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私はドロシー

雲が翔ぶように東に流されていく、アンナプルナを越える風は冷たく乾き、広大な砂漠を山脈の東側に創り出していた。

そのアンナプルナ高原の環状の蛇の神殿から北に三時間程の地点で休息する一団があった、それは森を抜け湿原地帯に差し掛かった岩場の上だ。

周囲に沼や池が点在し荒涼とした湿原に苔や背の低い草が寂しく緑を添えていた、灰色の大きな岩が緑の絨毯を突き破るようにあちこちに頭を突き出している。


彼らは一見しただけで国や所属が解るような物を身につけてはいなかった、人種も性別も定かでは無い、全員くすんだ暗色の旅装束で身を固めている、だがその二十名程の集団は只者では無い気配をまとっていた。

その一団に南の方から同じ旅装束の男が接近してきた。


男は指導者らしき男に近寄ると何やら報告を始める。


「野営地に誰もいないだと?全員下に降りたか」

指導者らしき男は偵察の男の報告を受けて首を傾げる。

「野営地は強力な防護結界に守られていました」


「予想より調査が進んでいるのか?出遅れたのが悔やまれる、ご苦労」

指導者らしき男は偵察の男をめぎらい下がらせた。


指導者の側に座っていた壮年の大男が重々しく口を開いた。

「ヤロミールに任せるしかありますまい」

指導者らしき男は無言でうなずき立ち上がるとその場にいる者達を見渡した。

「者共、到着しだいそのまま地下に降りる、疲れていると思うがあともう少しだ」



『何をヤロミールにまかせたの?』


その言葉を聴いた者達は慌てて声の主を探しはじめた、何人か立ち上がり周囲を見廻した。


「誰だ!!」


集団の端にいた男が誰何の声と共に立ち上がる彼の声は若く力強い。

旅装束に関わらずその下に隠された頑健な肉体を感じさせる大男だ、男はローブのフードを払うと炎の色をした手入れのされていない赤髪があふれた。

男は背中の大剣を引き抜いて構える。


指導者は落ち着いて立ち上がる。


「心話だな?はてどこにいる」


その言葉が終わらないうちに、岩が割れ砕ける音と共に地面が広範囲に渡って細かく震え始める、周囲の空気が蜃気楼の様に揺らめく。


「地震だ」

誰かの叫び声が響いた。


「何だこの魔気は?」

指導者の声が初めて動揺を顕にすると彼の側にいた壮年の大男が叫んだ。


「警戒!!」


その言葉と共に彼らは次々とローブを跳ね除けた、その下から魔術師と戦士が姿を現した、指導者を中心に素早く円陣を組む、その中に女性の姿も見える。

地を揺らす振動はしだいに激しくなる、岩場に亀裂が走り地盤が下がり始めた、そして周囲の地盤が広範囲にわたり陥没すると地の底に崩れ堕ちて行く。


彼らの上げる絶叫は崩落の音にかき消された。




「皆無事か?」


指導者は巧みな体術で瓦礫の上に着地したが、全員無事とは行かなかった様だ、うめき声が聞こえてくる。


「ベルク様、安否を確認します」

それは大男の側近の声だ、指導者が上を見ると青い空が丸く見えたここはかなり深い、周囲に石柱や鍾乳石の残骸が散らばっている。

どうやら鍾乳洞の崩壊に巻き込まれたらしい、無事な者達が何人か立ち上がる、幸いな事に魔術師達は術と道具のおかげで全員無事だ。


ベルクは先程聞いた怪しい声を思い出した、暗がりの向こうに奥に繋がる洞窟の口が二つ見える。

無事だった部下達が彼の周りに集結を始めた、赤毛の大男の戦士も瓦礫の上を危なげなくやってきた。


「負傷五名、死亡者、行方不明者なしです!!ベルク様、ベルク様?」

指導者の反応が無いことを訝しんだ側近は皆の視線の先を追う、そして自分も目を見開き驚愕する事になる。



その洞窟の暗がりに有り得べからざる者が立っていた。


この世の者とは思えない程に美しい全裸の女性の姿だった、黒いショートボブに作り物めいた美貌と真紅に輝く瞳、だが彼女の美貌は無感動なまでに感情を現さず、彼女の肌の色は白を通り越して青白く死者の肌の色をしていた。

彼女のその総てが精緻なアラバスター細工の人形の様に無機的で冷たい美を体現していた。


そして先の尖った長い耳が彼女の正体を強烈に主張している。


「闇妖精の姫なのか?」

ベルクの声は慄き呻くようだ。


「ヤロミールが成功したのか、これで大導師様にご報告できますぞ」

側近の男は喜び闇妖精の女に向かって歩き始めた。


「まて!」

ベルクは側近の男を制止した何か嫌な予感がするのだ、そして闇妖精は初めて口を開く。


「ヤロミールは失敗しました」


小声だがなぜかその声は良く聞きとれた、側近の男は思わず立ち止まり身を震わせた、闇妖精の女の口は嘲笑と軽侮を形造り、真紅の瞳は下等な生き物を見下ろすようにこちらを見ていた。


「なんと!!闇妖精の姫がそのまま復活したのか?」

その場にいた者達に動揺が広がる、闇妖精の頂点に立つ王族を人間ごときが御する事などできるわけが無い。


「そうでもない、心配しないで」


どこか他人事なのんきな口調で闇妖精は答えた、ベルクの顔に不審と動揺が広がる何かがおかしかった。

その間にも闇妖精が放つ威圧感が増大する、部下の何人かが耐えられずよろめいた。


『私を都合よく切り刻み利用しようとは、人間ごときがおこがましいとは思わないのかしら?』

闇妖精の真紅の瞳は地獄の炎のように赤く輝き、彼女の声は声をなさず心に直接響き渡る。


「まずい離脱せよ、各自脱出せよ、外に出るんだ日の光の元に逃げよ!」

ベルクは身を圧する威圧と魔気に耐えながら言葉を振り絞った、何人かがこれ幸いと離脱を計る、壁を巧みに這い登る者、外に逃げ出す為に術を構築する魔術師達。


「怪我人がおります、ベルク様」

それを側近の男がたしなめた。

「諦めろ振り返るな、運が良ければまた会おうぞ」

「ならば我が時間かせぎをします!!」

ベテランの戦士のこの男も体が震え重圧に耐えるのが精一杯の様子だ、だが勇気を出して戦おうとしている。


悲鳴が上がり何かが墜ちる音が続いて生じる、ベルクが何が起きたか振り返ると脱出をはかっていた者達が瓦礫の上に倒れ伏していた、その数は四人で彼らの装束が見る間に血に染まる。


闇妖精の化け物に術を行使した気配は無い、何かを飛ばして落としたに違いない。

ベルクは闇妖精の恐ろしさを肌で感じていた、書物から得ただけの知識が血肉となっていく、だがこれを活かす事ができるのだろうか。


『罰としてアンナプルナの地底を永遠に彷徨いなさい』


「戦え、力を合わせれば勝てる!!」

野太い声と共に赤毛の若い戦士が雄叫びを上げて大剣を振るい真っ向から闇妖精に切り込んだ、それを見て闇妖精の目が笑う。

その大剣は闇妖精を縦に真っ二つにするかと思いきや、彼女の美しい顔の前で華奢な手の平で受け止められてしまった。

誰かがうめき声を上げた。


「魔術剣だぞ!?」


闇妖精の口が嘲笑を浮かべる、そして赤毛の若者にささやいた。


「鳥が巣を造るくらい遅いわ」


暴勇で鳴らした勇敢な若者の瞳が初めて動揺の色を見せた。

僅かに遅れて術式が赤毛の男に振りかかると男の体が淡い光に包まれた、それは防護結界の光だ、炎の槍が見事な曲線を描き闇妖精の脇腹に突き刺さる、炎の槍は脇腹をえぐり黒煙を生じたが見る間に傷は消えてしまった。


「後ろの貴方、努力は認めるけど隠れてませんよ」


闇妖精の首がくるりと後ろに回転して真後を向いた、男の絶叫が上がると闇妖精族の腹から漆黒の剣先が突き出す。

赤毛の戦士はこの空きに攻撃しようと大剣を引こうとするが闇妖精のたよやかな手が掴んで放さない、押しても引いても動かない、赤毛の戦士は怒りのあまり吼えた。


ベルクの部下達は呆気にとられて闘いを忘れている。


瞬時に闇妖精が魔術術式の構築を行い無詠唱で発現させる、力に鋭敏な者達はその異常な速度に戦慄した。

「なっ?」

ベルクすら警告を発する間もなくただ呻く事しかできない、その直後に闇妖精の背後で音無き光なき爆発が生まれた。


闇妖精の首が回転し元の位置に戻ると、彼女の左手は何か丸い物体をぶら下げていた。


「副団長!!」


背後から絶叫が上がる、それは闇妖精の背後に密かに廻り込んでいたベルクの側近の首だった、一流の戦士のあっけない最後。

闇妖精はその首を無造作に放り捨てる。


「後ろから剣で貫くなんて酷い」

言葉と裏腹に闇妖精は淫靡な笑みを浮かべている、そして背中から突き刺された剣の先を眺めていた。


「グルンダル離れよ」

ベルクが赤毛の若者を叱咤した、闇妖精の油断か力が緩んだ一瞬のすきを捕らえて赤毛の戦士は剣を引く事ができた。


ベルクが素早く詠唱を完成させると自らの体が青白い光に包まれた。


闇妖精はそれを気にもせず背中に腕を回して剣を引き抜こうとしていた、だがあまりうまく行かない様子だ。

それが魔術師達に時を与え闇妖精の全身が青白い炎の柱に包まれた、だがその炎はあっという間に消えると闇妖精の体に吸い込まれてしまった。


「ありがとう」


女はウィンクするとペロリと赤い舌を出した、可愛らしい仕草だがそれが恐怖を誘う、冷たい無表情な化け物が時々示す感情はどこか歪んでいる。


「愚か者、死霊術が奴に効くか!!」

ベルクが背後で死霊術を使った部下を大喝した。


「そうか押し出せばいいんだ」

闇妖精は何かに気づいたのか大きくうなずいてから息を吸うと力んだ。


「ふん!!」

可愛らしい声と共に剣がズルズルと背中に抜けて行く、やがて剣が床に墜ちる音がする、闇妖精は背後を振り返えった。

グルンダルがそのタイミングを逃さず雄叫びを上げ襲いかかった、女は落とした硬貨を拾うように無造作に腰を落として剣を拾う、そのまま背後から迫る大剣をその剣で受け止めてしまった。

金属の軋みと刀身が悲鳴を上げる。


「この剣は魔術で強化された剣ね」


まじまじと剣を眺めていた闇妖精の足首に緑の太い茨が巻き付いた、それを見た彼女の目が丸くなる。

そこに氷の槍が背中に突き刺さりめり込む、人ならば間違いなく即死だ。

数人の戦士が闇妖精を取り囲み一斉に切りかかる、全員魔術で強化された剣を装備している、だがその化け物の姿はかき消えていた、剣が交錯したが引きちぎられた茨の残骸だけが残る。


彼女はそのままの姿勢で上に跳んでいた、穴の壁を二度蹴りながら瓦礫の上に音もなく降り立つ。


ベルクは頭を横に振り大声で叫んだ。

「奴はまったく本気を出していない」


闇妖精の威圧感が更に高まる。


「私の剣の使い方を見せてあげるわ」


闇妖精が両手を広げて魔剣を構えた、その構えは剣舞を舞う踊り子の姿に重なる。

静から動へ瞬時に変わった、一番近い処にいた不運な男に襲いかかる、総ては一瞬だ男は何も対応する事ができない、流れる様な剣先に胴体を綺麗に分断され血しぶきを上げる。


だが闇妖精の剣はあまりにも大ぶりすぎた、男を切り降ろした勢いでそのまま剣先が流れ、体が捻られてバランスを崩す、それを絶好の機会と戦士達が切り込みをかけた。

だが闇妖精は片足を軸にして体を捻り、もう片方の足が高々と上がると、美脚が凶器となり敵を薙ぎ払う、彼女の足は闇妖精の凄まじい力と速度で死の旋風を生み出した。


防具がひしゃげ潰れる不気味な音を立て三人の戦士が吹き飛ばされて洞窟の壁に叩きつけられた。

彼女の足が地に着くとその足を軸に前に踏み込み今度は再び剣が襲いかかる。

そこに赤毛の戦士が割り込みその大剣で辛うじて受け止めると金属の甲高い悲鳴が洞窟に鳴り響いた。


彼が作り出した僅かな時間を活かすべく魔術師達の詠唱が始まる。


だが彼女はそれを待つつもりはない、あっさりと脅威的な速さで術式を構築してのけた、一人の魔術師が声をあげるまもなく塵と化して床に崩れ落ち不浄の気が湧き上がり霧散した。


「上位死霊術だ!!」

悲鳴の様な絶叫が上がる。

闇妖精は明らかに手を抜いている、ベルクの予測は当たっていた。


美しき魔物が赤毛の戦士に微笑えんだ。


それでも彼らは闘い慣れていた、今度は闇妖精が赤い炎に包まれた、赤毛の戦士は跳び下がる。

闇妖精は炎の人形になって円舞を舞い始めた、誰かが勝利の喚声を上げたがそれはすぐに沈黙に変わった。

火達磨になりながら彼女は踊り子の様に文字通り炎の様に踊り狂っていたのだ。

やがて炎が消えると火傷一つ無い完璧な裸体が現れた、最後に観客に向かってお辞儀をする。


「炎の舞い」


だが観客のあまりの反応の悪さに眉を下げて悲しそうな顔をした。



「皆、生き残れ!!脱出せよ」


ベルクの命令一下生き残るために脱出が始まる、洞窟の奥に向かってそれぞれ走り去る、これは始めから決められていたベルクの最終命令だった。


これまで耐えていた彼らもここまでが限界だ。



後に残ったのは時間をかせぐ役割の男達だけだ、その中にベルクの姿もある、他に残っているのは取り残された負傷者だけだ。


「まさかこうなるとは」

ベルクは呻いた、闇妖精族は背伸びをすると大きなあくびをしてからベルクを見詰めて笑った。


「やっとこの体に慣れてきたわ」






錬金術師の女は瓦礫に半ば埋もれ苦痛にあえいでいた、あばら骨が折れているのか呼吸が苦しい、何が起きているのかわからない、見えるのは丸い青い空だけだ日の光は穴の底まで届かない。

しだいに闘いの音が遠くなる、そして先程からまったく音がしなくなった。


しばらくすると瓦礫を踏みしめる足音が近づいてくる、助けが来たのか敵かわからない、不安と恐怖だけが高まる。


誰だと声をかけたが声にならなかった。

足音が止まると視界を青白き美貌が覆うあの闇妖精の女だ、悲鳴を上げたが咳き込むだけで血が口から溢れた。


「もったいない」

闇妖精は指で彼女の唇をなぞると血の付いた指を舐めた。


「美味しい」

嬉しそうに可憐に微笑む。


「貴方の仲間は少し逃げたけど全員私の家来になった」

錬金術師は驚きと恐怖で目を見開いた、だが闇妖精は一人で話続ける。

「私の初めては好きな人にあげたいの、でも女の娘なら問題ない」

闇妖精の瞳が真紅に燃え上がると彼女の首筋に濡れた様な唇を近づける。


だがそれは止まった。


「私はドロシー」


闇妖精の瞳が彼女の心の底まで見通すと苦しみと恐怖と絶望が消えていく。


「貴女は話せないのね」


ドロシーはそう言うと笑った、そして大きく口を広げると鋭い吸血鬼の牙が現れた、赤い軟体動物の様な舌が白い首筋をひと撫ですると鋭い牙を首筋に突き立てた。








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