幕間劇
エルヴィスは調査隊を巨大な円筒の様な大空洞の周囲をめぐる通路を時計回りに進め始めた、狭い通路の中は淀んだ不快な空気が溜まり胸が圧迫されるように重苦しい。
今までも不浄の気を感じた事が何度もあるがこれは特に酷かった。
「密度の高い瘴気だ気をつけたまえ」
ヤロミールの言葉は緊張していた、そして洞窟で遭遇した嵐と灰色の影の怪異を思い出した。
エルヴィスは大空洞の中央に半ば水没している美しい墓所に視線を走らせた、スザンナやシーリがこの建物を瘴気の発生源と見ていた事を思い出していた。
墓所の上の光源が通路の天井を明るく照らし出している。
「僕は感じないんだよ、才能がないんだろうね・・・」
先生の声が聞こえてきた思わず彼の顔を見たが力なく微笑んでいた、だがどう言葉を返そうかと困惑するだけだ。
そこに呻き声が聞こえてきた壁際に座り込むように蹲るミロンからだ。
「ミロン君大丈夫かね?」
アンソニー先生が真っ先にミロンに駆け寄ると介抱する。
「大丈夫でス先生、瘴気で気分が悪くなったのカもしれませんネ」
彼はうつむいたまま苦しそうに応えた、よほど苦しいのか言葉がたどたどしい、それは不快で不気味な声だ虚無の彼方から聞こえてくるような虚ろな声だった。
ミロンも瘴気を感じる体質なのかもしれない、しかし今までこのような事があっただろうか。
幸いな事にケビンとリーノも平気そうだった。
「ミロン動けるか」
エルヴィスもつい気になり声をかける、そこでミロンは初めてこちらを向いた。
その一瞬だけミロンの瞳の奥に赤い光を感じたのだ、だがそれは一瞬の間に消えた、気のせいだろうかともう一度見たがそれは消えていた。
「ここは良くない気が溜まっている様だ、気分が悪くなったら俺に言ってくれ」
エルヴィスは調査隊のメンバーを見渡しながら呼びかける。
そこでエルヴィスとアームストロングの目が合う、隊長は大きな肩を竦めると大声で話し出した。
「俺の仕事は繊細じゃあつとまらんよ」
部下の傭兵達がニヤけた笑いを浮かべた、昨晩スザンナからアームストロング隊長と三人の部下は協力者だとスザンナから教えらた時、やはりそうだったかとしか思わなかった。
そしてスザンナはまだ何かを隠している。
エルヴィスはミロンの回復をまってから調査隊を進ませる、すぐに先生が言っていた罅割れた透明な壁の手前までやってきた。
「確かに透明な壁が傷つけられている」
ザカライヤが前に出てくると壁を見て独り言をこぼした。
「たしかに床には壁の破片らしき物が落ちていないが、何もないのか?」
「目立つものは何も無かったよ」
ザカライヤはまるで自分自身に語りかけているようだがエルヴィスはそう彼に答えた。
「エルヴィス、これは下の壁の亀裂と関係があるな」
それは親方の声だ彼は地図職人のメモを見ていたがこちらを見上げた。
「まあな一番下の亀裂も関係があるかもしれないぜ」
親方はまた地図職人のメモに目を戻した、その周りに親方の弟子達が集まる。
「こりゃ、デカイ剣で斜めに切られた様だな」
「ミロンもう大丈夫か?」
エルヴィスは割れた透明な壁を眺めていたミロンに話しかける。
急に話しかけられたミロンは戸惑った。
「心配をおかけしました、もう慣れましたよ落ち着きました」
それでも何かに耐えているような彼の姿に僅かな不審を感じた、何かに耐えているのは確かだが、瘴気に苦しんでいる様な気がしなかった。
まるで快楽に耐えている様な、そんな想いが浮かび上がり戦慄する。
エルヴィスは自分の直感を大切にしている、現実主義者だが『視える者』として本能が発する警告を軽視しない事にして生きてきた。
今までもそれで何度も危機を回避してきたのだ。
隊列の一番前に出ていたザカライアが詠唱を始めた、大きな力が彼の周囲に集まって行く、それがエルヴィスの意識をそちらに戻す。
奴は一体何をしようとしているのだ?
「なんだ?」
「これで瘴気の影響をある程度遮断できる」
エルヴィスの疑問にヤロミールが応えた、シーリがいないので彼が魔術的なアドバイザーになっている。
「ヤロミール魔術師は大丈夫なのか?」
ヤロミールは言葉足らずなエルヴィスの疑問を察して応えた。
「我々は異界の通路から力を導くので問題はない、言っておくが異界の通路を遮断する術はまだ見つかっていない」
やがてエルヴィスを圧迫していた重苦しい圧迫感がやわらいで行く。
「ヤロミールの言うとおりだ、これでましになる」
前に出ていたザカライアが振り返った。
調査隊のメンバーは何かに気づいたようにウロウロと周囲を見ている、鈍感な人間も意識していなかっただけで瘴気の影響を受けていたのかもしれなかった。
そしてザカライヤは奥に扉がある通路の奥を覗きはじめた。
「エルヴィス、この扉は開かぬのだな?」
「疑うなら試していただいても良いですよ」
「いや良い・・・」
ザカライヤは隊列の中央に下がって行く、そこでバーナビーと何やら話し始めた。
エルヴィスは再び調査隊を大空洞を取り囲む通路に沿って更に奥に進める。
「信じられん、たしかにこの壁は反対側からは壁にしか見えないぞ!俺もこんなガラスなど聞いた事も見たことも無いわ」
後ろの方から親方の興奮した大声が響いて来た、親方は大回廊に入ってからずっとこんな調子だった。
そして背後にいたヤロミールが声をかけて来た。
「君も知らないのか?」
「ああ透明な壁なんて見た事ねえな、ここは他とは違うぜ、さて例の銀の人形のある部屋の入り口が見えてきたぞ」
大空洞を挟んで階段橋のある部屋の反対側にその入口があった、エルヴィスが奥を覗くと扉が開いていたので内心胸をなでおろした。
生きている遺跡に動きがある事を怖れていたのだ、もし動きが有るならあの部屋を野営地にする気にはとてもならない。
その通路の奥は大きな正方形の部屋につながっていた、壁のレリーフは環状の蛇の神殿と通じる物がある、最大の違いは風化の痕跡が無い事だ、滑らかな石材の様な物質は自ら光を放ち部屋全体が明るかった。
そこから左右の部屋を確認したが昨日から変化はない。
正面は人形があった円形の部屋だ、その部屋の壁沿いに銀色の金属質の人形が全部で五体並んでいる。
それらは滑らかで艷やかにサビ一つなく銀色に輝いていた、人の姿をかたどっていたが顔には目鼻もなく抽象的な造形で女性的な体形をしている、細身で手足が長く頭が少し大きかった。
「不用心に像に近づかないでくれ」
エルヴィスの警告を知ってかしらずかザカライヤ達は呆然としたまま部屋の中の像に魅入っていた、報告で知っているはずだが、やはり見るのと聞くのとでは全く違うのだろう。
「何だこれは?」
それは親方の声だそこから未知への畏怖と恐怖を感じとる、そして自分にもこれに答えられる知識は無かった。
「私の考えだがもしや依代ではないか?」
「精霊召喚に使うのか?なるほどその可能性もあるか」
ヤロミールの指摘にザカライヤが即座に反応し納得している。
「もしかすると古代文明の絡繰人形かもしれんぞ」
そこに親方が口を出した。
「それを知っているが、もっと作り物めいておるぞ?これには関節も何もないではないか!」
ザカライヤが僅かに苛ついた様に声を荒らげた。
「完全な人形を見た奴なんていねえんだよ」
親方はどこかザカライヤを軽蔑した様に見てから吐き捨てた、ザカライヤは魔術師でも学者でもないエルヴィスチームを見下していて仲間たちの教授に対する心象は非常に悪い。
親方が言う通りだった、古代遺跡でまれに人形の残骸の様な物が見つかる事があった、それらが銀の皮膚を持っていなかったと断言はできない、ここはまだ生きている。
先生が静かなので気になり彼の様子を見た、やはりミロンを心配しているようだが、ミロンはもう立ち直っている様にも見える。
そしてこれで今日の地下大空洞の視察は終わる、今日は早めに引き上げて明日の設営の準備をしなければならない。
告時機を取り出し確認すると正午まで一時間程だった、魔水が引く時間は夕刻になるのでそれまでここにいる理由は無い。
「階段の有る部屋で休憩をとってから上に引き上げる」
エルヴィスが号令をかけると隊列はそのまま部屋から出た、そして再び時計回りに階段橋の昇り口のある部屋を目指した。
調査隊が野営地に戻って来た時まだ日は高く頭上で輝き、いつのまにか晴れて雲の切れ間から陽がさしていた。
エルヴィスは神殿の出口で調査隊を解散させると皆それぞれ散って行く、野営地に帰ると留守番のラウルが火の落ちた焚き火の側で一人寛ぎながらエルヴィス達を迎えてくれた。
「どうだったエルヴィス?」
「上のガラス壁の通路に瘴気が満ちていたぐらいだ」
「瘴気ねー」
ラウルは鼻で笑った、こいつはその手の感受性がまったく無い。
「こっちは何かあったか?」
「いや何もねーよ、今日はみんな出払っているからな、ここには下働きと荷役人とアイツラがいるだけだ」
アイツラとは誰かと思ったが壮年の口の悪い傭兵と若い傭兵の二人だろう。
ケビンとリーノが昼飯の準備に取り掛かった。
地図職人は大天幕に入り地図制作に取り掛かる、明日は彼を外して地図制作に専念させる事に決めた。
ラウルの向かいに座るとまず親方を呼ぶ、地下の階段の上の部屋に運び込む装備や道具を決める様に伝えた、あそこに予め置いておけば必要な道具を短時間で用意できるだろう。
明日は荷役人と親方達総出で重い機材をあそこまで運ばなければならない、それを考えただけで気が滅入ってきた。
エルヴィスはその他に運び込む物資を見積もらなければならなかった、野営地には物資管理のベテランの金庫番はいない、あの男は砦の野営地の責任者をやっている、野営地にいれば必要な物資の見積もりをしてくれるはずだ。
さてザカライア達はどう出る?あの本部に置かれている怪しい荷物を地下に運び込むつもりか興味があった。
運ぶにも人の手配が必要なのですぐに確認する必要があった。
必要な物資が決まれば人手も決まる、荷役人と下働きの男達や親方達総出になるだろう、エルヴィスも必要なら荷物を運ぶことになりそうだ。
「こりゃ明日一日かかるな」
エルヴィスは独り言を呟いていた、それをラウルは聞き逃さなかった。
「奴らアレを下に運び込むと思うか?墓所の鍵が在る事を隠していやがったな、あそこに置いておいても盗む奴もいないだろ」
「ラウル、重要な話がある来てくれ」
「本部に行くのか?」
エルヴィスはラウルの予想に反して野営地の外に向かって歩きだした、荷物の山の影で休んでいた用心棒にエルヴィスが合図を送ると彼も後からくる、ラウルも何か感じとり口元を引き締めると後を追って来た。
リーノが付いて行こうとしたが用心棒にとめられる。
「何の話だエルヴィス」
三人が野営地の南東にある小さな岩山の影に入るとさっそくラウルが口を開いた。
「このまえアルシアに帰ったら身を隠そうと言ったのを覚えているか?」
「その話かよ、確かに今回の仕事はいろいろヤバいのはわかるぜ、それで?」
「ペンタビアが本隊を送り込んでくる」
ラウルの顔が驚愕にゆがみそれから不信に変わった。
「なんだって!?いや待てよなぜそんな事お前に解るんだ?」
「アスペル女史達からの情報だ、上の方からだそうだ」
「ああ、さては魔術師ギルド関係だな?」
「今はそう考えてくれてもいいよ、それ以上は教えられないそうだ」
「エルヴィスやばいな、俺達が居なくてもここから帰れるって事だ、さては口封じを兼ねているな」
エルヴィスは頷いた。
「奴ら調査が進むまで様子を見ていたのか?」
今まで話を聞いていた用心棒が初めて口を開いた。
「俺たちだけで離脱するか?エルヴィス」
「ラウル、砂漠を横断する準備が必要だ、気づかれずに俺たちだけで離脱するのは不可能だ」
エルヴィスは顔を横に振った、その時点で争いになるだろう。
「アスペル女史の協力者が調査隊の中にいる」
「スザンナとドロシーか?お前が言うにはかなり強いそうだが」
「二人もそうだが、アームストロング隊長と三人の傭兵だ」
「アイツラもかよ、そういえばバーナビーが警戒していやがったなクソ、待てよこれだけいれば調査隊を制圧できるだろ?俺たちも人数は多いし結構戦えるぞ」
スザンナ一人でも調査隊を制圧できる予感がしていたが、それはまだ伏せなければならなかった。
「エルヴィス、アスペル女史は本当に信用できるのか?」
「俺は信用できると考えている」
ラウルの顔は完全に信用はできないと語っていた。
「アスペル女史はどうするつもりだ?」
用心棒が核心を突いてきた。
「あの地下の状態を調査し、可能ならば封印を強化するのが目的だそうだ」
「封印だと?闇王国が呼び出した闇妖精族の長が封じられていると前に聞いたな、先生から聞いたと思っていたぜ」
「そうだ」
これはスザンナから聞いた話だがシーリになすり付けてしまう。
「そうか、古代文明の遺産を引き上げるって話だったが、奴らの言動が信用できねえからな、他に何か在るような気はしていたぜ、奴らその闇妖精族の何かを引き上げるつもりなのか?」
「利用する気なのは間違いないな」
「しかしアスペル女史は中位魔術師だったなそんな事できるのか?」
ラウルがそう言いかけて何かに気づいた。
「まさかそっちも別働隊がいるんじゃないのか?」
「ラウル、ペンタビアの動きを監視する事ができる組織がバックに居るのは間違いないぜ?」
「じゃあ奴らの本隊の動きも解るんだな?」
「そう願いたいね」
「エルヴィスいつ皆に知らせるつもりだ?」
「知る人間が多いとそれだけバレやすくなる、暫くはこちらが何も知らない事にしておきたいそうだ」
「なあ調査隊を制圧して、こっちであの墓所の調査をすればいいんじゃねえか?」
「それは俺も考えたが、奴らが何をしようとしているか確かめたいらしい、あとはまだ不確定要素が多くて制圧は最後の手だそうだ」
「クソ俺たちはチームの安全が最優先なんだよ、これであの二人が女魔術師から離れない理由が良くわかったよ」
だがエルヴィスにはまだ疑問が残っていた、聖霊教の拳の聖女のスザンナこそが彼らの真の司令塔なのだから。