生ける遺跡の秘密
最後の雑用を片付けたエルヴィスはドロシー達の天幕に向かっていた、野営地の外側をゆっくりとぶらつきながら周囲の闇の向こうに目を凝らし聞き耳を立てた。
そうしている間にも野営地の灯りがまた一つ落ちる。
ふと空を見上げると薄曇りで見える星は随分と少なかった、最近星空を眺めても心が動くことが無くなった、だがまた街に戻ればこの空が懐かしくなる、そして砂漠に出るとまたこうして星空を眺める様になる。
エルヴィスはそんな自分の想いを小さく鼻で笑った。
目の前にドロシー達の天幕が見えて来た、エルヴィスは地下で起きたあの出来事に関してスザンナの意見を聞きたかった、彼女は正体を隠しているので身分はシーリ付きの侍女でしかない本部会議に出席する資格が無かった。
ドロシーの天幕の入り口に近づいてから声をかける。
「スザンナいるか?」
だが中から応えはなかった、ドロシーの訓練に付き合っているに違いない、野営地の外に出て周囲の闇を見透かし聞き耳を立てる。
だがドロシーの足技の風切り音は聞こえてこない、替わりに女性達の姦しいおしゃべりの声が聞こえて来る、声が聞こえて来る方向に進んで行くと、しだいにはっきりと会話の内容が聞こえ初めた。
「弟達が悪さしたらぶっ叩けってお婆ちゃんの教えよ」
それはドロシーの澄んだ高い声、耳をくすぐるような魅惑的な声だ、おかげで年齢より幼く聞こえてしまう。
「過激だわ」
対称的に落ち着いたシーリの声が応える、ドロシーより遥かに大人びた落ち着いた美しい声。
「子供に舐められたら躾なんてできないわ」
「あんた家に送金しているんだろ?給料の・・・」
その大きな低い声はスザンナの声だ、とても聖女の声とは思えない厳ついた太い声、その声は苦笑を滲ませていたがどこか暖かかった。
エルヴィスはその声に向かって更に近づく。
「エルヴィスだね?何の用だい」
さすがスザンナいち早くこちらの接近に気づいていた。
「いろいろ話を聞きたくてな、いったいここで何をしていたんだ?」
エルヴィスは一気に三人に近づく、石灰岩の岩を椅子にスザンナとシーリが、大きな朽木の椅子にドロシーが座っていた。
目が慣れてくると周囲の土の上が無数の足跡で踏み固められていた、これはドロシーとスザンナが訓練をした跡だろう、三人はここで休憩していたのだ。
「この娘の訓練に付き合っていたのさ、あんたも適当に座りな」
エルヴィスは大きな朽木に腰掛けているドロシーを見る、彼女は激しい訓練の後なのか肌が薄っすらと濡れ頬が上気していた。
彼女の芳香に惑わされない様に慎重に距離を保って座った、しかし彼女は特異体質なのか魔術なのか好奇心が湧いてくる、スザンナやシーリは平気なのだろうか、もしや男以外には影響がないのか。
「あの地下の話だろ?」
エルヴィスの悩みを勘違いしたのかスザンナから切り出して来た、そうだ時間を無駄にしていられない。
シーリがすくっと立ち上がると魔術構築を始める、すでに彼女が放つ力と詠唱からいつの間にか防音障壁の術だと解るようになっていた。
「助かる」
シーリに礼を言うと彼女は嬉しそうに微笑むとゆっくりと岩の椅子に腰かけた。
「スザンナ、あの地下の遺跡は何なんだ?あの液体は何だ?」
スザンナは顔を横に振る。
「わからないんだよ、でもねあの水が引いた後であの建物から凄まじい瘴気が吹き出していたよ」
「水はあの建物を封じていたのか?」
「あくまでも私の予想だよ、あれだけの仕組みは古代文明の産物だ、闇王国ごときでは造れない」
「では誰が?」
「古代文明は世界間戦争で滅びたと言われている、あんたなら知っているだろ?」
しだいに暗闇に目が慣れてくる、スザンナは暫く間を置いて聴衆の顔を見渡してから先を続けた。
「妖精族が上位世界の神々を裏切り、魔界の悪魔を物質界に招きこんだと言われているが、はっきりとした事はわからない、伝説では追い詰められた闇妖精族がこのアンナプルナ山脈を終焉の地としたと伝えられているね」
「それがここなのか?」
エルヴィスは無意識に地面を指で指す。
「たぶんね、あの地下の大空洞を見てそう感じたのさ」
「ならあの仕組みを作ったのは幽界の神々なのかしら?」
シーリがスザンナを見つめる瞳は強い輝きに満ちていた。
「そうさね、後は幽界の神々が生き残った人に作らせたかもしれないがね」
「闇王国が作った物ではないと」
エルヴィスの疑問にスザンナが応える、何時になく彼女の表情は硬かった。
「ああ、あれは失われた技だよ、それもまだ生きている」
「生きている遺跡って珍しいの?」
ドロシーが身を乗り出した、そのおかげで風に乗って芳しい香りが僅かに漂ってくる。
そういえばアンソニー先生も生きている遺跡は珍しいと言っていた。
「パルティナ十二神教の聖域神殿の地下に生きている遺跡があって、教義の核心に関わる問題なので極秘とされている、そういう噂があるよ」
エルヴィスは育ての親の美術品贋作家や墓荒らしの親方から聞いた話を思い出していた。
「今までいくつか小さい施設が見つかった事があるらしいぜ、だが争いに巻き込まれて破壊された、本当にそうなのかは知れた物じゃないがな」
朽木の端に座っていたドロシーがこちらを真っ直ぐに見てくる。
「壊しちゃったの?」
エルヴィスはつい苦笑してしまった、エルヴィス達の様な遺跡荒らしは遺跡の保存より遺物の持ち出しをどうしても優先してしまうからだ。
「俺たちは壊した事はない、だいたいお目にかかった事も無い。まああれだそのままじゃあ金にならねーからな、あとヤバい奴らに利用されるぐらいなら、それも考えられるぜ?」
エルヴィスはそう言いながらスザンナを見た。
「聖霊教の教会は土地神の神殿や聖域の上に立てられてるのは知っているだろ?そうやって保護しながら隠してきたのさ」
「あっ!そうなのね」
それはシーリの小さな叫び声だ。
「だがそこから漏れていた遺跡がまれに見つかる事があるよ、もちろん死んでいる廃墟が殆どだけどね、大きな歴史のある教会ほど下に何かが眠っていると考えて良いね」
「勉強になったわ」
ドロシーの声にはまだどこか呑気な響きがあった。
「あの建物の中に何があるんだスザンナ」
「確証はないけどね、闇王国が復活させた闇妖精族の王族に関わる重要な何かだよ、残された資料からおおよその事はわかるのさ、闇妖精族の肉体を滅ぼし魂を封じていると唱える者も多いんだ」
「スザンナあんたの目的は何だ?」
「封印があるならそれを守り妨害を排除する事さ、封印に支障が起きているならそれを調べ可能なら問題を解決する、手に負えなければ報告に戻るのさ、調査が最大の目的だよ」
「やはり封印があると知っていたんだな?」
スザンナは僅かに躊躇したが先を続ける。
「八百年前に聖霊教が一度調査したのさ、だが記録が破壊されたり散逸してね、正確な場所すら失われていた、まさかこんな有名な場所の地下にあるとはねえ」
「今までも調査したのか?」
スザンナは星空を背景に青い月の光を薄く浴び浮かび上がる暗黒の山々を指差した。
「あの山々の中に有るに違いないと何度も調べたのさ、聖霊教には山岳派の修道僧もいるからね山の調査は得意なんだ、だが東エスタニアからアンナプルナに近づくのは厳しくてね砂漠がある、西からの方が楽だがむこう側はパルティナ十二神教の縄張りなのさ」
「なあパルティナ十二神教の聖域神殿はこの事を知ってるのか?」
「なんらかの事情で記録が失われている、私達はそう疑っているよ、これもはっきりとは言えないがね、知っていたらもっと干渉してくるはずさ」
「なるほどな、聖霊教と同じで記録が失われているのか?」
スザンナは無言でうなずいてそれを肯定した。
「これから何をするかは調査しだいか?スザンナ」
「まあそうだね、今はまだわからない事が多すぎるからね、アタシからもあんたに頼みたい事があるよ」
エルヴィスは無言で先を促した。
「この娘達を守ってやってほしいのさ、私が側に必ずいられるとは限らないからね」
「二人は強いぞ半端な奴が手を・・・わかった」
敵はこの世ならざる者かこの地の闇王国の遺産を狙う危険な者達だ、エルヴィスはスザンナの願いを受けた、安請け合いするつもりはないが二人を護ると初めから決めている。
湿地で惨殺された傭兵達、天井の不気味な黒い痕跡、未知の液体に溶けていく下働きの男の姿。
この辺境から生きて帰りたければ謎を解き明かし脅威に打ち勝つ必要がある、エルヴィスはそんな予感に囚われていた。
単なる直感だがエルヴィスは自分の直感を信じていた、今までそれで何度も危機を脱してきたのだ。
「わかったよスザンナ」
口から自然とその言葉が出ていた。
「ああ頼んだよエルヴィス」
「まあ」
隣からドロシーの声が聞こえて来た、どこか嬉しそうな少し上ずった声だ。
「じゃあそろそろ戻るかね」
最後にスザンナが終わりを告げる。
ドロシーが立ち上がって背伸びをした、するとあの魅惑的な芳香が漂って来た、エルヴィスはこの芳香に記憶が無い、多少は女達の香水の香りを知っているつもりだがそのどれからもかけ離れていた。
それに前より香りが強くなっているような気がした、エルヴィスの直感が警告を発していた、それを熱い熱情が塗りつぶしていく。
「さあさあ帰るよ!?」
スザンナの声に我に帰ったエルヴィスも立ち上がる。
野営地に向かって歩き去って行くスザンナがつぶやいた。
「罪深いこったね」
「何が罪深いのスザンナ?」
ドロシーがそれを聞き咎めた。
「なんでもないさ、帰って寝るよ」
エルヴィスはドロシーとシーリをスカウトする機会を逸してしまった、僅かに後悔を引きずりながら三人の後を追って野営地に引き上げる。