太古の石棺
「みんな来るわ」
背後からドロシーの声が聞こえた、彼女は穴から身軽に跳び出すと軽くポンポンと腰を叩く、それがどこか年寄り地味ていたので彼女らしくないので笑う、それにドロシーが気がついて少しむくれる。
「トンネルが狭いのよエルヴィスさん」
今度は背中に海老の様に反り返り体をほぐし始めた。
続いて立坑からヤロミールが出てきた、彼は唸りながら周囲を見回した、その後から親方たちが出てくるとさっそく背嚢を降ろして中身を取り出しはじめる。
親方はもういい歳だが鍛え抜かれている、若い者に負けずに立坑を昇ってきたらしい。
「親方もう始めるのか?」
「ああ、竪穴の通行が面倒だ、縄梯子を伸ばしてついでにこれも固定する」
親方は足元のロープと鉤爪を指差す。
「わかった、やってくれ」
突然ヤロミールが何を考えたのか魔術術式の構築を始めた、エルヴィスは彼が何をしようとしているのか解らない、他の者達も彼が何をするのか注目している。
やがて彼から力が放出されたがすぐに絶ち消える。
「だめだここでは魔術陣地を構築できない」
ヤロミールが頭を左右に振る。
「どういう事だ?」
それを聞いたヤロミールがエルヴィスに向き直った。
「この世界が小さな閉じた世界と言う事だ、魔術陣地を構築するには僅かにずれた平行世界が必要になる、それが無いと言うことはここは我々の現実界ではない、そしてこの世界が生まれてそれほど長い時間を経ていないという事だ」
「世界とはこの建物の事か?」
エルヴィスにはヤロミールの言っている事が理解できなかった。
「君も知っているはずだ、エスタニア大陸はナサティアの上にあり空と星に囲まれている、それを総て含めて世界だ、ここは独立した小さな世界そのものなのだ」
エルヴィスはシーリやヤロミールの言っていた事を次第に理解しはじめていた。
「で平行世界ってなんだ?」
ヤロミールは僅かに躊躇したがシーリを見て意を決した様だ。
「君に理解できるかはわからないが説明しよう、世界は無数の可能性の積み重ねの結果として今がある、神がサイコロを振る度に未来が確定していく、その選択の結果として失われた可能性が積み重なり、やがて平行した派生世界が生まれる」
「それが無いから新しいということか?」
「だいたいその理解で良い、残念ながら詳しく説明する時間は無い、魔術陣地は僅かにズレた世界を利用して結界を造る魔術なのだ」
その間にバーナビーが穴から上がって来る、続いて荷役人が現れた、彼らは後から来るアンソニー先生を手伝った、先生は上に昇ると部屋の中を好奇心に溢れた目で舐めるように観察しはじめた。
そして壁に近寄ると象形文字を見つめながら深い溜め息をついた。
更に荷役人の一人が大きな黒い箱を背負って上がって来た、彼が上がるのを仲間たちが助けていたが妙に動きが軽い、これは魔術の力だとエルヴィスは理解した。
「良いか落とすでないぞ!」
立坑の底からザカライアの声が聞こえてきた。
その次にザカライア教授が自ら魔術で体を浮遊させ昇ってくる、彼は部屋の中を見回すと不平を独り言で呟いた。
「なんだ?何も無いではないか!」
そして地図職人が現れリーノとケビンが這い登って来た、アームストロング隊長の元部下の傭兵達、最後に隊長がその魁偉な姿を現す。
「エルヴィスこれで最後だ」
重々しい声で隊長は告げる、だがミロンの姿が見えないのでエルヴィスは慌てた。
「隊長ミロンはどうした?」
「気分が悪くて休むそうだまだ上にいる、傭兵を二人側に残した、俺が残るわけにもいかぬでな」
隊長は平静を装っていたがその目は苦渋の表情を浮かべていた、エルヴィスはミロンはかならず来ると予想していたのにそれが外れて焦る。
「ミロン君が迷惑をかけて申し訳ないね」
騒ぎに気づいたのか壁の象形文字をメモしていた先生がやってきた、アンソニー先生の表情と口調から心の底から申し訳ないと感じているのがわかる。
「ミロン君は本当に楽しみにしていたんだよ」
その間もスザンナと隊長は目で合図を送りあっていた。
するとザカライアが魔術術式の構築を始めた、その術式が放つ力の特徴に覚えが有る。
空中に魔術眼が浮かぶと部屋の壁際に幻影が現れた、その幻影は魔術眼が見ている光景が投影されたものだ、幻影の中のドロシーが軽く手を振るのが見えた、彼女を見るとやはり魔術眼に向かって手を振っていた。
「これで奥を確認するぞ!」
魔術眼は部屋にある唯一の通路を進み始めた、通路の幅は二メートルに近い、高さは人が通るには十分な高さがある、幻影を通して通路の左右に部屋が二つずつあるのが見えた、その通路の一番奥の正面に扉が見えその手前に十字路がある。
魔術眼は一番手前の左側の部屋に入っていった、部屋の床に見慣れない道具が幾つか並んでいる、古代文明の遺物なら残骸でもそれだと判断できる、それは古い物だが古代文明の遺産と比べると造形も作りも粗雑で洗練されていなかった。
「なんじゃあれは?」
親方のつぶやきはエルヴィスの想いと同じだ、そして背後で歓声とどよめきが上がる、やはり遺物があると反応が違うらしい。
「あれは宝物かしら?」
ドロシーの興奮した声が聞こえてきた。
「あれは古代王国の遺物じゃない、闇王国時代の物だよ!」
アンソニー先生の声が興奮で裏返った、先生はパルティア帝国前史が専攻だ、ならばこの反応も当然かもしれない。
「たしかにそうかも知れないか」
それに賛同したのはヤロミールだ彼の声も知的好奇心からか心なしか震えていた。
「先生、俺は闇王国時代の遺物を見たことが無いんだ」
「しょうがないよエルヴィス君、西エスタニアのそれも二千四百年前の王国の物だからね、そして闇王国に関わるものは徹底的に破壊されたんだ」
魔術眼は部屋の中を一通り観察すると残りの部屋に向かう。
エルヴィスは皆の関心がそれに引き寄せられているすきにスザンナにさりげなく近づいた。
「ミロンが気になる」
「だけどこっちからも眼が離せないよ」
スザンナはその鬼面の様な厳つい顔を歪ませる。
ミロンも気になるがここからスザンナが離れるのは論外だ、シーリもこちらを見て頭を横に振る。
「こちらから目は離せません」
ふとミロンと共にいる傭兵の事が気になった、部屋の中を見渡すとあの口の悪い傭兵と若い傭兵の二人の姿が見えない、隊長の側にいるのは元部下の傭兵三人組だ、隊長も悩んだ末の人選だったのだろう。
結局総ての部屋に数個ずつ闇王国時代の遺物が発見されたが、その用途もなぜ置かれているのかも不明だ。
魔術眼は正面の扉の前まで移動すると詳しく観察し始める。
扉は階段橋のある大回廊の大扉や、ここの北側にある巨大な扉と意匠は似ている、違うのは古代文明の象形文字が緻密に書き込まれている事だ。
「これ以上は進めぬ」
ザカライアが宣告すると魔術眼は少し下がり十字路まで戻った、その右側の通路を進み始めた、だがやがてその場は呆れた様な空気に変わって行く。
その先は小さな部屋と通路が複雑に入り組んでいた、何のためにそんな構造になっているのかわからない。
「なんだこれは迷路か?」
隊長が呆れた様につぶやくと魔術眼の動きが止まり引き返し始める、そして反対の通路の先を調べると右側と対象になっている。
「取り敢えずここまでだ」
ザカライアの言葉と共に幻影に投影されていた映像が消えた、しばらくみな言葉もなかった、ザカライアを見るとかなり息が荒い、この術はそれなりに負担がかかるのかもしれない。
エルヴィスは全体の調査をすべきか扉を優先すべきか悩んだがまず正面の扉から調べる事に決める。
「では罠を調べる、他の者は部屋で待機してくれ」
常識的に内部に罠は無いと考えている、それでもセオリー通りにやる決まりだ。
調査はエルヴィスが指揮を執る事になっているが、魔術師に関してザカライアの指揮下でどちらが優先か曖昧になっていた。
それを気にせずエルヴィスはシーリに視線で合図を送る。
「シーリ魔術的な罠を調べて欲しい」
ザカライアの顔が不機嫌に歪むのを視界の端に捉えた。
彼女はすかさず通路の魔術的な罠を調べる為に術を行使してくれた、彼女の安全宣言を聞いた用心棒が通路の罠を調べながら奥に進み始める。
「シーリ、ヤロミール、部屋の中を頼む」
そして通路にも部屋にも危険な罠は見つからなかった、その間に用心棒が扉の前にたどり着いていた、その扉をシーリが術で調べる、安全の確認後にエルヴィスも通路に入り扉の近くまで進んだ。
「どうだ開くか?」
エルヴィスが話しかけると用心棒がこちらを振り返り頭を振った。
「押したぐらいでは開かぬ」
「開かないはずだ、我らの予想が正しければこれを開ける事ができる」
背後からヤロミールの声が聞こえる、これを聞いたエルヴィスは既に怒る気も失せていた。
ヤロミールは背嚢とは別に、いつのまにか黒革の立派な作りの背嚢を片手に下げていた、それは荷役人の一人が担いでいた荷物だ、本部天幕の中に紛れていたのかもしれないが、全体の物資を管理していたのは砦の野営地にいる金庫番の男だ、もはや確認のしようが無い。
「なぜ知っている?」
エルヴィスの言葉は詰問気味になる。
「聖域神殿から流出した記録の中にあった、ベリアクラムの石碑から解読された情報がなければ、そのまま埋もれていただろう」
ヤロミールの返答にアンソニー先生の顔が驚きに変わる、先生は部屋の中にいたのでエルヴィスはそれに気づかなかった、だがアームストロング隊長はそれを見逃さない。
エルヴィスはアンソニー先生が眼にした以外のベリアクラムの石碑の破片が持ち出されていたのではと疑念を抱いた、ミロンが持ち込んだのは石碑の1/3と言う話だ、だが残りの2/3も持ち出されていた可能性に思い至った。
辞書さえ完成すれば残りを解読する事ができるはずだ。
「ヤロミールはやくそこを開けろ」
後ろからザカライアの声が聞こえてきた、彼の声から危うい興奮と期待と恐怖を感じる取る事ができる、おもわず驚きザカライアを探した。
彼は最初の部屋の出口の正面にいた、険の強い顔を引き攣らせてギラつくような目をしてこちらを睨んでいる。
だが奴はエルヴィスを見てはいない、奴の眼は扉とその向こう側を見ていた。
ヤロミールが数歩前に出る、エルヴィスと用心棒は数歩後退して彼に場所を譲った。
彼は顔を覆っていたベールを再び後ろにはねのけた、ヤロミールの入れ墨のような紋様が扉の開封に重要な役割を果たしているに違いない、すぐに神経に障る奇妙な魔術術式の構築が始まる、それはよく知る魔術師達の術と異なり異質だった。
やがて膨大な力が彼から放散される、それは扉に向かって流れて消えた。
静かに扉が開き始める。
その部屋は五メートル四方の小部屋だった、部屋の壁が淡く白く発光していて中は明るい、奥の壁際が一段高くなっている、その上に長さ二メートル幅半メートル程の白亜の古代文明の風呂か石棺のような何かが安置されていた。
調査隊の者たちに緊張が走る、特に荷役人の怯えが気になる、だが彼らを統率できるラウルも荷役人監督の男もここにはいない。
それに引き換え隊長の部下達は冷静さを保っていた、これもあの傭兵の二人を上に置いて来た理由かもしれない。
用心棒とヤロミールが罠を調べながら部屋の中に入った、エルヴィスは部屋全体をゆっくりと観察する。
ここにも壁に古代の象形文字が緻密に刻まれていた、壁は昨日創られた様に美しく風化の痕跡もない、そして正面の石棺の他に何も無かった。
そして石の棺桶に近づき絶句した、遺骸の様な何かを期待していたがその期待は裏切られた。
その石棺の深さは半メートルも無い、透明な液体に満たされて、奥の壁際の中央に小さな白く輝く丸い板が嵌め込まれている、それは妖しい液体の中に沈み揺らめき輝いていた。
「何だこれは!?まてよあの銀の円盤に似ている」
小さな輝く円盤が大空洞を魔水で満たす巨大な白銀の円盤を連想させたからだ、ならばこの水はあの魔水と同じなのか?
そこに調査を終えた用心棒にヤロミールとシーリが集まって来る、さらにザカライアとバーナビーが部屋に入って来た。
そしてシーリに付き従うようにスザンナとドロシーも部屋に入って来たのでザカライアが二人を睨みつけるが、二人共どこ吹く風だ。
「ここまで完璧な物をはじめてみたぞ、まるで昨日創られた様だな、歴史的な発見だ」
親方が感心したように入り口から部屋の中を覗いている、その後ろで地図職人が必死にメモを取っていた。
親方達は西エスタニアの古い建築技師の流れを汲んだ匠の末裔だ、古代文明やパルティア帝国ロムレス帝国時代の建築に詳しく遺跡発掘の専門家集団だ。
彼らをしてこれほど保存状態の良い建築など見た事が無かったのだ。
「僕もそう思うよ・・・」
アンソニー先生の声が聞こえたがエルヴィスはそれに違和感を感じる、彼は他の何かに気を奪われているのか声が沈んでいた、先生ならばもっと率直に喜び興奮すると予測していたからだ。
「先生ミロンが心配ですか?」
「エルヴィス君それもあるけど、そうだね今は調査に集中しないとね」
アンソニー先生は弱々しく笑った。
エルヴィスはふたたび石棺に注意を戻した。
「この水は何だ?」
隣にいたバーナビーを睨むと彼はヤロミールを見た、彼に説明を求めたのだろう、だがそれに応えたのはザカライアだった。
「まあ良いか教えてやろう、これは幽界の羊水だ」
エルヴィス達が墓所の最深部に到達した頃、地上の墓所の入り口で二人の傭兵が監視の任務に就いていた。
傭兵の一人は口の悪い壮年の男で、もうひとりは傭兵隊の中で一番若い、仲間を四人失ってから二人共口数が少なくなっていた。
だがここには余計な耳も無いので少し口が緩んだのかもしれない。
「ほんと下に行かずに済んでありがてえ」
「そうですよ、僕も早く街に帰りたいです」
「賃金が良かったんだよな、美味い話には裏があるってよ」
すると近くで休んでいたミロンがふらりと立ち上がると丘を下り始めた。
「おい!?あんたどこ行くんだ」
壮年の男がミロンに呼びかける。
「忘れ物があったのデ野営地に一度戻りますヨ」
ミロンは振り返りもせず壁の亀裂に向かってまっすぐ丘を降りて行く。
二人は顔を見合わせたが面倒なのか彼の勝手にさせる事にした、肩を竦めただけで雑談の続きを始めた。