは台所の裏口から飛び出した、そのまま突風の様に林の中を北のハイネに向かって加速を始める、やがてそれは現し世の生き物が成し得る速度を越えた。
ハイネ旧市街の北西区の北側の城壁に沿った区画にハイネ魔術学園がある、その正門から南側は魔術街と呼ばれる街が栄えていた、そこに魔術に関する店や本屋が集中していた、ここはテレーゼ有数の魔術街で学園の生徒達も良く利用している。
ベルは久しぶりに魔術街に来たが学生の数が減り人通りも寂しくなっていた、目当ての店はすぐに見つかったが中を覗くと客も店員も少ない。
「ああ、すみません、場所はそこだから自分で取って来てください」
メモをベルに返した店員は申し訳無さげに謝罪する。
「店員さん少ないね?」
「ハイネ生まれで無い人が全員辞めてしまってね、ここもしばらく休業にする予定なんです」
「じゃああれを使うよ?」
ベルは高い処の本を取る為の大きな台座を指差した。
「いいけど、お嬢さん大丈夫かい?やっぱ俺がやるか・・」
「大丈夫」
軽く請け負うとベルは軽々と台座を動かして目当ての本棚の側に運んだ、それを見た客の老人が目を見張った。
五段の重そうな多きな台座を運ぶベルの姿に客は驚いたらしい、ベルはその上に一気にかけ昇ると本棚を調べ始めた。
「やあ台座の上のお嬢さん」
足元から柔らかな男の声が聞こえてくる。
ベルが訝しげに声の主を見下ろす、四十前後の細身の男が見上げていた、彼の質素だが清潔そうな服装から教師か学者の様にも見えた、上等だが随分と使い込まれた大きな旅行鞄を持っていた。
魔術学園の教師だろうかベルはそう思った、彼は穏やかで知性を感じさせる目をしていた。
「僕の目当ての本が君の近くにあるんだ、すまないけど取ってくれないだろうか」
その物腰の柔らかそうな男は穏やかに微笑んでいる、ベルもその男に悪い感情は抱かなかった。
「いいよ、どんなタイトル?」
「いいのかい『東エスタニアにおける大地母神と蛇神』だよ」
「あっ、あった!!」
「ありがとうお嬢さん」
だがベルは動揺した、その本はアゼルから購入を頼まれた本だったからだ。
「あの、ごめんなさい」
「ああ君が探していた本と同じだったのかい?それはしょうがないね、じゃあ『テレーゼにおけるパルティア前史時代の遺物』は無いかな?」
少し離れた処にそのタイトルが書かれた本の背表紙を見つけたので、体を乗り出して巧みに棚から引き出した。
「これでいいの?」
男に背表紙を見えるように本を傾けてやった。
「凄いね軽業師みたいだ、おっと失礼、それに難しい言葉なのに良く理解できるね」
ベルは少し体を強張らせた、そしてその柔和そうな男の目を真っ直ぐに見る。
「僕の話し言葉を文字として理解できるだけで凄いんだよ、少し教養のある町人の子弟ぐらいじゃ身につける事なんてできない」
男は温厚で物腰も柔らかいがベルは僅かに警戒心を高めた。
「おおっと余計な詮索をしてしまった、僕の悪いクセだ失敬したね」
男が手を伸ばしたので、ベルは台座を少し降りると本を手渡してやった。
「ありがとうお嬢さん」
男はそういうと微笑みを返して店員のいるカウンターに向かった、ベルは僅かに不審を感じたがふたたびアゼルのリストの本を探す作業に戻った、男は少しベルを見ていたがそのまま店から出ていってしまった。
そのころハイネ市街の中心部の大広場は荷車と馬車で大渋滞を起こしていた、だがその空気はいつもと大きく違っている、普段の商家や野菜を降ろしにやって来た農民たちの荷馬車ではない、テレーゼ国内外から集められた物資を満載した荷車がハイネ市に流れ込んでいた。
「これはハイネを迂回して北に運べと指示が出ているはずだ、何をやっている!」
野太い怒声が三階の窓まで聞こえて来る、ハイネ警備隊の装備で固めた男たちが交通整理にあたっているが混乱は静まる気配を見せない。
大広場に面したコステロ商会本部の会長室にもその喧騒が伝わった。
「街が引っ越しするみてえだな」
コステロは調度報告を受けていた本館支配人のクレメンテに話しかけた。
「十万近い軍勢の為の物資が集められていますからな」
丸々と太った巨大な赤ん坊の様な禿頭の支配人が苦笑いを浮かべた。
そこに壁際に控えていた側近のリーノがメッセンジャーの少年からメモを受け取るのをコステロは視界の隅に捉えた。
「会長、先生がお見えです・・・」
リーノの声にコステロの顔が驚きに変わる。
「お客人ですかな、私はこれで」
驚いた顔をした支配人は何も聞かずに退出していく、コステロの私的な客人ならば本館支配人クレメンテを通さない事があるのだ、ここまで直通で来ると言うことはよほど特別な客人である事を意味していた、支配人はそれを察してこの場を去ったのだ。
「久し振りだなおい、俺の私室にお通ししろ」
コステロは豪華なそれでいて悪趣味な革張りの椅子から立ち上がる。
エルヴィスが私室のソファーに身を落ち着けるとすぐに客人がやって来る。
その旅の学者の様な姿の男は、部屋に入るやいなや嬉しそうに近づいてくると握手を求めた、エルヴィスもそれに応じる。
「エルヴィス君元気そうだね」
「先生こそまったくお変わり無く、五年ぶりですかね?」
その言葉には何か揶揄があったかもしれない、入り口付近にいるリーノの目が何かを訴えている。
「ああそんなところかな、ところでリーノ君は結婚したのかい?」
「いいえまだです・・・アンソニー先生」
「まあ先生、すわったらどうだい?」
アンソニー先生は一見すると頼りない中年の考古学者だ、かつてペンタビア大学の考古学科の教授で研究者をしていた、エルヴィスとは古い知古でペンタビア調査団の全滅から生き延びた数少ない男でも有る。
彼はペリヤクラム碑文の解読から、闇王国の言語の解読に大きな役割を果たした、あれから二十年間エルヴィスの個人的なアドバイザーを務めてきた。
そして何時の間にかコステロ商会の会長室まで直通で通される程の立場を築いていたのだ。
リーノが直々に茶をいれて二人の前に並べた、この部屋は立ち入り禁止になっていて、執事も使用人も今は近づけない。
「ところでゲイル君とアスペル君は仲良くしているかい?」
「最近は落ち着いていますよ」
エルヴィスは愉快そうに笑った、だがその笑いはどこか虚無の荒野をわたってきた風の様な乾きを感じさせる。
「君とも上手くやれているようだね」
「おかげさまで楽しくやってます、ところで先生は今まで何を?」
「もちろん学問の探究だよ、もう何も恐れる必要は無いからね、どこにでもいけるんだ」
先生は薄っすらと笑ったが、その笑いはどこか非人間的だった。
「僕もやっと彼の気持ちが解るようになった、自分がいかに無力な存在だったか。
でも僕が彼と違うのは復讐の為に生きようとは思わない事だよ、僕の夢の為にだけ力を使うんだ」
「先生らしいお言葉です」
「そうだ力と言うと不思議な少女、いや女性を街で見かけたよエルヴィス君」
エルヴィスは瞠目した、特別な力を持つ存在が何人か存在する、女性ならば二人いる。
「エルヴィス君思い当たる事があるね?」
「ありますよ、簡単に手が出せないので苦労していますが」
「あれは幽界の神々の眷属だね」
「察しの通りです、興味はお有りですか?」
「興味はあるけど、あくまで調べたいだけだよ、僕には幽界と魔界の神々の覇権争いなんて興味はないんだ」
アンソニー先生は笑いながら茶を飲んだ。
「ところで君も変化が進んでいるね?」
エルヴィスは何も語らずに頷く。
「そんな事が可能なのか僕にも興味があるよ、はたして人は闇妖精になれるのか?」
「先生はこの度は何の御用で?」
エルヴィスは気まずくなったのか話題を変えた。
「君たちの顔をひさしぶりに見たくなったんだ、そして魂が東に呼ばれている、何か闇の力が生まれた、僕はそれを調べに東に向かう」
「東ですか?・・未知の大陸から来た難破船の情報が入ってきていますよ、このご時世で調査が後回しになっていますが、今までも何度も有りました誤報や詐欺話ですがね」
「うん、それかも知れないね、まあ現地に行けば何かわかるよ、あとこれは君へのお土産だ」
先生は足元の鞄から羊皮紙の束を取り出すとテーブルの上に置いた。
「ありがとう助かります」
中身に目を通したエルヴィスは破顔した。
「君の力になれるなら嬉しいよ、さてそろそろゲイル君達のところに遊びに行くよ、何か言伝はあるかい?」
「そうだそこの菓子の箱を持っていってください、最近姉妹ができたんです」
エルヴィスは執務室の上に置かれた化粧箱のような高級菓子の箱を指差した。
「おお、それは良かった良かった、彼女達には家族が必要なんだ」
アンソニー先生は穏やかに微笑んだ。