奈落への階段
三人が野営地に戻ってくると、下働きの者達が忙しく働いていた、彼らはエルヴィス達に軽く挨拶すると足早に通り過ぎて行く。
「今日の調査は無いのかしら」
後ろからシーリの声が聞こえてきた、誰かに尋ねている感じがしない、彼女の心の声がつい出てきでしまったようだ。
「小規模なチームを作って調査を進めたい、これ以上時間を無駄にできないからな」
エルヴィスは振り返りもせずにそれに答える、やがて四人はシーリの天幕に到着した。
「エルヴィスさんどうぞ」
ドロシーが天幕の入り口の厚手の布をめくり上げてエルヴィスに中に入る様に促した。
「少しまって」
シーリが慌てて中に飛び込むと魔術道具を光らせて中を調べ始めた、ごそごそと音を立てていたがしばらくすると静かになった。
「どうぞエルヴィスさん」
しばらくしてシーリが天幕から出てくるとエルヴィスは身を屈めて天幕の入り口をくぐる。
背後でシーリがドロシーの耳に口を寄せてささやく、ドロシーの顔が真っ赤に染まったが幸いにもエルヴィスには見えていない。
スザンナが苦笑いしながらドロシーの頭を鷲掴みにすると優しく揺さぶった。
「エルヴィスさんは奥に」
彼女の言葉からこの天幕の主人がシーリだった事を改めて思い出した。
続いてドロシーとスザンナが柔らかな敷布の上に座り込むと、シーリが天幕の外で術式の行使を始める、彼女の力が天幕の中にまで伝わって来た、この力と詠唱から防音障壁に違いない。
しばらくするとシーリが天幕の中に入って来ると入り口を背にして柔らかな敷布の上に正座した。
直後に天幕の中がランプの光に照らされた、見るとドロシーが魔術道具で小さなランプに火を灯したところだった、彼女は天井のフックからランプを吊す。
しかし侍女服のスザンナがあまりにも堂々と座っているので、ドロシーに侍女服を着せた方が似合いそうだと密かに想う。
しかし彼女達が使っている天幕の中は、期待していたわけでもないが予想以上に何も無かった、ただドロシーの向日葵の照明道具だけがその存在を主張している。
そしてほんのりと良い香りが漂っている。
「俺に渡したい物があるんだろ?」
さっそくエルヴィスから切り出す事にした。
スザンナは自分の背嚢を膝の上に乗せ、中から金属製の小さな円筒形の筒を取り出した、彼女はそれを手の平に乗せて三人に見せる、大きさは手の平に包んでなんとか隠せる程だろう。
それは精巧な造りの金属の筒で表面に飾りもなく磨かれた様に艷やかだ、筒の上半分が取り外せる様になっていた。
それはランプの光を鏡の様に反射してオレンジ色に輝いていた。
エルヴィスはそれが何かまったく理解できない。
「それは何だスザンナ」
「この中に異界への繋がりを阻害する何かが入っているのさ、異界との道を塞げば魔術師なら魔術が使えなくなるよ」
「そんな物質があったのか?そんな物があれば魔術師を無力化できるじゃないか!?」
「スザンナそんな物があったら私が知らないはずがないわ」
シーリが声を荒上げるそれは彼女らしくない。
「これは聖霊教や魔術師ギルド連合の機密だよ、それにこれを創れる者などいないからね、古代の遺跡から奇跡的に見つかる事があるのさ」
「何かって何かしら?」
「物質なのかすら怪しいね、作り方も成分も解っていないのさ、この世の物では無いと言う者もいるよ」
スザンナはその金属の筒の上半分を外して見せた、それを外すと筒の真ん中に先が鋭く尖った太い針が突き出していた。
「これを相手に突き刺して筒全体を押して中身を流し込むんだよ」
「痛そう」
シーリは顔を背けたがドロシーは針をじっと見つめた。
「刺されたら痛そうだわ」
ドロシーとシーリはその凶悪な針を見て怯えたように顔を歪めた、ドロシーは自分の脇腹をさすり始めた。
自分が刺されて中身を流し込まれる所を想像しているに違いない、スザンナが金属の蓋を戻すと二人はあからさまに安心した。
「一つは私が持つ、もう一つを誰かに渡そうと思ってね、あんたに渡す事に決めた」
「私じゃだめなの?」
ドロシーが少し拗ねた様な口調でスザンナに抗議する。
これは相手の懐に飛び込まなきゃ使えないんだよ」
スザンナはドロシーの実力を認めているがそんな真似をさせたくないのだ。
「スザンナ俺が持つ」
エルヴィスは迷いなく手を伸ばしてその金属の筒をスザンナから受け取った、その筒は妙に冷たい。
「スザンナこれは魔界帰りに効くのか?」
「やってみないとわからないね、古い記録では成功したとか効かなかったとかまちまちなのさ、だが魔術師に効くのはわかっているよ」
「死霊術師なら術を封じる事ができるわけだな?」
「できるけど武器を使った方が早い、これは異界帰りを封じる切り札さ」
「女の私が持っていたほうが油断するかもしれないわよ?」
そのドロシーの言葉にスザンナが考え込み始めた、確かに彼女の言う事に一理ある。
「スザンナこれは他には無いのか?」
スザンナは目を見開き顔を上げそして告げた。
「アタシが持っているのは二つだけさ」
エルヴィスはスザンナの言いぐさに僅かに違和感を感じた、これを持っている者がまだいるかのように感じたからだ。
「やっぱり俺が預かるよ」
「まあ頼りにしているよ、貴重な物だ無駄にはしないでおくれ」
「ちなみにどのくらいの価値があるんだ?」
エルヴィスは手の中で金属の筒を弄びながらふと疑問を口にする。
「値が付けられる様なものじゃないけどね、その大きさなら帝国金貨五百枚はするよ」
「まあ!お高い!!」
ドロシーが悲鳴を上げた、だが防音障壁の中なので野営地に響き渡る事は無い。
昼前にはバーナビー達が野営地に戻ってきた、午後から地下の偵察を再開する事に決まる、エルヴィスの予想通りザカライア達は傭兵達が虐殺されようと調査を中断する気は無かったのだ。
シーリの魔術の光に案内されながら調査団は地下の迷宮を進んでいく、やがて先日休息した大きな分岐点に到達した。
ここを左に行くと床に穴の開いた洞窟に繋がる、ここからザカライヤの魔術で壮大な大洞窟の様子を眺めた。
そして右に向かうと真ん中に池がある洞窟がある、右側はまだ未探索のまま放置されていた。
ここまで調査せずに真っ直ぐ進んできたので前回の五分の一の時間しかかからない、ここで小休息を取る事にした。
調査団はエルヴィスチームからはラウルと親方に用心棒とリーノ少年と地図職人の男、シーリといつもの三人、壮年の傭兵と若い傭兵が護衛に加わり、そこにバーナビーとヤロミールと下働きの男が二人加わっていた。
前の調査と比べると半分の陣容だ。
エルヴィスは地図職人のメモを見ながら近くで纏まっているスザンナ達を眺める。
シーリに落ち着きが無いのが僅かに気になる、エルヴィスは得体の知れない怪異に取り憑かれた彼女の姿を思い出していた。
エルヴィスもなぜか周囲が気になる、誰かに見られているような奇妙な感じがしたが理屈では説明できなかった、スザンナを見つめたが彼女は落ち着いて微妙だにしない。
そして彼女からは聖霊拳の上達者だと感じさせる気配がまったく無かった。
エルヴィスに気づいたのかドロシーがこっちにやって来る。
「今日はどこまで進むのかしら?」
手の中のメモを彼女に見せてやった。
「この池の洞窟の周囲を調べる、できるだけ潰しておきたいんだ」
エルヴィスは地図の空白地帯を指で叩いた、今日は未調査領域を少しでも減らすのが目標だ。
彼女が地図を覗き込んで来たのでエルヴィスは慌てた、昨晩の小さな事件を思い出したからだ、だがあの魔性の香水の香りはしない。
「エルヴィスさん?」
「ああ大丈夫だ」
「エルヴィスそろそろ出発だぞ?」
ラウルが声をかけてくる、その声に僅かな棘が混じっていた、エルヴィスはそれについ苦笑いを浮かべてしまう。
「じゃあ」
ドロシーも空気を察したのかシーリ達のところに慌てて帰ってしまった。
小休止を終えた調査団は大きな分岐を右に進む、しだいに通路は北東の方角に大きく曲がって伸びて行く。
エルヴィスが背後を見ると用心棒の側にリーノ少年が控えていた、リーノは地下に入ってから口を開けたまま荘厳な鍾乳洞の光景にずっと魅入られていた。
しだいに前方に大きな大洞窟の口が見えてきた、そして魔術の灯りを水面のような何かが反射して輝く、ついに小さな池のある洞窟に到達したらしい。
ドロシー達は先日この入口まで来ていた。
そこは大きな部屋で真ん中に直径二十メートルほどの池が透明な水を湛えていた。
ここも同じ様に異教の神殿のような複雑奇怪な柱石と、薄く黄色みをおびた石灰岩のテーブルが複雑に敷き詰められ荘厳な造形を誇っている。
見飽きているはずなのについ魅入られる。
部屋に入ると大小様々な洞穴が周囲に口を開けていてうんざりした、だがこれを一つ一つ確認していかなければならなかった。
地図さえできれば次の調査はそれだけ早く進むのだ。
まず時計回りに枝道を調べて行く事に決めた、エルヴィスが探索の方針を伝えようと皆を振り返る、そしてこれからの調査の方針と目的を説明し始めた。
だが理由がわからないが何か違和感を感じた。
エルヴィスの言葉が途切れた、池の側に立っているドロシーの姿だけ池の水鏡に映っていない、背筋に悪寒が走った。
近くにいる下働きの男と傭兵の姿は池に映り込んでいる、エルヴィスは慌ててドロシーを見てからもう一度池に視線を移すとドロシーの姿が池に映っていた。
『気のせいか?』
だが池に写った彼女の顔は幾分ほそく顔色が妙に悪い様に感じた、だがドロシーがスザンナ達のいる方に数歩動いてしまったのでそれはすぐ消えてしまった。
「エルヴィス今度は俺が先を行く」
ラウルが気を使うかのように話しかけてきた。
「ああたのんだ」
再び洞窟の調査が始まった、今日は人数が少ないので全体で行動する、調査団は洞窟の周囲の枝道を慎重に虱潰しにして行く、その度に洞窟の壁に文字が描かれ地図職人のメモが充実していった。
小休止を挟み調査が再開されて一時間も経たない頃だった。
その枝道は奥で少し広くなると傾斜がしだいにきつくなって行く、やがて床を観察していた用心棒が警告を発した。
「まて、ここは人の手が入っている」
すると親方が急いで後ろから前に出てくる。
「なんだと!?」
魔術の光に照らされた床を観察すると顔を上げてエルヴィスを見て笑った。
「たしかに階段の様に刻みをいれた後があるぞ、ここから傾斜がきつくなる」
親方は魔術道具を点灯するとその傾斜の先を奥まで照らし出した、まるで粗雑な造りの階段の様になっていた、その奥は暗黒の中に溶け混んでいた。
「嫌な感じがするね」
スザンナのささやきが後ろから聞こえてきた。