それぞれの路
「開門!!」
リネイン城市の南門の扉が日の出と共に開かれた。
聖霊教会の巡察使団が城門から進み出る、南に向かう旅行者達がその後に続いた。
城門にはリネイン伯爵とリネイン聖霊教会の司祭と修道女長が見送りに来ていた。
この道をまる1日南下するとマドニエに到着する。
巡察使団はそこで聖霊教会の視察を行い、アラセナ近辺を避けてルビンの聖霊教会の視察に向う、それでテレーゼでの任務は総て終わるのだ、その後はアルムト帝国への帰国の途に就くだろう。
テレーゼの巡察という厳しい任務を成功させれば聖女アウラの地位はまた高まる事になる。
エーリカはこの国で過去と対面するとは思っても見なかった、それは心の奥に刺さったトゲの様に今もなお痛み、時が立つほど消える事も無く大きくなっていく、聖霊教会の聖女として称賛される程その痛みは強くなっていくだろう。
(もし、エルニアの巡察使のお勤めがきたらどうしよう?だめ、そんな事で聖女が務まるの?)
エーリカはその未来にただ恐ろしさを感じた。
『・・・・』
エーリカは何かに呼びかけられた様な気がして周囲を見回す。
「アウラ様いかがされましたか?」
エーリカお気に入りの侍女が心配げに声をかけくる。
「いいえ、なんでもありません・・・」
エーリカはふとリネインを振り返った。
ベルはふと目を覚ました、すでに窓の外は明るくなっている。
昨晩はアマンダにバーレムの森の逃走劇と、グリンプフェイルの猟犬との戦いを話し込んでいたせいで眠るのが遅くなってしまった。
ベルが室内に目を転じると、アマンダがベッドの上に胡座をかいて目を閉じている、声をかけようとしてそれを止めた。
ベルにも馴染みのある力がアマンダの中から僅かに滲み出ていたからだ。
アマンダは瞑想していた、聖霊拳を嗜む者にとって必須の鍛錬だった、大気中のオドを呼吸法により集め体内のオドの密度を高める、そして幽界への通路を開いていく、ゆっくりと、そこから滲み出る力を体内に循環させ蓄積していく、この技を身につける事ができて聖霊拳の上級者と呼ばれる様になるのだ。
ベルは物珍しさも有り、アマンダの精霊力のうねりが次第に大きくなって行くのを観察していた。
突然ドアが閉められたかのようにアマンダの力が消えた。
「ベル、起きていたのね?覗き見は淑女のやることではないわ」
「お、おはよう、今のが聖霊拳なの?」
「ええ、聖霊拳と深い関係があるわね、聖霊拳の精霊力を呼び込む鍛錬法よ」
「ふーん」
ベルは背嚢を開け着替えの準備を始める。
「急にアマンダの力が感じられなくなったね?」
「あら、やっぱり貴方には精霊力が感じられるのね、精霊術者や聖霊拳の上級者にしか感じられないはずなんだけど、例の神隠しのせいか」
「そう神隠しの後からこうなった」
「今のはね、外部に力が漏れないようにしただけよ、力の無駄遣いですもの」
アマンダはベットから下り、立ち上がり大きな欠伸をした。
「ふぁ~~~~~~」
だらし無く大きく口を開いたアマンダに、ベルは恐るべき素早さで接近すると、アマンダの口にアンズに似た小さな果物を投げ込んだ、それはバーレムの森でルディに与えた異常に酸味の強い果物だった。
「なに!?うぐっ!?すっぱい!!すっぱすぎ!!!ベルゥーーーー!!!」
「うわ!!それ健康に良いし美容にもいいよ?」
アマンダも負けて居なかった、ベルの背嚢からその果物が入った袋を見つけ、最後に残った果実を素早く三個ほど掴むと。
「聖霊拳は打撃技だけじゃあないのよ?組技こそがその真髄!!」
アマンダは手足が千有ると言う神話の魔神の様にベルを瞬時に締め固める、そしてベルの口をこじ開け果実を次々と放り込むと強制的に咀嚼させた。
「良い子はちゃんと噛みましょうね!!」
「うっ!!ふ?あぅ!?ふぎゅ!!!」
しばらくして解放されたベルは力なく床に膝を着いた。
「ふー無駄な力を使わせてくれたわね?」
「酷い、すっぱすぎる、なんて事するの?」
ベルは何か訴えかけるように下からアマンダを見上げてくる。
「ベルから仕掛けてきたんでしょ?まったく」
「とにかくルディガー様達の部屋に行きましょう、私もすぐにここを発たなければ」
「アマンダもう帰っちゃうんだ・・・」
「そうよ・・・でもその前に朝食を食べてからね」
二人は部屋から慌ただしく出ていった。
リネインの西門にアゼルそしてベルの三人組、そして見送りにアマンダが来ていた。
アマンダは愛馬を引き手綱を握っている。
「ルディガー様、お気を付けて、アゼル、ベル、ルディガー様をお願いします」
「アマンダ様も帰路お気を付けて」
アゼルはアマンダに対して貴族の令嬢に対する様に振る舞った、ベルの眉が微妙に釣り上がる。
アマンダが面白げにベルの瞳を覗きこんできた、ベルはそっけなく別れの挨拶をした。
「またねアマンダ」
「ではまた会おうアマンダ」
ルディガーが軽く手を上げる。
『キキッ』
「お猿さんもさようならね」
アマンダは最後にエリザに手を振った。
三人組は西門を抜けハイネに向かって街道を進みはじめる、それをアマンダは暫くの間見送っていたがやがて南門に向かって馬を引いて行く。
三人はもう振り返らなかった街道を西に歩み始めていた。
「僕たち以外に旅人は居ないのかな?」
「街を出るのが少し遅れましたからね、開門と共に出た人々がいるはずですよ」
「アマンダは隠している事があるかもしれん、昨晩の話から感じた」
ベルの隣を進むルディがふと言葉を漏らす、だが聞き捨てにできない内容だった。
ベルが意外そうな顔をして反応した。
「何を隠していると思ったの?」
「ブラス殿達がこれからどうするつもりなのか?まったく見えて来なかっただろ?」
「言われて見ればそうでした、クラビエ湖沼地帯に籠もったままではいずれは発見されますね」
アゼルが納得した様に言葉を挟む。
「アマンダはクラビエの暮らしぶりや産物、エルニアの状況は話したがな、興味深い話ではあるが、それに妙に触れようとはしなかった」
「それでアマンダ様が何か隠しているかもとお考えになったわけですね」
「あのブラス殿達が無為に時間を潰しているはずもあるまい」
「まあ今は我々はハイネに進む事に専念しよう」
「だね」
三人は少し足を早める事にした。
リネインの南門を抜けたアマンダは馬を軽く走らせ始める、快晴に優しい風が吹いている、戦乱のテレーゼとは思えない美しい風景が広がっていた、城市の近郊には美しい田園地帯が広がっているが、都市から離れるとそこには静かな荒廃が広がっているのだ。
耕作を放棄された農地は数年で草地になり、林に埋もれやがて森に飲み込まれていく、美しい林の奥には廃墟が眠っているだろう、骨も瓦礫も総て緑に飲まれていくのだ。
ふとアマンダの右手の指にベルの唇の感触が蘇った、ベルの口に果実を放り込んだ時のものだろう。
「あれは自業自得よね」
アマンダは無意識に指を舌でペロリと舐めた。
「あら酸っぱい、ふふ」
「さてお父様達に報告をいそがなければ、どこで野宿しようかしら」
やがて前方に聖霊教会の巡察使団と一緒に移動する旅人や商隊が見えてきた。
アマンダは速度を落としながら一行を追い越していった。
一瞬だけ聖女アウラのプラチナブランドの髪が見えた様な気がした、追い抜くとアマンダは再び馬足を早めた。
「私が帰れば全てが動き始める、これから何が起きるかわからない、今生の別れになるかもしれないと思ったけど・・・・」
アマンダはエドナの山並みを眺め、そしてルディガー達が進むリネインの西の空を見やった。