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葬送の歌

スザンナの放つ力が膨れ上がり空気が震えエルヴィスの髪の毛までも逆立つ、彼女がどこにそんな力を残していたのだろうか、だがその強大な力は不安定に揺れ動きエルヴィスを不安にさせた、スザンナの力はいつも静かで確かで揺るぎなかった。


エルヴィスは魔神の触手に攻撃を加えるが触手の成長が止まらない押されている、しだいに小さな奈落への穴が広がると噴出する魔界の汚泥が増え始めた。

エルヴィスはそれに焦り始めた。


「スザンナまだか?」


すると巨大化したスザンナの気配が突然かき消えた。


「さあ準備できたよ、奴を削るんだ依代が失われる前に奴はかならず動く」

スザンナから発現した巨大な力はまったく感じられなかった、だがスザンナは何事も無いかのように平然としている、何か彼女に秘策があるに違いない。


スザンナも攻撃に加わる、彼女の拳が触手にめり込む度に大きくえぐり取った、エルヴィスも精霊変性物質の剣で触手を切り刻む、出鱈目に暴れながら反撃してくる触手をなんとか躱し続けた。


このまま押し切れるそんな希望が生まれた、だがエルヴィスは疲労から動きが少しずつ鈍くなって行くのを感じていた、それでも最後の気力を振り絞り闘った、スザンナの顔も蒼白で極度の緊張に耐えている様子が伝わってくる。


エルヴィスは何度目かの触手の攻撃をギリギリで躱すとすかざす斬撃を加えた、だが心身を蝕む疲労から剣筋が僅かに乱れる、乾いた金属的な破砕音と共についに精霊変性物質の剣が半ばで折れた。

剣先の三分の二ほどが触手に食い込んだままだ、エルヴィスは体のバランスを崩す、そこに触手が襲いかかり絶対絶命の危機に陥る。


エルヴィスの視界をスザンナの巨大な背中が塞ぐ、そして鈍い湿った音が響く。

エルヴィスは素早く体勢を整えると懐から秘蔵のダガーを取り出し、素早くスザンナの様子が見える位置に動く、息が切れ呼吸が苦しい。


だが彼女の姿に思わず叫んでしまった。


「スザンナ!!」


スザンナは触手を頑強な両の腕で抱え込んでいた、だが彼女の白い侍女服が血で赤く染まり広がって行く、触手に食い込んだ精霊変性物質の剣が彼女の腹に深々と突き刺さっていた。


だがスザンナは不敵に笑っていた。


「まさか精霊変性物質の剣でつながるとはね、運がいいやら悪いやら、もらったよ!!」


その叫びと共にスザンナの巨大な気が突然戻る、スザンナの全身が一瞬光輝いた様にエルヴィスは感じた、その力が精霊変性物質の刀身を通じて魔神の触手に激しく流れ込む。

触手全体に無数の気泡が生じ沸騰し弾けると水蒸気が激しく吹き出した、それと共に魔界の神の触手が朧気に薄くなる、反対側にいた用心棒の姿が透けて見えた、魔神の触手が蜃気楼の様に薄れて消えて行った。



「奴は魔界に還ったね・・・」

そうつぶやくとスザンナは力なく膝を屈した。


「スザンナ大丈夫か?」

エルヴィスはスザンナに走りよる。

「馬鹿を言うんじゃないよ、無事じゃないさ」

魔界の汚泥も急速にその姿を消して行く、スザンナをなんとか姿を現した岩盤の上に横たえてやる、だが下に敷いてやれる物が無かった。


「応急手当てを!」

だがスザンナは頭を横に振る。

「捨て身の奥の手を使ったんだよ、最後の力を注ぎ込んでしまったからね」


横たわったスザンナの目が何かを訴えていた、エルヴィスは用心棒に先生とリーノを呼んでくる様に頼むと用心棒は大回廊に急いで戻って行く。

スザンナの目が去っていく彼の姿を追っていた、そしてエルヴィスを真っ直ぐ見つめ直した、エルヴィスはその彼女の眼光に慄いた。

スザンナは苦笑するがいつもよりその笑みは弱々しい。


「アンタ隠している事があるだろ?シーリとドロシーは死んでいないね、いや死んだ方がマシな事になっているのと違うかい?」

エルヴィスは驚愕したがそれが計らずも事実と認めてしまう事になった。

スザンナはまた深く苦笑した。

「アンタの態度や話が怪しいと思ったのさ、これが片付いたらアタシらで討伐するのが手向けと思ったんだがねえ、かばっているのかい?」


「シーリとドロシーは闇妖精の魂と融合して一人になってしまった、ヤロミールが失敗したせいだ」

スザンナの金壺眼が見開かれた。

「なんてこったい、でも死にゆく者に嘘は言わないか・・もう闇妖精をまともに再生するのは不可能だよ、何をしたんだろうね奴は・・・」

奴とはヤロミールの事に間違いなかった。

「アンタ情が移ったのかい?呆れたね・・そこまで入れ込んでいたんだねぇ」

エルヴィスは正直にうなずいた、なぜかスザンナに秘密にして置く事ができなかった、その間にもスザンナの顔色が白くなって行く。


その時小さな羽音が聞こえた、エルヴィスがそちらを振り向くと小さなコウモリが一匹天井の岩からぶら下がっているだけだ、すぐにスザンナに視線を戻した。

スザンナは天井を見上げ苦笑いをしながら頭を弱々しく横に振った。


「まったくアンタらはしょうがないね、呆れる程にね」

スザンナは目を閉じた、そして目を開くと穏やかな顔をして微笑む。


「いいかいこれだけは言っておくよ、失われた命と魂は大いなる循環に還るべきなのさ、生は死の始まりにして死は生の始まり、その先にこそ未来があるんだよ、本当に愛しているならそうしておやり」

エルヴィスはスザンナを聖女だと感じた事は無かった、だが今初めて彼女を聖霊教の聖女と信じられる。


「まあ総てはアンタが決める事さ・・・アタシにはもう時間が無い、さて私も娘と孫に会いにいくかね、爺だけじゃあむさいからねぇ」

目を閉じてスザンナは微笑む、そしてそれ以上何も語ることは無かった。



しばらくするとアンソニー先生とリーノがやってきた、二人は倒れた隊長とスザンナを見つけて言葉も無い。

「エルヴィス君、あの化け物は倒したんだね?」

エルヴィスはアンソニー先生を見もせずにうなずいた、スザンナの穏やかな死に顔から目が離せなかった。




すると上に昇る通路から足音が聞こえてくる、またミロンなのかと緊張が走った、もう聖霊拳の上達者も魔界の通路を塞ぐ薬も無い、人は人外の力の前にあまりにも無力だった。


だがそこに姿を現したのはラウルだ、かれは怪我をしている様子で服は破れ頭から血を流していた。

ラウルは剣の先に大きな蛭の様な生き物を刺したまま掲げる、そしてもう片手には漆黒のダガーを握り締めていた。


「この上の階段で妖しい生き物を見つけたぞ、こいつ知能があるぜ・・・なんだスザンナなのか!?殺られたのか」

ラウルは床に倒れ伏すスザンナの姿に気づいた。


「ラウルそれはミロンだ!」

エルヴィスはそれに答えず警告する、ラウルは慌てて剣の先から蛭の様な蠢く物体を振り落とした、それは床にぶつかり潰れて薄く広がる。

その物体は見ている間に少しずつ大きくなって行く、やがて目が一つ生じて瞼が開くとリーノが悲鳴を上げた。

目は周囲を観察するかの様に動き回った、更に大きくなると口が生じる。


「ここまでやられるなんて・・・くそ、皆んな滅ぼしてやる!!」

その口が悪態をついた。


「ミロン君、もう終わりにしよう」

先生がミロンに近づくと水筒の中身をいきなり振りかけた、一瞬の刹那ミロンの目が見開かれた、絶叫すら発する間もなく吹き上がる水蒸気と共に何もかもが消えて行く。

あとには濡れた岩肌が残るのみ。


「さっき彼の真似をして水筒に幽界の羊水をいれたんだよ」

そう弱々しく笑う先生の目に涙が浮かんでいた。




エルヴィスはラウルに調査団の陥った状況をかいつまんで説明した、ラウルは調査団の惨状に衝撃を受けた、そして親方達と地図職人が死んだ事に言葉も無かった、ラウルが加わってから彼らと共に仕事をして来た仲間だった。


そしてエルヴィスは撤収を決断した、もはや調査の続行は不可能だ、人もいない上にクライアントも全滅してしまった。

持ち運べる最低限の荷物を階段橋の上の野営地から運び出す事に決まる、引き上げの準備が整う頃には、大空間を満たしていた穢された幽界の羊水も一見すると元の清浄さを取り戻していた、大量の瘴気が魔水から生じ大気に満ちている。


生き残った調査隊のメンバーは仮設橋のある亀裂に向かった、そこには敷布を被せられたスザンナと隊長の遺体が残されていた。


最後に二人の遺体を幽界の羊水で水葬にするのだ、これが二人のささやかな葬儀だ、だが聖霊教の正しい儀式のやり方を誰も知らない。

エルヴィスは縁者の葬式を思い出しながら代表して聖句を唱える。

二人の遺体は幽界の羊水に沈められた、遺体は衣服だけ残して総て溶けて消えて行く、二人は幽界の門が開くと幽界の羊水と共に遠い世界に還っていくだろう。


寂しい葬式が終わると小さな羽ばたきが聞こえた、大空洞の白亜の天井を背景に小さなコウモリが上へ上へと昇っていく。


「ドロシー?」


エルヴィスは思わずそうつぶやいた。




「久しぶりに還ってきた気分だ」


環状の蛇の神殿の出口を抜けたエルヴィスは思わずつぶやいた、だが誰もそれに応える者がいない、誰もが気落ちしてそれぞれ物思いにふけっていた。

空を見上げた陽はまだ高く日没までにまだ時間が残されていた、空は快晴でどこまでも深く青かったそれが心の痛みを刺激する。


「エルヴィスこれからどうするんだ?」

野営地に向かうエルヴィスの背にラウルが呼びかける、振り向くと包帯を頭に巻いたラウルの姿は痛々しかった。


「今夜はここで疲れを取ろう、明日は砦の野営地の方に向かう」

ラウルは少し考えてから話し始めた。

「あっちは何も残ってない、必要な物はここから持って行くしかねえな」

「向こうはオアシスに到着する頃か?」

向こうとは金庫番が率いるキャラバンの事だ、ペンタビア本隊との遭遇を回避するため移動中だ。

「下りは早い、オアシスを通過して南で野営する」

「間に合うか?」


「わからねえ、精霊王が知るのみだぜ」

ラウルに少しずつ元気が戻るのを感じてエルヴィスは少し安心した。


その時地鳴りの様な轟音が山々に鳴り響く、異界の門が開き幽界の羊水が引く時がきたのだ、それに葬送の泣き女のような甲高い物悲しい叫びが混じり始めた。

エルヴィスにはまるで調査隊の葬送の歌の様に聞こえた、誰も言葉を発する事も無くアンナプルナの山々を見詰めるだけだ。






黄色い砂の海を長い隊列が進んでいく、大規模な隊列の中に武装した兵らしき姿も見えた。

彼らの行く手をアンナプルナ山脈が阻み、コバルト色の空に雲ひとつ無く午後の太陽が彼らを情け容赦無く焼いた。


その隊列の中央をラクダに乗って進む白いローブの男がいた、身分も年齢も性別も明らかでは無いが、只者では無い気配を纏っていた。

男は側にいたラクダの鞍上の男を呼び寄せて尋ねる、それは力強い壮年の男性の声だった。


「オアシスに予定通り着きそうか?」

「二時間ほど遅れていますが日没までに到着する予定ですメンデルハート様」

その男は声をひそめて応える。


「ザカライアの報告では、今日にも墓所に入る予定だ、我らも急がねばならん」

メンデルハートと呼ばれた男は鋭い眼光でまっすぐアンナプルナの山容を見据えていた。


やがて隊列の前方からオアシスの緑が見えたと歓声が上がった、士気が上がった隊列は僅かに歩速を上げた。






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