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妖精の匂い玉

エルヴィスとドロシーは暗い湿原を二人歩いていた、しだいに野営地の灯りが大きくなって行く、エルヴィスの手はドロシーの腰にゆるやかに廻されて、彼女はそれを自然に受け入れていた、ただ静かに時が過ぎていく。


東の空から蒼白い小さな月が二人を僅かに照らし出している。


「あんた達、どこほっつき歩いていたんだい?」

闇の中から爛々(ランラン)と輝く両眼が現れたと思った瞬間それは大声を発した。


「きゃあッ!!」


ドロシーが驚いて悲鳴を上げて飛び跳ねる、泥がエルヴィスの頬まで飛び跳ねた。


「驚いたぜスザンナ!」

エルヴィスは腰の刀を抜きかけ構えた処で動きを止めていた。


二人の前に大柄な厳つい体を似合わない侍女服で身を包んだスザンナが仁王立ちしている、大きな目で二人を見渡して何かを感じ取った。


「いろいろあったようだね」

スザンナの口調は少し詰問調だ。


スザンナがドロシーを睨み据えると、ドロシーの目があらぬ方向を向いた、それが妙にからくり人形じみている。


「スザンナ話しがある」


エルヴィスは話しかけて止まってしまった、スザンナの背後に闇に溶けるように、魔術師の黒いローブに身を包んだシーリが(タタ)ずんでいた事に気付いたからだ。

考えるとスザンナが彼女から離れるわけが無かった、シーリは鍔広の三角帽を深くかぶり繊細な口元しか見せていなかった。


スザンナはエルヴィスの僅かな沈黙から何かを察した様に表情を困ったように変えた。

「シーリ、ドロシーと二人で天幕におかえり」


「あ、あの私」


ドロシーは何かを言いたそうだが言葉にならなかった、スザンナはシーリに目をやりドロシーに向き直る。

「ドロシーには後で話がある、私はこいつと話しがある」


「わかったわ、行こう」

ドロシーがシーリを促すと彼女は大人しく従った、二人は野営地に向かって帰って行く、時々ドロシーがスザンナの背後で振り返った、だがシーリは振り返りもしないやがて二人は闇に溶けて消えた。



「さて何の話があるんだい?二人・・いやシーリに聞かせたく無い話だろ」

エルヴィスは頷いた。


「はっきり言おう、あんたはドロシーの匂いの事を知っているな、あれは何だ?」

スザンナは金壺眼(カナツボマナコ)を見開いて僅かに苦笑した。


「そっちの話なのかい!?さて前に何か思わせぶりな事を言ったかね・・・と言う事はやっぱりあの娘はあんたに惚れたか、面倒事が増えたよ」

当てが外れたのか困惑し困った様に少し首を傾ける、そして真面目な顔に変わると頭を横に振った。


「あの匂いは何だ教えてくれスザンナ」

エルヴィスはスザンナに近づいた、エルヴィスの背丈より頭半分ほどスザンナの方が背が高い。


「おっとすまないね、あんたが気づいていたとはね、あれは『妖精の匂い玉』『天使の香水』と言われる奴さ・・・」

エルヴィスは先を急かせたかったが熟考を始めたスザンナが話し始めるのを忍耐強く待つことにする。


「アタシが聖霊教会の中でかなり変わった仕事をしているって話したのを覚えているかい?」

「ああ、禁忌やこの世ならざる者たちが引き起こす問題に対処する部門があると噂では知っていた」


スザンナは薄く笑う。

「あんたは話が早くて助かるね、ごく稀に無自覚に人を魅了する力を持つ者が出てくるんだよ、だが仲の良い夫婦や恋人がいても問題にもならないさ、せいぜい異常にもてる奴がいるぐらいの話で終わるんだよ」

「だが身分や立場によっては洒落にならないか」

「そう言うこったね」

スザンナは肩を竦めて見せた、今までもそんな問題に苦労した経験があるに違いない。


「魔術や道具じゃないんだよな、そんな力があるのか?」

「理由はまだわかっていない、だが仮説はある」


スザンナはそこで言い澱んだ、スザンナはその先を語る事に躊躇(チュウチョ)している。

「もったいぶらないで教えてくれ」

エルヴィスは早く答えを知りたかった、つい焦りから声が大きくなった。


「妖精族の血を引いた者の中からその力を持った者が現れると言われているのさ」

スザンナが迷った理由がわかったような気がする、そして嫌な胸騒ぎを感じた、今回の調査にドロシーが選ばれた理由と関係があるのではないか?あの大空洞は闇妖精族と深い因縁があるのだから。


「ドロシーが妖精族の血を引いているって言うのかオイ?神話じゃ妖精族と人の間に混血が生まれたとあるが」

スザンナの声が低くなった。

「これも仮説だけどね、魔術師の才能が在る者は妖精族の血が強く顕れた者だと言われているんだよ、これはおおっぴらには言われていないだけさ」

「ドロシーに魔術師の才能は無いはずだ」

「だがね妖精族の魅了の力だけが顕れる事もあるんだよ、魅了の力は魔術師とはくらべ物にならないぐらい珍しいだけさ、記録が残っているんだよ」

ならば妖精族の血が顕れる者は、魔術師の数程度はこの世に居る事になる、エルヴィスの不安がしだいに薄れ軽くなるのを感じた。

だがそれすらまだ仮説なのだと気ついて気を引き締める。


「なあスザンナ、ドロシーの力の事知っていたのか?」


スザンナは苦く笑った、そこから呆れた気分が滲んでいた。

「アタシも始めは気づかなかったよ、知っていたら連れてこないさ、騒動のもとになるからね」


「いつ気づいたんだ?」

「疑い出したのは昨日ぐらいからだよ、そして今はっきりした、あの力は想い人にしか作用しない、あたしは聖霊拳の聖女だからね気づくことができただけさ」

スザンナは幽界への道を開いた聖霊拳の上達者だ、力の作用に対する感性は魔術師をも越える事がある。

そして聖霊教会の特別な部門の聖女で怪異や異常現象に対する知識も経験も豊富だった。


「あんたが気づいていたとはね、視える者なら可能性はあった、もっと早く気づいていたらねえ」

スザンナの言葉は最後は独り言の様になっていた。


「なあ俺が気づかなかったらどうするつもりだったんだ?」

それを聞いた彼女がこちらを向いた、その顔は揶揄するような今にもニヤニヤ笑い出しそうな嫌な笑顔に変わった。

「あんたはあの娘に惚れていたんだろ?ならそのまんま絡め取られ尻に敷かれてお幸せになればいいじゃないか?お互いに想い合っているなら問題ないさ」


エルヴィスはそんな問題じゃないと叫びたかったが、ふとそれでも良いかもしれない、そんな想いが心を埋めていく、その想いの中でなぜかドロシーは砂漠の旅姿の民族衣装のような白地の厚手のスカートを腰に巻き小さな子どもに飴を与えていた。

それは自分の子供なのかエルヴィス自身なのかはわからなかった。

それを頭から慌てて振り落とした、これもドロシーの力なのか?


スザンナは僅かに不審を感じたような顔をしてこちらを見ている、スザンナの口が何かを言葉にしかけたが、エルヴィスは先を続けた。


「ところでドロシーをシーリの護衛に選んだのは誰だ?」

「ん?ペンタビアから貴婦人の護衛任務としてあの娘に話が行ったはずさ、前に言わなかったかね?」

「ドロシーの力を知って提示したと思うか?」


「それはなんとも言えないね、力があると知っていたとして思い通りに利用できるわけじゃないんだよ」

「たしかにそうだな、偶然だと?」

「その可能性は高いけどね、私が知らない何かがあるかも知れないから油断はできないよ?」


丁度その時の事だ、スザンナから不自然な小さな音が鳴り響いた、まるでこの世の物ではない笛の様な耳慣れない響きだ。

「おっと、二人が呼んでいるね」

スザンナの魔術道具の音だった、最近呼び出し用の魔術道具が発明されてエルヴィス達も試験的に導入したばかりだ。

使える範囲は狭いがなかなか便利な小道具だ。

誰の発明かはっきりとしないらいしが、魔術道具として革命的な進歩だと言われていた。


「俺も行った方がいいか?」


スザンナは少し悩んでいたが決断した。

「いや、とりあえずいないほうがいい、またアタシからあんたに話すよ」

実はエルヴィスも言ってみただけで、何か面倒な事になりそうな予感がしてスザンナの言葉に内心胸をなでおろしていた。


エルヴィスとスザンナは野営地に向かって帰って行く、野営地はもう目と鼻の先だった。

エルヴィスの脳裏にはなぜか先程のシーリの姿が強く印象に残っていた、そしてドロシーの口からうっかり漏れた言葉が蘇る。






翌日の朝エルヴィスは薄暗い天幕の中で目が醒める、朝食の後はいつもの朝の会議が始まった、ザカライヤ教授がいないので会議は簡潔に進んでいった。

エルヴィスは隊長の隣に座っているドロシーを観察していた、彼女はどこか澄まして座っていたが、エルヴィスと視線が合うと目を緩めて微笑む。

シーリに視線を転じるといつもと変わらず茫洋として感情が掴めない、そしてエルヴィスと視線があっても心の動きを感じさせなかった。

最近は僅かに感情の動きを見せてくれていたのに最初に戻ったような硬さを彼女から感じた。


今日はバーナビーが地下に強く行きたがった、一度は見ておく必要があると言う理屈だ、それでヤロミールが不本意ながらザカライヤ教授が率いる補給隊を出迎える役になった。

ヤロミールが作成した大空洞の水の満ち引きの周期表は複写されている、それぞれの責任者に図表が渡された。



会議が終わるといよいよ地下の探査が始まる。

今日は親方は留守番で壮年の職人が一人随伴する事になっていた、親方は少し体を痛め症状は軽いので今日一日休息を取る事になったのだ。

荷役人(ポーター)達は野営地周辺で物資を集める仕事に従事する。


そして今日はケビンが調査団に参加する事になった彼も決意を固めたのだ。


彼には物資の一部を持たせる、休息時に使う敷物や簡易なティーセットだ、普段は持っていかない物だが、彼には重要な物をまだ持たせたくなかった、だが手ぶらでは無駄なのでこうする流れになった。



準備が終わると地下の探査が始まる。


環状の蛇の神殿の入口を護る魔術結界をシーリが解除すると隊列は中に踏み込んだ。

目的は架設した橋を渡り階段の上の階層を調査する事だ、そして前進基地を設置する場所を見極める、やはりバーナビーが参加するのは都合が良かった、今日中に決めてしまいたい。


隊列の先頭を進むのはラウルと用心棒だ、その後からリーノとシーリ達が続く、アンソニー先生は歩きながら古代の遺構を自分の目で見ることができなかった事を際限無く悔しがっていた、それを困った様にミロンがなだめている、その後ろに地図職人が進む。

その後ろから大きな背嚢を背負ったケビンが続いた、体積の割に軽いはずだが重そうだ、予備の水を運んでいる事を思い出したが、やはり彼には体力に問題があった。


エルヴィスは最後尾の傭兵隊の前にいた、傭兵達が背後を監視し全体を見張るのだ、これはスザンナ達の戦闘力を把握しているからこそ採用できる隊形だった。


「あんたは昔スザンナと組んでいたんだろ?」

急にエルヴィスに話しかけられたアームストロング隊長は驚いた、そして顔を少し緩めて笑う魁偉な大きな白髭が羽ばたいた。


「まあ腐れ縁よな」


エルヴィスはスザンナの背中を見てから声を落としてささやく。

「若い頃はどうだったんだ?」

隊長は巨躯をわずかにかがめ顔をエルヴィスに近づけると更に声を落として呟く。


「エルヴィス何か期待しているのか?あのまま若くしただけだぞ?」


隊長はクツクツと笑っていたが馬鹿にするでもなく、彼の瞳は穏やかに凪いでいた、どこか昔を思い出すかの様に優しい。


その瞬間背中に寒いまでの気の圧力を感じる。

慌ててそちらを見るとスザンナが異教の神殿の悪魔祓いの像の様な凄い顔をして睨んでいた。


「相変わらずの地獄耳よ」


隊長はまた含み笑いをしたが、エルヴィスはそれどころでは無かった。

スザンナの隣にいたドロシーがこちらを見た、顔に『何かあったの?』と書いてあった。

だがシーリは真っ直ぐ前を見て歩いているので後ろ姿しか見えない、彼女は魔術の照明道具のヘアバンドを付けているので鍔広の三角帽子は被っていない、薄いブラウンの束ねた髪が揺れていた。


やがて昨日橋を架設した地点に到達する、ここは壁が壊れていて内部を観察する絶好のポイントになっていた。


時間的にあの液体が満ちている時間だった、たしかに大空洞に液体が満ちているがエルヴィスはそれに強い違和感を感じた、

エルヴィスは慎重に崖に近寄ると、その違和感の正体が明らかになる。


中央の青紫の建物の半分以上が水面から出ていたからだ、足元を見ると七~八メートルほど下に水面が見える。


「水面の高さが変わるようです」

隣から聞こえた落ち着いた低い美声に思わずエルヴィスは震える、それがシーリの声だったからだ。

シーリは何時ものように落ち着いている、彼女の顔はどこか作り物めいて硬く感じられた、どう反応しようかエルヴィスは困惑した。


そして自分の役割を思い出す。


「シーリ、それに法則があるかわかるか?」

シーリがヤロミールが作成した図表を見せた、そこには水面の高さが幾つか書き込まれている。


「しばらく観測すれば何かがわかるかもしれない」

「ありがとうシーリ、これからも頼む」

シーリが薄っすらと微笑んだ様な気がした。


ふとシーリの背後でドロシーが挙動不審になっていた、スザンナが軽くドロシーの腰を叩く。

果たしてスザンナはドロシーの芳香についてシーリに話したのか気になる、だがスザンナはたぶん話していないだろう、話したところでどうにもならない問題なのだ。


「エルヴィス進もう、時間は無駄にはできないぞ」

橋を渡ったラウルが呼びかけて来た。


「よし進むぞ、階段を上がってそこで休息する」


エルヴィスは調査隊をふたたび前に進める。






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