踊り子達の記憶
長い会議が終わった後でエルヴィスは仲間達と天幕の前で寛いでいたが、そこに慌てた様子のケビンがやってきた。
「エルヴィスさんアームストロング隊長がお話があるそうです」
焚き火を囲んでいた男たちが顔を見合わした、彼らにも会議の概要は伝えてある。
「わかったすぐ行く」
さてはドロシーの件だろうかと腰を上げた。
「どこにいる?案内しろ」
ケビンに案内されて野営地から少し離れた小さな岩に向かう、岩の横に数人の人影があったどうやら一人では無いらしい。
隊長とスザンナそして見知った顔がいる、元傭兵でアームストロング隊長の部下だった荷役人の男達だ。
近づくと隊長がケビンに目線を走らせた。
「ケビンごくろうさん帰っていいぞ」
エルヴィスは察してケビンを下がらせた、ケビンは時々振り返りながらも野営地に引き上げていく。
そしてエルヴィスは小さな岩の背後が気になった。
「ドロシーはいま向こうで料理してるよ」
鋭く察したスザンナが少し苦笑を滲ませながらニヤリと笑う、厳つい顔のスザンナが笑うと古代神殿の守護聖獣の彫像に見えた。
エルヴィスはスザンナを軽く無視する事にした。
「ところで隊長何の様だ?」
「うむ、この三人を傭兵に復帰させてくれ、彼らの許可は得たあとはお前の判断だ」
エルヴィスはそれは悪くはないと思った、四人が戦力外になるどころか監視の人員まで必要になってしまったからだ。
だがこの三人はバーナビーがペンタビア調査団を監視していたと疑っている男達だ。
しかしスザンナと隊長が古い知り合いならば、もしかすると彼らは聖霊教に何らかの繋がりがあるのかも知れない。
「俺は構わない後で正式に手続きしよう、だが帰る時には荷役人に戻ってもらうぞ、ところで装備は奴らのを使うのか?」
「そうだ、ザカライヤからは俺が許可をとる、この状況では奴も否定できまい」
しかしスザンナはなぜここにいるのだろうか?スザンナの目を真っ直ぐに見る。
「ドロシーをシーリ専属に戻してもらいたくてね、アンタが復帰に反対するようなら説得しようと思ってついてきたのさ」
スザンナは軽く肩を竦めて見せた。
確かにこの三人が傭兵に加わればドロシーをシーリ専属に戻しやすくなるが、なぜそこまで専属に拘るのかわからない処があった。
二人とも夜は同じ天幕で寝起きするのだから。
「俺に反対する理由はない」
精悍な顔つきの元傭兵達をもう一度観察した、やはり彼らはどこか最底辺の傭兵とは違った空気を纏っている、エルヴィスはそこで話題を変える事にした。
「ところでお前たちは怪我したんだろ?もう良いのか」
荷役人達は顔を見合わせて苦笑したが頭の男が代表して答えた。
「もう完全に戻ったよ、隊長と並んで戦えるぜ」
「頼もしい事だな」
エルヴィスはしばらく彼らと武勇談を楽しんだ、そして彼らはやはりスザンナとも親交があると確信した。
しかし聖霊教の聖女になる程の女と組んでいた男達とは一体何者だろうか、本当に彼らは傭兵なのか謎は深まる。
そしてこの隊長もやはり只者ではあるまい。
そして陽が落ち切る前に野営地に引き上げる、別れ際に彼らに手を振って別れた。
すでに辺りは暗くなり天幕の前の焚き火も火が落ちかけていた、野営地の夜は早い。
リーノ少年が忙しそうに働いているのが見えた、仲間の話では真面目に働いているらしい、どん底から這い上がろうと必死なのだろう。
木の桶を持って野営地の中と外を往復している、もしかすると水を汲んでいるのかゴミを捨てているのかもしれない。
「戻ったぞ」
エルヴィスが声をかけると焚き火の周りの仲間達が一斉にこちらを見た、暗がりの中にラウルの大きな体が残り火に赤く暗く照らされていた。
「なんの話だ?ずいぶん長かったな」
そのラウルが皆を代表するかの様に尋ねてきた。
「隊長の元部下を傭兵に復帰させて欲しいそうだ、俺は賛成だぜ」
ラウルが渋面を作った、あの三人とスザンナとの関係を話すべきか悩む。
「大丈夫なのか?バーナビーが反対しそうだが・・・」
「そちらは隊長が説得する、あとゲイル副隊長をアスペル女史専属に戻す事になりそうだ」
ラウルはそれに関しては問題ないと思ったようだ。
「なら判断はバーナビーにまかせればいいよな、腕はなまっていないのか?」
暗闇の中から用心棒の抑えた声が聞こえてくる、少し離れているようだが良く耳に通る声だ。
「奴らはかなりできそうだ、見ればわかる」
エルヴィスは焚き火を囲む太い枯れ木の丸太の椅子に座り、そのまま用心棒の声がした方向に声をかけた。
「リーノをお前の下ですぐに働かせる」
「それはかまわんが帰ってからじゃないのか?」
用心棒の声がした方を良く見ると、目が慣れてきたのか荷物の山に背をもたれさせて男が立っていた。
「かまわん一流に仕込んでくれ」
周りの仲間たちの中に僅かに驚きが広がっていく。
「急ぎすぎだぞ?」
誰かが疑問を口にした。
「あの歳ぐらいから始めたほうが良いんだよ」
エルヴィスは全員を見渡した。焚き火に淡く照らされた仲間たちに特別異論は無いようだ、だがその闇に沈んだ仲間達を見ているとなぜか全員この世の者でないような漠然とした不安にかられて震え上がる。
「どうしたんだ?」
隣にいた親方が軽くエルヴィスの背中を叩く。
「なんでもない」
「早く寝ろ今日はいろいろあったからな」
親方は呵呵と笑う、周りの男達も立ち上がった、天幕に入るもの用を足す者それぞれ散っていく。
そこにリーノ少年が帰ってきた重そうな木桶を両手から下げている、少年は木桶に水を汲んで戻ってきたのだ、野営地の周囲は水が豊富だが水の質は飲料に適さない、だが洗濯や洗浄に利用できる。
「リーノ少し話がある」
なぜか話をしたいと思いエルヴィスは立ち上がり少年に声をかけた、不審な者を見るような顔で少年がうなずいた、天幕の隣の樽に水を入れるとすぐに戻ってきた。
そしてリーノを連れて野営地の外に出る、その時僅かな違和感を感じたこれはザカライア達が野営地に張り巡らせた防護結界を通過したからだろう、防護結界がついに完成したのだ。
あたりは陽が完全に落ちて闇に沈み満点の星が夜空を埋め尽くそうとしている。
「坊主上手くやっているようだな」
エルヴィスが突然振り返ったので少年は驚いた。
「お前は明日から用心棒の下で働け、地下に入ってもらうぞ」
少年は驚愕した暗闇でも彼の驚きが伝わってくる。
「地下って調査なのか?」
「そうだ体で覚えてもらう」
「急になぜ?」
だがエルヴィスも内心戸惑っていた、地下は安全とは思えないがなぜがそうしなければいけない様な気持ちにかられていた。
「こういう事は早いほうがいい、怖いか?」
激しく首を横に振る。
「そんな事はない!枯れ木集めや水汲みよりいい」
「あいつは俺たちの中じゃ一番腕が立つ、奴に仕込んで貰え俺以上に器用だ」
「あの人アンタより腕が立つのか?」
「おいエルヴィスさんと言え、他の奴に絞められるぞ?まあ剣の力なら俺の方が上かもしれないが奴は何でもできる」
エルヴィスは少し呆れていた、リーノは今まで常識を学んだ事が無かったのだろう、スリの親方にこき使われた子供は悲惨な末路を辿ると決まっていた。
ふとエルヴィスは幼い自分をなぜか可愛がってくれた下町の酒場の踊り子を思い出していた、鍛え抜かれた全裸に近い美しい体を惜しげも無くさらし、艷やかな肌を輝かせ豊かな胸に形の良い豊かな尻を躍動させて舞台の上で舞っていた。
「リーノ世の中の渡り方は少しずつ覚えていけ、長生きしたければな」
少年は何かに気づいたようにはっとした、そしてまだ疑心暗鬼な顔をしたままうなずく。
そのとき遠くから風を切る様な音が聞こえてきた。
エルヴィスはその音の正体がわかった、ドロシーの足技の風切音だ、音が聞こえて来たその彼方を見据えた。
「なんだあの音」
リーノが不気味な物を見るかの様に音のする方向を睨んでいる、エルヴィスは少し悩んだ末に教えてやる事にした。
「ゲイル副隊長だよ」
「魔術師の女と一緒にいる奴だな」
エルヴィスは軽く拳でリーノの頭を小突いた。
「せめてシーリーさん、ドロシーさんと言え!アスペル女史、ゲイル副隊長が正式だ」
エルヴィスはその音の聞こえてくる方向を睨み据えた。
「リーノ戻っていいぞ」
「アンタいえエルヴィスさんは?」
エルヴィスはふたたび音が聞こえてくる方を見てからリーノを見下ろす。
「少し向こうに用がある」
そう呟くと風切音が聞こえる方向に足を踏み出そうとした。
「もしかして・・・」
エルヴィスは何事かと振り返った。
「なんでもないよ」
リーノはそう言うと野営地に走り去ってしまった、エルヴィスは肩を竦めて音のする方法に向かってあるき始めた。
軽快な風切音が大きくなる、エルヴィスには闇の中でドロシーの訓練する姿がなぜか見える様な気がした。
音に合わせドロシーの細身で見事に引き締まった美しい肢体が躍動する。
独楽のように回転し、時に左右に力強く振れる長い足、飛び上がり下から掬い上げ頭上から踵を叩きつける、それが剣の動きと巧みに組み合わさり変化の激しい激烈な攻撃を生みだした。
姿は見えなくてもその音が美しい剣舞を舞う姿を描き出した。
そしてエルヴィスは足を止めた。
「そうか」
一言呟いた。
懐かしい酒場の踊り子たちの姿が蘇った、下品で粗雑で陽気な彼女達は面白半分だったのかもしれないが、幼いエルヴィスを育ててくれた。
ドロシーの姿に酒場の踊り子の女達を重ねていたのかもしれない。
それに気づいたが嫌悪感を感じたりはしない、不思議と胸が温かくなる、なぜか無性に彼女の姿を見たくなったエルヴィスは足を急がせた。
当然音が絶たれた、そして身じろぎする音が聞こえブーツが下草を踏みにじる音、星灯を浴びて彼女の輪郭が闇に浮かび上がる。
エルヴィスも自然に足を止めていた。
「そこにいるのは誰?」
彼女の少し高い声が僅かに震えている。
「俺だエルヴィスだ」
僅かに間を置いて彼女から緊張感が抜けていくのを感じた、息を吐き出す音が聞こえた。
「良かった、何かごようです?」
彼女の語尾が少し変だ、それが面白かったので少し笑った、そして彼女にゆっくりと数歩近づいた、闇の中から彼女の個性的な美貌が浮かび上がる、彼女は無意識に二歩下がる。
「シーリの事だ」
「え!?な何かしら」
ドロシーの表情が当惑に変わる、そしてやがて僅かな不安を感じさせる、彼女の表情は変化が豊かで彼女の感情が顔に描いてあるかの様にわかりやすい。
「シーリの専属に戻れたのか?」
ドロシーの表情が当惑から変わり微笑んだ。
「その事ね!ええまたシーリの護衛に戻れたわ、エルヴィスさんありがとう」
ドロシーが一歩近づく。
彼女の顔も髪も激しい訓練で汗にまみれて濡れていた、それが不思議と彼女の魅力を高めている。
「君も嬉しいのか?」
「契約じゃあ始めからシーリの護衛だったのよ、急に変えられてもね、私は貴婦人の護衛が仕事だったから」
「そうだったな」
だが続きを言おうとして言い悩んだ、彼女はそのままエルヴィスがだまりこんでしまったので不思議そうな顔をしている。
無意識に一歩前にでると、不思議な香りに頭を殴られた様にふらついた、これは彼女の臭いだ砦の野営地で知ったあの臭いと同じ、不快さは感じない芳しい芳香剤の様な不思議な香りだ。
「あの?」
「なあドロシー俺たちの仲間にならないか?この仕事が終わってからだ」
「えっ!?」
ドロシーは口を丸く開けて絶句している、そして顔が僅かに赤くなっていた。
「でも私は遺跡調査が仕事じゃないのよ、私は貴婦人の護衛が仕事なのよ、あっ!!もしかして」
ドロシーは固く口を引き結んだ。
エルヴィスにとってこの展開はあまり良くなかった、ドロシーが推理から自ら答えを引きずり出してしまったからだ、この娘は決して馬鹿ではない。
「俺たちが魔術師を必要としているのは前に言ったと思う、シーリを雇いたいのは確かだ、でも君に来て欲しいんだ」
「私?」
「そうだ」
「でもシーリも雇うのよね?」
エルヴィスはうなずいた。
「シーリの護衛なのね女の娘一人じぁ心配か、もう少し考えさせて欲しいわ」
エルヴィスはドロシーから見てシーリは女の娘なのだろうかと不思議に感じた、ドロシーより大人で成熟している様に思える。
「この仕事が終わるまでに決めて欲しい」
ドロシーが更に半歩近づくとますますその魔法の香水に魅惑された、彼女は実は恐ろしい女なのかも知れない。
「この仕事は新鮮で楽しいわ、貴婦人の護衛って結構気を使うのよね」
こうして少し口を尖らせたドロシーは可愛らしかった、その口に引き寄せられる。
「ドロシー戻っておいで、もうおねんねの時間だよ!!」
スザンナの銅鑼声がここまで聞こえてくる、いや野営地全体に聞こえている、エルヴィスは呆れると同時に怒った。
「うわ、早く戻らないと!!」
ドロシーは兎の世に駆け出した、エルヴィスの手が僅かに上がるがその時には彼女は野営地に向かって駆け出していた。
そして急に止まる、そして振り返った。
「ちゃんと考えるわ、お休みなさい」
そしてそのまま駆け去って行ってしまった、野営地の灯りが影絵の様に彼女の後ろ姿を浮き上がらせた。