螺旋回廊の降下
ザカライア教授が生み出した若緑色に輝く魔術眼がゆっくりと穴の上に動く、宙に投影された映像もそれと共に移り変わる、やがて魔術眼は穴の中に降り始めた。
通路は丸いトンネルで内部に階段もなければ足がかりになる窪みも取っ手も無かった、壁面は岩をくり抜いて磨き上げた様に完璧な局面で構成されている。
入り口は垂直に真下に落ちていたが、しだいに緩やかな傾斜に変わった、親方の予想通り螺旋状に廻りながら下っている。
通路の奥に墓所の光は届かない、進むにつれ魔術眼の光だけが壁を照らす、単調な螺旋トンネルを廻っているとしだいに魔術眼の向きも進んだ距離もわからなくなった。
このまま永遠に終わらないのでは、そんな不安が胸の奥から湧き上がる、この世とあの世を繋ぐトンネルの中を進んでいるような錯覚に陥いる。
ほかの隊員達も魅入られるようにその映像を見つめていた。
「思ったより深いな」
親方の独り言が聞こえ意識が戻る、その言葉が呼び水になったかの様に景色が変わった、その場にいた者達の間からどよめきが上がる。
魔術眼の動きも止まる。
「部屋に繋がってる、なんだあの壁は?」
聞こえてきたのは地図職人の呻くような言葉だ、彼の言う通り通路の先は部屋に繋がっていた。
部屋全体が淡い白い光で照らし出され、正面の壁一面に緻密な古代の象形文字のレリーフが施されている、その中心に環状の蛇のレリーフが、それを中心にして放射上にラインが伸びその間を埋める様に無数の象形文字が施されている。
「よし部屋に入るぞ」
ザカライアが興奮気味に叫んだ、魔術眼が動き始めたところで突然映像が消えた。
一瞬でどよめきが沈黙に変わった、悲痛なうめき声はアンソニー先生だ、困惑した者達が何が起きたのか答えを求めてザカライアを見た。
だがザカライアも困惑していた、やがて考えが整理できたのか語り始めた。
「魔術眼との接触が切れた、何かしら魔術的な結界があるのかもしれん」
教授の額に汗が滲む、魔術眼の制御に負担がかかるのか、魔術眼の消滅のせいなのかはわからない。
「教授、結界を調べるにしても近くに行かなければなりません」
その冷静で落ち着いた美声はシーリの声だ。
「アスペル君その通りだな」
エルヴィスは親方の側に動く。
「親方、ここは縄梯子で行こう、だが大きな荷物の上げ下ろしが厄介だ」
「エルヴィス、荷物の上げ下ろしはロープ付きの台車を使う」
「作るのか?」
「縄梯子はもう用意してある、台車は無いが車輪はある、後で適当な板を使って台車を作るさ」
もともと現地で作成が難しい物だけこの地に運んできたのだ、それ以外は始めから現地調達する予定だった。
弟子の一人が縄で穴の大きさを測り始めもう一人がメモを取る。
「エルヴィスいつもの通りだ、穴の上に足場を組むぞ、縄梯子はそこに固定する」
エルヴィスは部屋の中を見回した、縄梯子を固定できる木も柱も無い、祭壇に固定するのは危険すぎる。
「親方そうしてくれ」
親方の判断はいつも的確だ。
そこに用心棒がやって来た。
「エルヴィス、足場を組むのに時間がかかる、俺が偵察するからロープだけ用意してくれ」
「わかった、ロープを持ってきてくれ」
親方の弟子がすぐにロープの束を持ってくる、穴の縁にロープを守る金属の治具を取り付けるとその穴にロープを通した、そして指名した数人の荷役人にロープの端をもたせる。
用心棒は手慣れた手付きでロープの端の金属の金具を自分の腰の革ベルトの留め金に取り付けた、魔術の照明を点灯するとそのまま穴の中に優れた身体能力を発揮して降りていく。
「なにか異常が起きたらひっぱり上げる、螺旋状なので無理はしないでくれよ」
エルヴィスは荷役人達にそう指示を出した。
ロープが穴の中に吸い込まれていく、ロープには一メートル毎に赤く染められ印が付けられていた、弟子の一人がそれを数えた、これでどこまで伸びたかわかる仕組みだ。
「私には無理かな」
シーリがつぶやく、エルヴィスが顔を上げてそちらを見るとシーリが引き込まれていくロープをじっと見つめていた。
「足場ができたら縄梯子を用意する、奥はスロープになっているから、あまり心配しないでくれ」
シーリがこちらを見て独り言を聞かれたと思ったのか少し顔が赤くなった。
「悪い空気は溜まっていないようだ」
下から用心棒の声が聞こえてきた。
「なんだ!?」
しばらく何事も無かったが穴の奥から用心棒の困惑した声が聞こえてくる、そこから彼の動揺を感じエルヴィスは大声で呼びかけた。
「どうした!?」
すぐに返事が返ってきた。
「大丈夫だ!!一度戻るゆっくりロープを引いてくれ」
しばらくすると用心棒が戻って来た、彼のもたらした報告は信じがたい、出口近くでトンネルが垂直になるその先で上と下が逆になると言うのだ。
とても信じがたい話だが、豪胆な用心棒も心なしか青ざめていた。
調査隊の者たちも半信半疑で中にはあからさまに顔が青くなる者もいる、荷役人達の動揺が心配だった。
用心棒が偵察している間に親方達は頑丈な木製の四本足の足場を組み上げていた、足場は井戸の屋根の様な構造をしていた、それを穴の上に移動させる。
「ちょうどいい大きさだ、君たちずいぶん慣れているんだね」
それを見たアンソニー先生が感心した様に話しかけてきた。
「先生、どこも大体同じ規格で造られていますからね」
先生はいかにもと言った感じでうなずいている。
足場の梁の下側に金属のリングが幾つか取り付けられていた、その一つに先程のロープの先端のフックが取り付けられた。
これからエルヴィスと用心棒の二人で縄梯子を通路に敷く作業を始める、不慣れな者が多いので縄梯子を階段代わりにする。
「じゃあいってくるぞ」
足場の側にいる親方とリーノに挨拶するとロープを伝って下に降りた。
エルヴィスの右足が踏みしめた縄梯子の横木から滑った、慌ててロープを掴む手に力を込めてバランスをとる。
「足元に気をつけろ!」
用心棒がエルヴィスに警告する。
二人はトンネル内に縄梯子を敷く作業を進めていた、それなりに傾斜があるので普通の人間が移動するにはやはり階段替わりに縄梯子が必要になる。
縄梯子は数メートル単位の長さで、金属製の接続器具で連結して長さを調整する仕組みになっていた。
縄梯子の接続作業は上にいる親方と荷役人がその作業を行う、リーノもそれを手伝っている。
始めの頃は皆が作業を観察していたが、やがて飽きたのか好き勝手な事を始めてた、他の親方の弟子達は台車を造る為に階段橋の上の部屋に戻ってここには居ない。
エルヴィスと用心棒はやっと通路の末端に到達しようとしていた、そこから垂直に下に向かってトンネルは真下に折れ曲がっている。
「部屋の天井に繋がっているのか?」
エルヴィスが穴の上から下を見るとザカライアの魔術眼が見せたのと同じ美しく装飾された壁いや床が見える。
「ここからロープを垂らしたがおかしな事になった」
用心棒はロープの動きから上下が逆転していると推理したらしい。
「一度上に上がろう、魔術師にここまで降りて調べてもらう」
エルヴィスが提案すると用心棒もうなずいた。
「これから上に上がるぞ!」
エルヴィスは上にいる親方たちに呼びかけた、今度は縄梯子を階段替わりにして昇るのだ。
エルヴィス達は上に戻り皆を集めて状況を説明した、出口の調査の為に魔術師達に協力を求めた、魔術師に関してはヤロミールになるだろうと考えていた。
だがザカライア教授が魔術師の長で名目とは言え調査団のリーダーなので勝手に指名する事は避けたい。
「私が降ります」
決意を感じさせる低い美声と共にシーリが一歩前にでてきた。
「えっ!?」
彼女の後ろにいたドロシーが驚いて小さく叫ぶ、顰めっ面をしたスザンナが手の平でドロシーの背中を軽く叩くのが見えた。
エルヴィスも驚いたがドロシーは無神経すぎると内心苦笑する、普段はちゃんと気配りできるのにとっさの時にボロが出てしまう。
正直なところエルヴィスもシーリの身体能力に不安を感じていた、それに危険があるかもしれない、どうしたら自然に断る事ができるか素早く頭を回転させる。
「魔術を使います」
彼女はこちらの不安を感じ取ったのか、美しい額に僅かに皺を寄せ少し怒ったような顔になり言葉を続けた。
「身体強化の魔術を使います!」
めずらしく感情を露わにした彼女に罪悪感を感じた、それに彼女は優秀な魔術師だ。
「君にお願いしたい、他の方は異論あるかい?」
ザカライアもヤロミールも自らシーリが名乗り出た事でそれを止める気も無いようだ。
親方達は縄梯子の長さを調整すると足場の金属の留め具に再び固定した。
「俺が先に降りるので、慌てずに降りてくれ」
そう言うとまず自分から縄梯子を降りた、三メートルほど降りるとそこからは螺旋通路の床を後ろ向きになって降るのだ、通路の上からシーリの魔術構築の気配を感じとる、最近はシーリの力の動きがよくわかるようになっていた。
エルヴィスは縄梯子を後ろ向きに螺旋の通路を降りはじめた、ふと前を見上げると魔術師の裾の長いローブに包まれたシーリの腰が見えたので視線を思わず逸す。
彼女は身体強化の術を使っているからかその動きに不安を感じない、とりあえず問題は無いようだ。
「シーリもう少しだ!」
シーリが何か答えようとした瞬間彼女の足が滑った、慌てて踏ん張ろうとした片足も横木から滑る、そのまま倒れ込み手すり代わりにしていたロープを手放してしまった、彼女はうめき声を上げそのままこちらに滑り落ちて来た。
彼女のローブが縄梯子の横木の端に引っかかりまくり上げられスカートがはだける、目の前に彼女の白い足が露わになった。
シーリは悲鳴を上げた。
エルヴィスは足を踏ん張りロープを握る手の力を強めた、だが片手で彼女を止められるだろうか。
そのまま全体重をかけてシーリに覆いかぶさると彼女はかろうじて止まる。
エルヴィスは下に柔らかなシーリの体を感じて困惑する。
上から親方が何が起きたか問いかけて来た、それに小さなトラブルだと返した。
「大丈夫か!?」
「なんとか・・ごめんなさい」
エルヴィスはロープを引き寄せる。
「ロープを両手でしっかり握って、次は縄梯子の横木に足をかけるんだ」
シーリは頷いたが彼女の束ねた薄茶の髪しか見えない、どんな顔をしているのかはわからなかった。
彼女がロープをその手に掴むのを見届けると、ゆっくりと体を起こす。
そして彼女が縄梯子に足をかけるのを見届けた、彼女の白い足に擦り傷ができていた。
シーリが縄梯子を這い登ると、魔術師のローブの裾を横木から外して身繕いを始めた。
やっとこちらを振り向いた彼女の顔は真っ赤に染まっていた。
「怪我は?シーリ」
「えっ!?かすり傷ですわ大した事ありません、ご心配かけました・・・」
「無事ならいいんだ、動けるか?」
「少し時間をください」
シーリは魔術術式の構築を始めた、初めて感じる力の流れだがこれは治癒の術だろう。
彼女が落ち着くと再び螺旋の通路を降る問題の竪穴はもうすぐだ。
「ゆっくりここまで来てくれ」
エルヴィスは安全の為にロープの端をシーリに結び付ける事にした、ローブの下は動きやすい服装をしている、ちょうど良い事に彼女は小物入れが幾つも付いた革ベルトを付けていた。
彼女はおとなしく両手を上にあげた、触媒の臭いと上品な香水の匂いが混じり合う、エルヴィスはシーリのベルトにロープを固定した、密かに彼女の腰の細さに感心しながら。
エルヴィスが根拠地としている神殿前の野営地から徒歩で半日の距離に砦の野営地があった。
物資の多くとラクダ達がここに留められていた。
その野営地はにわかに騒がしい、天幕が次々に解体され梱包されていく、貴重な物資が荷造りされ積み上げられた。
彼らを眺めながら内心ラウルは胸をなでおろしていた、荷役人達が彼の言葉を信じてくれるか不安があったのだ。
遺跡の秘密と独占の為にペンタビア王国が我々の口封じを謀る、それは妙に彼らに説得力があった、
雇用者の裏切りの噂は彼らにとってそう珍しいものではない。
そしてエルヴィス達が長年の付き合いから彼らから一定の信用を得ていた事も大きかった。
天幕の側で資料と貴重品を整理してる初老の男にラウルが近づく。
「全部運べそうか?」
ラウルが言葉をかけたのは野営地の責任者の金庫番だ、彼は物資管理や資金管理の責任者だった、その男は頭を横に振る。
「ラウルか、食料が優先だ水はオアシスで補給できる、天幕の一部と燃料の多くは置いていくしかない」
まだ一月分の物資が消費されずに残っているせいだ。
ラウルは空を見上げる薄曇りの空を千切れ雲が凄い速さで東に流されていく、アンナプルナの東側は雨が少ない、このまま晴れが続いてくれる事を内心で精霊王に祈った。
「明日夜明けと共に動く、今夜は毛布と敷布だけで野宿だな」
独り言が思わずラウルの口からもれた。