超越者の闘い
ザカライアの喚き声が通路の向こうから聞こえてくる、やがて教授が姿を現した。
エルヴィスが部屋の中にいるのを見て驚き身構える、だがこちらが無事だと気づいたのか気を緩めた。
「お前か?驚かせおって」
エルヴィスは教授の口ぶりを不快に感じたが今はそれを飲み込む。
「教授何が起きたんだ?」
「ああ、あやつら化け物に寄生されおって、どのように寄生されたかまではわからん」
「あの化け物が残した肉片が犯人だ」
エルヴィスがそう吐き捨てるとザカライアが驚きに目を見開く。
ミロンは自らの破片を送り込む為にわざと触手を伸ばしたのだ、エルヴィス達が触手を切り払う事まで読んでいたに違いない。
「他の奴らはどこに?」
ちょうど教授の背後からバーナビーが姿を現した、彼は首を横に振っている。
「エルヴィスわからない」
用心棒とリーノとアンソニー先生の姿が見えない、親方の弟子達と荷役人が何人生き残っているのか解らない。
「おい教授、親方はどこだ?」
「ああ?さっきまで側にいたが・・・・」
ザカライアとバーナビーがやってきた通路の奥を覗き見た、その奥はこの部屋の反対側と同様に迷路になっている。
エルヴィスは地図職人の残したメモを見た、迷路の中に小さな部屋が二つある、この部屋のどれかに用心棒達がいるのかもしれない。
「そうだ教授、化け物と闘っているスザンナ達を支援すんだ、二人が負けたら俺たちも終わりだぞ?」
ザカライアがそれを聞いて恐怖に顔を歪めて慄いた。
「教授!生き残る確率を上げる為にそうするしかない」
バーナビーもエルヴィスの考えに賛同する。
ちょうどザカライアの背後の通路の奥から騒々しい闘いの音が上がった、そこに隊長の二人の部下の声が混じった、そこに通路をこちらに向かって走ってくる小柄な男の姿が目に飛び込んでくる、その姿は間違いなく親方だ。
「無事だっ・」
エルヴィスは喜び声をかけるが親方の様子が普通ではなかった無意識に剣を構える。
ザカライアが背後を振り返った瞬間親方が勢いよく飛び跳ね教授に抱きつく、エルヴィスはあっけにとられて動けない。
ザカライアは声を出す事もできずに暴れるが親方は離れなかった、親方の背中で不気味な黒い触手がうごめく。
真っ先に立ち直ったバーナビが最初に動いた、剣を抜くとそのまま躊躇無く親方を刺し貫抜く、親方に抱きつけられたザカライアはそのまま倒れもせずに暴れていた。
「てめえ!!バーナビー!!」
理性ではわかっているが感情がそれを受け入れる事ができない、エルヴィスはバーナビを殺意を込めた目で睨んだ。
通路の奥から隊長の部下二人とその後ろから誰かがこちらに向かって来る。
「エルヴィス・・すまねぇ」
親方の顔は絶望と苦渋で歪んでいた。
「早く殺してくれ・・頼む」
親方の口から黒い触手の先が現れた、親方の瞳から意思の光が消えて行く、やがて眼球が盛り上がるとそこから黒い触手が姿を現し蠢いた。
そして眼球が床に堕ちる。
「くそ!!」
エルヴィスは叫びを上げ親方だった物に剣を打ち込んだ。
「エルヴィス、ザカライアを傷つけるな!」
バーナビが激しく叱咤する。
「なんてことか!!」
そこに用心棒の声が聞こえて来た、傭兵達の後ろに用心棒がいた、その後ろにリーノとアンソニー先生の姿も見える。
「エルヴィス離れろ!!」
エルヴィスは誰かの声で反射的に飛びのきザカライアから距離を保つ、部屋に立ち込めていた瘴気が親方だった物に集まって行く、親方の体を侵食した黒い触手の蠢きが更に激しくなりザカライアを包み込む。
そして誰もが何をすべきか理解した、エルヴィスが剣で親方に寄生した化け物を刺し貫く、傭兵達がこれに加わった、最後にバーナビーも加わる。
「破片に気をつけろエルヴィス、蛭の様に姿を変えて奴は寄生する」
用心棒の警告から仲間たちに何が起きたかはっきりと理解した。
だが親方が変じた化け物は周囲の瘴気を吸って成長して行く。
「エルヴィス、奴がそっちに行ったよ!!」
そこに追い打ちをかける様に迷路の彼方からスザンナの大音声が上がる。
「ドロシー逃げろ!!」
エルヴィスは大声で絶叫した。
「そんな馬鹿な!」
そしてバーナビーも叫ぶ、この小世界は魔界の門が開かない奥に踏み込むのは奴にとっても自殺行為だ、もしやこの瘴気が狙いなのか?
皆闘いを止めてミロンの襲撃に備える。
親方だった何かに上半身を覆われてしまったザカライアがノロノロと石棺近くの部屋の奥に移動していく、そして濃密な瘴気がザカライアから吹き出し始めた。
「なんだこれは!?」
エルヴィスはその吹き出す瘴気が良く見えていた。
そこに重く巨大な何かを引きずるような音が部屋に迫って来る、それは部屋の向こう側の通路から部屋の中に粘性のある流体の様に流れ込んできた。
続いてスザンナの姿が滑り込む、続いて用心棒の背後の通路から天井を這うように隊長が部屋の中に突入してきた。
ミロンだった化け物は最初に見た姿の半分ほどの大きさに縮んでいる、触手は半分程に減り頭は歪み両目とも潰れ、全身熱い炎であぶられた様に爛れている。
スザンナと隊長は服が切り裂かれ多少疲れの色を見せていたが、大きな傷を追っている様には見えない、まだ余裕がありそうだ。
「これがザカライアかい?なんてこった!」
スザンナはザカライアを見て金壺眼を見開いた。
「スザンナ、ドロシーはどこだ?」
スザンナがエルヴィスに気づいたが頭を横に振った。
「ドロシーはあの部屋の中だよ、先にコイツを倒す」
なぜ部屋の中に彼女が居るのか理解できないがまずはこいつを始末してからだ。
部屋の瘴気がミロンに吸い寄せられる、通路の奥からも瘴気が吸い寄せられるように部屋に集まってきた、そして彫像の様に立ち惚けていたザカライアから更に強い瘴気が吹き出す。
「これが狙いだねミロン!!」
『そうです、魔術師の幽界の門を利用し精霊力を導き瘴気に変える、これが僕の狙いですよ、だから教授を半分だけ残しました、しかし他の二人はどこです?』
急速に再生を始めたミロンが赤い片目を開くと愉快そうに笑った。
ミロンは触手を天井と床に伸ばして、石棺を背にするように立ちふさがった、まるでザカライアの姿を隠すかのように。
「あんたあれを使うよ!!」
スザンナが隊長に声をかける。
「むむ?わかったアレだな」
隊長は莞爾と笑うと即座に動いた、隊長の全身から精霊力の迸りを感じる、瞬時に移動したと錯覚する程の速度で踏み込み隊長の豪腕がミロンの顔面を捉えた。
ミロンは防護しようとしたが間に合わない、引き下がる隊長を襲う触手を今度はバーナビーが切り払おうとした。
「だめだ増える!!」
エルヴィスの警告に即座に反応したバーナビーは思いとどまり剣を引いた、奴の舌打ちが聞こえて来る。
その間に傭兵達は部屋の入口を塞ぐべく動いた。
スザンナがミロンを横撃すると隊長が大木の幹の様な足で追い打ちをかける、だがスザンナはミロンに追撃を仕掛けなかった。
スザンナの狙いはザカライアだった。
上半身を黒い触手の塊に包まれた教授の体は石棺の側から動かない、スザンナは右手に何かを握りしめそれをザカライアの脇腹に突き立てる、彼女は鈍く輝く銀色の円筒を握り締めていた。
教授から吹き出す瘴気が減り始めた、エルヴィスはそれが異界の門を塞ぐ古代文明の遺産だと思い出す。
『驚いた、灰は消されるし、おまけにそんな物まで持っていたのですか』
再生が止まったミロンが感心したようにスザンナに赤い目を向けた。
ザカライアから吹き出す瘴気は完全に消えた、スザンナは手にした銀色の筒を投げ捨てる。
「逃さないよミロン、もう杖から溜めた瘴気も尽きた様だね」
スザンナが攻撃に出ようと構える、彼女の精霊力が更に高まる。
「ミロン君、なぜそんな姿に?」
アンソニー先生が用心棒の後ろから前に出てきた、どこか彼の目は悲しそうだ。
『先生、僕達は聖域神殿の目を逃れて石碑を持ち出そうとしたのですよ、そして僕の仲間はみんな死にました、僕は石碑と共に海に沈んだのです、そして魔界に堕ちて力を得ました、それがこの姿です復讐の力ですよ』
「さて覚悟するんだな」
それはミロンをスザンナと挟み込む位置に異動した隊長の声だ、隊長の精霊力も高まっていく。
その時何か不気味な音が部屋の中に響き始めた、何か硬い物が折れる音、柔らかい何かが引きちぎられる不気味な音が聞こえて来た、エルヴィスは部屋の中を見廻し音の元を探った、みんなもその音の正体を探っている。
「リーノ、先生、通路に下がれ」
用心棒の警告が聞こえる、やがて全員の目がザカライアに集まった。
上半身を黒い触手に覆われたザカライアがその音を発していた、しだいに触手の塊の天辺から教授の頭が現れようとしている。
だがそれでは教授の身長が二メートルを越えてしまう、長身のザカライアでもそれは有り得ない。
それとともに教授から再び瘴気が吹き出し始めた。
『これでしばらく持ちますね』
ミロンだった化け物は低く笑う。
触手の塊の上に現れたザカライアの顔は白目を剥き口を薄く開けていた、とても生きている人の顔ではない。
「あんた、ザカライアの背骨を引っこ抜いたね?」
スザンナの問いかけにミロンだった化け物は低く笑う、それは肯定を意味していた。
『背骨を洗浄しましたしばらく生かします、でも長く持たないのが欠点ですね』
教授から吹き出す瘴気はまるで液体のように密度が高く渦巻きながらミロンに流れ込む、そして急激に再生を加速させる。
触手の塊から突き出した教授の下半身がブルブルと震え不気味な音を立て始めた。
隊長が喚声を上げると重い一撃が化け物を壁に叩きつける、そしてスザンナはザカライアだった物に襲いかかった、その瞬間ザカライアの頭が触手の塊に引っ込む、スザンナの連撃が触手の塊に叩き込まれ表面がいびつに変形し爛れていく、それと共に水蒸気の様な白い気体が吹き出し部屋に広がった。
エルヴィスは初めて聖霊拳の上達者の力を目の当たりにした、スザンナは化け物の肉体を瘴気ごと根絶させようとしている。
そこにミロンから伸びた三本の触手がスザンナを襲った、スザンナはそれを回避したが一本がスザンナの肩を打ち据えた、重量のある触手が恐るべき速さでぶつかるのだ、並の人間ならば即死か重傷を負う、スザンナは吹き飛ばされ壁に叩きつけられたが素早く立ち上がった。
エルヴィスは無意識に叫んでいた。
「スザンナ!!」
「心配しなさんな、肉体こそ最強の防具なのさ」
そう不敵に笑った、たしかに彼女の肉体は鋼鉄でできているかの様に無傷に見えた。
だがスザンナに疲れの色が見える、今の打撃もまったく堪えていないわけではない、二人は少しずつ限界に近づいているエルヴィスはそう直感した。
ミロンは再び石棺の前に陣取る。
『僕はあまり強くありません、でも僕の取り柄は無限に再生できる事、自分自身を増せる事なんです』
そう言い放つとミロンの太い脚の一本が床に重い音を立てて落ちた、それは蠢くと小さなミロンに似た姿に変わっていく。
ザカライアだった物はいよいよ激しく瘴気を吐き出し始めた、まるで最後の力を振り絞る様に。
ミロンの再生の速度が加速し分身が成長していく。
「はやく潰さないとまずいね」
初めてスザンナから焦りを感じた。
エルヴィスは懐に隠し持った銀色の筒を使う機会を考えていた、だがミロンはザカライアの成れの果を死守しながら闘っている、その空きができる瞬間を狙うしか無い。
隊長がそのままミロンの本体を叩きのめすと、スザンナが再びザカライアだった物に接近、連撃を加えながら足払いをかけザカライアを蹴り上げた、それは宙を舞いエルヴィスのいる反対側の通路の入口近くの壁に叩きつけられる。
そこには隊長の部下二人が魔剣を携えて待ち構えていた、二人がザカライアを包む触手ごと切り刻み始めた。
「幽界の門を潰せ!!」
隊長の大声上が重く響き渡る。
『そうはいきませんよ』
ミロンが幽界の門を守ろうと動きかけたところを背後からスザンナが襲いかかる、重い砂の入った麻袋を叩くような音がすると化け物は石棺の上の壁に叩きつけられた。
隊長が追撃を加えようとしたが新たな触手が生まれ隊長を跳ね飛ばす、だが隊長はすぐに立ち上がった。
その時叫び声が上がった、変異したザカライアを切り刻んでいた二人に異変が起きた、天井から小さなミロンの様な化け物に襲われたのだ、二人は触手に絡み取られもだえている。
隊長が部下の名を叫んだ、その間にもザカライアだったものは膨大な瘴気を撒き散らした。
だが二人の努力は無駄ではなかった、ザカライアの頭がむき出しになっていた、首から下が失われ背骨の白い色をのぞかせている。
エルヴィスは動くザカライアの頭と背骨を破壊する為に、だがそこでふたたび変事が起きた。
通路の出口にアンソニー先生が姿を現す、先生がいつの間にか向こう側に回り込んでいた、彼が何をする気なのか見当もつかない、そして先生の革手袋をした手に水筒が握られていた。
先生はその中身をザカライアの頭とむき出しになった背骨に注いだ、液体が黒い触手に触れると白い水蒸気が吹き上がる、誰も動けななかったミロンの成れの果の化け物すら例外ではない。
一体何が起きているのだ?