空に咲く白い薔薇
リネインからハイネに向かう街道を三人と猿一匹が西に進んで行く、リネインからほど近いこの辺りはまだ豊かな田園地帯が広がっていた。
「ねえ、ラーゼとハイネの間で戦いになりそうな話だったけど、どうなったか知っている?」
街を出てからずっと寡黙だったベルが急に口を開く。
「我々にはわかりませんね、戦場が南に移動して来ない事を祈りましょう」
「昨日リネインの西門から伝令が頻繁に出入りしてたよ」
ベルは西門の見物で気づいた事を思い出したので話す。
「ベル観察していたのか?」
「まあね」
『ウキッ!!』
アゼルの背嚢の上でエリザが鳴いた。
その時、前方から軽騎兵が馬を走らせこちらに向かってくる、一瞬緊張が走ったが、三人は路の脇によって馬に道を譲った。
「あれはリネイン軍の伝令に見えるな、リネイン伯はどこの派閥だったかな?」
ルディが通り過ぎ去っていく騎兵を観察しながら疑問を呈した。
「コウモリみたいにふらふらしていると聞いたけど、今どこの陣営なんだろう?」
「私も知りませんよ?街で聞いておくべきでしたね」
アゼルは少し後悔していた、こういった情勢は積極的に把握しておくべき事なのだ。
「ねえルディ出遅れたから少し足を早めよう」
「俺も賛成だ、少人数だからすぐに埋め合わせられる」
「ねえ、アゼル」
「なんですか?」
「アダム=ティンカーだと間違えそうだから、アゼル=ティンカーに変えていい?」
「それでも良いかもしれませんね・・・」
そんな会話のあと3人は足を速め黙々と歩き続けていた、そしてリネインの西門を出て2時間程経った頃だ、街道の西から数人程よろめきながら此方に向かって走って来る。
「なんだあれ?」
「ベル慌てているように見えるな」
「おーい、何かあったのか!?」
ルディがよく通る大きな声で呼びかけた。
その男達は息を切らせながら近づいて来る。
「はぁ、はぁ、この先で盗賊に襲われた」
生きも絶え絶えな男は体のあちこちから血を流していた。
「商隊が襲われ積み荷が奪われた、護衛も何人か殺られ残りは逃げた」
「俺の妻と娘が攫われたぁ、くそー」
男達は皆んな怪我をしている様だが傷は浅い、妻子を奪われた男は半泣きになっていた、この男の妻子には今差し迫った身の危険が迫っているはずだ。
「おい、どこで襲われた?」
「は、はい、ここから西に300メートル程の所です」
「近いね」
「数はどのくらいいた?」
「20~30人は居たと思います」
その先は道が蛇行していて林と街路樹に邪魔されてよく見通せない。
「どうするルディ?」
「助けに行くぞ!!関わってしまった以上は見捨られんな」
「そう言うと思った」
二人はアゼルを同時に振り返った。
「ええ、私はもう諦めております、お付き合いいたします」
アゼルは予想していたのか半分投げやりだ。
「ここは待ち伏せには良い場所だな」
三人は周囲を警戒しながら急いで進み始めた。
「ルディ、あそこに人が何人か倒れている」
ベルが指差した先には、馬車が数台停車していた、その近くに倒れている人影が幾つも見えた。
「気をつけろ、敵がまだいるかもしれん」
「ルディまって、周囲に人の気配がある」
「ベルを信じよう」
アゼルが小さく呟いた直後に力の流れを感じた、二人はアゼルを振り返る。
「術式で矢に備えます」
「わお、さすがアゼル!!」
「ベルサーレ嬢、当たり前の備えですが?」
その直後に周辺の林の中から武装した戦士達が湧き出してきた、以前ラーゼの北東で遭遇した野盗の集団と比較して装備も衣服もすいぶんと小奇麗に見える。
「囲まれたか」
ルディは敵を睨みつけるが包囲されて絶対絶命のはずなのに落ち着き払っていた。
数は総勢30人程度であろう、二重に包囲網を作り外側の輪には数人の弓兵まで混じっている、防具は全員動きやすい革鎧で見事に統一されていた。
「なんだ、こいつら目が死んでないか?」
「なんだろうね?」
盗賊団ならば物欲や色欲や戦いの前の興奮などそういった熱狂が少しは有るものだが、包囲している連中からはそれがまったく感じられない。
それでも彼らは剣を抜き放ち包囲を狭めようとしていた。
「俺がアゼルを守りながら戦う、お前は好きなだけ暴れていいぞ」
「わかった、いやまって、あいつ!?」
最後に林の中から、巨人と言っても良い程の大男が現れたのだ、頭に包帯を巻いているせいで顔は良くわからない。
「ベル、あの男に会った事があるような気がするぞ?」
「あのデカ物見覚えがあるけど、顔が良くわからないね」
「あいつから少し変な感じがする、前にも感じた事があるような気がする、なんだろう?」
「そうか?以前会った時はこんな気配は無かったぞ」
「ルディも感じるんだね?」
だが頭に包帯を巻いた大男は直ぐに正体を現したのだ。
「そこの女!!今日こそ犯してからぶっ殺してやるぞ!!!!楽にはしなせねー!!!」
ナタのような大振りな山刀を振り回しながら喚き散らした。
「うわっ、名前は忘れたけどやっぱりアイツだ!!」
うんざりした様な表情でベルが吐き捨てた、ベルがこんな事をするのは余程嫌っている証拠だ。
そして盗賊のリーダ格と思われる男がその巨人に何事か話しかけている。
そこに数人の盗賊達が革紐で拘束された女性と少女を引き出してきた。
「コイツらを殺されたくなければ武器を捨てろ、大人しくしたら命までは取らないぜ」
リーダ格の男が大きな声で通告してきた、その男はピッポ達ならコームという名の盗賊団の首領とわかった事だろう。
「変だね、僕たちに人質作戦が効くって知っている?」
ベルは二人に小声で囁いた、縁もゆかりもない名も知らない人間を人質にして効果が有るのは、余程の聖人か圧倒的に余裕のある善人ぐらいだろう。
「そうか、俺も慢心していたようだな」
神隠しの後から力が増大していたからこそ、二人を助ける気になったのだ、もともとその傾向があったがその敷居が低くなっていたのだ。
「ふむ、だが今更あの二人を見捨てるわけにもいかん」
「ですが間違いなく約束を守る気は無いですよ、この方々は」
その時ベルがルディの耳に背伸びをして呟く。
「僕に考えがあるんだけど?」
「まってください『音精の小さき檻』」
アゼルが音精遮断の魔術を周囲に展開する、これは密談などで非常に良く使われる風の下位魔術だ。
「ねえ、ルディ、僕をあいつらの処へ跳ばせる?」
「跳ばすだと?」
人質が捕まっている場所まで30メートル以上はあるだろう。
ルディの目線の先には道端に朽ちて倒れている街路樹の幹があった。
「お前の尻をそこの木の棒で叩いて跳ばせば良いのか?」
「クリケットの球じゃないんだぞ?僕の両手を持ってハンマー投げみたいに人質の所に向かって放り投げて、後はなんとかする」
アゼルが呆れた様に二人を見る。
「まさか可能なのですか?」
「ルディにはあの猟犬の突進を止められる馬鹿力がある」
「いけるぞ、いや成功させて見せよう」
ルディはそれを請け負った。
「さあ素早くやろう」
ベルが背嚢を外し地面に降ろす、ルディも腰の剣と背中の背嚢を地面に置く、盗賊のリーダ格の男に満足気な笑みが走った、三人が戦う意志を放棄したと判断したのだ。
「私も援護しますよ、視覚を僅かな時間だけ狂わせる場を周囲に発生させます、それを合図にしてください、お二人なら魔術に抵抗可能でしょう」
「わかった」
その直後、盗賊達は何か目の前の景色がはっきりとしない漠然とした奇妙な感覚に襲われていた。
ルディは両手でベルの両手を握り締め、自分を軸にベルをグルグル回転させながら、奥歯を噛み締め3歩前に踏み出した。
ルディの咆哮と共にアゼルの術式が解除される。
「うおおおぉおおおおおおーーー!!!」
狙いを定め人質を抑えている三人の盗賊の方向に向かってベルを投擲した。
人質を抑えていた3人の盗賊たちは、何が起きたか理解できないまま、何か黒い丸い物体が回転しながら包囲網の頭上を飛び越え、放物線を描きながら自分達に向かって飛んでくるのを呆然と眺めていた。
その黒い丸い物体が眼の前で白い薔薇の花の様に開いた、花の真ん中から、嫋やかな二本の雌しべのような何かが突き出した、風を孕み膨らんだ白い薔薇の花が盗賊たちに迫って来る。
花は高速で接近していたが、人の感覚は危機に臨むとスローモーションを見るように感覚が早くなる事があるそうだ。
三人の真ん中の男はベルのブーツの直撃をまともに顔面に受けそのまま吹き飛ばされた、何かが見えた様な気がしたが男はそのまま意識を刈り取られる。
ベルは即時に着地すると、後方捻りバク転宙返りを行い、そのまま振り返えろうとした残りの二人を回転しながら足技で蹴り倒した、そして何が起きたか理解できていない二人の人質を両脇に抱きかかえて走り始める。
あまりにも非常識な展開に盗賊たちは動くこともでききずにそのまま固まっている。
その瞬間の事だった、人とはとても思えない獣のような異常な咆哮が響きわたった、先程から僅かながら感じていた異様な力が爆発的に膨れ上がる。
それはグリンプフィェルの猟犬と戦った時に感じた感覚とも、アマンダから滲み出でていた力の感覚とも違う異様な力の波動だった。