神々の遺産
エルヴィスはペンタビアの本隊の位置を頭の中の地図に描く、そこから脱出に必要な時間を逆算した。
「スザンナ、ここから一刻も早く撤収するんだ、俺達とアンタ達が協力すればここを制圧する事はできる、相手はザカライアとヤロミール、バーナビーもかなり戦えるがこの三人だけだ、二日でオアシスに到達する、そこからアンナプルナに沿って南下すれば奴らをかわせる」
スザンナがこちらを真っ直ぐに見ている、スザンナから感じる圧力が一気に高まった彼女の眼底に光が灯る、圧倒的なまでの圧力は非人間的なまでに厳かで澄み切っていた。
エルヴィスは戦慄した、スザンナこそこの世ならざる者ではないのか?これが聖女の力いや聖霊拳の上達者の力なのだろうか。
ドロシーもシーリもそれを感じたのかスザンナから目が離せない。
「撤退はしないよ、ペンタビアが後ろにいるのは始めから判っていたさ」
「勝ち目はないぞ?スザンナ」
「この話はねパルティア十二神教の聖域神殿からの警告から始まった、ベリアクラムの石碑が奪われこちらに流れたとね、始めは何が起きたのか解らなかったよ」
エルヴィスはこれにどう応えるべきか当惑する。
「どこから話そうかね、魔界の神々を悪魔と呼ぶのは知っているだろ、神々がこの現し世を巡って長きにわたり争って来たこともね、そして遥か太古の昔から魔界の神々をこの世に呼び出そうとする者たちがいた、魔界の神々の眷属に選ばれた者共さ」
「神話なら知っているが、それとどんな関係があるんだ?」
「妖精族の裏切りから魔界の神々と幽界の神々が現実界の支配を巡って大きな戦いが起きた、それで古代文明は滅んだその話は知っているだろ?
だがこの戦いで渡り石が枯渇しお互いに世界の境界を簡単に越える事ができなくなったのさ」
「渡り石だと?」
「世界の境界を越える助けになる触媒と考えておくれ、だが渡り石がなくても、こちら側に巨大な負の聖域が有れば魔界の神々は世界の境界を越える事ができる」
「それは広い地域を穢す事でしょうかスザンナ様」
シーリがスザンナを様付けで呼んだがエルヴィスはその事に気づかない。
「そうだよ、広い地域を深く穢す事で大いなる存在が境界を越える事ができるようになるのさ」
「深く広い負の聖域か・・・たとえば闇王国の事か?」
エルヴィスは闇妖精族の長に乗っ取られ滅ぼされた闇王国の逸話を思い出していた。
「察しが良くて助かるよ、ペンタビアの奴らが闇妖精族の長を復活させる気がなくてもね、それをやりたい奴らがいる」
人ならば世界を破滅させかねない暴挙には加担しないものだ、彼らが求めるのは現世の力や富なのだから、力や富が無価値になりかねない混乱や混沌など望んではいない。
「アタシ達の敵にそういう輩がいるのさ、奴らは魔界の神々の復権を願っている、その地ならしに闇妖精族の長を復活させる、私達はそう考えているんだ」
「なあスザンナあの地下遺跡は何なんだ」
「古代文明の地下要塞の一部さ、それが闇妖精族の長の監獄に変わった、それが最有力の説さ、そして長い間あの地下の遺跡は私達の意識から意図的に消されていたんだ、そうとしか考えられない」
「何を言っているんだ?」
エルヴィスはスザンナが言っている事が理解できなかった。
「考えたり思い出す事もできない、なぜか調べようと思いつく事もできない、そんな力が働いていたとしか考えられないのさ」
これにはドロシーも唖然としている、驚きを越えて彼女から表情が消えていた、スザンナは彼女の言葉が理解されるまで間を置いた。
「それが二千数百年前に綻びが生じた、闇王国が生まれた時代だね、八百年前にも何かが起きた」
「そして今から20年前にそれが完全に失われた、私達はそう考えているよ、それから過去の記録を調べる気になったからね、だが呆れた事に八百年前の調査の記録が大きく損なわれていてね、そしてやっとここが見つかった、いや再発見したのさ、これは聖霊教会にとっても重要問題なんだよ」
エルヴィスは二十年前に何が起きたか思い出そうとした、記録ではエスタニア各地で自然災害や政変が頻発した混乱した時代だ、幾つかの大国で大乱が発生している。
「闇妖精族の長の魂はあの墓所に幽閉されているのか?」
「そう考えるね、闇王国を滅ぼし再封印したのはパルティア十二神教の原始教団だよ、彼らも長い間忘れていたようだがね」
スザンナは苦笑したライバルの間抜けさを笑うことができないのだ、そして一息ついてから先を続ける。
「向こうが嫌々ながらも出して来た情報だがね、どうやら幽界帰りの者の支援を受けて闇妖精の長の魂を物質化したらしい、物質化する事で現世に縛り付けたのさ」
「なぜわざわざ魂だけ?奴らは魔界に堕されたんじゃないのか?」
伝説は裏切りの妖精族は魔界に追放されたと最後に謳われて終わる。
「実体は魔界に生きたまま堕された、だが長の魂だけ現実界に幽閉されたのさそれが裏切りの罰なんだ」
「五万年も」
それはドロシーの小さな呟きだった、人の人生と比べると五万年は永遠に等しい、彼女の視線は下の厚手の敷布の上に注がれていた。
「ペンタビアはその物質を手に入れるつもりなのか?」
「間違いないね、だけどそれを許すわけにはいかないんだよ」
「なぜ『星辰の刻』を選んだのでしょう?魂を手に入れるだけならいつでもできる」
シーリの声は低く落ち着いているがわずかに震えていた、それを聞いてスザンナの顔が僅かに歪む。
「あんたは偶然では無いと思うかね?」
「はい、世界の境界が低い状態が必要なのでは無いかしら?憶測ですが」
エルヴィスは思い出す『星辰の刻』の話を初めて聞いたのはヤロミールからだ。
「シーリ、俺はヤロミールから『星辰の刻』の話を聞いた、奴の立ち位置がいまいちわからねえ」
「エルヴィスさん、占星術を学んだ者なら『星辰の刻』は知っていますわ、特別な知識ではありません、彼は教授に招かれた北方の魔術師です、ペンタビアの協力者ではないかしら?」
シーリはそう言うがエルヴィスは彼が単純にペンタビアの一味とは思えない。
ヤロミールが少し触れた胡散臭い師匠の話を思い出す、それに北方は独特の宗教や呪術が支配する世界だ。
「スザンナ、たしか北方世界と聖霊教会の関係は微妙だったな」
スザンナは皮肉な笑みを浮かべて次の言葉を紡ぐまで間が空いてしまった。
「その通りだよ、北はヴァーナ教が大きな力を持っていてね、あちらは布教にあまり興味はないんだがねえ」
スザンナは最後に言葉を濁す。
北のセイル半島諸国やその北方の大地は古い伝統に根ざした共通の神話を持った人々が生活していた、彼らは大柄で色が白く頑健だった、髪の色は薄い金や赤毛が多く碧や翠の瞳を持つ者が多い。
ヤロミールは大柄ではないが彼もそんな容貌をしているのだろうか?
聖霊教会は各地の土地神信仰を取り込みながら勢力を広げたが、彼らは居住地を広げればそのまま教えが広がるだけだ、彼らは誇り高く伝統や教えを変えようとはしない、そして他の民にヴァーナ神教を広げる事にも関心が薄いのだ。
「今は紳士協定で棲み分けをしているけどね、これからどうなるかはわからないのさ」
スザンナは肩を竦めて見せた。
エルヴィスは手元の木製のカップの薬草茶を飲み干す。
「なあアンタは撤退しないと言うが、それで勝ち目はあるのか?」
「勝ち目が無くてもアレを奴らに渡すわけにはいかないね、これは重大な禁則事項に触れると聖霊教会総本山は判断しているのさ、追い詰められているのはペンタビアの方だよ、聖霊教会と魔術師ギルド連合を敵に回したからね、事が済んだら闇妖精の魂を動かす予定さ」
「そんな物を動かして大丈夫なのかよ?」
「聖域神殿の話では非常に安定した結晶の様な形をしているそうだ、解放するには現し世の手段では不可能なのさ、幽界帰りが再封印に協力したらしいね、闇王国の事件の時にも幽界の神々の干渉があった事がはっきりしたよ私達には初耳だったがね、それに万が一解放されたとしても魂が魔界に還るだけだそうな」
「どこまで信用できるんだ?」
「聖域神殿もかかなり記録が失われているんだ、それでもできる範囲で協力をしてくれた、こんな事はめったに無いぐらいにね」
「触らぬ神に祟りなしと言うだろ、そっとしておく事はできないのか?」
スザンナは首を横に振った。
「もう秘密にしておく事はできないんだよ、墓所を開封し結晶を聖霊教会で管理する、それが一番安全だと判断したのさ」
「アンタは奴らが鍵を持っていた事も知っていたのか?」
「墓所の鍵も聖域神殿が秘蔵していたものさ、遥か昔に紛失したが何時消えたのか解らないそうでね、彼らも恥をしのんで教えてくれたよ、もしやと思ったがやはり奴らが持っていたとはね」
スザンナの苦笑は深く苦い。
「恐ろしい力さね、忘却し忘れさせられていたんだからね、それは私達だけじゃない敵もだよ、どうやってそれが施されたのか、どうやって力が失われたのかも解っていないんだ、やっと研究が始まったばかりだよ、エスタニア大陸全体を覆うほどの結界だったと学者達は予想しているよ」
忘却の結界が失われた以上、ここも次第に注目が集まり始める、この遺跡の存在そのものが紛争の火種になるはずだ。
「私は二十年前の戦乱が関係していると考えています、そのときに何かが破壊されたと」
ふたたびシーリが口を開いた。
ドロシーは話を理解するだけで精一杯なのか目を白黒させるだけで聞き入っていた、だがシーリが口を開く度にどこか辛そうな顔を見せる、エルヴィスはそれを見逃さなかった。
彼女はそこそこ良いところの平民出のお嬢さんで貴婦人の護衛が務まるほどの教養の持ち主だ、それでも話に着いていく事ができない、エルヴィスはそう感じていた。
「興味深い話だけどこれからの話さねシーリ」
「はいスザンナ・・・」
「もう正直に言うがね、あの鍵の使い方を知らないんだよ、あのヘコミにはめ込むだけで開くなら問題ないんだがねえ」
「俺もそう思い込んでいた、確かにな・・・だから奴らに確実に開けさせるのか」
スザンナが首を縦に振った。
「その後は出たとこ勝負だね、ペンタビアは狂人の集まりではないからむしろ怖くはない、万が一の事があっても文明世界までアレを安全に運んでくれるさ、警戒すべきなのはミロン、そしてヤロミールだね北方世界の魔術やヴァーナ教がどこまで関わっているかわからないのさ」
状況的にミロンを疑うのは当然だが証拠は何もなかった。
「あんたはヤロミールとペンタビアの関係をどう考えているんだ?」
「アタシは墓所の鍵を持ち込んだのはヤロミールだと睨んでいるね」
それはエルヴィスも同感だった、鍵が遥か昔にパルティア十二神教圏から消えたのであればミロンの可能性は低くなる。
「なああの墓所の壁を破壊する事はできるのか?」
スザンナは薄く笑った。
「あれは神々が残した最高傑作だよ、破壊は不可能さ魔界に与するものは触れる事もできないよ、そして内部の瘴気はすべて排出され残らない仕組みなのさ。
なぜ知っているって顔をしているね、あれと同じものがこの世界に幾つかある、その一つが聖地教会の地下にある」
「ニールのアルムト=オーダーか!?」
「その通りだよ、今は聖祖トピアス=ニールに関わる聖遺物の保管庫になっているのさ、その鍵の開け方は複雑な手順が必要なんだ、他の墓所が同じ方法で開けられるとは期待していないからね、もっともアタシですら開け方は知らないよ、ここの開け方は聖域神殿の失われた記録の中にあったはずさ」
スザンナは地面の下を指差した。
「アルムト=オーダーに移すつもりだな?」
スザンナはイタズラがバレた子供の様な顔になった、それでその予想が正しい事が解る。
「東エスタニア最大の聖域に絶対の保管庫があるのさ、守りも重厚だよ聖霊教の始まりの地だからね、封印の解き方や保管庫の破壊方法が万が一発見される可能性を考えてあそこに移すのさ」
「さて、ここまで知った以上アンタにはアタシ達に協力してもらうしかないよ」
スザンナが恐ろしい厳つい顔を歪めて不敵に笑う、古代神殿の守護魔神の像の様に恐ろしい笑みだ。
「仲間達にはどこまで話して良いんだ?」
「ここに来た者は知ろうが知るまいが一生それを背負う事になるよ、だが魂をアルムト=オーダーに移してしまえば最大の懸念は消える。
後は古代遺跡の価値によるね、アンタ達が協力するならアタシが上に掛け合うよこれでも聖女だからね」
スザンナはこう言うがこれは脅迫に等しい。
隠れ潜んでも逃げ切れないだろう、相手が現し世の国家程度ならまだ逃げ切れるかもしれない、だがそれよりも遥かに巨大な何かを相手にしている。
エルヴィスは次第に考えを変え始めていた、一生隠れて生きるのは御免だと。
「あと教えて置くよ、別働隊がペンタビアの本隊を監視している、決して絶対絶命ってわけじゃあないのさ、他にも聖霊教会総本山は色々手を打っているだろうさ、ここに居ては詳しいことが見えないがね」
スザンナが冷えた薬草茶を飲み干した。
「さて明日から大変だよ、今晩はゆっくりと休むんだね」
そしてドロシーとシーリを見た。
「さあさあアンタ達も寝るんだよ」
彼女たちにお休みを伝えると、エルヴィスは仲間たちの天幕に足早に引き上げる。
スザンナは信用できるかもしれない、それでもエルヴィスは砦の野営地にいる仲間と荷役人達の安全を確保する為に行動しなければならないと決意を固めていた。
野営地の荷物の影からエルヴィスの姿を見つめる鈍く赤く輝く双眸が有る、それは直ぐに音もなく消えてしまった。




