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ダールグリュン家の元使用人

光一つ無い漆黒の闇の中から子供達の楽しげなおしゃべりとゲームに興じる音が聞こえて来る、そして安楽椅子が軋む音がそれに混じる。

彼らはまったく光の無い世界の中で何の不自由も感じてはいない。


「そろそろお茶の時間だわ」

鈴を鳴らした様な美しい繊細な声が聞こえる、そして乾いた小さな木の扉が開く音がした。


「あれ?お菓子がなくなったわ!」

「ねえお菓子を作りましょうよエルマ」

「マフダあなた作れたの?」

「宿屋の女将さんに教わったのよ」

「いいな、じゃあ教えて」

「まかせなさい」

二人の少女は素敵な計画にはしゃぎ始めた。

「アッ!!でも道具も材料も無いわ」

マフダの悲痛な声が聞こえる。


「わかった」

透明なまでに澄んだ大人の女性の声が割り込む。


「ドロシー何がわかったのよ?」

ドロシーはそれに答えずごそごそと何かを始めた様子だがすぐそれも終わった。


「隅っこの人を召喚」


そう言い放つと金属が何か分厚い木の板にぶつかる音がする、そして呼び鈴の音が暗黒の室内に響き渡った。

暫くすると廊下を慌てた足音が近づいてきた、それが扉の前で止まると闇の中に細長い光の窓が生まれた。

扉に取り付けられた小さな窓が開かれたのだ。


「お嬢様何かごようでしょうか?」


扉の外から若い女性の緊張した声が呼びかけてきた、安楽椅子が軋み揺れる音がすると硬い足音が部屋の中を動く、やがて何者かの影になり光の窓が隠された。


「これを買ってきて」

爪が異様に長い繊細な指が廊下の淡い光に照らし出された、その指は一枚の紙切れを摘んでいる、つばを飲み込む小さな音が聞こえた、扉の向こう側からたおやかな手が伸びて来て紙を受け取る。


「畏まりました、街に出て買ってまいります」

窓が閉じられると足音は廊下を足早に遠ざかって行く。


「ドロシーなに買うの、お菓子の材料?相談してくれれば良いのに」

エルマが興味深々に尋ねる。


「道具と材料を頼んだ、魔術陣地のキッチンを使いなさい」

「ねえドロシーお菓子作れるの」


だがドロシーはそれに沈黙したままだ。

「ドロシー?」

「私が作ると新たな物質が創造されてしまうから」

「錬金術かしら?」

「ねえちゃんやっぱり料理駄目なんだ」

それは男の子の声だ。


「お姉さまと呼びなさいヨハン」

ドロシーの声には小さな怒りと威圧が込められている。

「はいお姉さま・・・」

それに少し怯えたように少年は答えた。


「なぜかしら、ドロシーってお姉さまよりねえちゃんの方が似合うのよね」

エルマが不思議そうに呟いた。


「ねえちゃんと言われると心がバラバラになりそうになるから」

その声はどこか淋しげだった、子供達はしばらく誰も言葉を発しなかった。







かつて東エスタニア有数の大国だったテレーゼも長きに渡る内戦で往年の繁栄は失われた、それでも比較的平和な時代が続きハイネも繁栄を取り戻しかけていた。

王都ハイネも今はハイネ評議会に統治される共和制の自治都市だ。

あのハイネを震撼させた大爆発からまだ日も経っていないがすでに街は日常に戻ろうとしている。


そんなハイネの北西区の雑踏を北に進む商人風の若い男がいた、だが富裕な商人の若旦那風の服装と中身が合っていない、男は長身で非常に容姿に優れている、逞しくとても商人に見えないのだ、だが傭兵と呼ぶには気品に溢れその動作は優美ですらある、そして不思議な親しみ安さを兼ね備えている。


そして道を行き違う女達が男を振り返った。


男は年齢の割に落ち着ついた鷹揚とした雰囲気ですでに大人物の空気を漂わせていた、その後ろから良家の使用人らしい若い美しい女性が後から従う。


そして道を行き違う男達が彼女を振り返った。


「噂通り軍需物資の往来が目立つ」

青年は背後から澄ました顔で付いてくる使用人に声をかけた、黒と白のコントラストが美しい高級使用人のドレスに身を包んだ美しい女性だ。


「そうなのですか?旦那様」

少し気取った澄んだ声が答えた、忠実な使用人のような態度だが彼女の薄い青い瞳の動きがそれを裏切っていた。


「騎士団にいたからな、戦が近くなると消耗品の矢や保存食料やエールが増えるものだ」

「戦でお酒を呑んで大丈夫なのでしょうか旦那様」

「薄い酒だ害はない、水に当たる事の方が恐ろしいんだ、川の水は危険で井戸があるとは限らない、戦になると井戸に汚物や毒を投げ入れるなど珍しくもないからな」

使用人の女性はまあ怖いといいたげに手の平で口を覆った。


「なあベル、気持ち悪いからやめてくれないか」

男はすこしうんざりした様に使用人の女性を見下ろした、彼女は女性として背が高い方だが男の背は頭一つ分ほど高い。

「ルディ、使用人が主人に馴れ馴れしい態度をしたら目立つだろ?我慢しろ」

ベルは雑踏の中一歩近づくと抑えた声で異議を唱えた、だが二人共その存在その物が異彩を放っている事に気づいていない。


ふたりは城門を通過すると堀に架けられた木橋を渡りはじめた、右を見ると遥か向こうにも橋が見える、先日潜入し戦ったハイネ城の大塔と城壁が緑の水面に影を落としていた、何事も無かった様に静かに城は佇んでいる。


橋を渡ると二人は美しい丘陵地帯に入る、森で囲まれたその中に富裕な人々の別邸が立ち並んでいる、ここまで来ると人の往来は少ない。

ハイネ旧市街は城壁に囲まれ安全だが狭い、しばらく平和が続いたのでこの地域に別邸を立てる者が増えた、丘の合間の道を進むと護衛に守られロバに牽かれた荷車が反対側からやって来る、それも一台だけではなかった。


「旦那様、皆様ご疎開を始めたようでございますわね」

「その変な口調はやめてくれ、城の使用人もそんな変な言い回しはしないぞ、クラスタ家の侍女はそうなのか?」

「そう言えば、皆んな僕に手のかかる妹みたいな口を叩いていた気がする」

ベルは黙り込むと考え込み始めた。


「あれだ」

ルディガーは丘の上の赤レンガ創りの豪華な邸宅を指差す、それはコステロ商会の別邸だった。


「誰かが館から出てきた、一人だけだ」

ベルが顔を上げると声を潜めてルディガーに告げた、ベルの卓越した探知力が生命の気配を捉えたのだ。

だが先日調べた時に邸宅は無人だったはずだ、丘の上から降る小道は一本だけでこの街道に合流する。


「ベル待ち伏せして捕らえよう、行方不明の娘の行方が解るやもしれん、あの化け物もな」

「わかった」

二人は少し小道を昇ると左右の森の中に身を隠し気配を殺す、しばらく経つと使用人のドレスを纏った若い女性が背嚢を背負い坂を降ってくる。

栗毛の僅かに波打つ髪をした清楚な女性だ、二十代半ば程だろうか、だが彼女の顔には暗い影が落ちていた、何かに追われるように足早に坂を降ってくる。

彼女が纏うドレスはいかにも良家に仕える使用人らしく仕立ての良さがひと目で解った、だがベルのドレスと同様に黒を基調としているが華麗さに欠けていた、とても落ち着いたクラシカルな意匠だ。


突然ベルが森から飛び出し彼女の行く手を遮った、彼女は驚き腰を抜かしあられもない格好で小道に座り込んだが、ベルを見てその目が驚愕に見開かれた、声も出ない様子で地面を這う様におびえ後ろずさりしながら逃げていく。

彼女の目には恐怖と怯えの色があった。

ベルは彼女の顔を知らない、どこかで力を使った処を見られたかと記憶を探る。


いつのまに女性の背後にルディガーが立っていた、それに気づき彼女は絶望に顔を歪めた。

ルディガーは女性を驚かせないようにベルに行く手を遮らせたが意味がなかった、ベルを見ながら苦笑いを浮かべている。


「ああ、申し訳有りません、お許しください、お許しください!!」

突然その女性はベルに向かって平伏し許しを請い始めた。

背後のルディガーではなくなぜ自分に向かって許しを請うのかわからない、それと当時にベルは不機嫌になって行く。

「別にとって食う気は無いけど?君はあの館の勤め人なの?」


その女性は驚いた様な顔をしてベルを見つめた。

「あの、ダールグリュンの方では無いのですか?」

「えっ?」


「まてダールグリュンだと、アラティアのダールグリュン公爵家の事か?」

強い口調でルディガーが割り込んできた。

「知っているの?ルディ」

「お前がなぜ知らないんだ?ダールグリュン公爵の娘がルーベルトの婚約者候補だ」

「ああ、追放された後だから・・・」


「ダールグリュン家の方達ではないのですね」

栗毛の使用人は少し安心したように見えた、だが安心するには早すぎる。


ルディガーが彼女の前に回り込む、そして道の上で少々はしたない格好をして座り込む彼女の前に跪いた。

「さていろいろ話を聞かせていただきたい」

ルディガーを見つめた彼女の頬が赤く染まった、それを見たベルの目つきが厳しくなると二人を見比べる。



彼女から話を聞き出そうとしたが極度に館の主人を恐れ頑なに何も話そうとしない、だが意外にも先程ベルを恐れた理由は素直に話しはじめる。

そこから解った事は彼女の名前はポーラでアラティアのダールグリュン公爵家の使用人をしていたと明かした、豊かな商家の娘だったが箔付けの為に仕えるようになった、だが魔が指してお嬢様の宝石に手を出して逃亡しテレーゼに流れて来たと身の上話を語る。

そしてベルの着ているドレスはダールグリュン公爵家の侍女の制服だったのだ。


ベルはポーラは窃盗の秘密を誰かに打ち明けたかったのかもしれないとふと思った。


「そういえばメゾン=ジャンヌでそんな話を聞いた事がある」

ベルは少し遠い目になった、その店でこの使用人のドレスを修繕した事があった、そして毛染め薬とコッキーの晴れ着用の青いドレスもそこで買ったのだ。


「ポーラもこれ着ていたの?」

ベルがドレスの裾をつまむと、ポーラはおずおずとうなずいた。

「その制服は皆の誇りでした、ところでそれをどこで手に?」

「これラーゼの街の古着屋で買ったんだよ」

ポーラの目が驚きで見開かれた。

「こっちに逃げて来る時にそこで売りました」

ベルはルディと顔を見合わせ苦笑を浮かべた。


「これポーラが着ていた奴だ」

「間違いないと思います、ダールグリュン公爵家の侍女の制服がそうそう出回るはずもありません」

そこで少しだけこの薄幸な侍女と打ち解ける事ができた。

やがてポーラは意を決して二人に忠告する。

「あなた方はあのお屋敷に関心があるようですが、関わらない方が良いです」


「ポーラはアイツらが何か知っているんだね?」

ポーラはまた驚いたが今度こそ口を強く引き結んでしまった。

「真っ赤なドレスを着た女がいるんだろ?あいつは吸血鬼だ」

「なぜ知っているんですか!?」

そう口を滑らせてからあわてて口を塞いだが手遅れだ、顔を真っ青にしてかがみ込んで震え始めた。

「ああ、恐ろしい恐ろしい、虐められたりしませんが、近くにいるだけで怖いんです」

震えながらポーラは顔を両手の平で覆った。


「ああ、秘密にしなければならないのに、わたしはもうだめです、盗みなんてするからこんな事に、これは罰なのよ」

ポーラはシクシクと泣き始めた、そこにルディガーが寄り添い肩を叩くと彼女はピクリと泣き止んだ、そしてベルの眉間に皺が寄った。


「秘密にしておこう、君を責める事はしない後悔しているじゃないか、話せないならもう何も話さなくていいんだ」

泣きやんだポーラはルディガーを見上げる。


「彼らはあの屋敷にいるのかな、いないのなら頷いてくれるだけでいいんだ」

ベルの顔が呆れ返った様に変わった、ポーラの瞳が彷徨い躊躇した後で小さく頷いた。

ポーラは嘘を付いてはいない、いると言えばいる、いないと言えばいない場所に彼らはいるのだから。


「最後に一つだけでいい、最近女の子が増えたかな?そうなら何も言わなくていい」

ポーラはそのまま沈黙を守る。

ルディガーとベルが顔を見合わせた、その女の子が誘拐された宿屋の娘かもしれない。


「そうかわかった、手間をかけたな」

二人はポーラを解放してやった、ポーラは逃げるように坂を降って行く、それをしばらく見送った。


「ねえルディ館を調べる?」

「先日調べた時には何も見つからなかった、ポーラを尾行しよう」

「だよね、尾行した方が手がかりが見つかりそう」

二人は今度はポーラを尾行をする事に決めた、さっそく彼女の追跡を始める。







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