エルニア帝国興亡記 ～ 戦乱の大地と精霊王への路

第一章 逃亡

公国の召喚術師

　エルニア公国の公都に聳える大公家の居城アウデンリート城、それは徐々に夜の帳(トバリ)に包まれつつあった。

警備が夜番に交代し城の要所に篝火が灯されはじめたころ、城の東端の一角を占める古臭い装飾に飾り立てられた古塔がその照り返しで不気味な貌を見せはじめる、城中で最古の建築様式と言われる古塔だが、現在は公国の魔導庁に割り当てられていた。

その魔導庁はちょっとした混乱に陥っていた、通常業務を終えた昼番の役人達が帰宅しようと気をゆるめ、談笑しながら夜番に引き継ぎを行っていたところに、宰相のギスランが魔導庁の執務室を先触れもなく訪れたからだ。

ギスランは弛んだ風紀に不機嫌になった、長官が急用で外出していた為に代理の責任者を呼び出して叱責する。

「弛んでおるぞ？今何が起きているのかわかっておるのか？」

魔導庁は浮世離れした空気の部署とはいえ、ルディガーの反逆事件で何時もとは違う緊張した空気に包まれてはいたのだ、だがそれも長く続かずに平常状態に戻りつつあった。

「ははっ、申し訳ありません、部署員全員に訓示いたします！！」

「今はそれどころではない、グスタフ＝ヴェーゼマンを呼び出せ、特別室を使う」

「申し訳ありません、グスタフは現在塔から外出しておりまして・・」

ギスランは唖然としてから激怒した、呆れてから怒りだすまでの間が妙に長かったが。

「たわけが！！あの男を何の為に飼っていると思っているのだ、このような非常の時の為だぞ！！塔の内部に待機させておかんか！！」

責任者は平伏すると、役人にグスタフを至急呼び戻す様に命令を出す。

数人の役人たちが飛び出るように執務室から走り出ていった。

ギスランはこめかみに手の平を当てた。

「この弛みはエルニア全体の問題でもあるな」

ギスランは小さく苦く呟く。

「特別室で待たせてもらう、速やかにグスタフを連れてこい、お前にもそれ相応の責任を取らせる良いな！？」

平伏している責任者を一瞥すると、ギスランは若い役人に特別室に誘導されていった。

当の本人であるグスタフ＝ヴェーゼマンは城の内壁の内側に与えられている自宅にいた、本当は城外で酒でも飲みたかったのだが、この状況でそこまでやる度胸は無かった、あまり仲が良いとも言えない妻と、出来の悪い息子と娘しかいなかったが、それでもグスタフにとって家族だった。

召喚術師として強力な精霊を呼び出せる能力を買われて、高待遇を与えられているが、その召喚は多くの犠牲をグスタフに強いるものだった、だが何事も起きなければ、希少な召喚術師として負担の軽い日常業務をこなしながら長生きできる可能性もある、豊かな生活を保証されたまま逃げ切れる可能性もあったのだ、公国にしてもそんな事態は起きないほうが良いので何も起きなくとも咎めたりはしない。

だが今まさにその事態が起きつつある事はわかっていた、他の魔法術士達は日々言われた事をこなすだけで、自らの研究にしか関心が無い者が多い、グスタフの高待遇に文句も付けないかわりに、死んだとしても大して気にしない連中なのは良くわかっていた、だから塔から逃げ出したのだ。

むしろ魔導庁の術士以外の者の中にグスタフの高待遇をやっかむ者が多かった、彼らは召喚術士が希少な理由を良く理解していない。

そんな小さいが下級貴族の邸宅並みに立派なグスタフ＝ヴェーゼマンの自宅で、グスタフが家族に当たり散らしていた。

「ルディガーめ！！」

妻のハンナが呆れたように。

「殿下を呼び捨てにして大丈夫なのかい？」

「謀反人だ呼び捨てで十分だろ！？」

「それで何を気鬱(キウツ)して八つ当たりしてんだよ？殿下が謀反を起こしたとしてあんたに何の関係があるんだい？」

今度はグスタフが呆れる番だった。

「お前は俺たちがなぜこんな立派な家に住めると思っているんだ？」

「それはあんたが珍しい召喚術師として大公様のお役に立っているからじゃないのかね？」

「それだけでこんな家に住めるか！？万が一の時に大物の精霊召喚をさせる為に飼われているんだ」

「それは危険な事なのかい？」

多少心配げに問いかけてきた、グスタフは内心でそれに少し苦笑した、そういった事は家族に話して来なかったからだ。

「命がけの術になる、成功しても死ぬかも知れないし、失敗したらこの生活も終わりだ」

「謀反人を討つためにアンタがお勤めを果たさなければならないって事かい！？」

「だいたいは当たりだ、そういう事なんだよ」

「じぁあ、アンタが失敗したらここに居られなくなるって言うのかい！？アンタ！！」

貴族の様な生活が終わるかも知れない恐怖でハンナは震え上がった。

俺が死ぬ可能性も無いわけじゃあないぞ、グスタフは心の中でそっと付け加える。

突然家の表が騒がしくなり、魔導庁の役人達がグスタフを呼び出しに来たことを告げる。

ついにこの時がきてしまったか・・・

グスタフ＝ヴェーゼマンは覚悟を決めるしか無かった。

ギスラン＝ルマニクは特別会議室で、塔に戻ってきたグスタフを前にしていた。

「なぜ塔の中で待機しておらぬ！？」

グスタフは予め用意しておいた言い訳を述べる。

「申し訳ありません、例の召喚は極めて危険故に、万が一を考えまして、家族に最後の別れをして来ました」

半分嘘であったがまったく嘘と言うわけではなかった。

ギスランは僅かに表情を動かしたが、城の内壁から外に出ていなかったからこれ以上追求する気はなかったようだ。

「おまえもわかっていると思うが、反逆罪に問われているルディガー殿下の国外逃亡を防ぐ為に、お前に追討を命じる可能性がある」

正式な命令書がテーブルの上に置かれている。

「これにはまだ俺のサインが無い、だがいつでも法的効力を発揮する」

「お前は、俺がサインをしてすぐに術を行える様に事前準備を進めるのだ」

「明日のだいたいこの時間には最終的な決断が下されるはずだ、それまでに必要な物を総て揃えさせろ、いくら金がかかってもな、詳しい事は魔導庁の長官と相談しろ、空振りに終わってもお前に非は問わぬ、その時はその命令書を破り捨てるまでだ」

グスタフ＝ヴェーゼマンはただ頭を下げて命令を受けるしかなかった。