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異邦の麗人

今から二百年程昔の事だ、セクサルド王国中興の祖カシナート王の世にテレーゼを併合したセクサルド王国は東エスタニア最大の大国に成長した、そしてカシナート王はセクサルド皇帝を名乗った。

時を置かずにエルニアの地にアウデンリート公爵領を創設、皇族のイスタリア家をこの地に封じた時からエルニア公国の歴史が始まる。


エルニアの地にエスタニア大陸周回航路の拠点リエカの街があった、この街を抑える事でセクサルド帝国は海への玄関を手に入れる、それと共にハイネからリネインを経由しエドナ山塊を越えバーレム大森林を抜ける街道を拓く。

公都アウデンリートはエルニアを南北に貫きアラティア王国と南のクライルズ王国を結ぶ街道と、リネイン=リエカ街道の交差する場所に築かれた。

小さな田舎街は何度も拡大を繰り返しながら成長して行った。


二百年の年月を経て公都の複雑奇怪な町並みはあのクラスタ家のお転婆令嬢ベルサーレのかっこうの遊び場になるほど迷路と化していた。

その街の西端に聳えるアウデンリート城もまた街の歴史そのままに、歴史を継ぎ足した様な不思議な姿を人々の前に顕している。

城でもっとも古い建造物は、セクサルド帝国中興の祖カシナート帝時代に建造された大塔で、築かれてから二百年程経っていた、現在は魔導師の塔と呼ばれエルニア公国魔導庁が使用している。



その魔導師の塔の長官室で今まさに長官のイザクは大公の側近の男と果てしのない問答を繰り返していた。

「大公様は実験動物の様な扱いをいつまでも続けるのはマズイとおっしゃられている、奥殿の一角に居を与えるのでそこに移せとの仰せです」

イザクの目の前にいる小柄な壮年の男は大公の心の動きを推し量る能力に優れていたため、いつのまにか小役人の身分にかかわらず重用される様になった、表面的にはイザクにも丁重な態度だがその態度の端々から尊大さがにじみ出ている。


「しかしまだあの女には不可解な事が多すぎる」

不快に感じながらもイザクは反論する、ちなみに女とはエルニアに漂着した巨大な難破船で発見された唯一の生存者の事だ、彼女は魔導庁の預かりの元で危険が無いか調査が進めらていた。

「彼女は言葉こそ通じませんがその仕草や容姿から身分の高い者、後々外交問題になるやもしれませんぞ?」

イザクはこれははたして大公の考えなのだろうかと密かに疑問を感じた、それだけイザクの主君に対する評価は低い。


「客間を彼女の為に使っている」

「それでは話になりませんぞ」


未知の大陸に高度な文明が存在している事があの巨大な難破船の存在で明らかになった、学者や魔術師達は千年に一度の大発見と認識している、その報は静かに大陸全体に驚きと共に広がって行くだろう。

だが彼女が文明国の高貴な身分の者ならば、彼女の心象を害すると後々外交問題になると言う懸念はもっともだ、イザクもあの異国の女性の美しさに感嘆を覚えていた、たしかに高貴な身分の可能性は高い。

それに正直なところ彼女を重荷に感じはじめていた、難破船の調査に多くの魔術師や学者が割かれ、この状況で彼女の世話はイザクの心理的な負担になっていた。


「ううむ、これは私の一存ではなんとも、宰相閣下か総務庁を通してくれんかの?」

うんざりしながらイザクは問題を宰相達に投げる事にした。

「ではもう魔術的な問題は無いのでしょうな?」

この男の粘りにイザクは次第に苛つく、若い頃ならば怒鳴り付けていただろう。

「考えられる手を尽くしたが異常は見つからない、彼女に疫病の兆候も無い、そして魔術も使えない、だがここから移したければ公式の命令をもってきていただきたい!」

苦虫を潰した様に男は長官の執務室から引き上げていく。



「ほんと禄でも無い奴しかいませんね」

部屋の隅で置物の様に待機していた黒いローブの人物が声を発した、それは若い男の声だった。

「ギーよ言葉を慎め、大公様のお側使えだ」

「あ、すいません」

だがこの若者はあまり反省していない様子だ、彼の名前はギー=メイシーでエルニアの高名な魔術師一族に連なる下位魔術師だ、彼もその将来性を買われ魔導庁で今年から勤務する事になった。



「ついてこい、彼女を見に行くぞ」

イザクはゆっくりと立ち上がると扉に向かった、ギーは壁の保管庫の魔術防護を解除すると中から鍵を取り出す、そして木箱を抱えると長官の後に続く。

魔術道具でオレンジに照らされた魔導塔の螺旋階段を一階下る、この階層に貴賓用の部屋があるのだ、国内外から招いた高名な高位魔術師の為に使われるがほとんど使用された事はない。

部屋の前まで来るとイザクの姿をみとめた黒いローブの見張りがうっそりと頭を下げた。


その部屋には強力な魔術防護結界が幾重にも張られていたが、今は更に頑丈な鍵で施錠されている。

ギーが鍵でそれを解除してから軽く扉をノックする、しばらく間を置いてからそっと扉を押し開く。


狭い部屋だが調度品は見事な物で、ロムレス時代を模した質実剛健な機能美を体現した内装に統一されている、それらの内装と調度品が美しき異邦の麗人と彼女のどこか古代文明を思わせる衣装と不思議な調和を奏でる。


彼女はベッドに頭をうつむきながら腰掛けていたそれがギーの心を騒がせた。

女性は頭を伏せていたので白銀色の頭しか見えない、だが優美な肢体は隠しようも無い、それが彼女の顔を見てみたいと想う衝動をかきたて胸をこがす。

それを察したのか彼女は顔を上げた、その朧気なおとぎ話のお姫様のような異邦的な美貌が顕わになる、これほどまでの美貌ならば大公が執着するのも無理はないとギーは改めて想った。

大公の執着はあからさまなので多くの人々に知られつつあった。


ふと甘美な芳しい香りがあたりに広がっていた、ギーは思わず魂を抜かれそうな気分になる、匂いの元をさぐると彼女に目が惹きつけられた、まさかこれは彼女の体臭なのだろうか。

もし天に香水があるとしたらそれは彼女の香りだろう。


それは爽やかでいて扇情的な魔性の芳香だ。


ギーは彼女に無意識に近づいていた、そこで我に返り踏みとどまった、ふと上司のイザクを振り返り背中に悪寒が走る。

イザクの瞳も何かに魅入られた様な光を帯びていたからだ。

「長官!」

思わずそう叫んでいた。


「お、おお、ギーはやくしろ」

ギーは壁に設置された魔術道具を確認した、これは精霊力が発動されるとそれを記録する道具だがまったく痕跡は無い。

他の幾つかの道具を調べたが特に異常は検知されなかった。

それらの道具の中に死霊術の発動を検知する物もある、それは表向きは存在しない事になっていた。


「長官いい匂いがしますね?」

「ギー何を言っているんじゃ?」

「はっ?」

その時もう甘美な芳香は消え去っていた、思わず女を見たがもう顔を伏せ床を見つめていた、今どんな顔をしているのかも解らない。


「イザク様、宰相閣下からのお使いです」

その時の事だった扉の外から男の声が聞こえてきた、魔導庁で働く下働きの男の声でギーにも聞き覚えがある。


「すぐに戻る、ギー施錠を頼むぞ、わしは先に行く」

イザクは急ぎ足で部屋から出ていってしまった。


ギーは魔術道具の幾つかを取り替えると、床に置いてあった大きな取っ手付きの箱を持ち上げる、この中には彼女の着替えた下着や衣服が収められていた。

この部屋の警備は厳重で使用人や下働きの者は中に入れない、若い魔術師達がそれを代行している。

身の回りの世話は女性の魔術師の担当だった。


部屋の外に出て最後に中を確認する、彼女は何時の間にか顔を上げてこちらを見ていた、おもわずギーの手が止まる。

彼女は僅かに微笑んでいた、淡い不思議な笑みでそこから何かの意味を読み取れるのか悩まされる、そんな例えようの無い神秘的な笑みを浮かべていた。

なぜか体が動かない心を落ち着かせ精神を統一する、意志の力でなんとか扉を閉じた。


ギーはしばらく扉によりかかり呼吸を整える、それを見張りの魔術師が呆れた様に見咎めた。

「ギー、どうした大丈夫か?」

「すまない問題ないよ」

ギーはいつのまにか大量の冷たい汗を流していた。






イザクは宰相執務室の隣の会談室で小さなテーブルを挟んで豪華な革張りのソファに深く腰を下ろしていた。

そしてこの国の実質最高責任者の宰相ギスランと向かい合っていた。

先代のギデオン大公に見いだされ重用されたこの男もすでに老境に入っている、痩身長躯の男で白髪がまじり始めた頭髪は短く刈り上げられていた、知的で覇気に満ちた人物で僅かに釣り上がる目元が酷薄な印象を見るものに与える。

だがその強い意思を感じさせる眼光は未だに衰えを知らない。


「漂流船の調査が終わりしだい船を焼く」

「なんと!?いやわかりました」

イザクは魔術師として船を残したいと率直に望んでいたが、長官としてはそうするしか無いと納得していた。

あの巨船は場所が悪く目立ちすぎるのだ、リエカに出入りする船から遠望できる位置に座礁している。


「干渉される前に処分したい、まもなく世界中から密偵が送り込まれてくるぞ、調査記録は我々だけで抑える」

「たしかに」

イザクは唇を噛み締めた。

「不満か?」

「魔術師としてはそう言わざるをえませんな」

「解っておるなら良い」

特に機嫌を害する事もなく宰相は高価な陶磁器の茶器に満たされた異国の茶を飲み干した。


「ところで調査はいつ終わりそうだ?イザク」

「調査に終わりはありませんぞ」

イザクの言葉にギスランは苦い笑いを浮かべた。

「学者らしい言い草だ」


「あと一週間やろう、干渉があればこちらで止める、むしろ早く処分しろと要求してくる可能性もあるな」

「早くですと?たしかに聖霊教会あたりは言い出しそうですな」

二人はそこで苦笑した。


「ところであの客人はどうだ?」

客人とは難破船の唯一の生存者以外にありえない。


「健康に問題は無く大人しくしておられます、特に疫病の兆候もなく異常な点も見つかっておりません」

「大公の言い草ではないがいつまでも魔導師の塔に入れておくわけにもいかん、奥殿の一角に移す事に決めた、そろそろ女に会わせろと言った手合が来る頃だ」

「確かに魔導庁(コチラ)で対処できる問題ではありませんなあ」

それにギスランは深く頷いた。

だがイザクはそれがすでに現実の事態になっている事を実感している、それもあろう事かこの国の大公なのだ、これであの女から解放されると思うと内心胸を撫で下ろした。


「準備ができしだいそちらに連絡する、お前は移動の準備を進めてくれ、魔術的な警備や監視はそちらから人員を割いてもらう事になる、人手が足らんと思うがやってもらうぞ」

「調査団が戻りましたら少しは楽になりましょう」

それを聞いたギスランは満足そうに頷いた。

「ご苦労だったイザク」

それは話はこれで終わりという意味だ。


「では、私はそろそろ引き上げますぞ」

イザクは居心地の良いソファからゆっくりと身を起こした。









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