旅の終わり
シャルラで用心棒達と別れそのまま交易路を西に進む、二日でアリシラ峠を超えた、厳しい旅だが追手に怯える心配は減った、高原の荒涼とした荒野を四日ほど進むとイズラン峠を越える。
ここから西エスタニア世界が始まるのだ、山を下るにしたがい気温が上がり周囲にのどかな田園風景が広がる。
湿度が上がり空気が肌に纏わりつく、エルヴィスは汗を拭いながらアンナプルナ山脈の西側がエスタニア有数の豪雨地域だった事を思い出した。
その景色の中に馴染んだ聖霊教の礼拝堂の姿は見えない、かわりに素朴な寂れた神殿風の小さな祠がいくつも点在していた、一つの村で複数の神を祀っているらしくその数も多い。
アンソニー先生は大喜びで道端の祠に近づいては観察したが、それを農夫達が不思議そうに眺めている。
「エルヴィス君、君は西エスタニアに来たことはあるのかい?」
やがて先生が話しかけてきた。
「仕事でパラミティアに何度か船で行った事がある、商隊路を使ったのはこれがはじめてさ」
「船のほうが早いからかい?」
「それもあるが船の方が大量に運べて安い、海が荒れる季節は敢えて陸路を選ぶ者もいる」
「そうなんだね」
シャルラから彼らは騾馬の世話になっていた、騾馬はパラミティア行く事に決めた荷役人達が世話をしている、今となっては命綱の財産と道具を運ぶ唯一の足だ。
既に調査団壊滅の報がアルシラに入ってるかもしれない、そうなると今頃大騒動になっているはずだ、用心棒達が無事脱出できたか気になる処だ。
「あれが今夜の宿だ」
ラウルが地平線の彼方に見える街影を指差した、その先に城壁と塔らしき影が見える。
そこまで二~三時間の距離だ、そして港町パラミティアまであと二日の距離に来ていた、そこまで行けば海路を通じてエスタニアの何処にでも行くことができる。
「さて今晩は何を食おうか」
ラウルは最近になって何時の調子を取り戻しはじめていた。
エルヴィス達がパラミティアに到着したのはその二日後だ、そこはアルシラより大きな港街で周囲に肥沃な農地が広がる。
街の様式はアルシアに似ていたが、頑丈な城壁で囲まれ表面は特殊な漆喰の様な何かで美しく整えられていた。
これでは街に侵入しようとする者は苦労させられるだろう。
街の中央に壮麗な神殿が見える、屋根は美しい赤い焼き物の瓦で葺かれ、建材の大理石の白とコントラストが美しい、砂漠の蜃気楼で見た幻の神殿に様式がどこか似ていた。
富裕層の町並みは美しくどこまでも神殿と同じ赤い瓦が続く、それが途切れたところから庶民の街が広がり木で葺かれた屋根と焼かれた土煉瓦の薄い黄色が目に入る。
宿が決まると荷役人に残りの俸給を総て払うと彼らと別れる、もともと資金を節約する為にパラミティアへ急いだ事情があったのだ。
彼らはしばらくここでほとぼりを冷ましそれぞれの道を歩んでいくだろう。
それから一週間程で用心棒とリーノと荷役人監督を始めとしたアリシラ留守部隊の者達がパラミティアに到着した、皆で彼らの無事と再会を祝う、だが彼らも状況をすでに知っていたのでその笑顔には影があった。
用心棒達は荷役人に頼み一日先行してアルシラ入りを果したそうだ、荷役人監督は用心棒の話しとエルヴィスの手紙を読んで驚愕した、ペンタビアが動く前に大慌てでアルシラを出たと言う。
そしてリーノは街で何をしていたか話そうとしなかった、エルヴィスもそれを問い詰める気も無い。
そのころアルシラで裏世界でも鼻つまみ者のスリの親方が殺されているのが発見された、その手口は見事なもので手慣れた殺し屋の仕業と噂されていた。
だがそれをエルヴィス達が知るよしも無い。
安宿の二階を貸切にしたエルヴィス達は大部屋に集合していた、これからの方針を決めなければならないのだ、エルヴィスは敢えてアンソニー先生をそれに加えた。
まず金庫番の薦めでザカライア達の荷物や天幕に残されていた魔術道具の換金はこちら側で進める事に決まった、その方が足がつきにくいとの判断だ。
回収した資料の本格的な分析は東エスタニアに戻ってから専門家に任せるしかない。
アンソニー先生が街に着いてから資料の複製をしていたが、エルヴィス達としては彼のアドバイスに頼るしかなかったのでそれは彼への報酬替わりだ。
そこからペンタビアが闇妖精の姫を制御できる形で復活させようとしていたらしい事が浮かび上がって来た。
「まだこれだけじゃ何とも言えないよ、僕は魔術師ではないのでどうしても理解できない部分が多いんだ」
それが先生の見解だ。
「奴らは成功させると思うか?」
ラウルが真顔で先生に尋ねる。
「何とも言えないよ」
エルヴィスはペンタビア調査団がドロシーによって壊滅した事を知っている、だが仲間たちはそれを知らない、また懊悩が深まるドロシーとシーリの末路を皆に話すべきなのだろうか?
ペンタビアが再び調査団を送り込むにはかなりの時間がかかるはず、そして『星辰の刻』と言う言葉を思いだしていた、ヤロミールとシーリから聞いた限りでは特別な星の位置らしい、ならば再び『星辰の刻』が来るまで機会が無いのかもしれない、これも調べなければならないだろう。
「俺たちには関係ないだろ?ラウル」
荷役人監督が面倒くさそうに会話に割り込む。
それにラウルと用心棒が目を剥く、彼らは魔界の眷属や一部とは言え魔界の神の姿を見ている、監督との大きな意識のズレが生じていた。
そして会議の結果、必要な換金が終わった後で航路で東エスタニアに戻る事に決まった、アルムト帝国の本拠を目指す。
街にきてから日も経ったある日の事だ、エルヴィスはアンソニー先生を探していた、先生は街に来た頃は宿に閉じこもっていたが最近は一人で街に出る様になっていた。
彼は今一人でいるはずだ。
彼の今後について相談したかった、彼を古美術や骨董品のアドバイザーとして雇えないか考えていたのだ、相談した仲間たちの反応も悪くなかった。
エルヴィスの二番目の育ての親は美術品贋作家だが先生はその男とどこか似た雰囲気を持っていた、街の人々に彼の姿を尋ねると、港近くで目撃者が見つかる、それを手がかりに探すと港の外れの古びた桟橋の上に先生の姿があった。
彼は海鳥が鳴く桟橋で遥か沖を眺めていた。
先生に呼びかけると彼は驚いた、そして何の様なのか問いただすようにこちらを見ている、エルヴィスは桟橋の先生の処に向かった、緩やかな潮風がエルヴィスの頬を撫でる。
「エルヴィス君何かあったのかい?」
「先生にお話が、先生こそここで何を?」
「ふとねミロン君の事を考えていてね」
エルヴィスはミロンがベリアクラムの石碑と共に嵐の海に沈んだ話を思い出した、だから海を見ていたのだろうか。
ミロンはこの海原で遭難したのだろう、人としてのミロンはそこで死んだ。
「僕はもっと知りたくなったんだ、闇王国の事、古代文明に何があったのか、魔界の眷属と闇妖精と神々についてね」
「ベリアクラムに行かれるので?」
彼はうなずいたがその目は海の彼方を見詰めたままだ。
「そうするよ、ミロン君の事をもっと理解できるかもしれないからね」
悲しみも怒りも感じられない淡々とした言葉だ、だがそこから彼の強い決意を感じる事ができた。
「失礼ですが言葉は大丈夫ですか?」
「僕はベリアクラムの石碑を解読したんだよ?西エスタニアの主要な言語は現代語から古語まで理解できる!」
アンソニー先生はこちらを振り返ると珍しく怒気を露わにする。
「確かに失礼しました」
「ところでエルヴィス君、僕に話があるのかい?」
「先生を雇おうと思いまして、遺跡調査は当分再開できませんが、古美術品の鑑定などに力をお借りしたい」
アンソニー先生は苦笑いを浮かべた。
「ぼくは小心者で君たちの期待には答えられないと思うよ」
やはり此方の腹は読まれていた、もう表に出られないアンソニー先生に生きる術を提供でき、エルヴィスの商売を補強する下心もあったのだが見抜かれていたようだ。
「僕は鑑定する立場だったんだ、その逆もしかりだよ、総てが終わったら協力できるかもしれないね」
アンソニー先生は朗らかに笑う、エルヴィスも釣られて笑った贋作を世に送り出す側だったからだ。
「僕は明日この街を出て西にむかう事に決めたよ」
先生は急に真顔になるとそう告げる。
「わかりました先生の報酬は俺達の管轄では無いが、ザカライア達から接収した財貨からお支払いしますよ」
「それは助かるよ、僕とミロン君のお金だけでは心細かったんだ、ありがとう」
アンソニー先生は穏やかに笑った。
ザカライヤ達の天幕にはかなりの財貨が残されていたが、その総てを集めても赤字は確定していた、契約の残り半分を受け取れる見込みは無い。
翌日の朝早くアンソニー先生は街を出て行く事になった、船に乗り五日程西にある都市に向かいそこから闇王国のかつての版図を目指す。
ラウルと用心棒とリーノで桟橋まで先生を見送った、思えば彼を知る人間で生き残ったのはここにいる者達しかいない。
それがエルヴィスの胸を締め付けた。
船は沿岸航路を運行している定期航路便の中型帆船だった。
「ではみんな僕は行くよ」
先生は軽く手をふると船のタラップを昇って行く、やがて出港の刻が来た。
大きな銅鑼が打ち鳴らされるとタラップが引き上げられ錨が上がる、西エスタニア仕様の三本マストの帆船はゆっくりと桟橋を離れて行く、先生はしばらく上甲板に姿を見せていたがやがてが見えなくなった、エルヴィス達はしばし遠ざかる船を見送っていた。
桟橋からの帰りにラウルが話しかけて来る。
「エルヴィスあの件を進める腹は決まったか?」
エルヴィスはすぐにあの件が何を指すか理解した、南の小さな島国から輸出される貴重な薬剤の話だ、その国が貿易を長らく独占しており、魔術の触媒や薬として目が飛び出る程の高値で取引されていた。
ソムニの樹脂と呼ばれていたが、産地も不明で植物の実から採れると言うこと以外謎で、種類も生態も製法も不明とされていた。
その秘密の一端が最近明らかになった、エルヴィス傘下の禁制品密輸船が救助した漂流者から驚くべき情報がもたらされた。
男の乗った船が難破し流された南の大きな島の原住民が儀式で使っていたと言う、仲間はすべて原住民に殺され男だけが運にまかせて海にでたのだ。
だがエルヴィスは確実に利益が期待できるペンタビアの遺跡調査を優先した、相手が上客なので繋がりを作りたいとも考えたのだ。
だがこうなると新しい商売に手を広げたい。
「ああやるか、当たればでかいぞ」
エルヴィスは不敵に笑った、いつまでも失われた者に後ろ髪を引かれているのは彼の性分ではなかった、皆彼の元にやって来てしばしとどまりやがて去って行く、袂を分かつもの死に分かれる者、それはさまざまだがその度に新しい扉が現れた。
だがその扉の先は果たして明かるかっただろうか。
やがてその島の探査がエルヴィス=コステロの名を大陸全土に轟かす契機になる。
また大切な者を失い新しい扉が現れる。
彼の道行は暗く大きく開かれていた、愛する者の残骸を伴侶にしてどこまでも歩んで行く。