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古代魔術とペンタビア

天幕の外が騒がしいエルヴィスは薄暗い中で目を覚ました。

外に出て周囲を確かめる、昨日荷物を運んできた荷役人(ポーター)達が出発の準備を始めた音だ。

今日は薄曇りで雨が降るかもしれない、アンナプルナの山々は霧の様な雲に隠れてその頂きは見えない。


まもなく荷役人(ポーター)達は砦の野営地に帰る、それをドロシー達が護衛する予定だ。

そして脱走した四人の傭兵を虐殺した化け物の正体は未だにわかっていない、野獣ならば昼間は動かないかもしれないが、輸送隊に護衛を付ける必要があった。

ドロシー達は昼には向こうに到着し夕刻までにここに戻ってくる日程だった。


そこに下働きの男が本部天幕からやって来る、食事の後に会議をするので集まるようにと伝えてきた。

今日はシーリとドロシーが不在なので会議は無いと思っていたが僅かに疑念が湧いた、更に輸送隊の出る時間を会議の後まで遅らせるように命令を告げると男は帰って行く。

昨夜ドロシー達の天幕で精霊通信がペンタビアが動き出した事を告げていた、これに関連した動きなのだろうか?

あの通信がどこから来たかスザンナは曖昧にしていたが、聖霊教の諜報機関のような組織からの通報らしい。


そうしている間にチームの食事の準備が始まった、今朝の料理番は地図職人でこの男がチームで一二の料理の腕前だ、エルヴィスも一度料理番をした事があったが、立場上良くないとそれ以来料理番を断られてしまった事があった。

エルヴィスは面倒だと思いながらも荷役人のリーダ達と話を付ける為に彼らの天幕に向かう。




朝食が終わりエルヴィスとラウルは予定時刻の少し前に本部天幕を訪れた、だが会議場に入ると足が止まる、シーリとドロシーが会議に出席していたからだ、やはり彼女達を会議に出席させる為に遅らせたのだろう。


最近はバーナビーが議事進行する事になっていた、まず彼は砦の野営地で荷役人の中に体調を崩している者がいること、ラクダの何頭かが不調だと報告した、これはかなり重要な問題だ。

ザカライヤが向こうから持ち帰った問題のはずだが、エルヴィスは初めて聞かされた怒りが湧き上がる。

隣でラウルが罵倒を小声で吐き捨てたでおかげで却って冷静になる。

そして昨晩は地下の大遺跡の大発見と報告と検証で忙殺されていた事を思い出した。


バーナビーはアスペル女史に彼らの治癒を依頼するとシーリはそれを受け入れた。

だがそれだけでは終わらない、砦の野営地は水事情が悪くオアシスで補給した水もまもなく尽きようとしている事を告げた、そこで井戸から汲み上げて溜めている水の浄化を依頼する、体調悪化の原因として古井戸の水質があるのかもしれない。

更に燃料として集めた木材の乾燥まで依頼してきた。


「かなり時間がかかります、人数にもよりますが治癒は魔力の消費が激しいのよ」

シーリの低い美声に僅かに呆れた様なうんざりした響きが混じった、かなりの仕事量になるのだろう。


ちなみにザカライヤは治癒魔術は得意では無いらしい、治癒は水精霊術の得意な分野で下位の術式から治癒系の術がある、奴は防護結界の強化に全力だったのだろう。

「アスペル女史には向こうで一泊し万全な体制で戻ってきてほしい、余裕があれば防護結界に力を注いでおいていただきたい、今日は地下の視察で終わるので慌てる必要はありませんよ」

「では明日はどうなさるの?」

シーリの声に僅かな焦りを感じた。


「墓所の封印解除は明後日にしたい、エルヴィスそれでいいか?」

「それはいいが明日は何をするんだバーナビー」


バーナビーはヤロミールが作成した周期表を手に持って掲げた、そこにはシーリが記録していた魔水の水位も記入されていた。

「今日下に入り水位を確認する、予想通りなら水位も三種類で法則性がある事が確定する」

それを過信するのは危険だとエルヴィスは考えた、だがそれを考えたらこの先に進めない、ここにいられる時間は三十日を切っている、何年もかけて観測する余裕はない。


「エルヴィス、階段の上の部屋に野営地を作ろう、あそこまで行くだけで二時間もかかるのは時間の無駄だ」

あの部屋を拠点にすれば魔水の満ち引きのタイミングを捉え下に降りる時間を最大にできる。

「それは俺も考えていた、わかった明日は設営に一日使おう」

これで明日以降の方針も決まると会議は終わった、あとは突然周期や水位の高さが変わらない事を精霊王に祈るだけだ。

まさか奴らはあの部屋が安全だと知っているのか?エルヴィスはその可能性に思い至る。

だがそれを確かめる術が無い。






エルヴィスは砦に帰る輸送隊を見送った、戻る荷役人(ポーター)の数は十名で三名がここに補充として残る、既に傭兵四人と下働きの男が一人犠牲になっている、アームストロング隊長の元部下の傭兵仲間が復帰したせいで人手不足になっていた。

ついでに脱走兵を連行してきた二人の傭兵を向こうに帰す事になった。

広大な湿原を荷役人(ポーター)の隊列が帰っていく、その先頭にドロシー達がいた最後尾にあの二人の傭兵の姿が見える。


エルヴィスはそれを見送ると野営地に引き返す、すでに環状の蛇の神殿の前に調査団のメンバーが集まり始めている、今日はザカライヤ教授とヤロミールと体を痛めていた親方の視察の案内をしなければならない。


親方はシーリから治癒魔術を受けていたらしい、あとで彼女に礼を言わなければならない。

他に地図職人と用心棒にリーノ、親方の要望で弟子たちも全員参加している。

当然の様に先生とミロンもいる、アームストロング隊長と傭兵達そこにバーナビーが加わった。

ちなみにラウルは野営地で留守番だ、ラウルは教授達がきらいなのか留守番役を歓迎していた。


ケビンには慣れてもらうために雑貨を運んでもらう、だが思ったより奴は便利だ、やはり仕事が終わったら下働きを雇おうと思った。

だがその刹那に頭の隅をよぎった不吉な予感に戦慄した、この仕事の後が果たしてあるのだろうかと。



エルヴィスは何気に入口の天井を見上げる、ここに正体不明の足跡の様な痕跡があったが今は消えてしまっていた、その足跡の正体は解っていない。

ザカライアは聖域として名高いこの地特有の怪異だと判断している様だが、エルヴィスは瘴気を伴う死霊の様な影に過去何度も遭遇してきた、それとは違う実体のある何かの存在を感じていた。


だが今はその考えを振り切った。


「では行きますよ」


気を取り直したエルヴィスは神殿の入り口に踏み込んだ、あの橋をかけた場所まで二時間近くかかる、地上なら直線距離で十五分程で到達できる距離だ、だが地下の迷宮を進むのは困難を極めた。

曲がりくねり起伏もあり足元は不安定だ。


洞窟を進む間に魔水が溢れる時間がやって来た、洞窟の奥から不快な瘴気を含んだ風が轟音と共に調査団に襲いかかる、そこでしばらく動きが止まる。


「予定通りだなエルヴィス」

バーナビーが収まりつつある嵐の中から大声で呼びかけてきた。

「周期表の通りだ、今のところはな」

そう奴に怒鳴り返した。


エルヴィスが立ち上がるとまもなく嵐は止んだ、ふたたび調査団を前進させる。

やがて大きな池のある洞窟が前方に見えて来た。

ここからは架橋した場所まで降る長い階段の入口も近い、ザカライヤの魔術の光を地底の池の水面が緑の淡い光を反射し揺らいだ。





「これが橋か」


ザカライヤは先日架設した丸太橋を見て眉を潜めた、どこか不平を帯びた苛ついた様な口調、それがエルヴィスを不快にさせた。

もっとしっかりした橋を想像していたのだろう。


「こんなところで時間と資材をかけたくなかったのでね」

エルヴィスはそう言い捨てた。


「この水位はアスペル女史の予想と同じだぞ」

周期表を見ながら魔水を観察していたバーナビーが興奮した様な声を上げた、見ると中央の丘の上にある美しい墓所は魔水に半ばまで沈んでいた。


「さあエルヴィス先に進もう!」

親方の興味はすでに橋の向こうに注がれていた、親方はこの先に行った事がなかった、その気持はザカライヤもヤロミールも同じだろう。

ふとヤロミールはどこまでペンタビアに関与しているのか疑問に想う、ザカライヤの研究仲間なのは確かなようだが。


エルヴィスは橋を渡り先に進む、ここから通路は階段ではなく水平に僅かに左に曲がりながら伸びていた、やがて前方が明るくなると親方の叫び声が上がる。

「こりゃ確かに生きている古代遺跡だぞ!!」

大回廊に出ると親方は急に静かになってしまった、声も出ないほど周囲の景観に圧倒されている。


「ここは何度見てもあきないねミロン君」

うっとりした声でアンソニー先生は大回廊の生ける建築を舐めるように見渡していた。

「あ、はい先生」

それに曖昧な顔でミロンが答えた、この若い考古学者からエルヴィスは感情の波を感じた事がなかった、シーリの無感情さは表面的なものでその内面を伺い知る事はできる、だがミロンは一見感情豊かで普通だがそこからなぜか空しか感じた事がなかった。


「そこの通路から下に出ることができる、今はあの水が満ちているので危険だ入らないでくれ、その扉を開ける方法は不明だ、この階段の上に例の部屋がある」

エルヴィスは大回廊でやるべき注意事項を告げる。


「これは誰かが後から開けたものだな!」

ザカライヤが苦々しげに下に繋がる通路を睨んでいた、古代の遺産が傷つけられた事に怒りを感じているのかもしれないが。

聖域神殿(サンクチュアリ)か聖霊教会が開けたものだろう」

それはエルヴィスの口からさり気なく漏れた言葉だ、ザカライヤが頷くとヤロミールも賛同するバーナビーも頷いたがすぐに奴の表情が変わった。


「聖霊教会がここを調べたと知っているのか?」

「いや、そう推理しただけだ、ここを千年も放置したままだとは思えないだろ?」

「まあ、たしかに・・・」


教授や親方達は大回廊を隅々まで調べようとしていた、今日は上部構造を視察するだけなので思う存分観察させる予定だ。

「俺たちは上にいるので呼ぶまでは好きにしてくれ」

エルヴィスと用心棒が階段を昇るとバーナビーと先生達が階段を昇り始めた、リーノも昇り始めるとケビンも付いてくる、下に隊長達が見張りに残る。



「バーナビー、あの水はここまで上がって来ると思うか?」

階段を昇ったところでバーナビーに話かける、何か考え事をしていた奴は驚いた。

「下の大回廊の床を越えない様に造られていると俺は考えたよ、壁が壊れたらあの水が中まで入ってくるぞ、そうだ現に大きな穴があるじゃないか、この部屋だってこの透明な壁が壊れたり傷ついたら大変な事になる」


奴の推察は正しく思えた、だがエルヴィスはあの白銀の円盤が正常に機能していないそんな予感に捕らわれていた。


「なぜ水が満ち引きするんだ?なぜこんな周期があるんだ?そもそも何の為にあるんだ?あの円盤には亀裂が走っている誰かが破壊しようとした事があるんじゃないか?」

バーナビーは目を見開いたがそのあと頭を振った『それは俺にもわからない』とでも言うように。


やがて背後から階段を昇ってくる数人の足音が聞こえて来た、続いて親方の興奮した叫び声が聞こえそれが駆足に変わり、親方が部屋に飛び込んできた。

透明な壁の近くまで走り寄ると壁を調べ始めた、弟子達が彼を追って部屋に飛び込んでくる、部屋は俄に騒がしくなった。


「これだけ大きな透明な壁だ見たものは驚くだろう」

若い男の声が聞こえてくるそれはヤロミールだ、エルヴィスはヤロミールに近づいた。


「君はこの透明な壁について知っているか?ガラスに似ているがわからない」

「確かに、こんな大きなガラスを造れる炉などない、だがこれほどではないが大きな分厚いガラスを作って見せた者がいる」

「興味深いなそれは誰だい?」

「いる、いやいたと言うべきだな、魔術道具造りの天才、不老不死の偉大なる精霊魔女アマリアだ、彼女は極小から大型の魔術道具まで無数に試作した、その中にそれがあったと師匠が話していた」

「君の師匠は北の魔術師だったな、彼も長く生きているのか?」


「あの御方は三百年生きているとおっしゃっているが、冗談か本気か定かではない、アイゼンドルフと親友だと言うのも同じだ」

この時のヤロミールの言葉の響きから師匠に対する敬愛と畏怖を感じ取る事ができた。


「私は古魔術と北の魔術体系の融合を目指している、深いところで失われた古代文明の知識と結びついているのだ、ああ魔術師でも無い君に話しても興味があるかわからないが」

「いや貴重な話をありがとう参考になるよ、これからの商売に役に立つ」

「そうだったな、君は素人ではなかったか、そうでなければここにはいないか」


「ところで教授とは大学でどのような研究を?」

ヤロミールは一瞬考え込んでいたがやがて口を開いた。

「極秘というわけではない、闇王国の魔術体系と北の魔術体系の比較研究だ、東エスタニアでは関心が薄いが西では不可能な研究だ」

「ペンタビアに来てずっとその研究を?」

「ペンタビアに来て五年になるが同じテーマで研究している、純粋な魔術考古学的な研究ならペンタビアに勝る処はない」

ならばヤロミールはミロンが石碑の断片を持ち込む前からペンタビアにいた事になる。


更に階段を昇ってくる足音が聞こえてくる、教授と隊長達だろう彼らの装備の金属音が混じる。


「そうだペンタビアこそ現代魔術と古代魔術を繋ぐ事ができる、西エスタニアは戦乱で何度も荒廃しその度に叡智が失われた、我々は戦火で焼かれる事無く古の叡智を守ってきた、古代の叡智を護るのは我々の責務だ」


それはザカライヤ教授の声だがどこか陶然とした熱に浮かされている、エルヴィスはどう反応したら良いか困惑してしまった、エルヴィスとヤロミールに語りかけているように見えて、誰にも語りかけていないように感じられた、まるで自分自身に語りかける様に。

生きている古代遺跡を目撃したせいで精神の均衡が乱れているに違いない。


ザカライヤはゆっくりと透明な壁に接近すると首を傾げた。

「これはガラスなのか?調べたいが」


「教授、この先に透明な壁が傷つけられた場所があるよ、破片が落ちているかもしれないね、大きな物は無かったけどね」

ザカライヤの呟きを聞いていたアンソニー先生が左側の通路の奥を指差した、たしかその向こうに透明な壁が傷ついている場所があった事を思い出した。

エルヴィスは地図の補正を熱心に行っている地図職人を呼び寄せその地図に目を通した。


「では今日は左回りにしましょう」

エルヴィスは調査団を促す、今日は未知領域の調査はしないので時間に余裕がある、だが早めに引き上げて明日の引っ越しの計画を立てたかった。


調査団はエルヴィスを先頭に左側の通路に踏み入れた昨日とは逆周りに周回する事になった。









森の中を輸送隊が砦の野営地に向かって進む、先頭を進むドロシーの後ろ姿は活き活きとしていた、彼女は野営地と暗い地下洞窟を往復する日々をおくっていた、久しぶりに外に出られたからだ。

彼女の動きはまるで躍動するようでしなやかで強靭な四肢の動きが美しい。


それは女性の目から見ても美しい。


シーリの瞳はドロシーの背中を追っていた、スザンナはそんなシーリの横顔をいつの頃からか見つめていた。

シーリはそれに気づいて慌て始める。


「あの娘に全て教える時がきたね、あたしはそう考えるよ」

それは僅かに聞こえる程のスザンナのささやきだ。

「ええ、そうですね、賛成ですわスザンナ様」

シーリは安心したように答えてから前を向いた、スザンナが困ったような顔をしてシーリを見ている事に彼女は気づかない、スザンナはまるで若い娘を気遣う母親の様な目をしていた。






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