螺旋の通路
いよいよ墓所の封印を解く時が来た、エルヴィスはバーナビーに合図を送った、気に食わないが封印の解除はザカライア達の仕事だ、バーナビーはザカライアに近づいて最後の打ち合わせを始める。
やがてザカライアとヤロミールが丘を昇り、その後ろから黒い箱を背負った荷役人と手伝の二人が続いた、そしてアンソニー先生とバーナビーがその後から昇る。
スザンナを見ると彼女は墓所の一点を睨んだままエルヴィスの視線に気づかない、ドロシーはまだ体の調子が悪いのか表情が暗くてそれが気になる。
最後に作業を見届ける為エルヴィスも丘を昇る、墓所の扉の正面を避けザカライア達がやる事が良く見える墓所の左側に回り込んだ。
黒い箱が扉の前まで運ばれ降ろされると、ザカライアが箱に近づき手のひらで触れると透明感のある金属的な音が鳴り響いた、やはりこの箱は特殊な魔術道具だった。
次にヤロミールが扉の前に動いた、彼の胸の高さのところにあの四角い窪みがある、彼はその中を白い布で拭き清め始める、二千年以上放置されていたはずなのに汚れも埃も溜まっていないようだ。
革手袋をした二人の荷役人が箱の中から慎重に分厚い板を取り出した、石版は白い曇りガラスの様に美しいその表面は濡れた様に艷やかだ。
「絶対に落とすな、極めて堅固な物質だが万が一があるかもしれん!!」
何時もより甲高いザカライアの声が聞こえて来る。
石版の表面に浮き彫りの様な古代様式の細工が施されていた、二人は慎重に石版を運ぶと扉の中央の窪みに嵌め込んだ。
だがこれだけでは何も起きなかった。
次にヤロミールが石版の正面に立つ、彼は顔のベールに触れるとそのまま頭の後ろに一気にたくし上げたのだ。
エルヴィスが驚く間もなく彼はその素顔を晒した。
彼がベールを外さない理由を、大きな傷跡があるか北方世界の迷信で晒せない理由でもあると考えていたのだ、だがすべての予想は裏切られた。
彼の顔全面に黒い紋様が描かれていた、古代文明固有の象形文字に似た紋様が顔から首筋まで描き込まれていた。
だが見えない部分がどうなっているのはわからない、その紋様が入れ墨で描かれているのか魔術的な物かもわからなかった、漆黒の闇を溶かしたインクで描いた様にそれはどこまでも黒かった、その紋様は石版のレリーフの意匠にとても良く似ていた。
露わになったヤロミールの容貌は紋様を除けば端正な二十代前半の若い男性だ、彼の顔に大きな傷など無かった、髪の色は黒く薄い金髪か赤毛だと想像していたがこれも裏切られた、彼の容姿に北方人種の特徴は見られない。
ヤロミールはこの紋様を隠すためにベールで顔を隠していたのだろう。
彼が更に扉に近づくと今度はザカライアが後ろに下る、ヤロミールは石版の前に立つと止まった、そのまましばらく彼は動かない。
魔術陣の構築が始まると、金属を擦り上げ神経を逆なでるかの様な力の振動が生まれた、続いて詠唱が始まる、ヤロミールから力があふれ出し次第に激しく膨らんだ。
荷役人達は怯えて丘の麓まで逃げ去って行く。
その詠唱はエルヴィスが良く知る魔術師達と違っていた、系統の異なる言語だとエルヴィスは即座に理解した。
エルヴィスは仕事の関係で東エスタニアの標準語に近いアルムト語やニール語などを使いこなす事ができた、西エスタニアの言語もそこそこ聞き取る事もできるのだ。
だがこの言葉はまったく起源を異にする未知の言語だ、その音は不快ではなかったが歌うような流麗な語感がなぜか不安を掻き立てる、耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
ヤロミールが何度か魔術を使った場に立ち会った事がある、だがこんな詠唱は初めだ、これが北方世界特有の魔術なのだろうか。
ヤロミールを挟んで反対側にいるザカライアの目が見開かれ何かを呟いているが聴き取れない。
この言葉の意味が奴にわかるのか?ヤロミールの後ろにいたアンソニー先生も驚き目を見開いていた、だがそこには歓喜の色が見える。
ヤロミールから吹き出す力はいよいよ激しくなり、詠唱を終えても止まらない、それはどこかに流れ消えていく感覚が伝わってくる、墓所か石版に流れているのか?
エルヴィスは確認しようと前に出る、だが扉に何かの異変の兆候を捉え足を止めた。
ヤロミールの足がふらついたが倒れるのを耐えている。
彼が石版に触れると扉は石版ごと音もなく中心から割れ、両開きの扉となって開き始めた、まさかこのような形で開くとはエルヴィスの想定外だ、石版が半分ほど左右の壁に隠れたところで扉は止まった。
ヤロミールは片膝を立ててうずくまりベールを掴むと顔を隠した、そこにザカライアとアンソニー先生が入り口に走りより中を覗いてうめき声を上げる、彼らは足元のヤロミールをすっかり忘れ墓所の中に見惚れていた。
その開いた扉の口から強い瘴気が吹き出してくる。
エルヴィスは扉の前に移動した、二人の合間から部屋の中が見える、幅六メートル、奥行きは十メートルはあるだろう、天井までの高さは三メートル程だ、内部は磨かれた白大理石の様に美しく、壁全体が僅かに発光している、この構造は生きている古代遺跡と非常に近い。
部屋の扉の正面に同じ白い材質の祭壇の様な大きな台が鎮座している、それは床と一体化しているようにも見えた。
その祭壇の上に黒い少し歪んだ長い棒が置かれていた、長さは人の背の半分程だ、だがそれ以外に何も無い、他に遺物も無ければ階段も竪坑の入り口も無かった。
「なんだあれは?あれしかないのか?」
ザカライアの落胆した様な呟きが聞こえてくる。
「教授、念の為に魔術的な罠を探してみてください」
ザカライアはその呼びかけで我に還ったのかこっちを振り向いた、そこには絶望と怒りに混乱した初老の疲れた魔術師がいた。
「教授!お願いします、これから内部を調査します」
「ああ、そうだな・・・」
ザカライアは気を取り直し術式の構築を始めた、その間にエルヴィスは親方と用心棒を呼び寄せる、そうしている間にザカライアの術式が完成した。
「調べた限り罠はない」
そうザカライアは振り向きもせず吐き捨てた。
今度は中を食い入る様に見つめていたアンソニー先生に話しかけた。
「先生、古代遺跡の墓所で祭壇のところに下の構造物に繋がる通路がある遺跡がありました、先生はどう考えますか?」
「えっ、すまないねエルヴィス君、たしかに資料で見たよ、この下に施設があるのだろうね」
そこに親方と用心棒がやって来る、用心棒の後ろからリーノも丘を昇ってきた。
「あそこが怪しいな」
親方は予想通り祭壇を指差す。
「エルヴィス、あれは何だ?」
用心棒は祭壇の上の奇妙な棒を指差す。
「わからん、初めて見る」
「よし、入り口付近から調べてくれ」
用心棒に指示を出し入り口から離れると大声でシーリ達を呼び寄せた、シーリのオマケのスザンナの意見を聞きたい。
シーリとドロシーが並んで丘を昇ってくる、その後ろにスザンナがいた、シーリは時々手を地面に付きながらなんとか昇って来た、彼女はあまり身体能力は高くないらしい。
「これはまた、酷い瘴気だねえ」
スザンナの呆れた呟きが聞こえてくる、入り口近くで用心棒の仕事を見守っていたリーノが驚いた様にスザンナを見上げた。
「シーリあの黒い棒が何かわかるか?」
エルヴィスが尋ねるとシーリはしばらく眺めていたが頭を横に振る、するとスザンナがシーリの耳に口を寄せて何事か話しこんだ。
今度はシーリがエルヴィスの目の前に迫ると耳に口を寄せた、思わずのけぞりかけたあの夢を思い出したからだ、ドロシーの目が丸くなったが幸いにもシーリの影になり見えなかった。
「あの黒い棒から凄まじい瘴気が生まれています」
「わかった、ありがとう」
すでに用心棒は入り口付近を調べ徐々に中に進んでいた、そして祭壇のところまで進むと今度は壁を叩いて調べ始めた。
ザカライアと親方が墓所の中に入るとエルヴィスも続く。
「中は随分あっさりしているな、あの黒いのは何だ?」
それはバーナビーだ、彼は訝しげに入り口から墓所の中を眺めている。
ザカライアは祭壇の上の黒い遺物に目を奪われていた。
エルヴィスは祭壇の上の曲がった黒い棒だと思っていた遺物が、人の背丈ほどの生物の背骨の様な形をしてる事に気がついた、黒い岩か金属でできた背骨の様な物体だが、生物の骨なのか作り物なのかはわからない、何の用途なのかなぜここにあるのかもわからなかった。
「教授それも回収すべきです、強力な瘴気を発している」
それはヤロミールの声だ、彼は入り口の扉にもたれかかるように立っていた、それにザカライアはうなずいた。
エルヴィスはヤロミールに話しかけた。
「ヤロミール大丈夫なのか?」
「かなり魔力を吸われた、しばらくすれば安定する」
実はこの瞬間まで彼の事を忘れていたのだが。
「エルヴィスわかったぞ!!」
用心棒が呼んでいる、彼は祭壇の周囲を親方と調べていた様子だ、いそいで彼らの元に向かう。
「何か解ったのか?親方」
「単純な仕掛けだぞ、この祭壇は動くな」
親方が嬉しそうにエルヴィスを見上げた、親方が指す先の床に薄っすらと二本の筋が刻まれている。
「罠と言うよりも、穴を塞いでいると言った処だ」
それが用心棒の見立てだ。
「たしかにこの祭壇の長さだと穴か・・・親方動きそうか?」
「わからんから動かして見るさエルヴィス、無ければ手はある」
親方は大声を上げて弟子たちを中に呼び寄せた、リーノやケビンも参加した、数人がかりで床の筋の方向に祭壇を動かそうとしたが動かない。
そこで親方達は一度上の部屋に戻り必要な機材を持ち込む事に決まった。
親方達と荷役人が機材を運び出して戻ってくるまでエルヴィスは墓所の内部を観察していた、だが中にミロンが居ないことに気づいた、慌てて墓所の外に飛び出した。
墓所の入り口のすぐ外でミロンが地面に蹲っている、僅かに安心したが別の疑念が浮かぶ。
「ミロン大丈夫か?」
「エルヴィスさんご迷惑ヲおかけします、少し体調ガ悪くて」
「無理をするな、上の部屋で休むか?」
「いいエすぐに良くなります」
エルヴィスはミロンの様子に不審な物を感じたが、墓所の側にアームストロングがいる傭兵達は周囲を監視している。
アームストロングに目配せすると隊長は任せておけと言った顔をした。
中に戻るとやはり関心はあの背骨の様な物体に集まっていた。
「これは本物の骨なのか作り物なのか?ヤロミールわかるか?」
「わからない、持ち帰り解析する必要がある」
「何の用途かしら?」
シーリの言葉に誰も答える者はいなかった。
壁際で何をしたら良いのか困り顔で佇んでいるドロシーに接近する。
「ドロシー傷は大丈夫か?」
「エルヴィスさん心配かけました、今のところは大丈夫ですよ、でも空気がヒリヒリするわ」
スザンナが微笑みながら突っ込みを入れるのを忘れない。
「痒くても掻くんじゃないよ、シーリに頼むんだね」
「わかっているわ!」
「さっきも年頃の娘として見て居られなかったよ」
小さな悲鳴を上げドロシーの顔が薄く赤く染まりなぜかこちらを睨んだ、その瞬間衝撃が襲う暴力的な魅惑の芳香がエルヴィスを叩きのめす。
意識と理性が吹き飛びそうになる天上のいや悪魔の香水の力だった。
必死に精神力をかき集め耐える、やがて嵐が静まり落ち着きを取り戻した、全身冷や汗にまみれていた。
「エルヴィスさん!?もしかして」
「もう大丈夫だ」
「ゴメンナサイ」
「気にしなくていいドロシー」
ドロシーに悪意は無いからまだ良いが恐ろしい女なのかもしれない、そして無表情な顔のシーリがこちらを見ていた。
「なあスザンナあれは何だかわかるか?」
「あんな物を見たのはアタシも初めてさ、奴らに渡したくないね」
スザンナの声は低められてはいたがその言葉に慌てる、もしかするとスザンナも防音障壁の魔術道具を持ってるかもしれない。
「あんたも解らないのか」
スザンナが大きな肩を竦めて見せた。
「戻ってきたぞ!!」
バーナビーの声が入り口から聞こえる、入り口から外を見ると荷役人と親方の弟子たちが機材とあの黒い長い箱を運んでこちらに向かって来るところだった。
ヤロミールが布でその背骨のような黒い棒を包み込んだ、ザカライアは墓所に運び込まれた長い箱を開封する、その箱の中は異様でまるで吸い込まれる様な漆黒の物質で塗られていた、底が見えない星の無い夜空のようで怖気をふるう。
ヤロミールが棒を運ぼうとしたが一人では重いようだ、バーナビーが彼の手伝いに回った。
その遺物を格納し蓋を占めると濃密な瘴気が綺麗に消え失せる。
部屋に残った瘴気は素晴らしい速さで壁に吸収され内部は清々しい清浄な空間に変わって行く。
「まあ!」
ドロシーはあからさまに喜んでいた。
「この箱はなに?ありえません」
それに変わってシーリの言葉は震えている。
「アスペル君、この箱は最新の錬金術と魔術の研究の中から生まれたのだ、内部は異界から遮断される、瘴気がこの遺物の内部の異界の門から来るのでればそれも止まる」
ザカライアの言葉はどこか得意げだった。
一方親方達は祭壇の後ろと墓所の壁際の床に角材を置いた。
「おい祭壇の前の床に油をまけ」
そこに金属製のジャッキを挟見込むと弟子たちが金属のレバーを廻し始めた、ゆっくりとジャッキが広がり角材にぶつかり押し上げ始めた。
「おいはやくしろ!ケビン」
親方の命令であわてて走ってきたケビンが木製の水筒から油を床にそそぐ。
「動きはじめたよ!」
それはアンソニー先生の声だろうか。
「見ろ床に穴があるぞ!」
親方達は別の種類のジャッキに交換すると更に祭壇を動かす。
「くそ最悪の方か!」
親方が毒づいた。
そこには丸い穴が床に空いていた、大きさは一メートル以上あるだろう、下を見下ろすと大きく曲がりながら下に降りているが先の状態はわからない、おまけに穴の中の壁は光っていないので暗かった。
古代遺跡の廃墟にまれに見つかるが正体も用途も不明な通路と同じだった、形もまちまちで造られた理由もその機能もまったく解明されていなかった。
「ふむ螺旋構造くさいな」
親方の声が聞こえてきた。
「教授、偵察を頼む」
ザカライアは一瞬不満げな顔をしたが、すぐに納得したのが術式の行使を始めた、偵察に関しては風精霊術師が得意とするところだ。
部屋の中に薄緑色の魔術眼が生まれ、部屋の中に魔術の映像が浮かび上がる、魔術眼が見たものが投影される上位の風精霊魔術だ。
前にも見た術だがそれでも感嘆の声が上がった。
「ロープと縄梯子を持って来い、足場を組むぞ!」
親方が弟子たちに次々と命令をかける。