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北の魔術

調査団は短い休息をとるとふたたび洞窟の奥に向って進み初めた、先程ラウル達がやってきた洞窟の入り口を無視してさらにその先に進む。


だがその先も枝道が多くその中の幾つかは更に奥まで伸びている、湖の方角ではないものは調査を保留する事にした。

その度にドロシーがエルヴィスの指示にしたがい壁に赤いペイントで記号を書き記していく。


それを傭兵達が感心したように眺めていた。

「副隊長って学があるんですね」

「ええっ!?まーね」

ドロシーが適当に気のない返事を彼らに返していた。


調査団はそれでもゆっくりと確実に奥に進んでいった。


やがて調査団は大きな洞窟が分岐する場所にやってきた、方位機で確認すると一つは北西の方角に伸びている、もうひとつは南に伸びていた。


そしてここで新しい偵察チームを編成する事に決まった、探索チームのメンバーは固定した方がチームワークには良い、だがこの様な大人数の場合にお互いに慣れておく必要があった。

この先何が起きるかわからない、非常事態になって初めてのメンバーで組まなければならない事は回避したい。

今はまだ危険はないとラウルは判断したのかそれを強く勧めて来た。


調査団の中から不満の声が上がった、あまりにもゆっくりとしか進まないことに苛立ちが募ったのだろう。

だがこのような洞窟を闇雲に進んでも良い結果は得られない。


エルヴィスが懐からペンダント型の告時機を取り出し確認した、すでに始めてから六時間が過ぎようとしている、そろそろ昼食の時間だった、ここで全員に昼食を取らせる事にした。

食事を取るとイラつきが収まり落ち着く事をよく知っていたからだ。


新しい偵察部隊の一つは用心棒が指揮をとりシーリ達と組んで北西に向かう事に決まった。

エルヴィスは隊長とヤロミールと傭兵二人と組んで南に向かう事に決める、だがエルヴィスは先程の怪奇現象が気になった。

だがスザンナの『私に任せておきな』と言いたげな視線が決断させる、向こうの事はすべて彼女に委ねる事にした。

それにヤロミールと隊長と組めるのは歓迎だ、最近ヤロミールと多少は話せる様になったと思っていたからだ。


食事が終わるといよいよ偵察が始まる、留守番役のラウルに手を振ると南の洞窟に向かう、ふと背後を見るとザカライヤの淡い緑の魔術の光に照らされた洞窟の真ん中でアンソニー先生がミロンや匠の男たちと何か議論を始めてたところだった。




洞窟を進むにつれ先の闇の奥に何かを感じる、それが先程エルヴィス達を襲った灰色の霧を思い出させた、洞窟は大きな枝道もなく複雑に蛇行していた、時々魔術道具の方位機で方角を確認しながら進んだ。

洞窟はどこも似た情景で前に来たことがあるような錯覚に陥いりやすい、地下は磁石を使った方位機は全く当てにならなかった魔術道具のありがたさが身に染みる。


だが進むにつれて説明しがたい不安がエルヴィスの中で少しずつ高まって行く。


「エルヴィスどうした?」

エルヴィスの僅かな戸惑いに隣を進む隊長が気づいたようだ。

「いやな感じがするんだ、あんたも何か感じるか?」

「虫の知らせと言うヤツだ、俺も先程から空気が不快でならぬ」


背後の傭兵達が不安になったのか辺りを見回す気配がする、装備の金属が擦れる僅かな音が聞こえてくる。

エルヴィスはヤロミールの意見を聞こうと背後をふりかえる、そしてヤロミールの動きが止まった、そしてベールの背後から若い男の声が警告を発した。


「瘴気の密度が高くなった気をつけろ」


その直後に隊長が大声で警告する、鼓膜が破れるかと思うほどの大音声だった。


「何か来るぞ!!」


エルヴィスは前を素早く振り向いた、その時には素早く懐の黒いナイフの柄を掴んでいた。

腰のサーベルが通用しない相手だと直感したからだ。


洞窟の先の闇の彼方から説明し難い白い影が何体もこちらに向ってやってくる。

それは何と表現したら良いのだろう、その影は人の形にも似ていたが歪み、こちらに掴みかかるようにその半透明の腕を振りかざして向ってくる、下半身は曖昧で風に流されるように宙を滑ってこちらに向ってくる、それもかなりの速度だ。


ヤロミールの魔術の光球に照らし出された鍾乳洞の柱石や壁がその影を透かして見えた、奴らは半透明の実体のない怪異だった。

今までも似た様な怪異に遭遇した事があるが、ここまではっきり見えるのは異常だ、背後の傭兵達が悲鳴を上げた、この怪異はどうやら感受性の乏しい者にも見えるらしい。


「下等な存在がこちら側に滲み出ている、慌てるな大して強くはない!」

ヤロミールが彼らしくもない大声で警告を発した。


エルヴィスは彼に尋ねたい事があったが今は目に前の怪異に専念しなければならなかった。

横にいる隊長もいつのまにか予備の短剣を構えていた、その刀身の放つ威圧感が精霊変性物質の武器だと主張している、エルヴィスの見立てで帝国金貨150枚は下らない逸品だと瞬時に価値をはじき出していた。

そこに考える間もなく白い人影の様な何かが襲いかかってくる。


向ってきた白い影をナイフで切り裂いた、手応えを僅かに感じる、それは水を切り裂いた様に頼りなくおぼつかない、柔らかなチーズの様に切り裂かれたそれは更に細かく砕けていった。

その断片が腕に付くとそこが冷える、慌てて手で触るが手応えが無い、それはやがて溶けて消え陽炎のようにゆらめく不快な気となって散って行った。

シーリに取り憑いた灰色の物の怪の最後にとても良く似ていた。


隊長もその短剣で影を次々と切り裂く、落ち着き払い冷静に怪異を撃破していった。

その動きから力だけではなく高い剣技の裏打ちを感じさせた。


そして背後で力を感じると目の前の鍾乳石の床から半透明の岩の槍が飛び出し白い影を貫く、これはヤロミールの術だ。

貫かれた怪異は同じ様に砕けて瘴気に還っていった。


総てを破壊するのに要した時間は一瞬だった。


一息ついて全体を見渡すと傭兵達は完全に脅えていた、彼らは怪異にあまり縁が無いのだろう。

すかさず隊長が逃げ腰の兵士たちを落ち着かせ気合を入れ始める。


エルヴィスも背後のヤロミールに向き直った。

「ヤロミール、この奥に不浄の聖域があるのか?」


「濃い不浄の気を感じる、これは幽界より魔界の力に近い」

「闇王国の遺物が近いと思うか?」

「君はこの世界に特別な聖域と呼ばれる場所があるのを知っているはずだ、そこは精霊が現れたり不思議な事が起きる場所として神聖な地とされ祀られる」

エルヴィスはそれを良く知っていた、なにしろその様な場所が仕事場なのだから。

今までもそのような怪異に遭遇した事があった、だからこそ精霊変性物質のナイフを用意している、おかげで今のような怪異にも冷静に対応できるのだ。


更にヤロミールは続けた。


「古代王国の遺跡がある湖全体が聖域だ、聖域だからこそ神殿が集中している」

「知っていたのか?」

「環状の蛇の神殿の事は知らなかったが、湖の神殿の資料は一定の資格があれば誰でも閲覧できる、聖域はこの世と異界を隔てる壁が薄い場所なのだよ、(ケガ)す事で魔界への道が開きやすくなる」


「聖域を(ケガ)す何かがこの奥にあるわけだな」

「そう言うことだろうな」

やはりこいつは何かを知ってる、エルヴィスの疑念は確信に変わって行った。


「なああんたはなぜこの調査団に加わったんだ?」


ヤロミールは躊躇(チュウチョ)したようだが慎重に言葉を選ぶように語り始めた。

「闇王国はあまり知られていないが、持ち出された石碑は王国に興味を持つものには見逃せない、私のような北方世界の人間にはなおさらだ、私はザカライア教授と繋がりがあった故にこの調査団に加わる事ができた」

エルヴィスは北方世界の魔術には詳しくはないが、誰かがそれについて話していた記憶がある、シーリか先生だろう。

ふとヤロミールが大魔術師アイゼンドルフ=ザロモンの弟子と言う話を思い出したが、今は尋ねる事がはばかられた。


「ところでザカライア教授は何を研究しているんだ?」

「教授は呪術と古い魔術の系統を引く私達の北方世界の魔術体系を研究している、私はそれでペンタビアに招かれたのだ」

これでヤロミールとザカライア教授の関係の一端が見えてきた、だがそろそろ時間だ隊長がなんとか傭兵たちを立ち直らせた様だ。

いつまでもここで話をしていられない。


「興味深い話だが、今は調査が先だヤロミール」

ヤロミールも僅かにうなずいた様に見える。


エルヴィス達はそこから更に先にすすむ、しばらく進むが胸が重くなるような不快感が更に高まって行く。

隊長が一度は落ち着かせた傭兵達がまた動揺し始めた。


「エルヴィス時間はどうだ?」

隊長が横から突然話しかけてきた、たしかにそろそろ引き上げる時間が近い。

つい意識が朦朧としかけていた様だ、苦笑を浮かべ上着の小物入れから色の変わる小さな告時機を取り出した、それはすでに黄色に変わっていた。


「そろそろか、だがまだ洞窟は奥に伸びている」

すると手の平の上の告時機の色が赤く変わった。


「マークをしてから引き上げるぞ」

エルヴィスは筆を取り出すと鍾乳石の壁の高い場所に赤く記号を描き込んだ。







本隊に合流すると少し遅れてドロシー達が戻ってきた、リーダーの用心棒の話では北西の通路のかなり先に真ん中に池がある大洞窟があるらしい、その周囲にいくつも枝道があるため少し調べただけで引き上げて来たと報告してきた。

下手に深入りして遭難されてはたまらなかった彼らの判断に満足した。


そして臨時会議を開きその結果エルヴィスが調査した洞窟の奥から調べる事に決まった、瘴気の強さが決め手になったのだ。

調査団は先程エルヴィスがマークをした地点まで進む、調査済みの通路を進む速度は早かった、怪異に遭遇することもなくやがて鍾乳石に書かれた赤々とした記号が魔術の灯りに照らし出された。


「ここだ!」

エルヴィスは壁の赤い記号を指差した。


そこから更に進むと巨大な洞窟に到達する、ザカライアの魔術の灯りが洞窟全体を照らしだした。

皆声も無かった、自然に生み出された異教か悪魔の神殿のような荘厳な光景に誰もが息を飲む。


だが面倒な事に大洞窟の壁には幾つもの枝道の口が黒ぐろとした口を開けていた。

ふたたび調査団を停止させると偵察隊を放ち調査を始める、しだいに皆んなこの繰り返しに慣れ始めている。


困ったことにシーリの護衛のドロシーとスザンナは頑なにシーリから離れようとしない、三人が女性と言う事情もあるが契約を盾にされたのではそれを認めるしかなかった。

今度も先程のメンバーで再度偵察を進める事になる、エルヴィスは午後はこの体制で進める事にした。


そしてエルヴィスはラウルにアンソニー達の会話を聞いて気になった事があるなら覚えておいてくれるように頼む、ラウルは苦笑いをしながらも事情を察してくれた。


そして周囲の洞窟の調査がふたたび始まった、虱潰しに洞窟の調査を進めていく、慌てる必要は無い日程はまた一月近く残っている、帰路に7日残すとして三週間は行動可能だった。

可能な範囲で洞窟内を把握する、あとで行き詰まった時にそれが威力を発揮するはずだ、それはエルヴィスチームの長年の経験から来るものだ。




調査が始まり一時間ほど経った頃だろうか、エルヴィスは行き止まりの通路の入口の壁に赤く記号を描きながら何気なくヤロミールに話しかける。


「ヤロミール、どこから瘴気とやらが出ているかわかるか?」

足元からヤロミールの声が聞こえてきた。

「わからない、この洞窟全体が瘴気に満たされている、これ以上濃くなると鈍い者達にも悪影響を及ぼす」

記号を書き終えると鍾乳石の台から飛び降り隊に戻る、エルヴィスはそこで意を決して彼に尋ねて見る事にした。


「君はアイゼンドルフ=ザロモンの弟子らしいと聞いが本当なのか?」

ヤロミールがそのベールの奥で苦笑するのを感じた。


「その噂が流れているのか、私の師匠が少し知り合いと言うだけだ」

「君の師匠だと?」

「ああ私の祖国の魔術師ギルドのマスターだ、アイゼンドルフ=ザロモンと知り合いだと言っていたが果たして」

「本当かはわからないと?」

ヤロミールはうなずいた。

「君の故国はどこだったか?」


「エルトレスクだ」

あっさりと教えてくれたので拍子抜けする、エルヴィスは頭の中の地図を開いた、エスタニア大陸を南北に分断するアンナプルナ山脈が高さを落としながら北東に方向を変え巨大なセール半島の西端の山脈を形作っている、

そのセール半島の北辺に近い場所にその王国がある。

エルトレスク王国はセール半島を占める有力国の一つだ。


そのセール半島の北に船の旅で五日程の距離に大きな島がある、ここは北方の蛮族の支配する寒冷な土地だ。

エスタニア以外に知られている大きな大地はここだけだった。


「北方の魔術は太古の呪術や亡命してきた魔術師達の知識や技を継承して独特の世界を作っているのだ、ゆえに古きを知るためには『北の世界の魔術を知れ』と言われるのだ」

「亡命してきた魔術師は禁忌を犯したのか?」


ヤロミールはしばらくのあいだ熟考するように沈黙していたが静かに口を開いた。

「多くは政治的な抗争に破れた者がほとんどだ、だが中には禁忌にかかわる者もいたのは事実だ」

その場にいた者に言葉はなかった、そしてヤロミールは言葉をつないだ。


「さあ調査をしよう、今日中に何かを見つけたいものだ」

エルヴィスはそれに心の中で賛同した、このままでは明日もここに来て洞窟の調査をしなければならなくなる。


その時エルヴィスの懐の中の小さな魔術道具が音を鳴らす、この道具は単調な音をさせるだけだが、ある程度離れた場所の対になる魔術道具を鳴らすことができた。


「エルヴィスそれはお前の道具の音か?」

隊長が少し驚いた顔をしてエルヴィスが取り出した手元の道具をのぞき込んで来た。

「そうだラウルの呼び出しだ、向こうで何かあったようだ、戻ろう!」


エルヴィスを先頭に偵察隊は調査団が待機している大洞窟に急いで戻って行く。









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