シーリ=アスペル女史
環状の蛇の神殿の入り口から外に出たエルヴィスは閉塞感と圧迫感から解放されると、思わず伸びをして深呼吸をした。
まだ日没まで余裕がある、野営地の方を見ると見慣れない天幕が増えていた、予備の天幕が張られているザカライヤが率いた補給隊が無事に到着したらしい。
荷役人達は明日の朝に砦の野営地に帰る予定だった、荷役人達に護衛を付ける必要がある事を思い出して人選に悩み始める。
ザカライヤ教授とヤロミールを地下に連れて行く事になる、ならばシーリに砦の野営地に行ってもらうしかない、だがドロシーとスザンナも一緒になるので傭兵は不要だ。
「教授がいるな」
バーナビーの呟きが隣から聞こえてくる。
「ラウル後の事はまかせた、俺は本部に行ってくる」
ラウルは教授が嫌いなので手を振るとこれ幸いとチームを引き連れて行ってしまった、隊長は部下と談笑しながらそれぞれの天幕に引き上げて行く。
残ったバーナビーを先頭にエルヴィスとシーリで本部天幕に向かった、会議の前に報告しなければならない事が多い。
ザカライヤは本部天幕の小さな椅子に座り体と精神を休めていた、砦の野営地の防護結界の強化で力を使ったのと往復の旅で疲れているのだろう。
すぐに留守番のヤロミールも本部天幕にやってくる、報告はバーナビーを中心にエルヴィスとシーリが補足する役割になった。
バーナビーは的確に時関経過に沿って話を進めた、エルヴィスはザカライヤ教授の表情の変化を見逃すまいと観察した、話が進むに連れしだいに教授の目の色が変わって行く、ヤロミールは黒いベールで顔が見えないが彼の仕草から大きな衝撃を受けている事がわかる。
そして中央の建物の扉を開くのに鍵の様な何かが必要な事に触れた、ザカライヤ教授の表情は驚きを浮かべていたがどこかこれを予見していた様に感じられた。
そして白銀の円盤にかんする報告で話は終わった。
「簡単に開くとは思っておらんが、アスペル君魔術的な鍵では無いのだな?」
「私にわかる範囲では」
それに頷くとザカライヤは何事か考え込み始めてしまった、エルヴィスは少し苛ついた早く体を休め食事を取りたいのだ。
「銀の人形・・・」
ザカライヤの呟く声が漏れた。
エルヴィスはたまらずにこの場を終わらせる事にした、心を落ち着かせ口調は丁寧な物に、教授は上司でありクライアントの代表なのだから。
「教授、会議までに地図の概要をお見せできます、そこでアンソニー先生の意見も伺いましょう」
「教授?」
今度はバーナビーが教授を促した。
「ああ、そうだな食事の後で会議だ」
熟考を邪魔された教授は不機嫌になったが、おかげでこの場は終わりとなった。
エルヴィスが本部天幕を出ると外にドロシーとスザンナが待っていた、シーリを待っていたに違いない、しかし過保護過ぎる。
エルヴィスと目が合うとドロシーの顔がふわりと緩みすぐに固くなった、背後からシーリの足音が近づいてくる。
「じぁあ会議で」
三人に目配りするとそこで分かれる、三人はシーリを先頭に彼女たちの天幕に帰っていく、ドロシーがこちらを振り返って軽く手を振ってきた、ふざけて投げキスを送ると顔を赤らめて怒ったようにプイっと向こうを向いてしまった。
苦笑いを浮かべたエルヴィスだがそのまま仲間達の処へは向かわない、その足でアンソニー先生の天幕に向かった。
天幕に近づくとアンソニー先生の興奮した声が聞こえて来る、ミロンが先生の相手をさせられているに違いない。
「お楽しみのところ失礼」
天幕の口から中を覗くとさすがのアンソニー先生も気づいて顔を上げた。
「エルヴィス君か、今日は一生分の発見をしたようだよ!ところで何の話かな」
エルヴィスは僅かに身を屈めて天幕の中を覗き込むと中にミロンの姿も見える。
「今日の会議で調査の説明が主題になりますよ、できるだけ資料を整理しておいてほしいと思いましてね、ザカライヤ教授とヤロミールに説明が必要です」
「そうだね、僕もメモをとったが全然整理できていないんだよ」
そこに話を聞いていたミロンが口を開いた。
「そうですよ、僕も先生に記憶がはっきりしている間に整理しましょうと言っていたんですがね」
「ははは、あまりにも興奮してしまってね、できるだけそれまでに整理しておくよ」
「では先生よろしくお願いします、俺はこれで」
エルヴィスは去ろうとして何かを思い出した様に急に足を止める。
「ところでお聞きしたい事がありまして」
エルヴィスは左右を伺うと声を落とした。
「エルヴィス君まあ中に入りたまえ」
アンソニー先生は察したのか天幕の中にエルヴィスを招いた。
ミロンは僕もここにいて良いのかと言いたげな顔をしたので、構わないと仕草で応じると、敷布の空いている場所に腰を降ろす。
「先生はペンタビアのお生まれですか?」
意外な質問に驚いたようだが先生は気軽に答えてくれた。
「僕は代々学者の家に生まれてね、偶に魔術師も出るんだよ、父がペンタビアに招かれてそれから住んでいるんだ」
そういった先生の顔は誇らしげだがどこか寂しそうだった。
「ザカライヤ教授もそうですか?」
「ザカライヤ教授のウォード家は古くからのペンタビアの名門なんだ、有力な魔術師を輩出してきたのさ、他に有力な家系がいくつかあるよ」
「ならアスペル女史もペンタビアの魔術師の生まれですかね?」
実はエルヴィスが一番知りたかったのはこれだった。
「違うよ、僕と同じさ、二年ぐらい前にアルムト帝国から古魔術の研究の為に来たんだ、古い魔術を研究するなら今でもここ、いやペンタビアが一番さ」
先生は父親の時代からペンタビアで生活しているはずだが僕と同じとはどういう意味だろうか。
「二年前か」
「ミロン君がペリアクラムの石碑を持ち込んだ少し後ぐらいかな、魔術師ギルドになかなか美しい若い女魔術師が来たと話題になったから覚えているよ、変わり者らしくて浮いた話は聞こえてこなかったけどね」
先生は面白そうに笑ったが、先生から変わり者扱いされては彼女が可愛そうだとエルヴィスは密かに想う。
「ところで彼女はペンタビア大学に在籍しているらしいですね、すぐに大学に在籍できるなんて優秀ですね」
「君は彼女に興味があるのかな?」
逆に先生から質問されてエルヴィスは戸惑った。
「ええ、彼女と商売上なんとかお付き合いしたいと思いましてね」
「ああ前に魔術師がいなくて困ってるって聞いたね、そうだったんだ、彼女は大学に推薦状を出したらしいよ」
「どこの推薦状かわかりますか先生」
「あーすまないね、一度聞いたような気がするけど、たぶんアルムトの魔術師ギルドじゃないかな、よく覚えていないんだ」
「先生、アルムト帝国に魔術師ギルドは幾つもありますよ、大きな街なら魔術師ギルドが、帝都に魔術師ギルド連合の本部もあります」
ミロンが見かねたのか言葉を挟む。
「帝都はノイデンブルクだな」
エルヴィスは仕事で何度か帝都を訪れた事があった、東エスタニア最大の帝国の首都で、今はここが魔術研究の中心地になっている。
その呟きを先生は聞き逃さなかった。
「そうだ思い出した!たしかノイデンブルクから来たって聞いた」
ならばシーリはアルムト帝国のノイデンブルクから来た可能性が有る、そして魔術師ギルド連合と関係があるかもしれない。
そう考えた方がいろいろ理屈が合う、聖霊教の総本部が置かれているのもこの街だ、スザンナは初めからシーリを護る為に付けられていたのでは?
「エルヴィス君!?」
先生の声で我に返った。
「すまない少し考え事をしていた、そろそろ戻らないとじゃあ会議でまた」
エルヴィスは腰を上げると二人に別れを告げた、天幕の前で先生達に付けられた下働きの男が黙々と食事の準備をしている、男は暗い目をこちらに向けたがそのまま作業を続けた。
エルヴィスは今度こそ自分達の大天幕を目指した。
エルヴィスチームの天幕は野営地の南の端に集まっていた、そこに近づくと騒がしい。
そしてエルヴィスは驚きのあまり動きが止まってしまう、親方達の集まりにシーリが加わって議論に耽っていたからだ。
だがドロシーの姿も厳ついスザンナの姿も見えないのでそれを訝しむ。
「エルヴィスさん今までどちらに?」
エルヴィスの姿に気づいたシーリがゆっくりと立ち上がるとこっちに向かってくる。
「シーリこれは?」
「親方の意見を聞きたくて」
地下の生きている遺跡について意見を聞こうとしたのだろう、エルヴィスは改めて周囲を見渡したが、ドロシーの姿もスザンナの姿も見つけられなかった。
シーリはそれを見て薄っすらと笑った。
「防護結界から出ない条件で一人できました、たまには一人になりたくて」
「ドロシーとスザンナは?」
「今頃お料理の修行です」
ドロシーがスザンナに叱られながら料理と格闘している姿が頭の中に浮かんでつい微笑んだ。
「スザンナさんは料理が得意なんです」
「見かけによらないな、ドロシーは得意なのか?」
微妙な影がシーリの顔を流れる、エルヴィスは後悔したどうしても関心がドロシーに向かってしまう。
「ドロシーは料理人には向かないわ、でも錬金術師の才能はあるかも」
彼女はそういってからしまったと言った顔をする、だがエルヴィスはそれに笑ってしまった。
「きっと旅が終わる頃には上手くなるわ」
シーリは少しあたふたしながら言い訳を並べ始めた。
「でもどんな味がするか食ってみたいな」
シーリはその言葉に驚いた顔をしたが、少し淋しげな表情を浮かべた、それも一瞬の事ですぐに何時もの掴みどころのない顔に沈んで行く。
エルヴィスはふと気づいた。
「君はどうなんだい?」
「えっ!?あっ?私ですか」
シーリは自分の事だと気づいて狼狽し始めた、こちらを見る視線が揺れている、エルヴィスはそれにうなずいた。
「あの、実は調理道具なんて持ったことなかったんです、この旅にでるまでは、でも普通にしていれば得体の知れない何かにはならないと思いますけど」
これでドロシーが破滅的に料理がダメなのかもしれないと思った。
その時の事だった今日の料理番の壮年の職人の一人が声を出した。
「よーし、出来たぞ!」
天幕の中にいた者が次々と出てくると、シーリを見て驚く者がいた、彼女が一人だけなのが珍しいのだ。
「では私はそろそろ戻ります」
シーリは軽やかに別れの挨拶をすませると黒いローブを靡かせて天幕に帰って行ってしまった。
そこに親方が近づいて来る。
「素晴らしいお嬢さんだ、エルヴィス絶対スカウトしろよ?」
親方が背中を軽く叩くとさっさと食卓に向かって行ってしまった、エルヴィスはしばらく細身の女魔術師の後ろ姿を見送っていた。
食事の後で定例会議が本部天幕の前で始まった、すでにザカライアとヤロミールは事前に概要を知っていたので驚く事も無い、そして明日は彼ら二人が地下に入る事に決まった。
自然と明日の荷役人の護衛はシーリ達に決まったが異論は出ない、それに彼女達なら帰路は早いだろう。
だが明日はあの魔水の周期の関係から下に降りられる時間が悪い、明日は二人に古代遺跡の上部を見てもらうだけで終わるだろう。
明日の指針が決まった後でいよいよ調査の成果の検証が始まった。
関心はやはり中央の青紫の古代建築に集まった、いつも会議中は静かなアンソニー先生はとても積極的で最初にあの青紫の古代建築を便宜上『墓所』と呼ぼうと言い出した。
これも特に反対意見も出ずにそのまま決まってしまった、エルヴィスは先生と同格の考古学者がいなかったおかげで不毛な論戦にならなかった事を内心で喜んだ。
それに古代人の墓所の形に似てるのは事実だ、もちろんあの様な美しい青紫で塗られてはいないし、大きさも見たことが無いほど大きく得体の知れない光り輝く光源も無い。
まずアンソニー先生が墓所の扉の鍵穴の中に刻まれていた文様のメモを皆に見せた、ザカライヤの目が見開かれそこに喜色が流れた、それは一瞬だがエルヴィスは見逃さなかった。
ヤロミールの顔はベールの向こうに隠れ伺い知れない、バーナビーはその感情は伺い知れなかった。
ザカライヤがバーナビーに耳打ちするとバーナビーの顔が驚愕に変わる。
そこでエルヴィスは状況を動かす事にした、発言を求め許可されると立ち上がった。
「さてこの鍵が無ければあの扉は開かない、状況からパルティナ十二神教の聖域神殿が管理している可能性が高い」
エルヴィスは先生のメモに描かれた窪みの中の文様を指指す。
「その場合は他の手段で開けるしかない」
エルヴィスは調査団の幹部達を見渡した、
「まさか破壊するのかい?」
慄きに震える先生の声が聞こえてきた、エルヴィスは先生に頷いてからザカライア教授を真っ直ぐ見つめた。
古代文明の遺跡の一部は素材も製造方法も未知の匠の技で造られていた、中には精霊変性物質でなければ傷つける事すらできない物がある。
生きている建造物を破壊できるか未知数だが鍵がなければ壊すしか無い、その決断をするのは最終的にザカライヤだ。
ザカライヤは何かを言おうとしていたが言葉にならない、変わりにバーナビーが答えた。
「この文様の鍵ならある」
その一言がざわついていた場を沈黙の底に叩き込んだ、しばらく遅れてラウルの罵声が響き渡る。
エルヴィスも驚いたが『やはりそうか』同時にそう感じていた。
ならば持ち込まれた謎の荷物の中にそれはある、石版の大きさから考えてあの荷物の一部だ、奴らはまだいろいろな物を持ち込んでいる。
会議場を見渡す、先生は驚き驚愕していた、隊長は口を引きむすび腕組みをしている、隣のドロシーは驚きのあまり目と口を大きく開けていた、これではお天気人形ではなく南の島の土偶の様な顔になっている。
ミロンは顔を伏せて顔が見えない、だがどんな顔をしてるのかあまり考えたく無かった。
そしてシーリの顔は死んだような無表情に変わっていたそこから彼女の内心の葛藤は見えない。
やがて言い訳混じりのバーナビーの説明が始まる、聖域神殿からの流出品を手に入れていたが、事情が事情なだけに公に出来なかったと。
「詳しい経緯は話せないが、今回の調査の鍵になる可能性も考えて持ち込んだのだ」
だが怒ったラウルはザカライヤとバーナビーを罵倒するのを止めない、エルヴィスはラウルに退出を命令するしか無くなった。
エルヴィスも始めは彼らの秘密主義に怒りを感じていたが、今はこの仕事が終わったらさっさと身を隠す事しか考えていなかった。
その時にはドロシーやシーリも誘うつもりだ彼女達の安全も危ういと考えている。
そして石版を試すのは明後日の魔水が引く時に決まる。
衝撃的な会議は終わった、そしてエルヴィスの調査団に対する不信も深まる、だがここは文明の灯りから七日以上離れた地の涯、人間社会の脅威からは遠かった。
エルヴィスはすでに星々に埋め尽くされた夜空を見上げる、そこを何か巨大な影が通り過ぎて行った。
思わず立ち止まったが何も起きない、気のせいかと思い天幕に帰って行った。
本部天幕から離れた場所に小さな天幕があった、そこはシーリ=アスペル女史に専用に割り当てられた天幕だった、調査団の女性が全てが一緒に寝泊まりをしていた、もっともドロシーとスザンナ以外に女性はいない。
その天幕の中は小さな植物油のランプで薄暗く照らされていた。
その天幕の隅でドロシーは横になって毛布に包まっていた、料理の腕をスザンナに腐されてふて寝してしまったのだ。
「この娘も眠ってしまったかい、早寝早起きは三ビンの得と言うけどねぇ」
言葉と違いスザンナがドロシーを見る目は温かい。
「ごめんなさい、起きないようにする」
シーリがそう呟くと魔術の詠唱を始めた、やがて天幕の中に力が溢れ収束する、毛布に包まったドロシーが薄い青い光の粒子に包まれる。
シーリが毛布の上からドロシーのお腹を軽く指で突いて効き目を確かめた。
「スザンナお皿を出して」
スザンナが大きな背嚢から木の皿を取り出した、シーリも自分の背嚢から特殊な布で包まれた物を取り出すと包を解く、中から綺麗にカットされた水晶の板が現れた。
シーリは皿に開いた小さな穴に真鍮製の細い棒を刺すと水晶をその上にはめ込む。
さらにスザンナが取り出した革袋を受け取ると、中の小麦粉の様な白い砂を皿に敷いた、そして物差しの様な細い木の板で表面を整える。
「準備できた、通信内容はなに?」
「これを頼んだよ、宛先は何時ものとおりさ」