暗黒の過流
謎の怪物に強力な攻撃魔術が集中する、訓練された高位魔術師達の一斉攻撃は異質な精霊力の干渉により共鳴し爆発的な力を生み出した。
爆発は衝撃波と爆風を伴い野営地の造りかけの天幕が吹き飛ばされ押し倒された。
荷役人と下働きの男達がなぎ倒されて悲鳴を上げながら地面を転がる、訓練された兵士達は素早く地に伏して爆風を避けた、だが若い魔術師や新兵達は爆風をもろに食らってしまった。
その爆風の中から何か黒い小さな物体が無数に吹き跳んで散って行く。
爆風が収まると女がいた場所には何も無かった、地面に太い茨の切り株が数個頭を覗かせていたがそれもやがて消えていく。
「やったか?」
再生力が異常に高い闇妖精や高位の眷属は一気に倒し切るのが定石だ、野営地の損害はやむ無しとメンデルハートは判断し総攻撃を仕掛けたのだ、それだけ闇妖精は危険極まりない敵として恐れられている。
たしかに敵は消滅したように見える、だが妙に周囲が騒がしい。
メンデルハートはそれが気になって周囲を見回すがその騒音は頭上から来ていた。
野営地の上空に無数のコウモリが群れを成し飛び回っていた、やがてコウモリが1ヶ所に集まりはじめると膨大な瘴気が湧き上がり収束して行く、見る間にコウモリの群れは歪な形をした黒い球体に変化した。
多くの者達が空を見上げて呻き声を漏らした。
「あれは眷属ではない、闇妖精だぞ!!」
誰かが叫んだ魔術師の誰かだろう。
その球体に裂け目が走ると果物の皮を剥くように広がり始める、その中から全裸の闇妖精の女が姿を現した、その果物の皮の様に見えたのは巨大なコウモリの羽の形をした漆黒の翼だった、羽の横幅は彼女の身長の倍ほどもある。
翼は羽ばたきもしないだが彼女は空中で静かに浮いていた。
彼女の肢体は冷たく完璧な造形を誇る精緻な人形の様に美しい、だがその肌は血が通わない死者の様に蒼い。
メンデルハートは目を奪われたが彼女から湧き上がる瘴気と威圧に我に還る。
「攻撃しろ、奴に反撃する間を与えるな」
メンデルハートは命令を下す、部下達もそれぞれ魔術術式の構築を始めた。
数人が牽制の為に下位の攻撃術を行使すると、兵士達も魔術道具を駆使して攻撃を加え味方の魔術師達の支援を始めた。
上空の敵に攻撃魔術が集中する。
その時突然地面が僅かに振動すると、地を割って巨木を適当に組み合わせた様な不細工な人形が次々と姿を現わした、その身長は二メートルを越えている。
メンデルハートは戦慄した、その力の規模と速度から中位相当の術が連続して無詠唱で行使された事が理解できたからだ、それも精霊召喚術に近い術式が行使されていた。
人では高い代償を支払わされる精霊召喚術をいとも簡単に連続行使してのけたのだ、もっとも死霊術なら状況が違うのかもしれないが。
地面から湧き出した木の巨人が周囲の兵士達に襲いかかる、呆然としたまま反応が遅れた兵士が叩きのめされ吹き飛ばされた、彼の手足がありえない方向に曲がっていた。
だが気を取り直した部隊長達が命令を下すと組織的に反撃を開始した、冷静になるとそれほど手に追えない敵ではなかった、大きな木の人形は切り刻まれ火の精霊術に燃やされ土精霊術に腐食させられて数を減らしていく。
そして上位魔術師達は冷静さを取り戻すと闇妖精に再び攻撃を加え始めた。
だがメンデルハートは気づいてしまった、上空の闇妖精は闘いを興味深く観察している、その真紅の瞳は研究者の目をしていた。
メンデルハートには理解できるのだ、自分の若い頃はそういった種類の人種だったから。
そして闇妖精と目が会うと女は薄く笑った。
「闇妖精から意識を逸らすな」
その直後に魔術術式の構築で生まれる精霊力の波動を感じた、不快な雑音として感じられそれはわずか一瞬で終わる、その力の感触は金属を擦るように不快だった、直後に膨大な瘴気が動くと無詠唱で術が完成した。
闇妖精は上位術式を人の下位術式よりも容易に行使していた、メンデルハートはその事実を受け入れるしかなかった。
巨大な黒い何かが地面を突き破り立ち上がる、全高は五メートル以上で黒い樽の様な胴に三本の足が生えその不細工な体を支えていた、その周囲から腕が三本生えている、そして体中に至るところに赤く輝く目があり全周を睨んでいた。
「なんだあれは?」
「デカイぞみだりに近づくな」
「足を潰せ動きを封じるのだ!」
部隊長達は素早く命令を下すと未知の敵と闘い始める。
上空の闇妖精はまだ彼らの闘いを観察していた、メンデルハートは自分も直接参戦すべきと決意する、全体の指揮を取るのが自分の役割だ、だが奴はそんな生易しい相手ではない。
魔術術式を構築し最大の攻撃魔術を練り上げ、上空の闇妖精に狙いを定めた。
火精霊術の使い手であることを生まれて始めて感謝していた、不死者討伐において火精霊術師は最強にして最適なのだから。
「『ギビルエアテの紅蓮の・』」
最後の詠唱を完成させる直前、闇妖精がその姿を消した、そこで術式も未完で終わり力が霧散して行く。
いったい奴は何処に消えた?
「ここです」
その直後に背後から美しい女の声が聞こえる、怖気を振るい振り返ると目の前に闇妖精が立っていた、アラバスター人形の様な現実離れした完璧な裸体をすべて晒している、この状況でも目を逸らそうとしてしまった。
闇妖精は嘲る様にニンマリと笑った。
「わたくしは気にしないわ、人の奴隷に裸など何度も見られたものよ」
メンデルハートは戦慄した、これではまるで太古の闇妖精の姫ではないか。
「お前は闇妖精の姫なのか?」
今度は闇妖精は慌てて顔を横に振った。
「違います!闇妖精じゃあありません私はドロシーです」
その闇妖精の異常な反応にメンデルハートは困惑したこれではまるで狂っているようにしか思えない。
そして何か地下遺跡で異常な事故が起きたのでは無いだろうか、彼は混乱と恐怖の中で答えにたどり着こうとしていた。
そしてドロシーという名前に思い当たる、たしかザカライア隊の護衛の中にその名前があった記憶がある、だが詳しい情報まで思い出せなかった。
「体と技を慣らすのに付き合ってくださいね」
呼び止めるまもなく視界から闇妖精が消えた。
上空に向かって瘴気の流れが残っている、メンデルハートはその流れの後を辿ると、遥か上空で翼を広げた闇妖精の影が映る。
今まで感じた事の無いほどの力が闇妖精に収束して行く。
大規模な魔術術式の行使を察知した魔術師達がありったけの攻撃魔術を叩き込む、だが闇妖精は平然として揺らがなかった、信じられないほど強固な魔術結界で守られていた、叩かれた結界が極光の様に虹色に光ゆらめく。
やがて上位魔術の数十倍に及ぶ巨大な力の集中が始まった、メンデルハートはこの闇妖精こそが裏切りの妖精族の支配者の最後の生き残りだと確信した。
この危機を伝えなければならない、ペンタビアの高官の意識を離れ、闇妖精族の姫の復活を文明世界に伝えなければと渇望する。
それはもしかしたら人としての種の本能だったのかもしれない。
直後に漆黒のタールの巨大な過流が生じた、暗黒の波濤が渦を巻きながら野営地に真上から襲いかかる、重く底なしの暗黒の津波、メンデルハートは最後に目にした光景からそう感じた。
その直後に総てが暗黒に飲み込まれ彼の意識はかき消えた、永遠に。
その破滅の情景を遠くから観察している者達がいた。
彼らは聖霊教の山岳派の修道僧の装束を纏っていた、人数こそ少ないが誰もが只者では無い空気を纏う、指導者の隣に侍る壮年の男の声は上ずり内心の動揺が隠せなかった。
「あのロイ様!」
それにロイ=アームストロングが応えた、彼は大柄な筋骨隆々とした青年でアームストロング隊長に良く似ていた。
「ああ、ここからでもわかるぞ、上位魔術数十回分の力を感じるそれも魔界の力だ」
彼らは野営地からかなり距離を保っていたが、暗黒の瘴気の洪水が砦の廃墟を覆い巨大な渦を描きながら旋回しているのがよく見えた。
「なんてデカイんだ」
誰かが呆れた様な例えようのない声でつぶやく。
「ペンタビアの奴らはどうなったんだ?」
「あれではほとんど誰も生きてはおるまい」
部下達がささやき始めた、普段は寡黙な彼らは話すことで不安を解消しようとしている、ロイはそう感じていた。
そして暗闇に没して見えないが、ロイは暗黒の太陽の様に輝く黒い閃光を感じていた、それは野営地の遥か上空で光り輝く。
暗黒なのに光り輝くとは不自然だが、そう喩えるしかなかったからだ、その闇の輝きの中心に蒼白き闇妖精の姫が浮いていた。
「あれは闇妖精族の姫だ、桁違いの魔力を持っている、それもまだ総ての力を出しては居ないだろう」
「ではスザンナ様達はやはり?」
「奴が言っていたように、もう生きてはおられまい・・・」
ロイは強く唇を噛み締めた、スザンナは上司であると同時に母でも在る。
「おお術が消えるぞ」
暗黒の巨大な過流の回転速度が低下する、やがて巨大な黒き霧雲となり消えていった。
だが霧が晴れたが何かがおかしい、野営地を照らしていた篝火の光は総て消え、崩れかけた廃墟の塔の影が見えない、周囲に立ち並んでいた作りかけの天幕も消えていた。
野営地の上空にいた闇妖精が放つ力も消えていく、闇の輝きも薄れ彼女の気配を感じる事もできなくなった。
「闇妖精が去るなら野営地を調査する、何か情報が得られるかもしれない」
しばらく経ってから彼らは慎重に野営地に接近した、闇妖精は何処かに去り、そこには何も無かった、天幕の残骸も野積みされていた荷物もラクダの姿も無い。
遺体や骨すら残っていない、地面も表面を削り取られた様に草一本残らない、砦の遺跡の残骸の石だけが不気味に灰色の姿を晒している、それらの石もくすんだ茶色の表面が磨かれた様に白くなっていた。
聖霊教の一団は言葉もなく無と化した廃墟を眺めるだけだった。
アンナプルナの裾野に広がる岩だらけの荒野を三人の人影が北を目指して足早に進んでいた。
三人とも暗褐色のローブを纏いその素性はわからない、ただ一人だけ異様に背が高くそれに見合った横幅を持っている、その人物は巨大な剣を背負っていた。
「グルンダル様、そろそろ野営の用意をしませんか」
その声は大人びた低い女性の声だ、彼女の声は気遣いからか憂いを帯びていた。
「そうだな、これだけ離れれば大丈夫だろう」
彼らはヤロミールの仲間の北の組織の生き残りだった、他のメンバーは総て闇妖精の化け物に殺されてしまった。
「無理をすべきではありません」
「そうはいかん、魔術師が全滅してしまったからな、一刻も早く戻り導師様にお知らせせねば」
そう言うと近くの岩に重いからだを降ろした、そしてもうひとりの男が火を起こす準備を始めた。
グルンダルは思わず空を見上げた、指導者のベルグを始めまさか全滅の憂き目に合うとは考えてもいなかった。
今もあの女が現れるのでは無いかと思うと震える、その恐怖を憎悪で押し潰す、そうしなければ自分がダメになってしまう様な気がしたからだ。
「かならず仲間の敵をとる」
そんなグルンダルの顔を心配げにその女性は眺めていた。