記憶
古びた立派な牛革張りのソファから老魔術師のホンザは少し身をおこして対面に座るルディを見つめた、彼らが隠れているセナ村の廃屋はもともと富農の屋敷だった、残されていた調度品も良品が多い。
「でその娘は丘の上の舘に帰って行ったのだな」
ホンザの言葉に仲良く二人で座っていたルディとベルが無言で頷いた。
「中を調べなかったんです?」
コッキーの口調に責めるような成分がわずかに混じる、彼女は食事の準備をしていたのかエプロンを付けたままホンザの左側の一人がけの椅子に座っていた。
「魔術陣地があると仮定すると、舘の中は監視されていますね」
コッキーの対面に座っていたアゼルが二人の行動をそう言いながら弁護した、するとコッキーは静かになってしまった。
「魔術陣地か行って検分するしかないか」
ホンザは遠くを見ている。
「もう大丈夫なのかホンザ殿?」
ルディは老魔術師をいたわった、先日の戦いで疲弊が一番酷かったからだ。
「三日休んだ魔術陣地の強化も終えた、だがアレを相手に大丈夫など無いぞ?」
「俺でも奴と闘うのは容易ではない、奴の力は底が見えない、アゼルお前の見立てで奴は上位魔術師と比較してどの程度なのだ?」
アゼルは熟考を始めた、無意識に膝の上の白い小猿のエリザを撫でる。
「上位魔術が使えさえすれば上位魔術師ですが、私の場合は行使できる上位魔術は五回~六回と言ったところでしょう、ですがあの闇妖精は十回以上行使していました、その中の二回は上位を遥かに上回る術です。
極上位魔術とでもいいますか、特に最後の攻撃はあれだけで上位魔術の数十倍の魔力量がありました、上位魔術師数十人分に相当する実力が在ります、その上肉弾戦も得意で奇妙な体術と剣術を使ってきます」
「たしかにあれには幻惑されられた」
「ルディ、アイツの足技は車輪か風車みたいだ、乗馬パンツならいいけどドレスだとはしたないよ」
ベルの批判に応える者はいなっかった、コッキーが困った顔をしてベルから目をそらして眉尻を下げた。
『そこまでとなると単なる闇妖精では無いのう、やはり闇妖精の大貴族か王族ではないか?』
それまで沈黙を守っていたアマリアの声がルディの胸のペンダントから聞こえてきた、全員ルディを注目した。
その声は少女の声だが妙に老人じみた言葉使いだった、それが奇妙な不釣り合いな違和感を感じさせる。
「久し振りだな愛娘殿」
ルディは胸に下げた緑碧のペンダントを見下ろした。
『非常に重要な実験をしておってな、詳しい話はいつかしよう』
「愛娘殿なぜそんな大物がコステロ商会に飼われているかわかるか?」
『長い間世間から切り離されていてな、わしの知るかぎり闇妖精の王族はすべて滅ぼされ魔界に還った、だが一柱だけ封印されておるはずじゃ』
それにホンザとアゼルが驚愕した、そんな話は聞いたことが無かったからだ。
『そうじゃったそれは禁則事項よ、魔術師ギルド連合のほんの一握りの者か聖霊教の総本部教会の一握りの者以外に触れる事はできないからのう』
「話されて良いのですか?アマリア様」
『もうお主らなら話しても問題あるまい、幽界帰りが三人も集まるなどありえんわ、闇妖精の王族の姫が二千年以上前に復活し地上に顕れた、それが西エスタニアの闇王国よ』
「闇王国だと?」
見かけに依らず教養のあるルディも頭を傾げた、東エスタニアの人間は開拓以前の歴史に関心が薄い傾向がある、せいぜいロムレス帝国までだ。
『それを原始パルティア十二神教が中心となりかろうじて倒した、それを神々の霊峰のどこかに封印したところまでワシも知る事ができた』
そのアマリアの言葉にアゼルが応じる。
「神々の霊峰とはアンナプルナ山脈ですねアマリア様、しかしなぜ滅ぼさずに封印したのでしょうか?」
『それか、闇妖精は魔界に堕ちれば再び力を取り戻してしまう、それまでは魔界から現実界に顕現するのは不可能と思われていての、弱体化させたまま閉じ込めた方が良いと考えたのじゃろう』
「それが復活したのでしょうか?」
『わからぬ、闇王国に対抗する為にそれ以外の全ての国が連合し大きな戦が起きた、西エスタニアの中心部を荒廃させた大きな戦いになったのよ、テレーゼが混乱しているのが気になるが、そいつの仕業にしては静かすぎるわい』
ルディは何かを考え込み始めた。
『お主らはまたコステロ商会の別邸を攻めるのか?』
それに顔を上げたルディが代表して答える。
「今からでも調べたい、夜になる前に終わらせたいのだ、それにハイネを巡る状況が悪いからな、戦になると動きにくくなる」
皆の目が驚いた様に変わる、今から動くとは思っていなかったのだ。
『戦じゃと?前にも聞いたな北の情勢が不穏なのか』
「そうだ愛娘殿、グディムカル帝国との戦が近いと噂になっているのだ」
『焦るなよルディガー、儂はまだまだ耐えられる、お主達が連れてきたカラスのおかげで動きやすくなったからの』
ベルが目を見いて苦いものを食べたような顔をする、アマリアの塔の上の家にいた得体のしれない鳥の様な生き物の事を思い出したのだ。
子供の細工の様な黒い鳥の様な何かの上に、黄色いヒヨコのような生き物が乗っていた。
そしてどちらも五月蝿く訳のわからない事を喚き散らかしていた。
「アイツらまだ生きていたんだ」
「棍棒でぺちゃんこにしたいと何度も思ったのです」
コッキーも眉を上げ可愛らしい顔を歪めた、彼女も大人しくしていれば天使の様な顔をしているのに。
『まあそう言うな、あやつらは重宝しておる、動きが取れぬ儂に変わって働いてくれるからのう、それに奴らは妙に誰かに似ている気がしてな』
「僕も誰かに似ていると思うんだけど、分からないんだ」
「ベルさんもですか?私もそう思ったのです」
驚くべき事にルディもそれに賛意を示した。
「そうだ誰かに似ている様な気がするが、解りかけると答えが遠くなってしまうのだ」
「殿下もですか?私も同じ感覚を味わいました」
「それは不思議だ、そいつらを見てみたいものだのう」
ホンザがソファに深く背を持たれながら呟く。
そして誰も話す者がいなくなり部屋の中が沈黙に覆われて気まずくなった、その気まずい空気を破るようにコッキーが勢いよく椅子から立ち上がる。
「お昼を食べたら行きましょうみなさん!」
「ああそれで行こう、異論はあるか?」
ルディはその場にいた全員を見渡した皆それに賛同する。
そしてそれぞれ準備の為に居間から散って行く、庭に向かうルディの胸でペンダントがささやいた。
『わしはまた作業に戻る、また来るぞ』
それっきりペンダントは沈黙してしまった。
真っ暗闇の部屋に足音が聞こえる、低いヒールの踵が板張りの廊下を打ち据える音が近づいてくる、
それが止まると闇の中に四角く淡く光る窓が生まれた。
「お嬢様、ただいま戻りました」
外から聞こえるのはポーラの声だ、ドロシーが屈み込んで窓から外を眺めると、彼女の顔が光で淡く照らし出された、闇に映える彼女の顔はこの世の物とは思えないほど美しい。
「ご苦労さま、ずいぶんと多い、背嚢をそこに置きなさい」
「ひっ、あ、はい!」
少し怯えた声が聞こえると騒がしい音が響いた、金属の道具がぶつかり合う音がする。
ノブを回す音が聞こえると扉が少し開かれた、部屋に光が差し込み床に落ちていた玩具の人形が照らしだされた。
ドロシーは外に手を伸ばし背嚢を軽々と掴むと部屋の中に引き込んだ、そしてドアを素早く閉めてしまうと部屋の中は再び闇に閉ざされた。
「もう下っていいわ」
「畏まりました、御用がお有りでしたらお呼びください」
また足音がせわしなく遠ざかっていく。
エルマとマフダが喚声を上げて背嚢に集まり中身を調べ騒ぎ出した。
「隅っこの人、慣れてくれない」
だがエルマはドロシーのそんなつぶやきを聞き漏らさなかった。
「だったらいい加減名前ぐらい覚えてあげなさいよ、ポーラって名前なんだから」
エルマは呆れた様に声を立てた。
「私を怖がる間は名前を覚えてあげない、お友達になりたいのに」
「あれ、本当は覚えているんでしょ?いい加減にしなさいよ、そんなだから友達ができないのよ」
「友達はたくさんいたわ、いえいつも暗い部屋の中から空を見ていたのよ、いけない・・・」
「どうしたの?」
「気にしない、どうしたら仲良くなれるかな?」
「うーん、マフダ何か解る?」
「友達なら一緒に遊んだりおやつを作ったり、お話するものよね?」
「馬の尻尾を結ぶ遊びなら知ってる」
「「「えっ?」」」
ドロシーの告白に鉛の兵隊遊びに興じていたヨハンまでもが同調した。
「ドロシーって色々変だわ」
「そうよ、変な事たくさん知っているんだもの」
エルマの意見にマフダも賛成した。
「他に何か面白い遊びとか知らないの?」
「地面に陣地を書いて片足で飛び跳ねながら石を蹴ってゴールに入れるの、競争相手の石を蹴り出してもいいのよ、皆でやるから駆け引きが難しいルールも複雑、必殺私のマイストーン!」
「知らないわ、どこかの田舎の男の子の遊びみたい」
「田舎ですって?」
周囲の闇を圧する威圧が高まった、闇が万力と化して押しつぶす圧力に子供達は震えた。
「ひいっ」
エルマが悲鳴を上げた、ヨハンが必死にドロシーを宥める。
「そんな事無いよ都会だよ都会の子供の遊びだって、羊を足すと五百万いるんでしょ?」
すると威圧感がかき消える。
「隅っこの人と仲良くなりたいだけなのに」
ドロシーがそう呟くと安楽椅子に腰を下ろす音が聞こえて床が軋んだ、やがて少女達は背嚢の中身を確認する作業に戻る。
「ドロシーお姉さま自分の石持っていたんだね・・・」
ヨハンの呟きが闇の中から聞こえた。
「あれ、油が無いわポーラ忘れたのかしら?」
やがてマフダが油が無いことに気づいたらしい。
「あっ!しまった」
今度はドロシーが小さく叫んだ。
「ドロシーさては忘れていたわね?だから私達に相談しなさいって言ったのに」
エルマの口調は少し責めるようだ。
「油を借りましょう、ドロシーお姉さまポーラさんを呼んで」
「マフダ、私がポーラの処に取りに行きます」
「ドロシーまさか外に出るの!?」
慌てた様子でエルマが叫ぶ。
「前はみんな怖がるから出なかっただけ、もう使用人は少ししかいないわ、それにこのままじゃだめ」
「驚くわよ、それに外は・・心配ないわね」
エルマはここが魔術陣地だと思い出したのだ、使用人を更に絞り僅かな者しかここにいない。
「じゃあ隅っこの人とお話してくる」
ヒールの音が動くとドアが開かれた、廊下の僅かな明かりに真紅の豪奢なドレスが浮かび上がる。
そして静かに扉が閉じるとヒールが規則的に音を立てながら遠ざかる。
部屋の中で誰かが息を吐いた。
「ポーラ可愛そう」
それはエルマの呟きだ。
「大丈夫かしら?」
心配げなのはマフダの声だ。
「気絶しなきゃいいけどね」
少し投げやりにヨハンがつぶやく。
買い物から帰ったポーラは私室で休んでいた、一使用人に充てがわれるには立派すぎる部屋だ、この舘の主人達に仕える事のできる人材は稀有な存在だ、彼らのお気に入りのポーラはそれだけ優遇されていた。
だが部屋の調度も殺風景で心の余裕は感じられない、そしてポーラはダールグリュン家の高級使用人の制服を再び見たことで大きく心を迷わせていた、テレーゼに逃げる途中で売り飛ばした制服がここまで追いかけてきた様に感じられる、過去は何処まで逃げても追いかけてくるそんな思いに体を震わせた。
あの時お金に困っていた訳ではなかった、ただ余りにも純粋で美しい姫に突然憎しみを感じてしまった、とても優しく尊敬していた美しい主人だったのに。
だから大切な物を隠して苦しませてしまいたくなった、なんて愚かな事をしたのだろう。
結局宝石は売ることができなかった。
罰として恐ろしい怪物に仕える事になったんだ、だからこれは試練なのよそう自分に言い聞かせてきた、耐えればその罪が贖罪されて行くような気がしたのだから。
ポーラの部屋のドアが軽く叩かれる。
「はあい」
誰かしら?
ポーラは小さな椅子から立ち上がるとドアに向かい開いた、すると目の前に真紅の豪奢なドレスに身を包んだ凄絶なまでに美しい怪物がいた、それに一瞬見とれてから硬直する。
ひゅッ と音を立てて息がポーラの肺から洩れた。
「驚かせてごめんなさい」
「・・・・あっ、あっ?」
ポーラの目の焦点が定まらず呼吸が乱れている、その次の瞬間ドロシーはポーラの両の肩に手を置き真っ直ぐに哀れな侍女の瞳をその眼光で射抜く。
『落ち着きなさい』
その言葉は声を為さないだがポーラの全身がその言葉を受け取った、その圧倒的な闇妖精の意思がポーラの精神を深山の湖水の水面の様に落ち着かせる。
「見苦しいところをお見せし申し訳ありません、ところで私に何用でございますか?」
「それでいいのよポーラ、貴方とは少しお話したいと思ったのよ、使えているのに貴女の事何も知らないから、さあお話しましょう」
ドロシーは小さな椅子に座るよう促すと、自分はポーラのベッドに腰掛けてしまった。
「貴女の身の上話を聞かせて欲しいの」
ポーラはだいぶ落ち着いたがまだ視線をあちこちに動かしている、正面にいるドロシーを見ただけで火傷するかのように視線を避けている。
「私ごときの過去に興味がお有りですか?」
「貴女はこんなところにいるような侍女とは思えない、私も貴婦人の事はいろいろ見てきた、それに私も・・・なんでも無い」
「はあ」
「どこかの名門貴族のお屋敷で働いていたのでは無くて?」
「それは!!」
「訳ありなのね、私も凄く訳ありだから気にしないで、テレーゼはそういう者が流れ着く土地なのよ、貴女を責めているわけじゃないわ、私も今更道徳なんて語らない」
全然気休めにもならない言葉をドロシーは紡ぎそして微笑んだ、だがポーラの顔色が更に色あせ白くなって行く。
「お嬢様は時々人間臭い時があります、それが不思議です」
「そうね、私には人間だった時の記憶があるわ、思い出すと心が千切れそうになる事があるのよ」
「まさか!?」
「嘘を言うために貴女の部屋まできたとでも?」
僅かにドロシーの威圧感がたかまる、ポーラは怯えたがそれに気づいたドロシーが目を僅かに動かすと、威圧感はすぐにかき消えた。
「どうかしら時々私の話相手になって欲しいのよ、子供達は可愛いけど、貴女は歳が近いから、しばらく普通に話せるわ」
「えっ?」
「気にしないで、いいわね?」
「アッハイ、畏まりましたお嬢様」
「嬉しいわ、話し相手ができて」
ドロシーは深く微笑んだ、その今まで見た事もない笑みは心の底からの物だとポーラは感じた。
そこでドロシーはいきなりベッドから立ち上がった、そして天井を見上げて睨みつける。
「お客様が来たようね無粋な!!」
「お客様ですかめずらしいですお嬢様」
「いいえ敵よ、私は部屋に戻ります」
ドロシーはポーラの目の前から突然その姿を消した、ポーラは糸の切れた人形の様に椅子から床に滑り落ちて座り込む、そして椅子が乾いた音を立てて転んだ。
ポーラは一人で何か取り留めもなく呟いていた。
恐ろしい、恐ろしい・・・と。