リズ誘拐される
部屋に入った二人は小さなテーブルを挟んで向き合って座った、簡単なクズ肉の炒めものに堅パンと薄い野菜スープの皿と小さな木の樽が置かれていた。
ふたりはさっそくささやかな晩餐をはじめる。
部屋は台所と居間を兼ねていた、心を慰める様な飾りも調度品も無く、実用本位で最低限の物しか置かれていない、椅子もテーブルも総て二人で古物市から買って揃えた物だ。
隣の部屋の扉が半分開いていたが、得体のしれない器具と道具が処狭しと置かれているのが見える、その部屋はリズの研究室になっている。
そしてもう一つの扉は締め切られていた、部屋の中は小さなろうそくの淡い光で照らされ薄暗い、
リズも魔術の光で照らす事ぐらいできるが、青白い光は食欲を萎えさせるので普段は使わない。
「ねえマティアス、ピッポさんと会ってきたんでしょ?」
そう言いながらリズが野菜スープに堅パンを浸し柔らかくしてから口に放り込む。
「ああ『死霊のダンス』で会って来たよ、それがどうしたリズ?」
「最近あってないからさ」
「そうかもう一週間以上になるか・・向こうも仕事が増えていたぞ、城で事故が起きてから回ってくる仕事が増えたってさ、まあ本人は歩合だから喜んでいたぜ」
「セザーレ=バシュレ記念魔術研究所にいくんだって?」
「最近、いろいろ騒ぎがあって移籍が遅れているらしいな」
「いろいろね・・・アイツラがからんでいるのかな?」
マティアスは食べるのをやめてリズを見つめた、アイツラとは異常な力を秘めたあの化け物達の事を指している、マティアスも美しい小柄な少女が赤髭団を僅かな時間で半壊させた処を目撃したのだ。
「やっぱそう思うか?」
炒め物を木のフォークで刺してもて遊びながらマティアスが呟いた。
「城の事故やこの前の大爆発とか、オットーがまだ行方不明のままなんだよ、あんたの知り合いも行方不明なんだろ?」
「ああ、長い間連絡がないんだ、ピッポのおさっさんも心配していた」
死霊のダンスの中位魔術師のオットー=バラークはテヘペロに殺されてしまったが、それを知っているのはテヘペロの他にピッポだけだ。
手先の器用なテオ=ブルースは離脱を宣言して何処かに消えた、そしてジム=ロジャー少年とは音信不通になっている、彼はジンバーの特別班に移籍したと人夫達の噂から聞いていたが、それ以来彼との連絡が完全に途絶えていた。
そしてジンバー商会会頭の甥のオーバンも行方不明だが彼の事は急速に忘れ去られつつあった。
「街じゃグディムカルの破壊工作だと噂されているんだよ」
最後にスープの皿を両手で持ったリズが中身を音を立てて飲み干した、そしてテーブルの隅にあった小さな酒樽をテーブルの真ん中に置く。
「これ呑む?今日昼休みにいろいろ買いだめしたんだよ、ジンバー商会に近いから助かるね」
栓を開けて匂いを確かめたマティアスは顔を顰めた。
「これ蒸留酒じゃないか?」
「麦酒がどこにもないんだよ、これも値上がっていたよ」
「物価が上がっていると皆文句を言っていたな」
「マティアス、街の工場の煙が多いの気づいた?」
「ああ知っている、パン焼きの命令が出ているらしい」
「パン焼きなのかい?武器かと思ったよ」
「武器も在るだろうが、パンは綺麗な水と燃料がいるからな、今のうちに小麦をパンにしようとしているのさ、遠くの森で木炭造りをはじめているぞ、石炭だけじゃ足りないんだ」
「戦が近いのかな?いやだねここが戦場になったらどうしよう」
「いざとなったら二人で身一つで逃げるさ、そうだ金目の物や貴金属があったら纏めておけ」
「うん、大して無いけど備えておくよ」
マティアスは二人の木製の小さな酒盃に酒を注ぐ、琥珀色の液体が強い酒精の匂いを放つ。
「少し飲もうぜ」
「そうだね、悩んでもしょうがないかぁ」
二人は陽気に乾杯すると酒盃に口をつけた、次第にハイネに夜が迫ってくる。
彼らのアパートからそう遠くない南西地区の倉庫街の小さな酒場に奇妙な集団が集まっていた、とにかく彼らはひと目を惹きつけて止まなかった、二人の美少女と若い美男が二人、威厳のある白くて長い顎髭の老魔術師がいるのだから。
物語りから抜け出てきたかのような奇妙な一行がこんな場末の安酒場いるのだ、他の客も無遠慮に彼らを見回しているが声をかける勇気は無いらしい。
「ルディ、最近引っ越してきた女魔術師がいるか聞いたらすぐに解ったよ」
「私も同じなのです」
ベルとコッキーは僅かな時間近くを聞き回っただけで妖しい女魔術師の行方を探りあててしまった。
「でしょうね、魔術師は珍しいですからね目立ちます」
アゼルはそう冷静に評すると足元のエリザに野菜の欠片を投げ与えてやる、エリザはそれを小さな両手で捕まえた。
「あの女の居場所はわかったけどどうする?」
ここでベルは身を乗り出すと隣に座っているルディの耳に口を寄せた。
「誘拐するの?」
ルディは深く頷いた。
「ジンバー商会と新市街の死霊術ギルドにも攻勢をかけてやる、これ以上死霊術師を跋扈させるわけにはいかん、ハイネの死霊術に関わる情報を吸い上げる、それにジンバーはソムニの樹脂を大量に扱っているこれも叩きたい。
化け物に攫われた少女の事も気になるが、死霊術の魔術陣地に隠れてしまっていては手がだせん、これでセザーレや真紅の怪物をあぶり出せるやもしれん、少なくとも突破口の手がかりが得られるさ」
「ソムニの樹脂を焼きましょうルディさん!」
コッキーは過激な事をあっさりと言い放った、この一見すると天使の様な幼い美貌を誇る少女がエキセントリックで激しい気性の持ち主だとこの場にいる者は皆理解する様になっていた。
ベルは向かいに座るコッキーの怒りに燃える顔を観察していた、そして前にもソムニを焼こうと言っていた事を思い出す、たしかリネインにいるコッキーの知人がソムニの中毒で廃人にされていたと聞いている。
コッキーの声は大きかったがアゼルの防音結界で囲まれていたので彼女の声が漏れる心配はない。
「いつやる?」
更にベルが声を低める、迫ってくるベルに引き気味になりながらルディは決断を下した。
「善はいそげだ今晩城門が閉まった後でやろう」
「わかったルディ、それまでここで宴会だね!」
「そうじゃな、夜になって街をうろつくと警備隊の目につくわい」
ホンザが酒のつまみの煮豆を口に含みながら、強い蒸留酒をちびちびと飲んでいる。
「じゃあ私はミート&マッシュポテト・テレーゼ風激辛ホットパイが食べたいのです!」
コッキーが元気いっぱいに宣告する。
「俺は酒を追加するぞ、おーい!!」
「ルディガーよ聞こえんぞ?」
ホンザが呆れ気味に叫んだ。
「では防音結界を解きますので、皆さん口には気をつけてください」
アゼルがそう警告した直後に安酒場の喧騒が彼らを押し包んだ。
夜も更け街の灯りが消えるのもいつもより早い、市街の警備の数が増えハイネ警備隊の巡回の音が絶える事が無かった。
そして遠くに見えるハイネ城の大塔の窓から漏れる灯りも夜遅くまで絶える事が無い。
「みて動きはじめた、やっぱり誰かと一緒にいたんだ」
ベルが偵察から倉庫の合間の狭い裏道に戻ってくると闇の奥に向かってささやく。
「ほんとです光が出てきました、あのオバサンじゃない感じがします・・・男の人です」
コッキーの言葉は何か奥歯に物が挟まった様だ。
「俺にも動くのがわかるぞ」
ルディもその動きを察知した、やがて姿を現した男は階段を降りるとそのまま南に歩いて行く。
「どうするつける?」
「たのむベル、奴が何処に行くかだけ突き止めてくれ」
ベルは頷くとその男の尾行を静かに始める、あの女魔術師一人拘束するのにここに居る者だけで十分とルディは判断したからだ。
「もう時間だ、行くぞ!」
ルディの合図と共に路地裏から走り出ると彼女の小綺麗なアパートに走りよった、そして木製の階段を慎重に二階に昇っていく、そして調べ済みの部屋の前に到着する。
アゼルが防音結界を張るとホンザと共に扉を調べ始めた、そこには簡易な魔術防護結界が施されていた。
「死霊術の術式を見るのは始めてですが、精霊術に近い術式で組まれていますねホンザ殿」
「恒久術式ゆえにこうして観察する事ができた、だが力の泉源の部分が異質だな、共通項から読み取れるのは防護結界に近いことじゃ」
「この差異の部分が魔界との通路に関わるものでしょうね」
「その可能性が高いのうアゼルよ、アマリア様が来ていればの」
ホンザはルディの胸のペンダントを見た、それに気がついたルディが苦笑する。
「午後になってからは愛娘殿はお見えにならん」
ホンザは再び視線をアゼルに向けた。
「となると解除もできそうじゃなアゼルよ」
「やって見ますか?」
二人はお互いにうなずいた。
他者の防護結界を解除する為には膨大な魔力を必要とする、一番簡単なのは大きな負荷をかけて力を消費させてしまう方法だ、だがここで騒ぎを起こすわけにもいかず、二人が分担して慎重に魔術結界の解除を始めた。
「中位相当の術師だったな、力をかなり喰われる」
「ホンザ殿無理をなされず、私がやります」
アゼルが何度も術を行使しながら魔術結界を解除して行く。
「もしかすると気づかれているかもしれません殿下」
「わかった、あとどのくらいかかる?アゼル」
疲れ切った顔をしたアゼルが背後で見守っていたルディに顔を向けた。
「いえ、これで終わりました」
「ルディさん奥の部屋にいるみたいですよ?」
探知を放ったコッキーが女魔術師を捕らえた。
「彼女は寝ているのでしょうか?」
コッキーの報告にアゼルが不思議そうな顔をした、結界が破壊されたのに気づいて居ない事に疑問を感じたのだ。
ルディが静かに扉を開くと酒の強い匂いが部屋から漂い出る。
「うえっ、お酒臭いのです」
コッキーが鼻の頭に皺を寄せる、アゼルが魔術の灯りを作り出したので青い光にテーブルの上の晩餐と酒宴の跡が照らさしだされた。
ルディは扉が閉じられた部屋の前に進む。
「この中にいるな、寝ているようだ、では開けるぞ」
ゆっくりと扉が開かれた、部屋の中をアゼルの水色の灯りが照らし出した、部屋の奥の壁際にベッドがある、その上に粗末だが清潔そうな上掛け布団が見える、真ん中が盛り上がり誰かが寝ているようだ。
魔術の灯りに気づいたのかその人物が僅かに身動ぎした、どうやら眠ったばかりで眠りが浅かったようだ。
顔をこちらに向けて目を薄っすらと開けた。
「うー、マティアスなの?」
その瞬間にルディは彼女に迫り手の平で彼女の口を塞いでいた、彼女の目が恐怖と驚きに見開かれる、コッキーも素早く近づくと無情にも布団を跳ね除けてしまった、彼女は白い質素な寝衣で身を包んでいる。
そのとたんリズが呻きながら暴れ始めたがルディは全く動じない。
「大人しくしなさい、大人しくしてくれたら何もしない」
ルディの声は落ち着き冷静だった、それでリズは少し安心した様だ。
「この人飲んでいますね、オバサンお酒臭いのです」
コッキーは白い布でリズの手足を縛っていく、これは女性のコッキーの役割だった、するとコッキーの手が止まった。
「下着とか着ていないんですね、寝る時に裸の人とか居ますが・・・」
するとリズの目が初めてコッキーに向けられた、彼女の目がたちまち恐怖に染まる、また暴れだしたのを見かねたルディが彼女の鳩尾に拳を加え気絶させてしまった。
「悪く思わんでくれ」
コッキーは気絶し大人しくなったリズを拘束していく、ルディが二人の魔術師に合図を送るとアゼルとホンザはリズの研究室に向かった、目ぼしい資料と書籍を確保して持ち帰る為だ。
そして一時間ほど経った頃、人通りが絶えたハイネの街を走り抜ける者達がいた、大きな荷を背負うルディを先頭にして、膝を抱くように折りたたまれた白衣の女性がコッキーに背負われ運ばれて行く、これはベルから習った運搬術がさっそく活用されていた。
その後ろから膨らんだ背嚢を背負った二人の魔術師が追いかける、目立つはずの彼らは不思議と誰にも見つかる事もなくハイネの街を堂々と走り抜けた。
そんな彼らを欠け始めた月が静かに天から見下ろしていた。
「やれやれ」
ホンザがセナ村の屋敷の居間のソファに腰を降ろした、そこに二階からベルがちょうど降りて来ると声をかける。
「屋根裏の物置を空けてきたよ」
ベルは先にセナの魔法陣地に戻っていた、リズのアパートから出てきた男はそのまま東に向かうと、東南地区の小さなアパートに入って行ったらしい。
「とりあえずこの女どうします?ルディさん」
コッキーが目を覚ましたリズを指差した、彼女は縛られたまま床に座り込んでいた、彼女の顔は恐怖と絶望に歪み今にも泣き出しそうだが、猿ぐつわを嵌められていたので声を出せない。
「触媒を取り上げたのでほとんど何もできんじゃろ」
ホンザはやれやれと言った調子でさっそく戦利品の吟味を始めている。
「縄を解いてやろう、彼女の服も持ってきたはずだ、上でベル達で着替えさせてやってくれないか」
「いいよまかせて、行こうコッキー」
ルディの要請を受けたベルがリズを荷物のように軽々と持ち上げるとそのまま二階に運んで行ってしまった、コッキーが麻袋を掴むと後からついて行く。
そこにアゼルの部屋の扉が開くと彼が居間に出てきた。
「殿下、精霊通信がありましたアマンダ様がこちらに来ます」
「何だと?さてはグディムカルの件だな」
「そうでしょうね、セナ村の場所が解れば近くまで来られるそうです」
アゼルはそのままソファに座ると、哀れなリズから手に入れた資料に目を通し始めた。
資料を読みふけっていたホンザが感慨深げにつぶやく。
「こうして死霊術を堂々と研究できるとはのう、ここ以外では命がけになるわい」
「死霊術が大腕を振ってまかり通っているのはテレーゼぐらいでしょう、あとは北方世界ですね」
アゼルがそれに答えたがその目は資料から離れない。
「あの女、術師としてはそこそこ優秀なようじゃな」
ホンザが少し感心した様につぶやいた。
「アゼル、グディムカルに死霊術はあるのか?」
ルディが急に思い立った様にアゼルに疑問を投げた。
「殿下、北方世界はユールの神々を信仰しています、それを侵害しないかぎりに於いて寛容です、禁忌に手を染めて追われた者達が北に逃げて知識を伝えてきたのです、その話は術者ならば知っていますよ」
ルディはそのまま何かを考え始める、アゼルは主人であり友人の熟考を妨げようとは思わなかった。
二階で一騒動起きたがすぐに静かになった。