港街リエカ
公都アウデンリートの遥か東方、エスタニア大陸の地はてる処にリエカの港街があった。
東方絶海に突き出した希望の岬の北にある良港を取り巻くように街は広がる。
水平線まで果てしもなく広がる大海原は暗い藍色に染まり、青い空に鉛色をした雲が浮かんでいる、雲はエドナ山塊を越えて吹く風に流され東にゆっくりと遠ざかって行く。
湾には多くの帆船が停泊している、大型の輸送船から小型の快速船まで、エスタニア各地の様々な様式の船をこの街で見ることができた。
そうしている間に新しい船が湾に入って来た、替わりに一隻の大型帆船が今まさに港から出港しようとしている。
街はかつて城壁で囲まれていたらしい、城壁は破壊され処々に遺構の跡が残るだけだ、おかげでとても見通しが良い、リエカは何度も大火で灰になり、その度に再建され絶え間なく姿を変えて来たのだ。
その街の南側に巨大な六角形の柱の形をした岩がひしめく崖が見える、ここから10キロ程海に向かって岬が突き出している。
岬の断崖に高波が激しく打ち付け白い飛沫を上げているのが遥か遠くまで見えた。
ジンバー商会特務班の馬車がリエカ近くに到着すると、さっそく近くの小さな丘の上に登り街全体の観察を始めていた。
丘は木々のない見通しの良い丘で背の低い牧草に覆われていた、近くに放牧された牛が呑気に草を食んでいる、これが彼らが見た景色の総てだった。
「ラミラさんここが世界の東のはてなんですね」
ジムはいつのまにか近くにいた特別班の紅一点ラミラに声をかけた。
「さあね、この海の向こうに大陸があるのは間違いないさ」
「難破船はこの岬の反対側のようだな」
班長のローワン=ワトキンソンが南に遠く見える断崖を指差す、断崖は盾の列の様に東に伸びその先は海に溶け込んでいる。
それを見てラミラが肩をすくめる。
「さすがにここからは見えないね」
「まず宿を探し拠点を作る、情報を集めその後で難破船を調べる」
「ローワンさん先に見に行かないんすか?」
「警備が厳しく危険なようだ、まず情報を確保してから難破船に接近する、注意すべき事も情報収集の過程で見えてくるのさ」
彼は通称雑用係のトップで、短い髪と黒い目に浅黒い肌の色をした精悍な男だ、ラムリア地方の生まれらしいが、愛嬌のある美男にも見えない事も無い容姿の持ち主で、真面目な話をしている時も彼の容姿が剽軽さを与えてしまう損な男だった。
「そう言うもんなんすね」
ジムの凡庸な感想にラミラが答える、彼女はジムの教育担当になっていた、ジムはあの異常な力を持つ少女達の顔を直に目撃していた事から組織に取り込まれた、今ではジンバー商会の任務に引きずり回される日々を送っている。
ジンバー商会としてもジムを人夫のまま放置できなかったのだ、口を封じるか取り込む以外に選択肢は無い。
「いいかい、情報を持ち帰れないのが最悪なんだよ、失敗しても生還できたら失敗した事は伝わる、情報を得ても生還できなければ何の意味も無いのさ」
「街で情報を集めれば、安全に難破船に近づける様になるってことですよね?」
ローワンがジムの質問に替わりに答える。
「成功率は高くなるだが重要なのはそこじゃない、最悪でも集めた情報だけは持ち帰るそれが俺たちの仕事だ」
ジムは感心したようにうなずいた。
「危険な事は一番最後にやるんですね?」
ローワンは少し疑問を感じたような顔をしたがうなずいた。
やがて街の方からこちらに向かってくるデミトリーの姿が見える、かれは町外れの宿屋で馬車止めのある宿の情報を集めていたのだ。
「よし降りるぞ」
デミトリーと合流する為に三人は丘を降りた、馬車の近くに戻るとローワンが馬車に向かって声をかける。
「バート街に入るぞ!」
留守番のバートは御者台の上で居眠りしかけていたがその声で慌てて身を起こした。
軽く騾馬に鞭を当てると馬車はノロノロと動き出す、ジムとラミラは馬車の後ろから飛び乗るとローワンは軽々と御者台に飛び乗った。
馬車は途中でデミトリーを拾うと喧騒に満ちたリエカの街に入って行く。
街の南外れの大きな宿屋の二階に三部屋借りたジム達は一番大きな部屋に集まっていた。
バートが留守番で他の四人は手分けして難破船の情報を集めていた。
その日の夕刻までにバートが用意したリエカの街の地図に羽ペンで新しい情報が書き込まれていく。
集まる情報は噂話の域を出ない物が多い、中でも生存者に関する噂が目立つ、女だとか化け物だとか噂が錯綜している。
エルニア政府も情報統制しようはしているらしいが、場所が場所でまったく上手く行っていない様子だ、
ここは人の動きが激しく彼らは難破船の内部に係る情報だけ厳重に管理しようとしているらしい。
それはローワンの分析だった。
「どうやら遭難者はアウデンリートに送られた可能性が高い」
ローワンが集めた話などから推理を進める。
「そうだね、私達と行違いになったようだね、遅くても一昨日にはここを出ている」
「ラミラ途中で俺たちとすれ違った大行列が怪しいぜ?」
その野太い声は染め物職人風のデミトリーの声だ、今は商会で働く荷物運びといった服装をしている。
それに皆がうなずいた。
「では他の乗組員はどうなったんだ?」
ローワンが地図を眺めながらつぶやくのが聞こる。
「こことここに検問がありますね」
バートが集めたメモを元に地図に印を付けていく。
岬の南側は数キロにわたって台地が広がり断崖が海岸にせまっていた、難破船に近寄る事がとても難しい事が判明してきた。
南の海岸線から難破船に近づく道は塞がれ、台地に昇る小道もすべて封鎖されていた、難破船に近づくことはできないが上から見下ろせる場所も封鎖されていた。
「岬の東から海岸線に沿って近づくしかないわね」
「あとは海から船でいくしかないっすね」
「これでは強力な海軍がきたら守りきれない」
ローワンの言葉に皆が驚き視線を班長に向ける。
「座礁しているようですが、損傷しだいでは岸から離れる事ができます」
バートがそう言いながら難破船が座礁している推定地点に大まかな記号を書き込む。
彼の言葉は損傷が軽微なら大潮の時に牽引し離礁させて強奪する事が可能かもしれないと言う意味を含んでいた。
「仲間が船を見たって言う漁師の爺さんの話だと、幽霊が出そうな不気味な船だったそうっす」
ジムはラミラと街をぶらつきながら難破船の話を集めてきたが、港の桟橋近くで漁師の一団の世間話からそれを聞いたのだ。
彼らは良い漁場に近づけずに怒りをぶつけていた。
「帆柱がほとんど折れていたらしいわ」
それをラミラが補足した、ならばかなり傷んでいる可能性は高い。
「しかし目撃者がおおいっすね」
ジムの感想にローワンが答えた。
「街に近いからな、沖を行き来する船も多い、封鎖されるまでは難破船に近づく事もできたようだ」
「どうやって近づきます?」
「下から接近するのは不可能、せめて全体を見て船の絵だけでも持ち帰りたい」
ローワンは天才画家のバートに目をやった。
「望遠鏡があります、ある程度距離が離れていてもなんとかします」
そこで地図に再び目を戻した。
「岬の先の方から上がれませんかね?」
ジムが地図を見ながら呟くが、ローワンが首を横に振った。
「岬の上にも見張りがいるはずだ、密偵が一番近づき易いルートだからな、沖の船から小舟を下ろし岬に上陸してくる事は簡単に想定できる、船の反対側の海岸線も封鎖されているはずだ」
ローワンの意見に皆が同意してうなずいた。
ローワンがふと窓の外を眺めると、そとは夜の帳に包まれようとしていた、そして外から船員達の乱痴姫騒ぎが聞こえてくる、航海は危険がつきまとう、彼らは明日も知れぬ運命から目をそらそうと、一瞬の楽しみに身と心を委ねようと騒いでいる。
「そろそろ下の酒場に行くか?面白い話が聞けるさ」
そう言うとローワンが立ち上がる、皆も続いて立ち上がった、こうして彼らを見るとこの街に買付にやって来た商人の一行にしか見えなかった。
宿の酒場は満席に近く、彼らは奥まった狭い一角に詰め込まれてしまった。
この宿は馬車止めが用意されている大きな宿で、追加料金を積むと馬の世話をしてもらえる。
客層も船員よりこの街に仕事で来た商人や運送業者らしき客が多い、それだけ他の宿より客層が良いのだ。
ささやかな夕食を始めると、ジムは周囲の客達に目を走らせた、他の者達も自然な態度であたりに気を配っていた。
隣のテーブルに三人組の男達がいたがかなり出来上がっているようで、船の入港が遅れている事に大声で憤慨していた。
「北回りの船便が軒並み遅れているんだよ!!クソが」
「グディムカルのせいか?」
「それしかねえよ、南回りもこれから続くか怪しいぜ?」
「北の毛皮や木材が遅れる?値が上がるな」
「ああ、間違いない」
もう一人が会話に割って入った。
「昨日アラティアから来た船の奴らがいっていたが、グディムカル海軍を警戒しているようだぜ?」
「航路が止まると痛いな」
「ああ」
ジムの向かいに座るローワンは渋い顔をしている、宿の客層を考えると世界情勢に関心が向くのもいたしかたない。
シムはふと思いついた。
「新しい大陸が東に見つかれば、航路が開かれますよね、ここが玄関口になるんすかね?」
彼の声はそれほど大きな声ではなかったが、周囲のテーブルの男たちが僅かに体を強張らせた、だが静かになったのは一瞬ですぐに元に戻る。
そして隣の男たちはまた酒をあおると話し始めた。
「たしかにまた東方絶海の探検ブームがくる、各国も積極的に支援するはずだ、あの船を見ればどこかに大陸があるのは間違いねえ」
「だがよあんな馬鹿でかい船がああなるんだ、厳しい航海になる」
「間違いねえぜ、でもあてもなく探すより何倍もましだ」
「詐欺師やら本物やらが湧いて出てくるな」
「ああ一攫千金を狙う奴らが湧いてくるさ」
そこに四人目の男が彼らの席にやってきた
「戻ったぞ、天測所に行ってきた、大きな嵐が近づいているそうだ」
「なんだと?いつ来る」
「明日の夜あたりだそうだ、また入港が遅れるかもな」
「なんてこった!」
天測所は港湾ギルドが運営している組織で、長年にわたり気象記録を積み上げ、更に大きな港では精霊宣託師を抱えている事もある、
リエカの街の天測所も優秀な精霊宣託師がいると言われている。
すると隣に座っているバートがささやく、彼の声は低く小さな声なので聞き取りにくかった。
「嵐で壊れるか流されるかもしれませんね」
「そうだな、なんとか難破船を見て起きたい、計画変更だな」
ローワンは腕を組み考え込み始めた。
「嵐の夜なら海から近づける」
「それでは何も見えないすよ?それに危険です」
「夜は船の周囲が魔術道具で照らされ、暗がりに紛れて近づく事ができないようになっているそうだ」
「なら遠くから船が見えますね」
「ああ、失敗したらラミラ一人でハイネに戻ってもらうさ」
ラミラはジムの予想に反してまったく異論を挟まずあっさりとうなずいてしまった。
「そうだ、俺も行くんですか?」
そして自分が除外されていない事に気づくと糸の様に細い目を限界まで見開く。
「期待しているぞジム、お前の怪力に期待している」
ローワンはにっこりと二枚目半の顔を崩した。
「さて明日はまず船を探すぞ、岬の南側で探した方がいいな」
食事を食べ終わったローワンは部屋に引き上げると決めた、早めに寝て明日の朝早くから動き始める、彼は立ち上がると小さな革袋をジムに投げた。
「これで払って来てくれ」
ローワンはそのまま階段に向かう、ジムは革袋を握りしめて狭い店内を動き回る給仕達をかわしながら受付に向かった。
暗色の石壁の上方に空いた小さな灯り窓から、城郭を照らす篝火の光が差し込んで大回廊の石畳みを照らしていた。
その大回廊を数人の人影が向こうからやってくる、時々何かが光を反射して白銀に輝く。
やがて彼らは更に近づいて来た、手入れの行き届いた武具で武装した兵士達に囲まれて、嫋やかな麗人が優雅に歩を進める、まるで屈強な護衛に守られた王族の様に見えた。
どこに連れて行かれるかわからないのに、彼女はその美しい顔に不安の色も見せずほのかな微笑みすら浮かばせていた。
その女性こそ難破船から救出された異邦の麗人その人だ。
その一団の後ろから夜の染みの様な黒いローブ姿の一団が続いた。
やがて黒い黒檀の板に金と銀の板金の装飾を施された壮麗な扉の前で止まる、飾りはエルニア公国アウデンリート大公爵の紋章を象ったものだ。
この扉の向こうは成人した大公家の人間が私的に使う空間だ、テオドーラ大公妃は後宮の公女に割り当てられた部屋を使う事を提案したが、大公と宰相の反対にあってこちらが使われる事になった。
扉の前に宰相のギスランがわざわざ出迎えに来ている、後ろから魔導庁長官のイザクが前に進み出てた。
「わざわざお出迎えとは」
イザクが僅かに当惑した声を上げる、だが扉が開かれてその奥にセイクリッド大公の姿を認めて目を剥いてギスランを見つめた。
まさか大公までもが出迎えに出るとは想ってもいなかった、だがギスランの表情は無だ。
「おお、異国の姫よようこそ」
セイクリッドが歩み出る、すると麗人も半歩前に出ると奇妙なカティシーを魅せた、どうやらセイクリッドが最上位の者だとわかるのだろう、その時ギスランはイザクが小さな呻き声を上げたのに気付く、ギスランはそれ見逃さなかったのだ。
「大公殿下、まずは彼女を部屋に案内し落ち着きましたら、公式に面談の場を設けますれば」
ギスランは大公を牽制するように手を挙げる、するとあらかじめ侍していた三人の高級使用人が異邦の麗人の側に寄った。
言葉が通じなくとも自分の世話役だとわかるのだろう、使用人達に導かれるように大人しく連れて行かれてしまった。
彼女は世話になっていたイザクや魔導庁の者達に目をやる事はなかった、それにイザクも僅かな引っ掛かりを感じたのか眉を顰めた。
憮然としている大公に向かってギスランが諭すように語りかけた。
「この様な時間です、日を改めて会見の場を設けます、ここはおやすみ頂きたい、彼女も慣れぬ事で疲れておりますれば」
内心の怒りを抑えながらギスランは冷静に対処した。
「わかった、明日の内に場を設けよ」
「かしこまりました」
大公は不愉快そうな顔をしながら引き上げて行く。
それを見送った後で下がろうとするイザクに声をかけた。
「少し話がある、他の者は下がれ」
イザクは何事かと白い眉毛を動かした、二人が大回廊に戻ると背後で大扉が閉じられる。
護衛の兵と魔術師達は大回廊を帰っていく、ギスランとイザクは並んでゆっくりと歩いた。
「あの女のカティシーに驚いたな?」
「宰相閣下気づかれましたか、古代文明の貴婦人の作法に似ていると感じましたもので」
「そうか、たしか古代文明が滅んだ闘いで妖精族がエスタニアを離れ東の海の彼方に逃れた、そんな伝説があったな」
「その通りで」
ギスランは小首を傾げた。
「だがあの女は妖精族ではあるまい」
「血を引いている可能性はありますぞ?」
「なるほど、五万年も経つのだ混血が進んだのか?」
「仮説としては有りですが、まだ何も証明されてはおりませぬ」
二人はしばらく雑談をかわしながら遠ざかって行く。