調査団の崩壊
スザンナと隊長は化け物を壁際に追い詰めながら闘い続けていた。
「アンタ、絶対に外に逃すんじゃないよ」
直後に重々しい振動が壁を伝わってきた。
「うるさいぞ、わかっておるわい!!」
エルヴィスは二人の掛け合いから闘いを有利に進めていると感じた。
「エルヴィス!!」
その時隊長が警告の叫びを上げた、通路の入口から触手が黒い鞭のように先細りながらこちらに迫ってくる。
エルヴィスはそれを冷静に待ち構え、精霊変性物質の短剣でその鞭を切り払った、その先は右側の通路に跳ね床の上で蛇の様に蠢く。
残った足は縮みながら本体のいる部屋に引いて行った。
傭兵達がうごめく先端を魔剣で念入りに切り刻むと動かなくなった、エルヴィスはふと先程切り刻んだ肉片が気になる、左側の迷路の奥を覗いたが切り刻んだはずの肉片が消えていた。
「おい見ろ!!さっきの肉片が消えているぞ」
エルヴィスの警告に傭兵達も気づく。
「魔界に還ったか?」
「ここは魔界への通路は開かない」
「さては奥に動いたか?」
再び大きな振動がスザンナ達が闘っている部屋から伝わってくる、スザンナ達の闘いが気になる。
「ぎゃあああ!!」
その時迷路の奥から絶叫が上がる、男たちの罵声と悲鳴がそれに重なった。
「おい、あんたは俺と来てくれ、そっちの二人は右側からだ、ドロシーは扉の見張を頼む」
エルヴィスは左側の通路を進んだ、気だけが逸るが迷路の中を走るのは自殺行為だ、傭兵の一人が後に続く。
「任せてエルヴィスさん」
背中からドロシーの声が聞こえて来た。
迷路の奥から聞こえてくる叫びと悲鳴、化け物と叫ぶ声に仲間の名を呼ぶ声が混じった、その直後に強い精霊力の波動と魔術行使の気配を感じた。
「ザカライアか?」
奥から激しい風が吹き出して来たので思わず顔をかばった、続いて濃密な瘴気が奥から吹き出す、この迷路の奥で何か異常事態が起きている。
すると通路の角の向こうからのろのろと人影が姿を表した。
背後から息を飲む音がする、エルヴィスもその異様な姿に唖然として動きが止まった。
その男は良く顔を知っている荷役人の男だった、彼は白目を剥きながらその目を見開いていた、背中に黒い触手の様な物が無数に蠢いていた、海に生息する生物に寄生されてるかの様に。
男は見る間に変異が進み人間離れして行く。
「こいつ食われている」
隊長の部下が声を上ずらせながら呟いた、この男も化け物との闘いに慣れているのかパニックにならずに踏みとどまっていた。
そして化け物と化した男がゆっくりとこちらに迫ってくる。
エルヴィスは思わず魔剣で男を縦に切り下ろした、妙に軽い手応えと共に真っ二つに割れた、背中でうごめいていた黒い塊も柔らかい泥の様に砕け、黒い泥になって床に撒き散らされた、それは黒い瘴気の霧になりあたりに広がって行く。
「ずいぶんあっけないな」
男の衣服の切れ端だけが跡に残された。
ふたたび強い魔術行使の気配を迷路の奥から感じる、それと同時に親方の罵声が重なる。
「ザカライアてめえ俺の弟子に何しやがる!!」
向こうでも化け物と戦っている様だ。
「まずい急ごう!!」
背後の男に呼びかける、ここから闇妖精族の灰が収められていた石棺の部屋は近い、今度は通路の角の向こうから何かを引きずる様な音がこちらにやってくる。
「おい誰かいるのか?」
慌てて呼びかけたが、それに聞き慣れた声が答えた。
「エルヴィスさん・・・」
それは弱々しいケビンの声だ。
「ケビン、無事なのか?一体何が起きた」
「酷いですよ、こんな事になるなんて、おじさんは僕が死んだ方がよかったんだ、だからこんな所に・・・」
エルヴィスは不吉な何かを感じて数歩後ろに下がる、何かを引きずる様な不快な音がしだいに大きくなる。
「気をつけろ、嫌な感じがするぜ」
漆黒の短剣を構えて待ち構える。
通路の奥から怒号と悲鳴とふたたび魔術の轟音が聞こえて来た、焦りばかりが募るがまずは目の前の脅威に対抗しなければならなない。
それは不快な音と共にその姿を表した。
たしかにそれはケビン、いやケビンだった何かだ、服を突き破って黒い蛸の足の様な何かが胸から突き出し蠢く、背中から黒い触手が数本何かを探し求めるように虚しく蠢いていた。
まだ彼に意識があるのか恐怖と絶望の眼差しをエルヴィスに向けている。
彼の下半身はもはや人では無い、無数の黒い触手の塊と化し床の上を這い進む。
思わずその姿に吐き気を催す。
「エルヴィスさん、助けてください・・・」
「エルヴィス、こうなるともう元には戻らない」
背後の傭兵が頭を横に振りながら忠告する、エルヴィスは歯を食いしばると覚悟を決めた。
スザンナ達と共に闘ってきた男の言葉を信じる事にする、そして他の仲間達の安否が気になった、親方や地図職人は無事なのか、早く先に進まなければ。
「悪く思うなケビン、今から楽にしてやる」
ケビンは目を剥くとその顔は怒りと憎しみに染まり唸り声を上げ歯をむき出しにした、彼の目から正気が失われて行く。
その直後漆黒の蛸の足のような触手が襲いかかって来る、それを魔剣ですべて切り払った、傭兵の腕もかなりの物で落ちついて触手をすべて切り払ってみせる。
こいつの腕はラウルに匹敵すると密かに舌を巻いた。
エルヴィスはそこで一気に踏み込みケビンだった者の首を刎ねた。
切り飛ばされた頭は壁に叩きつけられ崩壊し黒い砂に変わった、それは更に黒い霧と化して霧散する、だが体は何事も無かったかのように新たな触手を生み出し攻撃を加えて来た。
二人でケビンだった物を魔剣で切り刻み文字通り瘴気になるまで打ち砕く、後には引き裂かれたケビンの背嚢と服の残骸だけが残った。
「ドロシー、化け物の肉片に気を付けろ!!」
エルヴィスは大声でドロシーに呼びかけた、すぐにドロシーの答えが迷路の向こうから返ってくる。
「あれ!?無くなっています!」
再び強力な魔術の波動が空気を震わせる、ザカライアが闘っている、相手は化け物と化した荷役人や仲間達だ。
「くそ!!はやく奥に行こう」
エルヴィスは焦燥にかられながら仲間達との合流を急いだ。駆け出したいがそれに耐え迷路を先に進む。
やがて闇妖精の灰が収められていた石棺の部屋に到達した、そこには動く者の影はない、代わりに部屋の中は目眩がする程の濃密な瘴気が立ち込めていた。
石棺の中を見るとあの灰は綺麗に無くなっていた、スザンナが総て根絶したのだろう。
そして床には数人分の着衣の残骸が散らばっている、それらは鋭い刃物に切り裂かれた様にも見えた、背嚢の残骸と衣服の切れ端の中に見慣れたメモ帳が目に入る、それは地図職人愛用のメモ帳だ、慌てて拾い中を改めた、素描の地図と記号が緻密に書き込まれている。
エルヴィスは怒りと悲しみにメモ帳を無意識に握りしめる、彼は遺跡調査には無くてはならない男だ、エルヴィスが先代を引き継ぐ前からの古い仲間だった。
その悲しみはミロンへの怒りに変わる、そして思い出すスザンナ達を早く支援しなければ。
「みんなどこにいるんだ!!」
エルヴィスは大声で叫んだ。
扉を背にしながらドロシーはスザンナ達の闘いを見守っていた、そして奥に向かったエルヴィスの安否が気になる、だが扉の前から離れる事はできない、部屋の中にシーリとヤロミールが居るのだ、彼らがいつ部屋から出てくるかわからなかった。
そしてシーリの安否が気になる。
その直後に背後の扉から不思議な力を感じる、何か温かい気配が体を通り過ぎた、それは間違いなく扉から放たれた力だ。
扉が開く前触れだと思い扉から距離を保つ、何時でも闘いに踏み込めるように姿勢を低く構えた。
彼女は魔術師との闘い方を学び経験もある、魔術師は接近戦に向いていない、防護結界に対する備えも用意していた、大金を費やして手に入れた魔術道具に意識を向ける。
術を使う間も魔術道具を使う間もなく制圧する。
『さあ出てきなさい』
扉がゆっくりと開き始めた。
部屋の中から薬じみた饐えた臭いが吹き出す、ドロシーは眉を顰めた部屋の中は清浄な空気に満たされたはずなのに。
警戒したが魔術術式の構築が始まる様子はなかった、ヤロミールとシーリの声も聞こえてこない、だた沈黙が在るだけだ。
「ヤロミールいるんでしょ?何か言いなさい」
ドロシーは部屋の中を見渡すことのできる位置に慎重に動く。
部屋の左手の壁際にヤロミールらしき男がうつ伏せに倒れていた、床に血の染みが見えた、だがシーリの姿はどこにも無い。
「シーリどこ?」
床にシーリのローブと彼女の衣服と下着が散らばっている、それを見て彼女の顔がこわばった、全裸の彼女の姿を探すがどこにも無い、そして石棺に目が引き寄せられた、最悪の予感に心臓の鼓動が早まり恐怖で顔が引き攣る。
恐る恐る部屋に入り石棺に近づいた、石棺の中を満たしていた幽界の羊水はタールの様に黒く染まっていた、ドロシーは壁際に倒れ伏したヤロミールを睨んだ。
「ヤロミール、シーリに何をした!!」
ヤロミールは倒れ伏したまま動かない、ドロシーはヤロミールを蹴ろうと彼に歩み寄る、床に置いてあった金属の道具が転び空のガラス瓶が音を立てて転がった。
すると背後で水が跳ねる音がした。
ポチャリ
彼女の心臓が飛び跳ね石棺を振り返った、黒い水面に白い何かが浮かび上がろうとしている、それはやがて美しい女魔術師の顔をなした。
「シーリ無事だったのね」
ドロシーは絶望から一転喜びに変わった、石棺に走り寄り覗き込むとシーリはゆっくりと目を見開いた。
だがその瞳は血を落とした様な真紅に染まっていた。
ドロシーは思わず後ろに飛び跳ねて距離を取ろうと体が動く、だがシーリの反応はその上を行く。
タールの風呂から突き出した美しい嫋やかな腕がドロシーの左腕をつかんだ、その腕の力は凄まじくドロシーの力でも振りほどく事ができない。
悲鳴を上げたいが必死に耐えた。
「な、何が起きたのシーリ、アイツのせいね」
その水面から顔を出したシーリはまるで黒い水に浮いた白い仮面の様だ、その仮面の口が言葉を紡いだ。
『たすけてドロシー、一緒に闘ってほしい、貴女と二人なら勝てる・・かも』
「何を言っているの?」
『すぐに解る、言葉はいらないわ時間が無い』
ドロシーはシーリの腕を振りほどこうとしたが岩の様に動かない、そこに黒いタールの水面から腕が現れて今度はシーリの腕を掴んだ。
その新しい腕はシーリの腕より繊細で作り物めいて美しい、だがシーリの腕ならば考えられない場所から生じていた。
ついにドロシーは耐えられず悲鳴を上げた。
「きゃああぁぁぁぁぁ」
絶叫が響き渡ると扉が彼女の背後で閉まり始める、だがドロシーは気づかない、黒い水面からまた新たな腕が生じるとドロシーの右腕を掴んだ、その腕は今度こそシーリの腕だった、だがその腕もまたありえない場所から生まれていた。
ドロシーは抵抗虚しく黒いタールで満たされた石棺に引きずり込まれようとしていた。
「シーリやめて!!」
彼女の叫びが聞こえたのか、シーリは真紅の目を瞬かせてから邪悪な微笑みを浮かべた。
その直後ドロシーの全てが暗転した。
「エルヴィスさん・・・」
ドロシーの意識はそのまま闇の中に堕ちていく。