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異界の水

エルヴィスは薄暗い天幕の中で寒さを感じて目が醒める、朝の空気は肌を刺すように冷たかった、薄暗い天幕の中を見渡すと仲間たちはまだ寝ている。

のろのろと起き出し音を立てないように外に出た、暗い空を背景に灰色の薄い雲が東にちぎれる様に吹き流されて行った。

アンナプルナの峰々も今日はその頂きが見えない。


大きく息を吸って吐いた、ちょうど親方達の天幕から若い職人が出てきた。

「あっ、エルヴィスさんおはようございます」

「おはよう、お前朝飯の用意か?」

その職人は軽くうなずくと仕事に取り掛かる、親方のところは若い職人が炊事を担当していた、こっちは周り持ちだが人も増えてきたので、専門の下働きを入れる時期だと感じている。

メンバーをそれぞれの仕事に専念させた方が効率が良いのだ、ケビンをそれに当てたいところだが、ケビンの叔父に世話になっているのでなかなかそれも出来ない。


やがてエルヴィスの大天幕から仲間達が出て来た。

「今日ははやいじゃないか」

ラウルの陽気な声がする、ラウルが焚き火を覆う薄い鉄の板を取り除き、灰の山を火かき棒でかき混ぜると赤く燃える炭が頭を出した、数日間ここを使用しているので火種が残る様になっていた。


「燃料がそろそろやばいな」

ラウルが呟いたエルヴィスもそれに同意だ。

「明日補給が来る、最悪生木を燃やすさ大量に集めたからな」

ここに来てから野営地の荷役人(ポーター)達とケビンやリーノを使って、近くの朽木や生木を集めさせていた。


やがて食事の準備が始まる、親方の他の職人達は道具を運び出し地面に敷いた厚手の布の上に並べていた、やがて天幕から親方が出てくる。

「いよいよだな親方」

「ああ、飯くったら始めるぞ、丸太のまま運んで組み立てるだけだ、乾いてねーから重いんだよな、水気が抜けてねえからよ」

「水気か・・・少し用ができた」


エルヴィスはドロシー達の天幕に向かった、野営地をまっすぐに突っ切る。

すぐに天幕が見えてきたが天幕の前でドロシーが料理をしている、スザンナ監督の元で修行させられていたのだろう、スザンナの背中がいつもよりなぜか大きく見えた。

こちらの接近をいち早く察知したスザンナが後ろを振り向いた。


「おや?エルヴィスかい、朝っぱら何のようだい?」

ドロシーも顔を上げて嬉しそうに微笑んだ。

「おはようございますエルヴィスさん」


「シーリに用があるんだ」

ドロシーの表情に僅かな影が射したがあっという間に消え去った。

「まあシーリは中にいるわ」

天幕の入り口に近づくと中に呼びかけた。

「シーリ!エルヴィスさんが御用よ」

するとすぐにシーリが顔を出した、半分眠っている様な顔をしているどうも朝が弱いらしい。


「おはようエルヴィスさん、私に何か?」

「聞きたい事が有る、生木の水分を魔術で抜くことはできるか?」

「生木って、切ったばかりの木ですか?」

エルヴィスは無言でうなずいた。

シーリは少し考え込んでいたがやがて美しい朧気な顔を上げるとこちらを見つめた。

「水を動かす要領でできるかもしれません、でも今までやった事がなくて、雑用に魔術を使うのをみんな嫌っていたけどでも私は構わない」

最後は自分の思いに沈み込む様な呟きに変わった。


「なら試しにやって見てくれないか、俺のところに集めた木材が在るんだ」

「いいですわ」

シーリはスザンナを見た、それにスザンナが肩を竦めた。

「ああ、いいよアタシも一緒に行くよ、あんたは火の番と料理をしてな」

「ええーー」

ドロシーの抗議の悲鳴を置き去りにして、エルヴィスは二人を連れて天幕に戻った。




大天幕のとなりに物資が集められている、そこに朽木や切り倒された様々な太さの生木が枝葉を払われて積み上げられていた。

普通は数ヶ月かけて乾燥させるものだ、建材なら更に数年かけて乾燥させる事もある。

その木材の山の前にシーリが立っている、彼女を遠巻きにエルヴィスチームの者達が集まり親方達も加わっていた。

誰も声を出さずにかたずを飲んで見守る。


シーリに力が集まり魔術術式の構築が始まる、敏感な者はこれを感じる事ができるのだ、やがてシーリが詠唱を始めると大きな力が集まりそして発動した。

木材の切り口から水が滴り落ち始める、彼女の術が発動を終えたのにそれは止まらかった、生木の切り口から強く水が吹き出すと水が地面に水たまりを作った、どこか湿った森の様な生臭い臭いが広がって行く。

やがて水の勢いが衰え水滴が滴り落ちるだけになった。


親方が木材の山に近づき調べ始めた、しばらく調べていたがシーリを見てニヤリと笑った。

「うむ、まだ不完全だが随分ましになったぞ、こりゃいい」

それを聞いたラウルも木材の山に近づいて調べ始めた。

「そうだな、燃料にもなんとか使えそうだ」

ラウルと親方が話し合いを始めた、橋の材料をこの中から親方が抜く事が決まった、切端を試しに今夜燃料に使って試す事も決まる。

最後にエルヴィスがそれを承諾する。


「お役に立てましたかしら?」

エルヴィスチームのメンバーは少々大げさに彼女を称える、どこか冗談半分だがそれでも彼女は嬉しそうだった。


「さあ帰るよ、ドロシーが待っているよ」

だがいきなり口を開いたスザンナがシーリの腕を引いた、エルヴィスはシーリに話があったがタイミングを逃してしまう、名残惜しそうなシーリをスザンナが連行して連れて行ってしまった。

「エルヴィス彼女をなんとかスカウトしてくれよ?」

聞こえてきた親方の声が切実な響きを帯びていた。




朝の会議の後で砦の野営地に向かうザカライヤと傭兵達を見送った、大天幕に戻ると職人達が既に仕事を始めている。

彼らは親方の指図にしたがい丸太を切りそろえていた、乾燥が進んだおかげで作業が捗るようだ。


その直後にあの轟音が野営地の周囲に響き渡った、最近この音に慣れたのか誰も驚きはしない。

エルヴィスは思わず一人言を漏らしていた。

「昔はこんな音はしなかったな」

一緒に朝の会議に出ていたラウルがそれを聞き咎めた。

「そうなのか?エルヴィス」

「湖の近くに来たのは一度きりだ、はっきりと覚えていないがこんな音がした記憶が無いんだよ」


そして流れる灰色の雲を見上げて思わず呟いた。

「水が引く音か、満ちる音か」


「ああ、あれがわからねーと危なくて近づけねえぜ」

ラウルはそうぼやいて大きな肩を竦めて見せた。


二人が大天幕に戻るとリーノが野営地の外れで用心棒から武器の使い方を習っていた、彼らももうこの音を気にもしていない。


エルヴィスは溜まっていた仕事を片付ける為に大天幕に入る、久しぶりに時間ができたのだ、ケビンがランプに火を点けると天幕の中が明るくなった。

物資状況の把握や死んだ者達の給料や遺族への支払いを決定しなければならない。


「くそ、ザカライアに一応手紙を持たせたが、こっちの状況を上手く伝えられるかな?」

エルヴィスはぼやいた、砦の野営地には金庫番がいるが向こうはまだこちらで起きた事件を知らない。


それをケビンが聞き咎めた。

「ザカライア教授がどうかしたんですか?」

「ああ、こっちの話だ」

エルヴィスは書類を探し必要な事項を記入していく、そしてこりゃ事務担当も増やさなきゃなと思い始めた。






エルヴィス達は早めに昼食をとると神殿前に向かった、親方達は背嚢に道具一式を詰め込んでいる。

すでに神殿前にドロシー達があつまっていたがドロシーが軽く手を振って迎えてくれた。

しばらくすると隊長と三人の部下、アンソニー教授とミロンにヤロミール、調査団の主要メンバーが総て集まる。

遅れて荷役人(ポーター)五人と下働きの男二人がケビンと若い職人に案内されながら橋の部材を運んでやって来た。


野営地はバーナビーが留守番だ野営地の守りは防護結界を頼るしかない、もっとも昼間に野営地を襲い防護結界を破る者がいたら傭兵が数人いても意味はなさないだろう。


エルヴィスは全員を見渡してから号令を上げる。


「よし行くぞ!!」


それを待っていたかのようにシーリが神殿の入口に設けた防護結界を解除した、最近の彼女は先を予想して動くことを楽しんでいた。

調査団は環状の蛇の神殿の入口をくぐり地下への階段がある部屋に向かった、ふと天井を見上げたがあの足跡の様な黒いしみが残っていなかった、


いったいいつ消えたんだ?そこでまた小さな騒動が起きた。




そして一時間程であの下働きの男が遭難した現場に到達した、神殿からここまで直線距離なら500メートル程だが洞窟の複雑な地形のせいで片道1時間以上もかかってしまう。


ここまで来てエルヴィスは直ぐに異常に気づいた、大空洞の中心にある建物の上の光り輝く謎の物体が水面下に没していた、慎重に崖に近づくと水面が随分と高くなっていた、崖下を見下ろすと水面まで1メートル程の高さしかなかった。


「これはまずいぞエルヴィス」


親方も恐る恐る下を観察している、親方が何を言いたいかおおよそ解る、水面の高さが変化するならばここも安全とは言い切れない。


「とにかく橋を造ろう親方、次は水がひく番だろ?」

「そうなら良いがな」

その場が気まずい沈黙に覆われた。


その沈黙を破るように親方が弟子の所に戻ると声を上げた。


「よし始めるぞ!!」


弟子たちが背嚢を下ろして道具を取り出すとさっそく仕事に取り掛かる、資材を運んで来た荷役人(ポーター)達が慌てて資材を下に置き始めた。

天井を見上げるとあの黒い染みの様な跡がまだ残っていた、それに逆に安心した自分を密かに自嘲する。


ふとアンソニー先生達の姿を探すと二人は大空洞の景色に魅入っていた。

「先生あまり近づかないようにそこは危険ですよ」

エルヴィスはゆっくりと二人に近づいて声をかけた。


「ああエルヴィス君か、見たまえこれが生きている古代文明の遺構なんだよ、まさか生きている間にこの目で見ることができるなんてね」

アンソニー先生は感動を隠さずにこちらを振り返った、そして中央の建物を指差す。


「あの真ん中の建物も興味があるが、あの白い円盤と向こうの大きな扉が気になるよ」

それらは謎の液体の中に総て沈んでいる。

「先生あれが何なんなのかわかりますか?」

エルヴィスは中央の建物を指差した。

「そうだね、真ん中の建物の形だけど、古代の墓所の形に似ているとは思わないかい?」


エルヴィスが改めて見ると中央の建物の形が確かに墓所に似ている、エルヴィスが見た事がある墓所は遥かに小さくて殆どが酷く破壊されていた、そして薄汚れた灰色をしている。

だがこれは紫を帯びた蒼い色で美しいく彩られていたので気づかなかった。


「墓所か」


例えようの無い不安が心の中に広がって行く。

「でもあの光る物体は見当がつかないよ」

アンソニー先生は苦笑いをしながら首を横に振った。



「あの白い円盤はなんです?」

ここから反対側の壁に置かれた白い円盤を見てからアンソニー先生は首を横に振った。

こちらは水面下に没しているのではっきりと全貌は見えなかった。

「私にも解らないんだ、でもね神隠し帰りの断片的な証言に、光る窓や鏡に引きずりこまれた、そんな話が残っているんだよ」

先生の側でミロンは興味深げに聞き耳を立てている。

「ではあれがそれだと?」

「何の証拠もないけどね、それならばこの水は異界の水って事になるのかな」


「それではあの大扉の向こうに何があるかわかりますか?」

エルヴィスが指差す先に大きな扉が水面下に揺らいでいた、それは大空洞の壁に不可思議な文様が描かれた扉の絵の様にも見えた。


「僕にはまったく見当も付かないよ、はは」

先生は最後に自嘲気味に笑う。


ミロンは床に散らばっている瓦礫をいつの間にか調べ始めていた。

「ミロン君何をしてるんだい?」

「見てくださいよ先生、この瓦礫に白い部分がありますよ」

エルヴィスは彼が何をしていたか理解した、それは大空洞の内側を塗り固めている白い物質だ。


「これは人工的に塗られた物か?」


やはりここは何かしらの原因で破壊された場所なのだろうか、エルヴィスも素早く地面を探して白い何かが付着した岩の欠片を拾って観察する、すると視界の隅に白い大きな何かが目に入る。

急いで近づくとまるで厚手の陶器の破片の様な白い欠片が落ちていた、それを拾うと手の平程の大きさがあった、それをそのまま懐にしまい込んだ。


「あら私も拾うわ」

後ろから声がするとシーリも地面を探し始めた。


「私の予想が当たるならば、あと二時間後に水が引くはずだ、水が満ちるのはその一時間半後だ」

そこにヤロミールの声が聞こえてくる。


みなヤロミールの周りに集まってきた、だが職人達はわき目もふらず橋の組み立てを進め、荷役人(ポーター)達は重荷から解放されて壁際で談笑しながら休んでいた。


ヤロミールが広げた手帳には横軸に日時が描かれ、縦軸に三本の線が水平に引かれている、エルヴィスは三本の線は三種類の轟音の間隔を示していると即座に理解した。

その三本の線の所々が太くなっている。


その線を見ているとたしかに三日と半日の間隔で周期性が在るようにも見える、だが断言するには早いと感じた。

そしてその表の意味が理解できたのは魔術師二人とエルヴィスだけの様だ、ヤロミールが表の意味を説明しはじめると感嘆の声が上がった、隊長の唸るような声が聞こえて来た。


エルヴィスは学問や教養を叩き込んでくれた美術品贋作詐欺師の育ての親に胸の中で感謝した。







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