灰色の霧
東の空が薄い紫に染まるころ野営地は動き始めていた、あちこちから炊事の煙が上がり始める。
エルヴィスチームの天幕の前でも今朝の食事番になった地図職人の男が調理に勤しんでいた、それを親方の若い弟子が手伝っていた。
朝の食事が終われば定例会議が開かれその後は地下の探索が始まる。
エルヴィスは下働きの者を雇わず雑務を当番制にしていたが、人数が増えてくると彼らを雑務から解放して仕事に専念させた方が良いと感じ始めていた。
皮肉な事に何をさせたら良いのかわからないケビンに雑務をさせていたら以外に便利な事に気づいてしまったのだ。
チーム全体の効率が上がっていた。
エルヴィスの前で焚き火をかまどにして大きな鍋にスープが作られていく。
しかしチーム全員で焚き火を囲んでいたが今朝は微妙な空気になっていた。
急に新入りが増えたのだから当惑するのも当たり前だ、当惑顔のケビンのとなりにリーノ少年が座っているリーノも居心地が悪そうだ。
「こいつはリーノだ、なかなか見どころがあるので仲間に入れる事にした」
ラウルがこちらを睨んでいる、こいつにだけは事情を総て教えていたが彼が怒るのも当たり前だ。
「エルヴィスいつ知り合ったんだ?」
親方は少年をジロジロと眺めていたが、身を乗り出してエルヴィスの方に顔を向けた。
「アルシラでこいつと知り合った、なかなか見どころが有るので入れる事にした、仕込めば使える様になる」
みんなまたかと言いたげな顔になった。
「そう言う事ならもう言うまい」
親方は諦めた様な顔をして座り治した。
エルヴィスは今までも素性の怪しい者たちを拾って集めてきたのだ、ラウルからして野盗同然の事をしていた過去がある。
この場にいる者たちはすべて怪しい稼業に関わってきた男達だ、だがその世界で頭一つ抜けた何かを持っていた者たちだった。
「監督は知っていたか?」
用心棒の声が上がった、監督とは荷役人監督の事だ、彼は契約切れの荷役人達を率いて帰路に付いた、いまごろ砂漠の真ん中にいるはずだ。
「あいつも知らねえだろうな、俺も最初気づかなかった」
「小僧は潜り込んで押しかけてきたのか?珍しいなアハハ」
親方は好意的に少年を誤解したのか愛想を崩す。
それにひきかえラウルの顔は更に厳しくなって行く、もちろんラウルには口止めしている。
やがて焚き火の上の鍋の中身が沸騰し始めた、良い香りが冷たい微風に乗って広がって行く、寒い季節では無いはずだが秘境の高原の朝の大気は冷たい。
エルヴィスはその寒さに僅かに震える。
「エルヴィス、こいつをどうするつもりだ?」
ラウルはリーノを指差した。
「まずはケビンと一緒に働いてもらう、そこでチームに慣れてもらう」
だが少年は不満げにケビンを見てからエルヴィスを睨みつけて来た、リーノの方が遥かにケビンより強いのを知ってる、ケビンは一度だけリーノに会っていた、ケビンの頭が良ければ『アルシラでこいつと知り合った』の一言で何か察したはずだがケビンは気づいていない。
エルヴィスはチームのメンバーの納得を優先して手順を踏む判断をしただけだ。
「その後は?」
「こいつはかなり筋がいい、用心棒の下で働いてもらう」
その場にいた者はラウルを除いて驚いた、これは武器や暗器の使い方罠の仕掛け方や見破り方を学ばせると言うに等しかった。
「ずいぶん楽しい知り合いだったようじゃな」
親方は呆れながらも楽しそうに笑った、この程度で驚いていてはここには居られない、みんな事情を薄々察した様だがそれを深く追求する者はいない。
食事番の地図職人が声を上げた。
「よし飯ができたぞ!!」
若い弟子が木の皿とスプーンを全員に配り始めた。
「まあ皆んなとりあえず食おうぜ、今日は忙しくなるぞ」
皆さっそく食事を始める。
エルヴィスもスープに硬い黒パンを漬けた、視界の隅で少年もおずおずと食事を取り始めた、それを看取るとニヤリと笑ってパンを口に運び顔をしかめる、わずかに砂漠の砂の味がした。
「足元に気をつけろ」
アームストロング隊長の大声が狭い通路に響き渡った。
エルヴィスの後方から金属がぶつかる激しい音が聞こえる、傭兵の装備が硬い物にぶつかる音だ。
「どうしたんだ?」
エルヴィスが後ろを振り返るが後方は人の影で見通しが悪い、その後方からアームストロングが答えた。
「たいした事は無い、足を滑らせた奴がいただけだ!!」
「怪我はしてくれるなよ?」
そこからエルヴィス達は慎重に通路を進むといよいよ昨日来た洞窟に到達する。
そこで昨日と同じにザカライアが人の背丈ほどもある若緑色をした光の旋風を作り出した。
その光が洞窟全体を薄っすらと照らし出す。
コウモリらしき羽ばたきが聞こえて来る、天井の小さな穴から入り込んだのだろう。
大きな洞窟だが進める方向は一方向だけでやがて洞窟は狭くなる、その先にさらに進んでいくと次第に周囲の壁も白く綺麗になって行く、天井からミルク色をした氷柱が無数に垂れ下がり、床は溶けたラードのような白い岩に覆われていた。
その荘厳な光景に誰も声が出ない。
洞窟が狭くなるとザカライヤに変わってシーリが照明を交代した、彼女が青白い光の珠を生み出した。
やがて通路は小さな洞窟に行き当たる。
「まずいな枝分かれしてやがる」
エルヴィスが舌打ちをした、先は二手に枝分かれしている。
予想はしていたが面倒な事は変わらない。
まずはそれぞれの通路を少人数に分かれて偵察する事になった、深入りを厳しく禁止し複雑な場合は迷わず引き返す、先に進めそうでも時間がきたら引き上げるきまりだ。
エルヴィスとラウルがそれぞれ指揮を取る、ラウルにはヤロミールと隊長と傭兵二名、エルヴィスにはシーリとドロシーとスザンナに傭兵が一人付いた。
シーリにはかならずドロシーとスザンナが付いて来る、それに誰も文句が言えなかった、とはいえドロシーもスザンナも非常に腕は立つので問題は無い。
エルヴィスチームに加わった傭兵はあの壮年の男だ、そいつがドロシーとエルヴィスを見ながらニヤニヤしているので殴り付けたい気分になった、だがこいつは腕は確かだった。
告時機を合わせると偵察部隊はそれぞれの通路を進み始める、偵察が帰るまで本隊は洞窟で待機する事になった。
エルヴィスが率いる部隊は右の通路を進んでいた。
シーリの光の珠に白亜の洞窟が照らし出され、幻想的な神殿の様な景観の中を進んでいった。
やがて人の背丈ほどの段差にぶつかったのでエルヴィスが素早く上に昇り辺りを確かめ合図を出した、するとスザンナがシーリを抱きかかえて跳び上がって来た。
これにはエルヴィスも内心で呆れ返る、やはりこいつは想像を越える怪物だ。
下にいるドロシーに手を差し伸べる、彼女が少しはにかんで手を伸ばして来たので掴んで引き上げてやった。
「その娘は簡単に飛び上がれるよ」
スザンナが後ろでつぶやくのが聞こえる。
「でもありがとう、人の親切は素直にうけろっておばあちゃんが言ってたわ」
ドロシーが笑いながら礼を述べたので、ついドロシーの腰あたりをひっぱたきたくなったが素早く自制した。
エルヴィスは苦笑いを浮かべながら立ち上がると洞窟の奥を観察する。
「つめてーな、先に行くなよ」
背後からあの傭兵が文句を言いながら装備を鳴らして壁を登ってくる音が聞こえてきた。
「スザンナ、あの嫌な空気は感じるか?」
洞窟の奥の暗闇を見ながらふと隣にいるスザンナの言葉を思い出す。
「ん?ああ奥に進むほど強くなってくるよ」
「禄でも無いのが出ると思うか?」
スザンナがシーリを下ろして立たせてやった、どうもシーリに過保護な気がしてならない。
「負の聖域は異界、あの世との距離が近い場所なんだ、下等な物が滲み出て来やすくなるのさ」
「たしか特別な星辰の時が近いらしいな」
「良く知っているね、まああんたらなら知っていてもおかしくないか」
内心では魔術師がいない不利を突かれた気分になった。
「星のめぐりで世界の間の作用が変わるさ、魔術師達はその機会を使って実験や研究に利用する、何かを成そうとする者達が多いようだね」
その言葉が深く染み通って行った、エルヴィスの深いところに蠢く疑問を代弁していたからだ、この調査旅行そのものが何かの実験か何かの目的の為ではないか?闇王国時代の魔術道具の回収はその目眩ましの様に思えていたのだ。
「スザンナあんたはただの侍女じゃないだろ?」
エルヴィスの疑問に便乗するかのようにあの傭兵の声が上がる。
「俺たちもそう思っているぜ?お茶を煎れるのにその筋肉はいらねえだろ」
その言葉が終わる間もなくスザンナが軽く男を手で払っていた。
「うおーーー」
傭兵が叫ぶと金属の音が鳴り響くそのまま尻もちをついてしまった。
「あぶねーじゃないか!」
スザンナは傭兵の抗議を無視して言葉を続ける。
「始めから言っていただろうシーリの護衛だよ、女の方が都合が良いのはアンタも良くわかってるはずさ」
エルヴィスは少しはぐらかされた気分になった、スザンナが垣間見せた力が人の範疇から外れていると感じていたのだ。
シーリの体重が軽いとは言え、両腕で人を抱きかかえてあの段差を飛び上がれるはずが無かった。
「ところでエルヴィス、その禄でも無いのが出てきたらどうやって闘うつもりだったんだい?」
スザンナが少し身を乗り出してきたそれになぜか圧迫される。
エルヴィスは懐に手を入れると上等な革の鞘に収められたナイフを取り出す、そしてそれを抜いて黒い刃を見せた。
「まあ精霊変性物質ね」
シーリがその正体を即座に看破った、魔術師が精霊変性物質に反応する事はエルヴィスも知っている。
「アンタも備えは有るんだね、異界の者は高等な者になるほど普通の武器じゃ歯が立たなくなるからね」
「みせて、精霊変性物質の武器ってお高いんでしょ?」
ドロシーの言い草がどこかの主婦か胡散臭い商店の売り子の掛け合い漫才の様だ。
「これでも帝国金貨35枚もしたぜ?」
エルヴィスは少し得意になってナイフを見せびらかした。
「たけーぞ!俺の給料どのくらいか知っているのか?」
あの傭兵が騒いでいるが無視する。
「さあ先を確かめるぞ」
また五人は先に進み始めるとすぐに小さな洞窟に到着する、そこからまた三つの口が暗い口を開けていた。
「告時機の色が変わったわ」
告時機を持っていたドロシーの警告で引き上げる時が来たことを知った、本隊が待機しているあの洞窟に引き上げる事にする。
結局ラウル達の進んだ通路は枝道も行き止まりでかなり進んだ処で先に進め無くなっていた、本隊はエルヴィス達が見つけた洞窟に進む事になる、そしてその先に到達した先は複雑に入り組んでいた。
「おいアンカーを打ち込め、ロープを張るぞ」
すかざすラウルが指示を出す、親方の若い弟子がアンカーを何本か近くの地面の岩に打ちみ始めた、金属の音が洞窟に反響する。
「何をしているの?」
エルヴィスの後ろからドロシーが身を乗り出してきた、弟子は見る間にアンカーに細いロープを結びつけ金属の器具で固定した。
そのロープは大きな糸を巻くボビンを大きくした様な道具に巻かれていた。
「道に迷わない様にロープを敷くのさ、この先は危険だ迷うと生きて出られなくなる」
ドロシーの大きな目が暗がりで見開かれた、彼女は感情が表に出やすい。
先程と同じ様に偵察隊を二手に分け調査を進める事になった、それぞれ命綱を挽いていくこの先かなり危険になるだろう。
先生と親方達は調査団団長のザカライアと本隊に残る事になった、アームストロング隊長は本隊の護衛に残り、代わりに用心棒がラウル達と行く事になった。
彼の腕前はエルヴィスチームでもトップを争っていた、ラウルと連携をとるには彼の方が適任だ。
エルヴィスは先程のメンバーと共に先に進むことになる。
「そろそろ行くぞ?」
エルヴィスが洞窟に踏み込むと、ドロシー、シーリ、傭兵、そして最後にスザンナが進む。
スザンナが命綱を張る仕事を自ら請け負った、彼女は片手で軽々と大きな糸巻きをぶら下げている。
「スザンナ、緩くしてくれ糸が岩で切れる事がある」
「あいよ!!」
元気よくスザンナが答える。
洞窟を探りながら穴を見つける度に中を調べて行く、特殊な顔料で入り口に記号を書いて進む、それを書くのはドロシーの仕事だった。
「これは深いな」
エルヴィス達がある通路の前にたどり着くとその先に大きな洞窟が広がっていた、その奥はまだ良くわからない。
方位機を取り出し調べるとほぼ西に向って伸びている、あの神殿から湖まで500メートル程の距離があるはずだ、エルヴィスは頭の中に素早く地図を描いた。
後ろを振り返り一言告げる。
「ドロシー頼むこの先は深い」
その一言で彼女は大きな筆で壁に記号を書き始めた、だがよくみると彼女の顔に赤い染料が付いている。
側にいたシーリに近寄ると彼女の耳に口を寄せてささやいた。
ドロシーの動きが停まりエルヴィスと目が会う。
シーリがすたすたとドロシーに歩み寄ると白い小さな化粧布をローブの内から取り出して顔の汚れを拭ってやった。
「あら、気づかなかったわ」
ドロシーは赤く汚れた白い化粧布を見ていたが、そのあとで自分の顔を手で触るとエルヴィスを少し恥ずかしそうに睨んだ、染料のせいなのか少し顔が赤い。
その後ろであの傭兵がニヤニヤしているのが見える。
「さあ先に進もうかね」
スザンナが催促したので仕事を思い出した。
洞窟に入り進み始めると、洞窟はどこまでも続いているように見えた、荘厳な鍾乳石で装飾された自然の神殿だ、いつのまにか皆んな何も話さなくなっていた、足音だけが単調に洞窟に響き渡る。
エルヴィスの中で説明のつかない不安が広がっていく、その理由を確かめようと周囲を見回す。
「これは変だね、覚えがあるよ」
スザンナの太い低い声が沈黙を破った、彼女の声からは確かに緊張が感じられた。
それをきっかけに皆が喋り始めた。
「どのくらい歩いたのかしら?シーリわかる」
「なんかぼーとしていた・・・」
「あれれ、あの人がいない!?」
ドロシーの呟きに気づく、あの壮年の傭兵の姿が見えなかった。
「あの野郎いつ消えたんだ!?」
「エルヴィス見な!?霧が出てきたよ」
再びスザンナの警告の叫びが上がる、それは先程より緊張と警戒をはらんでいた。
エルヴィスが前を振り返ると、洞窟の奥から灰色の霧が音もなく押し寄せてくる、しかしこんな現象が地下で起きるのだろうか?その霧は例えようもなく不快で禍々しく渦巻きながらこちらに押し寄せてくる。
「みんな離れ離れになるな固まれ」
エルヴィスが叫んだその直後に一行は灰色の霧に包まれた。