忍び寄る戦火の影
ルディとベルの二人はコステロ別邸の使用人ポーラを尾行する、彼女に気づかれずに追跡するなど簡単な事だ。
ポーラはそのまま旧市街を南下して東西に走る大通りを越えてハイネの南西区に入ってしまった、この地域は倉庫や工場が集まりジンバー商会の本店も程近い。
そして工場が稼働してるのかいつもより立ち上る煙が多かった、パンを焼く臭いと鍛冶屋の炭の香りが漂ってきた。
ポーラはある小綺麗な金物店に入ると商品を見定めはじめた、ふたりは店から少し離れたとこで彼女を見張る事にする。
そんな二人を遠くから見かけて腰を抜かした者がいた、超常の二人だが生命あふれる雑踏の中でその小さな異変を見逃してしまった。
「ヒッイ!!」
小さな悲鳴を上げたのは黒いローブのほっそりとした女性だ、倉庫の隙間の狭い路地にそのままよろめくように走り込む。
魔術師の鍔広の三角帽が風で飛ばされると、三十代ほどの痩せた顔が顕になった、陸に打ち上げられた魚のように口を開け閉めしている。
だが人の言葉にならない、今度はローブがはだけると地味な女学生の様な服に包まれた痩せぎすな体が顕になった、あまり手入れが良くない長い髪を振り乱して泳ぐように空気をかきわける、そして最後に石畳の上に倒れ込こんでしまった、おまけに小さな金属の音がした。
そんな彼女を慌てて追いかける男がいた。
「リズどうしたんだ?」
「マティア~ス出たんだよ、アイツラがいたんだよ!」
僅かな距離を走っただけなのに彼女は息を切らしていた、今にも涙と鼻水が溢れそうだ、そして石畳の上におちた銀色のモノクルを慌てて拾う。
その女魔術師はリズ=テイラーだった、死霊のダンスに所属する中位魔術師で今はジンバー商会に派遣されている。
彼女は相変わらず痩せていたが以前よりも顔色が良くなり少し肉が付いた様にも見える、そして着ている物も変わらないが随分と清潔になっていた。
彼女は商会の近くに小さなアパートを借りていたがそれが仇になりルディ達と遭遇してしまったのだ。
そして男の方はマティアス=エローだ、彼も同じく今はジンバー商会の仕事をしている、主に『死霊のダンス』や西の新市街の無法者『赤髭団』との連絡役だ。
ピッポ達とハイネに流れてきたが彼らとは昔からの仲間ではない、ピッポと『死霊のダンス』で顔を合わせる事も多いが、彼も間もなく『セザーレ=バシュレ記念研究所』に移籍する予定だ、そうなると合う事も少なくなるだろう、女魔術師テヘペロはハイネの魔術師ギルドに通い詰めで毎日仕事が忙しいらしい、先日の打ち合わせ以来顔を見ていない。
そしてテオ=ブルースは姿を消しジム=ロジャーとの連絡もつかなかった。
「これをつかえ」
小さな白い布をリズにわたす、彼女は遠慮なく受け取ると鼻の頭を拭く。
「奴らとはアレかちよっと見てくる」
背後から呼び止めようと手を伸ばしたリズに構わずマティアスは路地の入り口まで戻ってしまった、そしてすぐに戻ってくる。
「確かに奴らがいた、会いたくなかったぜ」
リズはそれに同意するように何度も激しく頷いた。
「でもヘビ娘がいなくてよかったよ」
「まあそうだ・・」
「何していたんだろ?」
「誰かを見張っている感じだ、俺たちじゃあないさ」
「どうしようジンバーに出勤しないとお」
リズは情けない顔をしてのろのろと立ち上がろうとするのをマティアスが手を伸ばして助けてやる、そしてつば広の魔術師の帽子を拾ってくると手渡した。
「ありがと」
少し恥ずかしそうに大きな帽子を受け取った。
「しょうがない大回りして東口から入ろう、リズそれでいいか?」
「うん、ごめんね」
「俺もアイツラに会いたくないしな」
二人はそのまま狭い路地を奥に進んで行った。
「ねえマティアスさっきの話だけど、大きな戦争になったらどうしよう?傭兵だったんだろ?」
マティアスが足を停めてリズに向き直った、不安な顔で見つめてくるリズをみて苦笑した。
「もう傭兵なんて懲り懲りだよ、いざとなったらここから逃げるさ」
「それもいいね、でもあたし死霊術師だから南に逃げるのは無理なんだよね」
「ああ、そうだな、じゃあ北に逃げるか?」
「寒いのは苦手だけど頑張るよ」
二人は小さく笑うと狭い裏路地を進み始めた。
金物屋の近くでポーラを見張っていた二人は背嚢に道具を詰め込んだ彼女が店から出てくるのを見て更に身を隠す。
「あれはお菓子作りでもする感じだ、家の使用人の娘達が使っているのを見たことある」
「俺にはわからん道具が多い」
ルディは小首をかしげるた。
ルディガーとベルはそのままやり過ごし北に向かうポーラを追う。
彼女は北に向かい大通りに出ると今度は東に向かった、大通り出るとハイネ警備隊の兵が行き交う姿が目立つ、それも三十代から四十代の兵の姿が多い。
「予備役を招集したな」
ルディガーはそれに目をやると呟いた、ベルはそれに目を瞠った。
予備役とは兵を退役しても一定の期間非常招集に答える義務がある兵役の事だ、その代わりに幾ばくかの手当が支給される。
予備役が招集されると言うことは戦が近いことを意味していた。
「たしかにあまり若くない人がいるね」
そして街全体が先日までは無かった緊迫した空気に包まれていた、しばらく東に進むとまた良い匂いが漂ってくる、ベルは無意識に臭いに引き寄せられたが頭の天辺に置かれた逞しい手の平に操縦されて東を向かされてしまった。
「なあ今日は我慢してくれ」
ルディガーは笑っていた。
少しむくれたベルは馴染みの店主が経営する店を眺めた、若い店主は店舗の中で働いているようで姿は見えない、戦になったらあの店はどうなるのか密かに憂いた。
やがて中央広場にポーラは進む、中央広場はハイネの中心を東西南北に走る大通りが交差する場だ、有力な商会やハイネ評議会の事務所、ハイネの魔術師ギルドが立ち並ぶ、そしてコステロ商会の赤レンガの三階建の本館も構えている。
彼女はそのまままっすぐ東に向かって進んでいく。
その時魔術師ギルドの風格のある玄関の近くにいた魔術師が慌てて奥に飛び込んだが二人は気づかなかった。
「ひえっ!!危ないわねえ」
魔術師ギルドのエントランスの太い柱に背をもたれてテヘペロは吐き捨てた。
そしてこわごわと大広場を見て二人の姿が無い事に安心すると優雅な足取りで大ロビーに向かった。
そこにいた魔術師達の視線が彼女に注がれた、希少な上位魔術師なのだから当然だがそれだけではなかった。
彼女の妖艶な美貌と少々豊満すぎる肢体が男の目を引き寄せるのだ、かつては絶世の美少女だったのは疑い無い、年齢は二十代半ばで決して若くもないし理想的な肢体から外れてしまっている、だからこそなのかそれが男たちの欲望を刺激するのかもしれない、そして女魔術師達の羨望と反感を集める。
そんな視線を鼻で嘲笑うとブルネットの髪をさっとかき分けて用件を済まそうと業務斡旋室の扉に向かう。
扉を幾分乱暴に開け放つと受付に顔なじみになった若い魔術師がいた、彼女は業務斡旋担当の女性で専門性を求められる為に魔術師が担当している。
細身で事務員の様な服装に眼鏡をかけているせいで若い学生にしか見えない、だが知的でしっかりとした女性だ。
「おはようございますシャルロッテ様」
テヘペロが話しかける前に少女から話かけてきた。
「おはようジェリーさん」
テヘペロはシャルロッテと呼ばれる事に抵抗があるのか呼ばれる度にわずかに瞳を曇らせるのだ、だがギルド会員証にその名が刻まれているので使うしかない。
「今日はどんな仕事があるかしら?」
「これがシャルロッテ様向けのオーダーです」
ジェリーと呼ばれた女性は大きな帳簿を取り出すと見せてくれる、それを見たテヘペロの顔が疲れたように曇った。
「攻撃用の下位魔術道具が多いわね、また数が増えた」
「かなりの上位の方で無いと魔力を注ぐ事ができませんから」
それは火の精霊術『火蜥蜴の吐息』の魔術道具の一覧だった。
人の頭大の火球をぶつける下位火精霊術で戦闘の要所でこれを使う事が多い、決定力はないがいろいろ便利で狼煙や合図代わりに使われる事もあるらしい。
「これは初めて見るけど大型の照明道具ね、個人で使うものではないわ・・・広い場所を照らすやつね、これはきついから最初にやろうかしら」
しばらく帳簿を眺めていたテヘペロは視線を変えずにそのまま話しかける。
「ジェリーさん噂は本当なのね?」
噂が何か説明はいらなかった、大きな声で語るのは気後れしたが、その噂は日に日に強くなって行く、それと共に不安が地下水の様にハイネの人々の間に広がっていた。
ジェリーは室内を見回してから少し身を乗り出す、彼女からインクの香りが漂う。
「はいここ数日急に増えました、警備隊から商会や名士の方々まで注文が増えています」
テヘペロはそれに疑問を感じた、以前から攻撃用の魔術道具の充填の仕事が多いと感じていたのだ、危機は以前から存在していたがここにきて急ぐ理由ができたのかもしれない。
「まあいいわ、私はとにかく稼ぐだけよ、この大きいやつから行くわ、私は小さいより大きいほうが好きなのよ」
ジェリーは驚きヘペロの胸を凝視する。
テヘペロは下手で下品な冗談が通じず少し誤解されたので内心で笑った、別に自慢したいわけではない。
「とにかく案内して」
ジェリーは鍵を取り出し受付から出てくると大型照明道具が置かれた作業室に彼女を案内する、二人はそのまま奥の通路に姿を消した。
ポーラは大広場から更に大通りを東に進んだ、正面の東城門が近づくところで北に曲がる。
この付近は庶民の中でも恵まれた人々の街で、北の上流階級の邸宅に関わる仕事をしている人々が多い。
このまま北に向かうと裕福な人々の邸宅が立ち並ぶ区画を通り抜けハイネ大聖霊教会に至る。
ポーラを尾行する二人は顔を見合わせた。
「ルディ、前にいた宿屋の近くを通る」
「誰かに呼び止められると面倒だな」
前にいた宿屋とは『ハイネの野菊亭』と言う名のなかなか良い感じの宿屋の事だ、複雑な事情から退去するしかなかったのだ、街路の両側には八百屋から肉屋までいろいろな店が立ち並び賑わっている。
ポーラはその路地の両側の店で商材を買い始める、ここは品揃えも質も良いので有名だ。
ベルには人通りが前より多く大量に買い込む客が目立つように感じられた。
「値上がっている」
「そうなのかベル?」
ベルが呆れた様にルディを見上げた、その顔にそういう事にも関心を持てよと書いてある。
「三割くらい値上がっている、生物はまだいいけど、干物や小麦が残り少なくなっているし高いよ」
「持ちの良いものが売れているのか、いや軍が兵糧の備蓄を始めたな、いや両方か」
「だね」
ベルは人混みに紛れながら八百屋の前にいるポーラに接近する。
ポーラは値段を気にもせず値切りもせず淡々と買い込んでいた、買い物を楽しんでいる様子では無い。
そしてこの街は良家の使用人が多いので誰も彼女に関心など持たなかった。
『公爵様のところにいた時には下働きなんてしなかったのに・・・』
独り言のような呟きを意識を集中したベルの耳がひろった。
ベルはそのまま静かに離れた。
しばらくするとポーラは街路を北に向かう、二人はふたたび尾行を始める。
「ベル見ろ?」
色気たっぷりの双子の姉妹が『ハイネの野菊亭』の前で掃除をしている、セシリアはこの宿の看板娘で客引きを兼ねていた。
「セシリアがいる、それにあれはたしか」
「妹さんのセリア嬢だな」
何故かセリアまで加わり二枚看板になっていた、二人は踊るように動き回り見ているだけで楽しくなる。
「話をしたいが今は避けよう」
ルディの意見にベルは目線で賛意を示す、二人は素早く横道に入りポーラの先回りをする事にした。
高級住宅街に入ったポーラはまっすぐ北上しなかった、急に東に曲がる。
「ベル彼女はどこかに寄るつもりだな」
「うん」
ポーラはすぐに大きな邸宅の前で止まる、二人は隠れてその邸宅を観察した、かなり歴史のある威厳のある建物で身分の高い貴族の邸宅に違いない。
二人は適当な建物の隙間に入り込んだ。
「これは古テレーゼ様式の貴族の舘だ」
二人は狭い建物の隙間に入り込んでいたので、下から見上げるベルを見下ろす格好になる。
「ルディ、古テレーゼ様式って何?」
ルディはそんな事も知らないのかと言いかけてやめた、ベルは追放されたせいで二年間まともな教育を受けていなかった事を思いやったからだ。
「セクサルド帝国に併合される前の時代の様式だよ」
「ねえ誰の舘だと思う?コステロかな」
「ああ、その可能性は高いな後で調べよう」
これで大きな成果を得たコステロ商会に関係の深い邸宅なのは間違いなかった。
ポーラは舘の使用人と言葉を交わしていた、やがて新しい使用人が何かを持ってくるとそれを受け取る、彼女はまたこちらに引き返してきたのでそれを二人はやり過ごした。
そのまま北に向かう彼女の尾行を続けるとすぐに西に曲がった、そしてそのまま西の北門に向かって行く。
そして再びコステロ商会別邸のある丘の麓に戻って来たのだ、ポーラは背嚢を背負い息を切らせながら丘の上に続く坂道を登って行く。
「やはり奴らはここにいる、ホンザ殿が懸念していたように魔術陣地に隠れている」
ポーラの後ろ姿を見送るルディがつぶやいた。
「地精霊術にしかないと聞いていたけど?」
「ベルよ死霊術の事は良くわかっていないのだ、セナに戻り作戦を練ろう」
二人はそのまま足速に帰路についた。