ペリヤクラムのミロン
二人は野営地から離れるべく夜の湿原を進む、しだいに足元が柔らかくなり湿った泥の音が聞こえ始めた、エルヴィスは背後の闇のむこうの野営地を振り返った。
闇に沈んだ漆黒の岩山を背景に野営地を灯す弱々しい光が幾つか見える、その一つが今まさに瞬いて消えた。
「このぐらいでいいか」
その言葉でスザンナの歩みも止まった。
「さて何から聞きたいんだい?」
スザンナが闇の中でこちらに向き直った、厳つい肉体は闇に溶けて岩のような影になる、星灯だけが二人を照らしていた彼女の瞳だけが篝火のような眼光をたたえている。
「あの神殿の奥にあるものだ、あんたは知っているんだろ?」
スザンナはうつむくと少し考え込んだそして顔を上げた。
「始まりは、西エスタニアのパルティナ十二神教の聖域神殿から警告と捜査要請があったからさ」
「聖霊教会にか?」
「そう考えておくれ、向こうと仲が良い訳でもないが、犯罪者の捜査などで協力しあっているのさ」
「初めて聞く話だ」
エスタニア大陸には大国から自治都市や自治領を含めると大小百二十近い国がある、王族貴族のような政治的な犯罪者でもないかぎり引き渡しなど行われない。
一部の犯罪者を除いて国境を越えれば捜査の手が及ばない処に逃げる事ができた。
スザンナはエルヴィスの困惑の理由を理解したようだ。
「ああ悪かった勘違いさせたね、これは禁忌に関わる話だよ、普通の犯罪者は外国に逃げたらそれまでさ、聖霊教会とパルティナ十二神教は禁忌を犯した罪人に関して情報交換しているのさ」
「そういう事か」
「それでもお互い秘密主義でねメンツもあるのでなかなか総ての手を晒す事は無いんだよ、そのせいで深刻な変事を見過ごした事があるらしいね」
「聖域神殿からの警告は、闇王国に関する資料が持ち出されたと言う話さ、だがこっちではあまり関心がなくて、しばらくは放置されていたんだよ」
「それは無責任だろ?」
「そういいなさるな、ニール神皇国の建国から1000年以上前の話だからね」
スザンナは笑った、聖霊教の歴史は千年でニール神皇国の建国と深い縁がある、闇王国が滅んだのはそこから更に千二百年昔ともなれば関心は薄くなる。
そして闇王国に関する資料とはミロンが命がけで持ち出したあの石碑の断片に間違いない。
関心が薄いからこそ若き考古学者のミロンが石碑を東エスタニアに持ち出したのだ。
エルヴィスも頭の中で歴史をおさらいする、ロムレス帝国末期からの流民の増加が東エスタニアの開拓を加速させた、その時すでに闇王国は歴史の闇の彼方に埋もれていたのだ。
「だがその資料が『闇妖精族終焉の地』と関わりがあるとなると話が違ってくるのさ」
「親方がそんな事を言っていたな」
「なかなかやるね、そうか古代文明の建築の専門家だったね」
「なぜ気づいたんだ?」
「まあ大きな声では言えないが、聖霊教は各地に監視を送り込んでいるのさ、めったに干渉しないが禁忌に触れる動きを見張っている」
「それがなぜ重要なんだ?五万年前に滅びた連中じゃあないのか?」
「それが闇王国と関係があってね」
スザンナはそこで一息ついた。
「闇王国はもともとちゃんとした名前のある王国だったんだよ、当時の西エスタニアは群雄割拠の乱世だった、闇王国が闇妖精族の王族の一柱を魔界から召喚する事に成功したのさ、これはあくまでも向こうからの情報だがね、だがそいつが思い通りになるわけがなかった、対策をしていたつもりが相手は想定を越える化け物だったわけさね、闇王国はそいつの支配下に置かれてしまった」
「それが闇王国にかかわる禁忌なのか?」
「それが核心ではあるよ、そしてそこから地獄が始まったのさ、不死者の軍勢が闇王国から生み出され勢力を広げはじめた、諸国は一時的に休戦し闇王国に対抗して共同で戦ったんだ」
「そして闇王国を打ち破ったのか?」
「多くの犠牲を払いなんとか闇王国を滅ぼす事に成功したのさ、だがこの事件が死霊術をもたらしたんだよ」
エルヴィスの知識では死霊術はこの世に彷徨う死者の霊を使役する禁断の魔術だった、何か違和感が湧き上がってくる。
スザンナがそんなエルヴィスを見て苦笑した。
「これから言うことは墓までもって行くんだよ誰にも言いなさんな、死霊術は魔界からの力に由来する魔術の系統なのさ、精霊術の様に細かな分類はされていないがね」
「魔界の力か・・・」
「その闇妖精族の王族はどうなったんだ」
「肉体を根絶させ魂と精神だけの存在にしたんだ、だがそれだけでは魔界に帰ってしまい時間がかかるがいずれ復活してしまう、そこでこちらに永遠に封じ込めようとしたのさ、だが生き残りの闇妖精の眷属共が主人を復活させ再興を図る為に魂を封じた何かを奪い持ち出し終焉の地に逃げた」
「何かだって?それは何だ」
「物質に縛り付けたらしい、水晶の様な結晶らしいね」
「それがあの地下にあるのか?」
スザンナは曖昧な笑みを浮かべた。
「そしてこの世界の果てで眷属共と最後の戦いが起きたのさ、皮肉な事に闇妖精族最後の地がまた戦場になったわけだね、その追手がパルティア十二神教の最古の神殿と言う話さ、これはあいつらの言い分なんで気をつける必要があるけどね」
スザンナの言うアイツラとはパルティナ十二神教の聖域神殿の事だろう。
「眷属共を滅ぼした後で、魂と精神をその場所に封じる事にしたようだね、そして幽界からの水で墓所ごと沈めて魔界からの力を遮断する事にしたのさ、ついでに闇妖精族の終焉の地を清めてしまおうと思ったのかもしれないね」
エルヴィスは明るい地下空間を満たす液体を思い出していた。
「闇妖精族の王族ってどんな奴なんだ」
「聖域神殿からの資料だと、この世の者とは思えないほどの美しい女の姿をしていたそうな、長身で長い金髪に赤い目をした強大な吸血鬼さ、真紅のドレスを好んだようだね、だけど最後にその肉体は根絶させられたんだ」
「根絶だって?」
「闇妖精族は吸血鬼と呼ばれる事もあるのさ、あんたは聞いた事があるかね?奴らは人の生命と魂を喰らう、そして恐るべき不死性を持っているんだよ、殺すのは不可能に近い灰にしても復活してしまうからね、根絶とは物質界の足がかりを完全に消滅させる事だよ、こうなると魔界に返るしかなくなる、魔界の底で長い時間をかけて再生するわけさ」
「吸血鬼かそいつの名前は」
「抹殺されたよ肉体と同様にね、ただなぜか二つ名が残されている『血塗れ姫』だそうな」
その二つ名から吸血鬼の行状が推測出来きた不吉で不穏な名前だ。
「今まで放置していたのか?」
「聖霊教会はあちらから知らされた事しか知らないんだ、それでも一応800年前に調査したらしい、資料の保存状態があまり良くない上にこれも門外不必で私もまったく知らなかったがね、まあ下手に手を出すより封じ込めて置いた方が良いわけさ」
「まさかそいつを復活させようとしている奴がいるのか?」
「もしくは何かに利用しようとしているかだね、あたしは何かに利用しようとしていると見るよ、復活させても思い通りになる相手ではないからね」
「闇王国の二の舞いになると?」
「そうなるだろうね、人の思い通りになる相手ではない」
「あんたはそれを妨害するのが仕事か?」
スザンナはうなずいてそれを認めた。
その時の事だまたあの重い唸るような轟音が辺りに響き渡った、どこから聞こえてくるのかわからない不思議で不気味な鳴動だ。
雲ひとつ無い夜空は眩しいまでの星々で埋め尽くされていた、その音だけが陰陰と響き渡る、何かの異変の前触れを思わせる様な変化は起きない。
この音を聞いたのはここにきて何度目だろうか?
「エルヴィス、あの空洞に水が出入りする時の音かね?」
「ああ、確かにそうかもしれないな」
スザンナの推理の通りに洞窟に水が満ち引く度に大量の空気が押し出され引き込まれこの不気味な音を鳴らすのかもしれない。
しばらく二人はこの音に聞き惚れていた、その得体のしれない咆哮は次第に小さくなっていく。
「スザンナ、あんたはミロンを疑っているのかい?」
エルヴィスはいきなり核心に踏み込むんだ。
「ミロン=アキモフと言うペリヤクラム生まれの若い考古学者は死んだ事になっているんだよ、あちらではね」
「なんだと?」
「追手を躱すために死んだことにするのはありえるね、だが簡単にあちらを騙せるものだろうかね?」
「偽物かもしれないと?」
「奴が本物で生きているかもしれないよ?」
「そうかしかしミロンがペリヤクラム生まれだったとは初めて聞いたぞ」
「ペリヤクラムは石碑が発見された場所さ、あんたなら聞いているはずだ」
「それは知っているが、アイツの故郷だとは知らなかったんだ」
「ペリヤクラムは闇王国があった場所なんだ、今でも穢れた土地とされていて、ここで生まれた者は故郷を名乗りたがらないらしいね」
ミロンについて詳しく聞きたかったがそうそう時間はかけられない、そこで他の疑問をぶつける事にする。
「他にもいるんだろ?スザンナ」
「ああ、困ったことにね」
暗闇の中でスザンナが笑う。
「ヤロミールは北の魔術師のクランに所属しているのは聞いているかね?」
「北方の魔術師ギルドに所属しているらしいな」
「聖霊教会と魔術師ギルド連合が警戒してるのさ、あからさまに争う事は少ないが、禁忌スレスレの連中だからね、ついでにペンタビア王国があの地下の何かを手に入れたがってる、そんな兆候があるのさ」
エルヴィスは急に笑いがこみ上げて来た。
「なんだよ敵ばかりじゃねえか」
それにスザンナも苦笑を始めた。
「シーリも関係あるんだろ?」
その一言でスザンナが押し黙った。
「はっきりとした事はわからない、ペンタビア政府からあの娘に指名があってね、魔術師ギルドのある筋から聖霊教会に情報が入ったのさ、今度は私に護衛兼調査のお役目が来たってとこさ」
ある筋とは聖霊教会のスパイか協力者がペンタビア魔術師ギルド内部にいると言う事だ、聖霊教会ならば堂々と協力している可能性もある。
「あの娘の事がわかってくると嫌な予感がしてね、今日のあれを見ただろ?」
「霊媒体質か?」
スザンナは深くうなずいた。
「ドロシーはなぜ今回の旅に?」
「あの娘を巻き込んでしまったね、シーリと同じ年頃の女性を加えたかった様だね、話し相手になれて腕が立ち良い人柄である事さ、あの娘は見事に嵌ったわけだよ」
「シーリとうまくやっているようだな」
スザンナが闇の中で笑った様に見えた。
「いい娘だよ、タバルカにご両親と四人の兄弟姉妹がいるそうだ、あの娘は一番上で家に仕送りをしているようだね」
「あんたは何をしようとしてるんだ?」
「おっと私を呼んでいるよ」
スザンナが急に耳をそばだてる、だがエルヴィスには何も聞こえなかった。
「あたしゃ地獄耳なんだよ、さあ戻ろうかね」
スザンナは湿地を踏みしめながら野営地に向かって歩き始めた、エルヴィスは彼女に従い戻るしかなかった。