神隠し還り
目前に環状の蛇の神殿の入口が迫ってくる。
「スザンナ何があったんだ?」
一言も話さず黙々と歩き続けるスザンナにエルヴィスは痺れを切らした。
「まあここまで離れればいいかね」
その言葉に内心頭をひねる、誰かに聞かれる事を警戒するかの様な言葉だ、ヤロミールとバーナビーが埋葬地に向かった今はザカライヤが野営地にいる、風精霊術師ならば遠くの会話を聞くことができるのかも知れないと思い至った。
「あの天幕の中で僅かに瘴気の残り香を感じたのさ、見張りの体内に残っていた様だね」
「私は何も感じませんでした」
シーリが困惑したように呟く。
「極わずかだからね、わからないのはしょうがないさ」
エルヴィスは瘴気と言うあまり聞き慣れない言葉に疑問を感じた。
「スザンナ瘴気とは負の聖域の力の事なのか?」
「その理解でいいさ、聖霊教では瘴気と呼ぶ事が多いんだよ」
「それに何の意味があるんだ?」
「瘴気を後に残すとしたら、死霊術ともう一つしか考えられないんだよ」
「死霊術と精霊術は両立しないはずです!」
シーリが語気を強くして断言する、それは彼女の無実を証明する証でもあった。
「シーリが犯人じゃないって事よ!でも教授やヤロミールも犯人じゃなくなるわね・・・」
ドロシーもシーリの無実が証明できると最初は勢いが良かったが、だがだんだん尻ツボミになって行く。
「スザンナまさか死霊術師がいるのかしら?」
ドロシーは当然の疑問にたどり着いた、だがシーリとスザンナは同時に首を横に振る。
「術士は力の漏れを完全には隠せないのさ、これは天性の物でね漏れが少ないほど術者に向いているんだよ」
「死霊術師が近くにいたらきっと解ると思う」
シーリもスザンナに同意する。
「スザンナあんたはさっき気配を消していたな?」
スザンナは大きな金窪眼をみひらくとエルヴィスに向かって少しだけ微笑んだ。
「聖霊拳の上達者にとって力の管理は必須なんだよ、力を無駄にせず自分の気配を殺す力は私らには必須なのさ」
「死霊術師ともう一つってまさか聖霊拳の事なのか?」
「いい線いっているねだが違う」
スザンナはドロシーとシーリを交互に見た。
「あんた達は聞いた事があるかねえ?異界帰りの伝説だよ」
「それって神隠し帰りの事でしょうか?」
それにシーリが即座に反応した、さすが魔術師だと感心する。
「神隠し帰り!?」
ドロシーが声を上げる、彼女は謎々を突きつけられた子供のような顔をしていた。
「異界還り、幽界還りと言われるがね、そして魔界から還った者もいるそれが魔界還りだね」
スザンナは二人の疑問に答えずエルヴィスを真っ直ぐ見つめてくる。
「エルヴィスあんたは聞いた事あるだろ?」
「それは神話の話だと思っていたが」
「私は知らないわよ?」
ドロシーの声は少し拗ねたような成分を含んでいた、スザンナはドロシーを可哀想に思ったのだろうか。
「ドロシーあんたも聞いた事があると思うがね、英雄や偉人が幽界の大精霊に見いだされ、この世から姿を消すがやがて戻ってくる、その時大きな力を授けられているって話しさ」
「それなら知っているわ、でも物語の話だと・・それが神隠し帰りなのね」
スザンナは大きくうなずいた。
「世の表に出てくる者は数える程だが実際はもっと多い、多いと言っても百年で二~三人程さ、そして魔界から帰った者はそのまま闇に埋もれる」
「まてそんな奴がここにいるのか?」
「まだわからないよ尻尾を出さないからね、だが初めて手がかりを見つけたんだ、神隠し帰りは事例が少なすぎて何もわかっていないからね、ただ契約した大精霊にちなんだ特殊な力を持つと言われているがね」
「それが結界を破壊する力だと?」
「魔界の悪魔から与えれた特殊な力がそれならばね」
「スザンナ、神々、大精霊、悪魔ってどう違うの?」
またドロシーがスザンナに疑問をぶつける。
「ん?聖霊教では神は精霊王だけさね、他の神々を大精霊と呼んでいる、土地神信仰が強くていい加減になってるけどね、聖霊教もそこらへんは適当にやってきたからね。
パルティナ十二神教に大精霊はいないすべて神々さ、主神とされる十二の神と聖域神殿が認めた神々だけが聖域に祀られているんだ神々としてね」
「ねえ悪魔は?」
「禁忌を犯したり罪を犯した神々が魔界に堕されたものさ、神々、大精霊、悪魔は本質的に同じものだよ」
「この中に死霊術師か魔界帰りがいるかもしれないんだな?」
エルヴィスは野営地を眺めた、あの中に潜んでいるならば疑わしき者は何人かいる、あるいは下働きの者や使用人や荷役人に紛れているかもしれない。
新入りのケビンやリーノ少年も疑うべきなのか?そんな考えも浮かんだ。
「まあ私の推理だがね、死霊術師の方がましだったよ、魔界還りは最悪の予想なのさ」
「なあそいつをどうやって見分けるんだ?」
「異界帰りは力の制御が完全なのさ、本人の意思で異界との通路を完璧に制御できると言われていてね、まあ詳しくわからない事が多すぎるがね」
「スザンナ、ところで異界帰りの魔術師はいるのか?」
「あんた良い質問するね、疑わしい者は何人かいるよ、みんなかなりの有名人だからね」
「例えば誰だ?」
「有名なのが精霊王の愛娘と言われる精霊魔女アマリアだよ、彼女は幽界還りだけどね」
彼女はセクサルド帝国アルヴィーン大帝の顧問として名をはせた大魔術師の名前で最近まで活動していた有名人だ、彼女の名を知らない者の方が少ない。
「そりゃ有名人だがそうだったのか?」
「本人ははっきりと言わないがどう見ても人間の範疇を越えている、精霊力の上限が上位魔術師数十人分と言われるよ、そして150年も外見が変わらなかった、巨大な精霊力を身に付けていたがその気になれば完全に隠す事もできた様だね」
たしかに偉大な大魔術師ならば可能なのだろうと多くの人はいい加減に思い込んでいたが、冷静に指摘されるともはや彼女は人では無かった。
「アンタは始めから総て知っていたのか?」
「まさか、五里霧中でここまできたんだ」
「アマリアが幽界還りなら、幽界帰りは味方なのか?」
スザンナは迷ったようだが彼女の口がゆっくりと言葉を紡いだ。
「味方になってくれる可能性はあるよ、大精霊達は魔界と敵対している、もっとも大精霊の意思しだいで当てにはならない、大精霊が人にとって善良とは限らないのさ」
スザンナの笑みは深く苦かった、彼女は今までどんな経験をしてきたのだろうか。
エルヴィスは回りくどい社交辞令が苦手だ、ストレートにスザンナに疑問をぶつける事にした。
「なあスザンナ、ミロンを疑っているのか?」
その発言にドロシーとシーリが驚愕した、だがスザンナは不敵に笑うと一段と声を落とした。
「疑っているよ彼奴は状況的に怪しいからねだが確証は何もないんだ、あと他の人間も疑っているよ」
「俺たちもか?」
「アンタ達はそれなりに有名だからね、今回の件じゃ白だと思ったさ」
「スザンナ、神隠しが絡んでいるとしたらそいつは魔界帰りの疑いがあるんだな?」
「あたしが感じた微弱な瘴気が魔界由来ならばね、普通は力の行使の後ですぐに消えてしまう、だが睡眠のように人の気の道に作用する力はしばらく対象に残留するのさ、敵が初めて尻尾を出したんだよ」
「だが魔界還りに対抗できるのか?」
スザンナはこれにニンマリと笑った。
「対抗方法はいろいろ考えてあるよ、アタシが派遣された事が第一の手さね、あたしが聖霊教の拳の聖女だと忘れてもらっては困る、そして二の手三の手も用意してあるのさ」
「あんたはヤロミールやザカライア達をどう考えているんだ?」
「もちろん容疑者さ、目的は地下の遺物なのは変わらないが解りやすい動機さね、ヤロミールは北方の魔術界の思惑で動いているね、ザカライヤ達はペンタビア王国の走狗さ」
「なあミロンが敵だとして目的はなんだ?」
「闇妖精族の姫の復活だとするとそれが一番おそろしいよ、人ならば考えない事だ、だが魔界の悪魔の意思なら話は別さ」
「この世が壊れても構わないのか?」
「それが奴らの望みさ、物質界の侵略の足場になるんだよ、闇王国もその足場になりかけたのさ」
エルヴィスはドロシーやシーリを詳しく観察した、特にシーリはどこまで知っているのだろうかと。
「なあシーリが霊媒体質と言っていたな、どういう意味だスザンナ」
「良く覚えていたね、憑依されやすい体質の事だよ、異界の下等な者達に好かれやすくてね、だが魔術師として優秀な者に多い体質だよそしてシーリは特に強い。
あとは土地女神の巫女や優秀な精霊宣託師に多いのさ、魂が異界に近しいところに在る事が有利になるんだ、彼らは神を降ろしてその意思を聞き取り感じ取る事ができるからね」
エルヴィスは不吉な予感を感じてシーリを見る、そしてドロシーからスザンナへと視線を移した。
二人の女性は当惑していた、シーリの顔色が心なしか青白く感じた。
「あんたがシーリから目を離せないのは、それと関係があるわけだな」
スザンナは厳しい顔のまま小さくうなずいた。
「この娘を守る事が奴らの思惑を防ぐ事になるとあたしは考えているよ」
「君達は知っていたのか?」
「私はペンタビアでスザンナから少し聞かされたわ」
「私はこっちに来てからよ?」
ドロシーは少し口を尖らせた、秘密にされ除け者にされていた事に不満が在るらしい。
「悪く思わないでおくれ、あんたが頼りにならないなら秘密のままにしておこうと思ったのさ、不安にさせるだけだからね」
「まあ頼りになるのかしら?」
ドロシーの顔が緩んだ、嬉しいのがまるわかりだった、彼女の個性的な愛嬌のある美貌が花が咲いたように輝いた。
「あんたは初見殺しだからね、エルヴィスあんたなら解るだろ?」
エルヴィスはオアシスの夜のドロシーとの模擬戦を思い出した、もし実戦ならばあの時敗北していたかもしれない。
「たしかに危なかったな」
「本当?」
ドロシーが二歩近づくと顔を寄せてきた。
「嘘はいわねえよ、頼りになる、あの事は忘れないでくれ」
忘れないで欲しい事とはドロシーをエルヴィスチームにスカウトした話だ、彼女も思い出したのだろう硬かったドロシーの顔が少しだけ頬が赤らんだ。
それをシーリが少し眩しそうに見ていた。
「スザンナこれからどうするんだ?」
「調査が進めばかならず動き出すさ、そこで本性をあらわす」
「危険だぞ?」
「あたしらの任務に危険じゃなかった事なんてないんだよ」
スザンナは厳つい顔を綻ばせるとどこか悲しそうに微笑んだ。
「そろそろ帰ろうかね、悪目立ちしすぎるからね、あんたに渡したい物がある」
エルヴィスは思わず問い返した。
「俺か?」
「そうさ」
三人は野営地にゆっくりと帰って行く、陽がどんどん高くなり空は抜けるような深い蒼だ、エルヴィスはふとアンナプルナの空を見上げた。