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エピローグ

石畳の上を走り抜ける馬車の騒音でコステロは目を覚ました。

瀟洒な天井と少し悪趣味な金のかかった調度品がガラス窓越しの月の光に蒼く照らされていた。

部屋のカーテンはすべて開け放たれ、ハイネの中央広場を囲む建物の明かりが部屋の中に差し込んでいた、コステロは商会本館の私室で寝ていた事を思い出した。



夢だ久しぶりに見た昔の夢だ。



指先が冷たくて柔らかい物に触れた、ベッドの横に目をやるとそこに非常識なまでに美しい人形じみた裸体がふせていた、傷も染み一つ無い完璧な蒼白い背中をこちらに向けている。

コステロは苦味走った髭面で苦笑した。

闇妖精は不眠不休で活動できるこいつはいつもの通りに寝たふりをしているだけだ、コステロはドロシーの肩を掴んで軽く揺すった。


「うーん」

ドロシーは身じろぎする。


「ドロシー起きているんだろ?」

ドロシーは眠そうに瞬きすると、体を捻ってコステロを見上げた、美しい両の胸が僅かに揺れた。


「本当に寝ていたの、夢を見たい時には眠る」

「お前も夢を見るんだな、そんな事話した事もなかった」

「昔の事を思い出すと心がバラバラになる、心は一つになっても記憶は交わる事は無い、話したくないから黙っていただけ、近頃新しい夢を見る様になったから」

「そうか」


コステロはふと思いついた。

「俺は昔の夢を見ていた長い長い夢だ、お前と出会った頃の夢だ」

「わたしも・・・久しぶりにあの頃の事を夢に見ました」

「どっちの夢だ?」


「ど、ドロシーですよ」

少し目が怪しく動きコステロから視線を外す、こいつが嘘を付く時の癖だ、だがこんな表情をするのは俺の前だけだ。

そして彼女の瞳の奥の妖しい影ろいに心を突かれた。


「もうどちらでもいいさ」


僅かに微笑むとドロシーは音もなくベッドから立ち上がった、彼女を半ば包んでいた高価な絹の布が肌を滑り落ちた。

部屋に差し込む月明かりに彼女の背中が無機的なまでに白く冷たく輝く。


「そろそろ帰る、あの子達が待っているから」


そしてこちらを振り返った。

アラバスター細工の人形の様な美しい体が総て顕わになった、変わることの無い彼女の肉体は、時の流れをあざ笑うかの様に昔とまったく変わらない、ドロシー=ゲイルの未来は失われその時から刻はとまったままだ。


完璧な肉体の輪郭がぼやけ崩れて広がり始める、肌の色と同じ青白い煙に変化していく、煙はわだかまり渦になると窓の方に流れ、ガラス窓の隙間から外に出ていった。

青白い煙は窓の外でぐるりと輪を描くとそのまま北の空に向かって去って行く。


『バイバイ』


最後にドロシーが最近子供達から教わった挨拶を心に残して。







ハイネの南にセナと言う名前の小さな村がある、ハイネに野菜を供給している豊かな村でハイネに近いので治安も良好だ。

だが村は不安の影に覆われていた、少し前に無法者と魔術師が村に押し寄せ村外れの古い農家の屋敷を攻撃してからまだ日も浅い。

幸い村人に被害はほとんど出なかったが、南の聖霊教会の燃失とその時から行方不明になった修道女ファンニの実家は沈痛な空気に包まれていた、そして先日の大爆発と不気味な事件が相次いだ。


それに追い打ちをかけるように、戦争の噂が庶民の間にも聞こえ初めていた。

ハイネ評議会がいくら秘密にしようとも、武具の調達や物資の備蓄を隠す事など不可能だった、矢の注文が増えれば噂になり、保存食の注文が増えればそれも噂になる。


ハイネ通商同盟結成の話題も冷めぬ間に、ハイネ通商同盟と東のアラティア王国と西のセクサルド王国との同盟の噂が聞こえてくる。

こうなるとよほどの愚者でないかぎり北に備えたものだと理解できる。


人々の意識に北のグティムカル帝国の名前が浮かび上がった、聖霊教を信じていない異教の蛮族、それがテレーゼの人々の認識だった。


長い内戦が皇太子派の勝利で終わり、北の大国グティムカルがふたたび外に牙を剥こうとしていた、束の間の平和を謳歌していたハイネの人々の上に再び戦火の火の粉が降り注ごうとしていた。

だがセナの村人達にはどうする事もできない、総てを捨てて逃げる事もできなかった、ただ平穏が続く事を祈るだけだ、重苦しい不安が人々に暗い影を落とし始めていた。



その村外れに立つ古い大きな屋敷には人の気配はなかった、先日の襲撃で屋敷の周囲の森の木々は酷く踏み倒され荒れ果てた、巨大な怪物が暴れたかのような惨状だ、だが屋敷その物は大きく壊れてはいない。

その森の中を白い小さな何かが素早く走り抜け屋敷の側で忽然と消えた。


その屋敷はそのまま死んだように静まり返っている。




大きな木造りの古びた台所で、色あせた青いワンピースの美しい小柄な少女が料理に勤しんでいた、小柄で幼い美貌の少女の歳は十代半ばに届かないぐらいに見える。

薄い短い金髪はあまり手入れがされていない、白磁の様な肌の色がどこか庶民離れしていた、青い美しい瞳と少しぽっちりとした唇が愛らしい。

彼女は奇妙な音程で鼻歌を歌いながら今夜の食事を作っていた。


その少女はコッキー=フローテン。


コッキーが今いるのはセナ村の屋敷が存在する世界から僅かにずれた世界の屋敷の中だ、ホンザが構築した魔術陣地の中に彼女達はいる。

やがて(カマド)の煙にむせたのかくしゃみをすると慌てて目を裾で拭う。

その足元を白い小さな猿が悠然と居間に向かって通過していく。


「エリザじゃないですか?」


エリザはそのまま居間に向かって進んで行こうとする、コッキーが野菜くずをつまむと猿に向かって投げた、猿は素早く反応し小さな手で野菜屑を掴んで口に運ぶ、そして立ち止まりコッキーを見上げた。


「何時の間に外に出たのです?危ないですよ」


すると階段の上が騒がしくなった、金属の鳴る音がすると今度は誰かが階段を降りて来る、階段も古いので大きな軋みを上げた。

その騒音は台所の前で止まった。


「コッキーどう?」

「ベルさん早いですね・・」

台所の入り口の前に美しい若い女性が立っていた、漆黒の黒い腰までの長髪、細身だが力強く長い手足、端正で大人びた硬質な美貌に灰色味がかかった青い瞳をしている、その少し釣り気味で鋭い目はどこか気難しそうに彼女を見たものに感じさせる。

そして富家の高級使用人の様な洗練されたドレスを纏っていた。


もう少女とは言えないその美しい女性はベルサーレ=デラ=クラスタだ。


コッキーは彼女を良く観察するかのように入り口に近づいた。


「染めましたね、さっきのお湯ですね・・・ベルさんぐるりと回ってください」

ベルは眉を僅かに顰めたがその場でくるりと黒皮の長ブーツのつま先を軸に優雅に回転してみせた、髪の毛が舞うとそれは彼女の高級使用人の服に良く似合った。


「銀髪の方が素敵なのに寂しいです、妖精さんみたいじゃないですか」

ベルは慌てて頭を横に振った。

「髪の根元が黒くなっていたんだ、早く染めないと酷いことになる、変わるまで何度も染めないと」

ちょうど(カマド)の上で煮立っていたナベが吹きこぼれた、コッキーは慌てて(カマド)の前に戻る。


「あとでね」

ベルはそう言い残すと居間に向かう。




ベルが居間に入ると薬草茶の爽やかな香りが漂っていた、だが部屋には老魔術師のホンザしか居ない、ルディガーとアゼルの姿は見えなかった。

ベルはそのまま指定席になっていたソファに腰をおろす。


ホンザは初め部屋に入ったベルを見ていなかったが、ホンザの対面に座ったので彼女の髪の色が変わっている事に気がついた。


「ベルか、髪を染めたか」

ホンザが微笑えんだ、ベルは黙ってそれにうなずく、ベルはすでに薬草茶を自分の木のカップに注いでいたのだ、それを飲み干してから言葉を紡いだ。


「ねえルディとアゼルは?」

「ルディガー殿は外じゃ、アゼルは部屋に戻った、ところでエリザを見たか?アゼルが探していたからの」

「あっ、エリザなら台所にコッキーと居たよ」


「なら問題ないか」

その時玄関の扉が勢いよく開かれた、そこに大柄で日に焼け端正だが不思議と気品のある青年が立っていた、農夫の様な作業衣が不思議と似合っていた、その人好きのする表情は見るものを惹きつけた。

それはルディガー=イスタリア=アウデンリートその人だった、今は故あってテレーゼのセナ村に隠れ潜んでいる。


彼は数歩屋敷に入ってからベルに気づいて足を止めた。

「ベル、髪を染めたのか?」


ベルはソファから立ち上がると数歩ルディガーに歩み寄った。

「どう?」

そう言うとくるりと足のブーツの爪先を軸に軽やかに回転してみせた。


「ああ、見事な黒だ」

「メゾン=ジャンヌの毛染薬だ、インチキ品じゃない」

ルディガーは思わずベルの艷やかな黒い髪に触れる、ベルは小さな雷に撃たれた様に飛び跳ねた。


「すまん、艶があって美しいから触れてしまった」

ベルの薄く日に焼けた顔は赤く染まっていた。


「えっ、うん、もう染めるのは懲り懲り」

すこし見当違いな答を返す、そこに突然コッキーの大声が居間に響き渡った。


「何やっているんです?ご飯ですよ!!」


台所の入り口からコッキが身を乗り出しベルとルディを睨んでいた。

ホンザの笑い声が聞こえてくる、居間の隣の小部屋のドアが開くと青いローブ姿の優男の青年が出てきた、居間の空気に不審な顔をしたが、そこにエリザが走りより彼の肩の上に飛び乗った。


その細身の優男はアゼル=メーシー、ルディの幼馴染で又従兄弟に当たる、彼も奇縁から旅を共にしてここまでやってきた。

アゼルは小さな猿を優しく撫でるとささやいた。

「エリザベスどこにいたのですか?」

こうした姿を見れば女性を魅了する美貌の持ち主だが、なぜか不思議と印象に残らない個性を持っていた。


「さあこれからの計画について話し合う前に腹ごしらえしようか」

少し気まずくなっていたルディはこれ幸いと台所に向かった、それにベルが続くとホンザも立ち上がる、最後にアゼルも台所に向かった。







混迷のハイネから徒歩で東に四日の距離にテレーゼの東の果てを区切る南北に連なるエドナ山塊がある、その東側はエルニア公国だがバーラム大森林が広がり国境も明確に定められていなかった。

そのエルニア公国最東端に港町リエカがあった、そこはエスタニア大陸最東端と言われるリエカ岬が東方絶海に向かって突き出していた。

その東方絶海の向こうに未知なる大地があると言われているが、今まで行われた探査調査は総て失敗に終わっている。

今のところ小さな小島も岩礁すら見つかっていない、最長で二十日程東に進んだ記録が残されていた。


いつしか絶望の海と人々に呼ばれる様になる。



その岩だらけのリエカ岬の沖に黒い影が近づきつつあった、それは薄霧を透かして次第に大きく迫ってくる。

それは巨大な船の形を顕しはじめた。


岬の小道を巡回していた二人組の警備兵の一人がその影に気づく、兵は同僚を呼び止め警告を発した。


「みろ見慣れない船だ」

「なんだ?ここは暗礁が多い難破するぞ!!」


だが二人は絶句し言葉が続かない。


その船はマストが折れボロ布の様になった帆が絡みついている、明らかに難破船だ、それもとてつもなく巨大な船だ、城の塔の様に巨大な朽ちかけた船首楼と船尾楼の様式はまったく見た事の無いものだ。

この街の住民は世界各地の船を知っている、西エスタニアの大型交易船、北方世界の頑丈で高速な細身の帆船、それはどれとも違って見えた。

見たことも無い神か怪物を象ったレリーフで飾られ、折れているがマストが七本見える、見慣れたエスタニアの大型帆船の少なくとも二倍以上の長さがある。


彼らは否応なしに伝説の呪われた東方大陸の話を思い出していた、エルニアの守護女神アグライアは東の海の彼方を見張るためにこの地に居をすえた、これはエルニア人なら知らぬ者の無い神話だ。


二人の警備兵はその驚くべき報を知らせるべく警備隊の本部に駆け戻って行った。








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