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魅惑の月

暗闇の中どこまでも広がる湿地帯、小さな池と湿地に小さな林が散らばる、木々は疎らで夜の闇のなかに虚しくその姿を晒していた。

ドロシーの姿も見えず足音も聞こえない、蒼い月の光に照らされれて湿地の上に彼女のブーツの跡だけが残っていた。

この闇の向こうに確かに彼女はいる、だがこの闇の中に傭兵達を惨殺した化け物が潜んでいるかもしれないのだ。

エルヴィスは腰の曲刀の柄に手を添えた。


ドロシーが強いとは言え早く無事な姿を見つけたい、そしてなぜ逃げたのか話を聞きたかった、だがその理由がエルヴィスの胸の中に浮かび上がる、彼女は自分の魅惑の芳香の力を知っているのかもしれない。


遠く彼女の姿が見えた様な気がしたがそれは幻覚だった、だが倒木の上に俯いて座っている彼女の姿がたしかに見えるような気がした。

エルヴィスは走るのを止めてうつのまにかゆっくりと歩いていた。


しだいに薄暗い蒼い月の光を浴びて彼女の姿が浮かび上がる、彼女は大きな朽木の幹に確かに座っていた、彼女はこちらに気づいて顔を上げ慌てて腰を浮かせる。


「逃げないでくれドロシー、話を聞かせてくれないか!たのむ」


話を聞いてくれと言おうとしたのに、なぜかその言葉が飛び出していた。

ドロシーは浮かせていた腰をふたたび大きな朽木の椅子に降ろす、エルヴィスはゆっくりとドロシーに近づくと彼女から少し間を置いて腰を降ろした。


ドロシーは何かを言おうとしてるが躊躇(チュウチョ)していた、だが逸る気持ちを押さえてエルヴィスは待った。

彼女はエルヴィスを見ようともせずにささやく。


「さっきは急に逃げてごめんなさい、変だと思ったでしょうね」


「何か理由があると思った、言いたくないなら言わなくてもいい、でも話してくれるなら話してくれないか、俺に出来ることなら力になりたい」

彼女はおずおずとこちらを見上げた、闇の中で彼女は一人で泣いていたのだ胸を突かれて痛む。


「話しても信じてもらえないわ」


「おいおい、俺を何だと思っているんだ?そんな信じられない話で商売をしてきたんだぞ!?」

エルヴィスはいつもの不敵な少し小馬鹿にしたような顔をして笑ってやった、ドロシーははじめて薄く笑う。


「誰にも相談した事なんてなかったのよ」


ドロシーは少し自嘲的に笑っていた、そんな彼女の(カオ)を見たのは初めてだ、それは彼女に似つかわしくない皮肉な暗い笑みを浮かべていた。

そしてまた何かに悩むように考え込み始めた、エルヴィスはあえてそれを妨げまいとした。


「いいですかエルヴィスさん、嘲笑わないでくださいね?」

そうして人指し指を立ててエルヴィスを睨んだドロシーは少しだけいつもの彼女に戻っていた、それがつい嬉しくてつい微笑んでしまう。


「もちろんだ」


ドロシーの顔が少し赤く染まり、彼女の目がくりっと角度を変えて視線を逸らせた。

するとあの魅惑的な芳香がほんの僅か漂って来た。


「信じてもらえないかもしれないけど、あまり話したくないけど・・・」

ドロシーの挙動が怪しくなった、エルヴィスはなぜか信じるよとは言い出せなかった、それを言うと嘘臭さくなるだけだ。


「でも誰かに聞いてほしかったのよ、私にはわけが解らなくて、でも」

また沈黙の間が空いたがエルヴィスは静かに彼女が先を続けるのを待つ。


「私、男の人が少し好きになるとすぐにその人が振り向いてくれるのよ、別に自慢してるわけじゃあないからね?」

ドロシーはこれを言うのに勇気をかき集めたのだ、彼女は羞恥で顔を真赤にしていた。


そして勇気を振り絞るように先を続ける。

「でも恋人や婚約者がいる人も、奥様がいる人もそうなるのよ、私はそんな不誠実な人なんて好きになりたくない、素敵だと思った人にそうなって欲しくない・・・おかしいのよ」

「だから変だと思ったんだな?」

ドロシーはうなずいた。


「いくらなんでも変なの」


その後また沈黙の間が空いた、エルヴィスには彼女が先を続ける事に悩んでいると感じていた。

「私って、変な顔しているけどそんなに悪く無いと思うの、でも、でもそんなすごい美人さんだとは思えなくて」

ドロシーはこれを言うのに勇気をかき集めたのだ、更に顔を真赤にしていた。


彼女は個性的な美貌と美しい肢体の持ち主だ、それでもエルヴィスの贔屓目でも絶世の美女とは言い難い。

エルヴィスは頭脳をフル回転させた、ここからどう切りだそうかと。


「そんな事は無いぜ、素敵な目や口をしているよ、神殿の巫女の神楽(カグラ)の様な美しい身のこなしができるだろ、見ているだけでとても惹きつけられるんだ、それにとても良い香りがする」

さすがのエルヴィスも酒場の踊り子の様にとは言えなかった、そこで昔見た土地女神の巫女の神楽(カグラ)を出す事にしたのだが、その巫女の踊りの方が酒場の踊り子より全裸に近いのは秘密だ。


ドロシーが急に俯いてしまったのでどんな顔をしているかわからない、だが最後に顔を上げる。

『何を言っているのかしら?』彼女の顔にそう書いてあった、解りやすくてとても助かる。

僅かに小鼻をひくひくと膨らませる、きっと香りを確かめているに違いない、つい笑いの衝動がこみ上げて来た。


「わからないわ、あら笑ったわね!?」

ドロシーは目を見開いて少し怒りながら顔を顰めた、ドロシーはいつもの自分を取り戻しかけていた。


「なあ、君からとても良い香りがするって言われた事はなかったのか?」

しばらくドロシーは真剣に考え込んでいた、昔の記憶を掘り起こしているに違いない。

「ええ、そういえば素敵な司祭様に言われた事があったかな・・・昔の事よ」


「そいつ素敵だったのか」

エルヴィスがニヤニヤしながら突っ込むと、またドロシーは少し機嫌を悪くすると口を尖らせた。


「なんですか?ちょっと素敵だと思っただけよ、はしたない事なんてして無いわ、あっ!?」

その瞬間ドロシーが固まる、そして顔色が見る見る青くなって行った、蒼い月の光に照らされてなお青く染まりやがて彼女から表情が消えた。


「まさかそうなの!?エルヴィスさん」

気を取り直したドロシーが呟いた、遂に核心に到達したのだ、ドロシーは頭の回転が悪くないと思っていたがそれ以上だ。


「かもしれねーと俺は思っている」

「そんな、全然気づかなかった、それに誰もそんな事」

ドロシーは動揺し顔を横に激しくふった、俯いたまま両手で顔を覆った。


やがてドロシーの嗚咽が聞こえて来た、エルヴィスはどうしたら良いのかわからない、女の扱いには慣れていたつもりだったが狼狽した。

「みんな私の事が好きだったからじゃないの?全部香りのせいだったって言うの?それに自分じゃわからないわよ!」

ドロシーは激しく泣き始める。


エルヴィスはドロシーとの距離を詰め隣に座った、そのまましばらく見守るやがて彼女は落ち着きを取り戻していく。

「なあドロシー、アリシアの街の宿屋で初めて、君に出会った時の事覚えているか?」

ドロシーはそこで泣き止んだ。


そしてやっと顔を上げた。

「ええ、覚えていますけど?」

「その時から君から目が離せなくなっていた、いつも君を探していたんだよ」

ドロシーの表情は不安と僅かな喜びと戸惑いを語りかけてくる、だが彼女の口から漏れた言葉は残念だった。


「そうなんですか?」


その言い回しに呆れと笑いを誘われたがここは耐える。

「だが香りなんてしなかったぜ?オアシスで君と戦ったのを覚えているか?」

「忘れるわけないですよ、久しぶりに負けたのよ、あの時」


「君から不思議な香りなんてしなかった、俺は始めから君に惚れていたんだ」

「まあ!!私はあの時までエルヴィスさんっていい人だと思っていたけど」

ドロシーは微笑んだが、すぐに微笑みは消え顔が赤くなった、そして咳払いをする。


「俺の事をいい人だと思っていてはくれたんだな」

エルヴィスは朗らかに笑った、ドロシーは困惑したようにうなずいた、そして仄かに魅惑の香りが漂い始めた、エルヴィスは密かに慌てはじめる。

だがそれも束の間でまた彼女の顔色が沈んで行く、そして虚ろな目で空を見上げる、だがエルヴィスは俯くより良い傾向だと思った。


「私って考える事が顔に出るって言われていたけど、まさか気持ちが匂いになっていたなんて、恥ずかし過ぎるどうしよう」

気持ちと誤魔化したがそれは異性への感情の事だ。

「いや、香りを感じる事が出来る奴は限られる、俺はそう見ている」

「どう言う事かしら?」


「俺や素敵な司祭様の様な見える奴だけかもしれねえぞ?」

素敵な司祭様の処でドロシーの頬が僅かに痙攣したのを見逃さなかった。


「そうだわ、スザンナが言っていた、エルヴィスさんは異界の存在や精霊力を感じる事が出来るって、みんなが香りがわかるならもっと前から大騒ぎになっていたはずだわ」

「俺の言う事を信じてくれるのか?」

ドロシーは無言で頷いた。


「あの、エルヴィスさんが香りに気づいたのはいつですか?」

「砦の野営地に泊まった最初の夜だ、あの時君は野営地の外で訓練していた、あの時が初めてだよ」

急にドロシーは俯いて顔を両手の手の平で覆って頭を左右に振った、だがそれは落胆でもなく苦悩でもない、そして顔を上げて顔を見せた、彼女はどこか吹っ切れた様な顔をしていた。


「情けないわ、心が隠せないなんて」

「信じてくれ、おれは香りでお前に惚れたわけじゃない」

だが肝心のドロシーは何か別の事に気を捕らわれている、それにエルヴィスは少し怒りを感じた。


「でも香りって何なのかしら?エルヴィスさんは何か知っていますか?」

エルヴィスは顔を横に振る事しかできなかった。


「俺にはわからない、だがここには聖霊教の聖女がいる、もう知っているのかもしれないぜ」

こんな事を言ったがエルヴィスはスザンナが何か知っていると確信していた、スザンナのあの呟きが脳裏に甦る。


『罪深いこったね』


今になってスザンナの言葉が意味をなした、彼女は何かを知っている。



「スザンナは知っているかも知れないのね?でもあの、知られたく無い、こんな事で取られたって思われたら」

エルヴィスは一瞬だけ困惑した、だが察した知られたく無い相手はスザンナじゃない。

ドロシーは失言したと気づいたのか慌てだした。


「スザンナに聞けば何かわかるさ」


「そうね私達で考えても先には進まない・・・そうよね」

ドロシーは自分の想いに深く沈み込んでいった。

それも僅かの事だ突然顔を上げてエルヴィスを見つめる、だがいきなり視線をめまぐるしく散らしてあたふたし始める。


「そうだ、そうだわ、さっき私に惚れたって、ええ考える事が多すぎて、それどころじゃ無くて」

ドロシーのつま先がエルヴィスの頑丈な皮のブーツにぶつかり痛い。


うんざりしたようにエルヴィスはドロシーの耳に囁いた。

「だから言っただろ、おれは香りでお前に惚れたわけじゃないって」

ドロシーの動きが止まった、それと共にあの魅惑の芳香がエルヴィスを包み込む、強烈な本能を捉え魂を魅惑する魔性の香水の力。

彼女の瞳がまっすぐエルヴィスの瞳を捕らえた、彼女の顔が夜の闇になお紅に染まっていた。


芳香が有ろうが無かろうが、惚れていた事に変わりないじゃないか、エルヴィスはそう投げやりに思った、そのままドロシーの魅惑的な大きな唇に吸い寄せられる様に唇を重ねて行く、とてもそれは柔らかい、至上のベッドの様に魂を吸い寄せて離さなかった。


天空の蒼い月だけがドロシーの瞳の奥底に眠る何かが勝ち誇る様に光を煌めかせたのを知っていた。








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