浅き眠り
暗闇の中を一人の子供がさ迷っていた、何かを探してるが見つからない、何を探しているのかもわからない、遠くから地鳴りの様な音だけが聞こえてくる。
やがて遠くに光が灯った、誘う様なオレンジ色の優しい光だ、幼いエルヴィスはか弱い手足を必死に動かして走った。
「坊やこっちにおいで」
エルヴィスを呼ぶ声が聞こえてきた。
光の中に酒場の踊り子達がいた、彼女達がこっちに来いと手招きしている。
彼女達の豊満で鍛えられた全裸に等しい肉体は、煽情的な踊り子の衣装で辛うじて隠されていた。
この街の名物の踊り子酒場の衣装は下品一歩手前で踏みとどまり、優美さと美しさを兼ね備えている、それが酒場の人気の要だ。
彼女達はみな思い思いの姿勢でくつろいでいた、椅子にすわる者、テーブルに腰掛ける者、床に座り込む者、肢体を見せつける様に立つ者、大胆な肢体に目の置き所が無い、子供だと思っているのか無神経なまでに大胆だ。
「新人が入ったから紹介するよ、カムヒアー・ドロシー」
踊り子のリーダーが口を開いた、彼女達の纏め役で今もその肢体は衰えを知らず、人望もあるうえに客からも好かれていた。
「気に入られて可愛がってもらうんだよ?」
暗闇の向こうから人影が現れこちらにやってくる、その影の輪郭は細身で手足が長く美しい、その動作も力強くしなやかだ。
やがて人影は光の中にやって来た。
エルヴィスは彼女を見て拍子抜けした想像を大きく裏切られたからだ、彼女が美しく無かったからではない、丸みを帯びた顔に大きな目と口そしてそれらと絶妙に調和した形の良い鼻、先の切りそろえられた肩まで僅かに届かないショートボブは艶やかな黒髪。
それに長い首と引き締まった体に長い手足が付いていた。
その全身を踊り子酒場の煽情的な衣装で包んでいるにも関わらず、彼女の魅力的な美貌と容姿がなぜか笑いを誘う。
ドロシーは微笑んだ。
「はじめましてエルヴィスさん、私はドロシー=ゲイル、タバルカのお天気人形、人間になるためにお金がいるの」
だが彼女の奇妙な自己紹介がよく理解できなかった、人間じゃないのかと思い彼女をよく観察したが暗くて見えない、エルヴィスはいつの間にか大人になっていた、そして踊り子の女達の姿も消えていた。
そして彼女の全身がずぶ濡れで足元に水が滴り落ち水たまりになっている。
「さっきまでオアシスで泳いでいたのよ、もっと良く見たいの?」
微笑みながら一歩前に出る、その満面の笑みを貼り付けた様な彼女に怖れを感じて一歩下がった。
ドロシーが踊り子の衣装の前をはだける、見事に鍛えられた美しい腹をさらした、そして今度は胸に巻いた薄桃色の布に手をつけた。
「お前は誰だ?」
「私はドロシーです!エルヴィスさん」
突然ドロシーが声も立てずに真下に沈んで消えた。
唖然として目を瞬く、何が起きたのかわからない、ただドロシーが消えたところに水たまりができていた。
「危ないところでした」
その声と共に水溜まりの中から先が尖った奇妙な物体が現れた、それは魔術師の三角帽のさきっぽだ、その下から朧げな眠たげな美貌の女魔術師の顔が浮き上がってから止まる。
「シーリ!?」
すると彼女は微笑むと浮上し全身の姿を現した、彼女はおなじみの魔術師のローブに身を包んでいた。
そのままフワフワと浮かび漂いはじめる。
左手でローブの前を抑えながら右手を差し出す、人指し指の先に白いお天気人形がぶらさがっていた。
「わたしのお天気人形がごめいわくをお掛けしました」
そのお天気人形の顔に黒いインクで目と大きな微笑んだ口が描かれていた、人形は物言わず微笑みながら指先で揺れている。
「少し驚いただけだよ」
「よかったわ、お願いがあるの私の話しを聞いてほしくて、夢ですからかまわないわね」
何か不穏な気配を感じて身構える。
ふとシーリのローブの下から白い足が出ている事に気が付いた、彼女は動きやすい乗馬パンツとブーツを履いていたはずだ。
「覚えていますか?オアシスで泳いでいましたね」
「ああ」
それがどうしたと云うのだろうか。
「あの時、スザンナ様からドロシーの見張りを頼まれました、暗いところや遠くが見えるようになる術があるのよ、この事は誰にも言えない、死ぬまで心に秘めて置こうと思いました、ただ恥ずかしくて自分が許せなくて。
でも夢だから勇気がでたわ。
池の畔でエルヴィスさんが、その脱ぐのを見つけてつい見てしまって、美術の書籍や医学書と同じなのか向学心に負けてしまって。
ドロシーがエルヴィスさんの近くにやってきたから飛び出して、その・・・
私11才でアルムトの魔術学院に特待生で入ってから、勉強と研究尽くめで何も知らなくて、ドロシーにまで子供扱いされて。
スザンナ様は耳年増のポンコツの言う事は気にするなと言ってくださいましたが」
指先のお天気人形の口がへの字に変わる。
シーリの語りはとりとめも無くエルヴィスの答えを気にするわけでもなく、ただ想いのまま語るだけだ。
「あの娘天幕の中で酷い恰好をしているのよ、実家の自分の部屋にいるときはほとんど裸らしいわ、スザンナ様はあまり言わないの、いつもあの娘に酷い事言っているけど本当は気に入っているから」
シーリの指先からぶらさがったお天気人形の顔が怒りにかわり暴れ始めたが、シーリが指で軽く弾くとお天気人形は目を回して静かになった。
そしてシーリはクスリと笑う。
「あの娘の体はパルティア時代の少女戦士の彫像に負けていない、美術の本にのるくらいに綺麗、彼女が普通だと思わないけど、他の人がどうなのか知らないし、この年で相談できる人もいなくて」
一体何を言いたいのかエルヴィスには解らなかったが、だが悪い予感が募る。
「夢なのよだから平気だわ、醒めればいつもの私」
シーリが宙を漂いながら近寄ってきた。
「エルヴィスさんは世の中の事よくご存じのはず、女の人の事も、でも私は」
彼女の瞳は熱を帯びて頬も薄っすらと赤く染まりその唇は艶めかしかった。
「これは夢だから想いのまま、あの私は普通でしょうか?みてください、そして・・」
シーリは魔術師のローブをいきなりはだけ両手で広げる。
美しい白い裸体が目を射た、清楚でいて大人の女性らしい曲線を魅せる、だが物語に出てくる妖精のようにエロスを刺激する美しさではなかった、どこか造り物めいた人形の様な美しさに輝いている。
彼女は恥ずかし気に顔をそらしていたが、その真っ赤に染まった顔は恍惚に溺れていた。
エルヴィスは息をのみ何かを言葉にしようとしたが声にならない。
遠くから轟く地鳴りの音が更に激しくなって行く。
「エルヴィスさん起きてください、水が引きます」
エルヴィスを起こしたのはケビンだった、轟音が透明な壁を揺るがし辺りを包み込む、薄くなった空気で耳鳴りがする。
連夜の奇怪な夢に苦笑いを浮かべながら体を起こした。
そして透明な壁に向かう、すでに何人かがその壮大な光景を眺めていた、轟音と共に巨大な白銀の円盤に魔水が飲み込まれて行く、すでに丘全体が水面の上に出ていた、まもなく全ての魔水が消えるだろう。
告時機を確認するとまだ夜明けまで二時間ほどあった、もっともこの地下では関係の無い事だ、朝食後に墓所の調査を再会する予定になっていた。
次々と目を覚ました者達が寝床から出てくる、その中にドロシー達の姿が見えた、だがドロシーと目が会うとあからさまに挙動不審になった、シーリは目を合わせようともしない。
みな透明な壁の側に行くと外の様子を眺め始める。
まず最初にエルヴィスは彼女達の元に挨拶に向かった、だが正直気まずい。
「みんなよく眠れたか?」
声をかけるとシーリが目を見開いたがすぐに澄ました顔に戻る。
「おかげさまでぐっすり眠れましたわ、ここは明るいので心配しましたが、エルヴィスさんはどうでした?」
「俺もよく眠れたよ、快適だ」
シーリが強張っていた頬を緩め息をはいてそして微笑む。
「ええ今日も頑張りましょうね」
シーリらしくない言葉だ、スザンナが何かいいたげな顔をして見下ろしている、そしてドロシーの視線が少し冷たい。
「そうだな、じゃあまた後で」
そして三人共に同じ夢を見ているのでは?その疑念が消える事はなかった。
三人に別れを告げると、近くに先生とミロンの姿を見かけたのでそちらに向かう。
「アンソニー先生、ミロン調子はどうだ?よく眠れたか?」
「いやあここは明るくて熟睡できなかったよ」
先生は苦笑いを浮かべた。
「今日はあの奥を先生にその目で観てもらいますよ」
「向こうに行くのかね?」
「そうなります」
エルヴィスはバーナビーと打合せをしているザカライア教授を見た、先生もその意味を察した様だ。
「僕も覚悟を決めたよ、どうなっても本望さ」
先生は乾いた笑いを上げる。
「ミロン体調はどうだい?」
「瘴気がなくなったおかげで助かりましたよ」
そしてザカライア教授を見る。
「少しは感謝しなきゃいけませんね」
ミロンの顔色はいつもの通りであの苦しさに耐える様な異様な気配は消えていた。
轟音と振動が消え静寂が戻ると朝の食事の準備が始まる。