恐怖の顕現
「何が起きたドロシー!!」
エルヴィスは走りながら恋人に呼びかけた、あの部屋まで少し走るだけで戻る事ができる、だが通路が複雑で思うように走れない。
「シーリが中に!!」
ドロシーの悲鳴のような声が聞こえてきた。
なんとか戻ると部屋の扉が閉じられドロシーが扉を必死に叩いていた、そこにアームストロング隊長の姿も見える、扉の前にケビンやリーノや親方達が集まっていた。
「何が起きたんだ隊長?」
錯乱気味に扉を叩くドロシーの後ろで扉を睨んでいた隊長がエルヴィスに気づいた。
「部屋の中にヤロミールとシーリとドロシーがいたのだ、俺は入り口から中を監視していた、突然ドロシーが吹き飛ばされ俺に叩きつけらた、彼女は何とか受け止めたが扉を閉められてしまった」
アームストロング隊長が顎で扉を指した。
「ヤロミールとシーリが中にいるんだな?どちらの仕業だ?」
「最後にヤロミールかこちらを振り向いた、奴が術か道具を使ったのだろう」
「ええそうよ絶対ヤロミールだわ」
少し落ち着きを取り戻したドロシーがエルヴィスに向き直った、彼女の拳は怪我をして僅かに血が滲んでいる、扉を強く叩いたのだろう。
「何のつもりだ?何時までもこの中に閉じこもる事なんてできないぜ」
この部屋には他に出口は無い水も食料も長くはもたないだろう、その前に空気が無くなるかもしれない。
「いったい何事だ!」
そこにザカライアの怒りに満ちた声が聞こえてきた、彼の後ろにバーナビーと三人の傭兵の姿も見える。
そういえばスザンナの姿が見当たらない、真っ先に駆けつけるはずの彼女の姿が見えない。
すると壁が天井が細かく振動しはじめた、壁の淡い光が不安定に瞬く、重々しい轟音が迷路の奥から聞こえてくる、そこに迷路の奥から異様な気配が押し寄せて来た。
エルヴィスは古い聖霊教会の礼拝堂や古代の神々の神殿の跡でこれと似た気配を何度も感じた事があった、それは異質で神聖で犯し難い威圧的な力だ。
ザカライアが驚いて迷路の奥を眺めた。
「今のはなんだ?」
「スザンナ・・・」
アームストロングがそうつぶやくのを聞き逃さなかった、いったいスザンナが何をしたのか。
「おい!!なぜ扉が閉まっているんだ!!」
今更の様にザカライアが部屋の扉が閉まっているのに気づき慌てだす、扉の前にいたドロシーを老人とは思えない力強さで跳ね除けた、よろめいた彼女の肩を後ろから掴んで支えてやる。
「エルヴィスさんシーリが中に」
ドロシーが振り返ると彼女の顔は蒼白だった。
「教授、ヤロミールとシーリが中にいる」
エルヴィスは事実だけを彼に告げた。
「なにアスペル女史だと?まさか彼女なのか?」
「ヤロミールの術か道具でドロシーが部屋から追い出された」
エルヴィスがそれを告げると、ザカライアの目は驚きに大きく見開かれた。
「シーリ無事かしら?」
ドロシーの声は小さく震える、後ろから肩を抱いて落ち着かせた。
「何のつもりだ奴は?幽界の羊水を独り占めにするにしても、いずれは出なくてはならなん」
バーナビーが呆れた様に扉にふれる、彼の意見にエルヴィスも同感だ、しかしなぜシーリを閉じ込めたのか?人質にするつもりなのか。
魔術師は恐るべき力を持っている、だがあっけなく無力化されてしまう事もあるのだ、人質として女魔術師は非常に価値が高いのも事実だ。
「そうだあのデカイ侍女はどこだ?アスペル女史の危機だぞ」
ザカライアもスザンナの不在に気づいた。
「あたしゃここにいるよ」
迷路の奥からスザンナが姿を現した。
「あんたどこにいたんだ、シーリが中に閉じ込められた」
エルヴィスは幾分非難をこめてスザンナを睨む、間に合うわけではないが真っ先に駆けつけるのが当たり前の立場だ。
「スザンナ、俺がここにいたのに面目無い」
アームストロング隊長が申し訳なさげに彼女に頭を下げた、ため息をつくとスザンナが肩を竦ませる。
「だいたい事情はわかったよ、どうしてもやらなきゃならない事があってね、それは終わった」
スザンナは閉じられた扉を見ながらそう語った。
「おい何が終わった?貴様もしや灰に何かしおったな!?」
ザカライアの喚き声を聞いてバーナビーも慌て始めた。
「さっきの音と振動か?」
「ああ灰は根絶したよ、闇妖精に罰を与えるためにわざわざ灰を残すなど阿呆の知恵さね、これで闇妖精族の魂を解放したところで魔界に還るだけさね、無からの復活はとても長い時間がかかるのさ、復活しても現世で解放するのと魔界から再び召喚するのとどちらが楽かあんたならわかるだろ教授」
「なんて事をするんだ、この下賤の愚か者め!!我らも闇妖精族を復活させるつもりなど無いわ!!」
激昂したザカライアに急激に力が集まり始めた、その瞬間スザンナはザカライアの目と鼻の先に立っていた。
エルヴィスにも彼女の動きが見えない。
ザカライアの目が驚愕に見開かれ彼の力が乱れる、スザンナの右手がいつのまにか教授の肩に乗せられていた、教授から力が吹き出し霧散すると膝から床に崩れ落ちた。
「お前はなんだ?」
教授は魚の様に口を開け閉めしている、そして苦しげに喘ぎながらスザンナを見上げた、彼は化け物を見るかの様な目をしている。
「あたしは唯の聖霊拳の使い手さ、さて次はこれをどうにかしないとね」
スザンナは怒りに満ちた目で扉を大きく叩いた、扉が重い音を立てて揺れる、彼女にもこれは想定外の事態なのだろう。
「ザカライア、あんたらにその気が無くてもこの中にいる奴はどうかねえ?」
バーナビーが何かに気づいた様にスザンナに話かけた。
「スザンナ、ヤロミールは闇妖精族の復活を考えていると思うか?それに君は何だアスペル女史の護衛なら魔術師ギルド連合、いやまて君は聖霊拳の上達者だな?」
スザンナはしょうがないと言った顔をしてから肩を竦めて苦笑した。
「あたしゃ聖霊拳の上達者さ、人に言っても信じてもらえないが聖霊教会の聖女だよこれでもね」
背後からあれが聖女なのか?そんな言葉が聞こえてくるがスザンナはそれを鼻で笑った。
「聖霊教会に破魔組織があると影で噂されていたが、あんたがそうなのか、アスペル女史が来たのは二年前だその時から目を付けていたか、協力者がペンタビア政府内部にいるな」
バーナビーの言葉は震えている、それにスザンナは何も応えなかった。
禁忌を犯す者や邪悪な宗教や魔術師の犯罪者を追い詰め滅ぼして来た聖霊教会の実力部隊の存在、東エスタニアの歴史に何度と無くその影を落として来た。
だがバーナビーはまだ諦めた人間の目はしていない。
「教授、今は大人しくするんだこれはペンタビア王国の命令だと思ってくれ、くそ功を焦ったか」
エルヴィスはペンタビアの本隊がこちらに向かって来ている事を知っている、あと二~三日で姿を現すだろう、こいつはそれを待つつもりだ。
「ヤロミールは何を考えている?閉じこもってどうする?」
バーナビーは扉を見つめながらつぶやくと扉を頑丈な革靴で蹴った。
スザンナが小首を傾げた。
「奴が何を考えているか良くわからないね、だが闇妖精の長の灰は根絶した、何時までも中にはいられないさ、おそらくシーリを人質に何かをするつもりだろうね」
エルヴィスはヤロミールが闇妖精の魂が溶けた幽界の羊水を独占するつもりだと推理した、だが何かが引っかかる。
「闇妖精を復活させるつもりなら灰を抑える必要があるのだろ、違うかスザンナ」
「そうさ、幽界の羊水と灰をこの世界の外に持ち出す事ができればね、だがもう灰は無いよ」
俯いていたザカライアが顔を上げた。
「愚かな、復活させたところで思いどりになるものか!!ヤロミールは北方世界の魔術師だ、闇妖精の姫の魂が溶けた羊水を独り占めする気だ、灰を失いここで羊水まで失ったら!!」
萎びた野菜の様になっていたザカライアが力を取り戻した、だが奴は怒りと己の失敗に錯乱しかけている。
「ザカライア、君は忘れているのかい?あの背骨の様な形をした遺産の事だよ」
その言葉はアンソニー先生だ、先生は無表情でザカライアを見下ろしている。
ザカライアはぎょっとした様な顔で先生を見上げた、そして彼もそれに気づいた。
「しまったあれは闇妖精族の灰から創られていたか!!だがあの箱の中に在る限り再生も融合も不可能だ、開ける事ができるのは儂だけだ」
「あれは聖霊教会で管理させてもらうよ、どうも破壊できなかった理由があるようだからね」
スザンナが怒り収まらぬ様子でザカライアを威圧する、ザカライアの顔が恥辱と怒りと恐れで歪む、だが急に力を吹き込まれた様に立ち上がった。
「あれまで奪われたら、儂は、おい隊長こいつを切れ!!」
ザカライアが絶叫した。
その場は沈黙に包まれる、バーナビーは頭を横に振っていた。
「すまない教授いや団長殿、俺達はスザンナの手下でのうワハハ」
アームストロング隊長は豪快に笑った。
隊長は二人の傭兵を砦の野営地に戻し、残り二人を見張り残したので、ここに居るのは隊長の息がかかった部下三人だけだ。
仮に隊長がその気になったとしてはたしてスザンナに勝てるのだろうか?
ザカライアは再び床に崩れ落ち力なく何事かつぶやきはじめた。
ドロシーがまた扉を叩き始めた。
「アナタ聞こえているの?いい加減に開けなさい!!シーリを出しなさい!!」
ドロシーはエルヴィスに詰め寄った。
「シーリは無事だと思う?」
「奴が人質にするつもりならシーリは無事だ」
エルヴィスは何とか彼女をなだめ落ち着かせた、しかしヤロミールがシーリを使って何かをしようとしているのではないか?そう疑い始めていた。
「教授、バーナビー、聞きたい事がある!」
バーナビーだけがこちらを向いた、ザカライアは俯いたままだ、バーナビーは何も答えようとしないが先を言えと目が語っている。
「ヤロミールが見慣れない背嚢を持ち込んでいたんだ」
「それがどうした、奴の私物だろう?」
ザカライアも俯いたまま反応がない、彼らもヤロミールの黒い背嚢の中身を知らない様だ。
「俺たちが荷役人を手配したんだ、砂漠の旅をするには緻密な管理が必要なんだ、俺達は総ての積荷を把握している、私物も中身はともかく重さは把握している、本部の荷物に不可解な物が多かった、だからお前たちの積荷も詳しく調べたよ、今まであんな背嚢があったとは知らなかった。
まあ正確な記録があるのは砦の野営地だがな」
予定では砦の野営地はすでにラウル達が引き払っている、もう砦の野営地は存在していない。
「エルヴィス、その中身はわからないんだね?」
エルヴィスはスザンナの問に頷く。
急にドロシーが扉を叩くのを止めた。
「聞こえないのかしら?あの人何を考えているのかわからないわよ!」
「だが、いつまでも中にいられまい」
隊長の声は重々しく彼の声には不安を和らげる力がある。
エルヴィスは強くなる疑念と不安をスザンナとザカライアにぶつける事にした、だがドロシーを不安にさせる事になる。
「ヤロミールはシーリ・・」
その時の事だ、彼らの背後の立坑のある部屋から絶叫が上がる、通路を親方の弟子達がこちらに駆けてくる。
「化け物だ!!」
彼らはそう口々に叫んでいた、誰かが仲間の名前を絶叫した。
そしてエルヴィスは見た。
竪穴から黒い鞭の様な何かが何本も湧き出してその先が天井に張り付いた。
それぞれ人の足程の太さがある、その表面は滑らかに艷やかに漆黒に輝いて黒い蛇のようにも見える、エルヴィスは港街の生まれだ、海に棲まう蛇のような生き物をその姿から思い浮かべた。
「・・・引き込まれた」
叫びながら足をもつれさせ三人の親方の弟子達が殺到してくる、親方が逃げてきた弟子の一人を捕まえて肩を掴んで揺さぶった。
「おい何が起きた、あれはなんだ?」
「親方わかりません、あれがいきなり出てきてアイツを引きずりこんだんだ!!」
親方は絶句して言葉を失った。
その化け物が不快な何か濡れた重いものを引きずる様な音を立て穴から姿を顕そうとしている。
「ドロシー下がれ、用心棒リーノをまかせた、ケビンお前も下がれ!!ザカライアあれが何かわかるか?」
驚愕と恐怖に顔を歪ませたザカライアは力無く顔を横に振るだけだ、そして次にエルヴィスはスザンナを見た。
スザンナはその這い上がってくる得体の知れない化け物を凝視している。
それはすぐに姿を顕した、どう例えたら良いのだろう、敢えて言うならば巨大な蛸の様な姿をしていた、天井から太い脚で逆さまにぶら下がっている。
だがその頭の部分は人の様な姿をしている、その姿になぜか既視感を感じた。
「スザンナあれが何かわかるか?」
「もしかしてミロン君なのかい?」
スザンナが答える前にアンソニー先生が化け物に呼びかける、皆が驚いて先生に注目した、アンソニー先生の声は震えていた。
その蛸の様な化け物の頭の部分に赤く輝く二つの目が開いた。
「ミロン君なんだね」
そう語り先生は絶句した。
気を取り直した荷役人達が悲鳴を上げて迷路の奥に逃げ始める、ケビンもその後を追う、だがその先は行き止まりなのだ、ここに逃げ場は無い。
まだ用心棒と親方と地図職人が踏みとどまっていた、だが親方と地図職人は戦いが得意ではない。
「二人とも弟子たちと下ってくれ、リーノもいいな?」
リーノも震えながら頷く。
「このなかじゃ魔界の門はひらかないよ」
スザンナは相手の正体を知っている、落ち着き払った彼女に巨大な闘気が満ち溢れていくのを感じた、エルヴィスは彼女もまた人外の化け物なのでは無いかと戦慄する。
化け物の赤く輝く二つの目が瞬くと何かが床に落ちて乾いた音を立てる、それは背骨を象ったあの不吉な術具だった、だがそれは瘴気を吐き出す事は無い。
「ふむ、あやつ瘴気を溜め込むだけ溜めてきおったか」
アームストロング隊長が重々しく語る、彼は剣を鞘ごと外し投げ捨てた、そして腰に佩いていたもう一本の剣を抜き放った、漆黒の刀身は精霊変性物質の短剣だ。
「あれがミロンだと?どうなっておる、何が起きているんだ!?全てが狂っておる」
ザカライアは幽鬼のように立ち上がり壁により掛かった、だが誰も名目だけの指導者を返り見ようともしなかった。
ドロシーがなかば悲鳴を上げながら扉を激しくたたき始めた。
「さっさと開けない!逃げるのよ早く!!シーリ」
「デクスターあれを殺るよ」
スザンナが一歩前に出る、エルヴィスはデクスターの名前は隊長のファーストネームだと思い出した。
「スザンナ厳しいが我らには地の利がある」
隊長の巨躯が何倍にも大きくなった、だがそれは錯覚だ、隊長が放つ異様なまでに巨大な気配がそう感じさせたのだ。
「この剣はお前に任せた方がいいな、奴の攻撃を払うことぐらいはできる」
隊長は精霊変性物質の剣を唖然としていたエルヴィスの手に押し付けた、それでエルヴィスは我に還った。
スザンナが扉をたたき続けるドロシーの背中を手の平で叩く。
「落ち着きな、あれを倒すしかない、ここに逃げ場は無いからね、良く見ておくんだよ聖霊拳の戦いをそして神々の眷属の恐ろしさを!」
スザンナの厳つい顔がほころんだ、ドロシーを見てからエルヴィスを見る、そして背中を見せ化け物に向かって歩き始めた、そしてアームストロング隊長が続く。
「エルヴィス、ドロシーは強くても娘なんだ、あんたが守っておやり」
振り返りもせずそう言い残すと、圧倒的なまでの生命力の気配がスザンナの体から溢れ出た。
「スザンナ!!」
ドロシーの叫びはどこか幼子の様に聞こえる。