地底の洞窟
エルヴィスが調査隊本部を訪れた時、下働きの男達が新しい天幕の組み立てに忙しく働いていた。
ザカライアは下働きの男達に細々と指示を出していたが近づいてくるエルヴィスに気づいた。
「エルヴィス、あの中をもう調べたのか?」
彼が指差す先に環状の蛇の神殿が暗い口を開けていた。
「そうだ、すでに地下に降りる階段を見つけた」
その間にもエルヴィスの視線は先程の箱の在り処を探していた、すると天幕の横に箱を積み上げて厚手の布を被せて置いてある荷物の山を見つけた。
その天幕からヤロミールが出て来た、それにバーナビーも続く。
「階段の下がどうなっているのかわからないのか?」
エルヴィスは顔を横にふった。
「教授、空けてみなければわからねえよ、ヤロミール後で階段の砂をどかすのを手伝って欲しい」
「当然だ協力しよう」
彼は即座に協力を承知した。
エルヴィスは三人に目を走らせてから、三人の表情の変化を決して見逃すまいと決意してから口を開いた。
「さっき見たが荷役人共が奇妙な荷物を運んでいたがこれは何だ?」
エルヴィスはその厚手の布に覆われた荷物の山を指差す、三人の視線も自然とそちらに集まった。
ザカライアは特に嫌味を言うこともなくすぐに答えた。
「非常に貴重で高価な触媒と魔術道具が入っておる、その長い箱は発掘物などを入れる箱だ、外部から透視できない様に特殊な処理がしてあるのだ」
彼の答えは理に適った説明で特に疑問を感じる理由も無かったが、淀みがなさすぎて模範解答を始めから用意していたかのように感じられた。
他の二人にも特に感情的な動きは見られない。
それに外部から透視できないとはどんな処理だろうか?記憶をさぐると魔術的な防護結界と一部の魔術道具にそんな物があったはずだ。
それが魔術道具ならあの大きさともなると極めて値が張る物になる、シーリなら何かわかるだろうか後で聞いてみるか。
「エルヴィスに聞きたい事も多いでしょうが、それは会議の場でしてもらいましょう」
バーナビーが口を開いたのでこれでエルヴィスも物思いから我に帰った、この後で会議が開かれる予定だった事を思い出す。
「俺は一旦引き上げる」
これから砦の野営地へ帰る荷役人達を見送る仕事が残っていた、エルヴィスはそう言い残すとチームの天幕に引き上げる。
環状の蛇の神殿の入口の前に調査団のメンバーが集まっていた。
昨日のメンバーに新たにザカライア達を加え、環状の蛇の神殿の中を案内する事に会議で決まったのだ。
「シーリ結界を解いてくれ」
神殿の入り口には防護結界が張ってあるのだ。
「まかせて」
進み出たシーリが神殿の入口を封じていた魔術結界を解除すると、結界から精霊力が散っていく感覚を僅かに感じとる。
シーリが続いて青い魔術の明かりを灯した、頼むまでもなく魔術の明かりで神殿の通路を照らしだしてくれた。
「これが君が言っていた足跡の様な模様なのか?」
ザカライアが言葉を発すると全員天井の紋様を見上げていた。
「言われてみれば足跡の様にも見えるが、足跡とは断言できまい」
アームストロング隊長が意見を述べる。
天井を見上げていたミロンがエルヴィスの方に向き直った。
「気味がわるいですね、でも何時出来たか良くわからないんでしょ?」
「そうだよ」
ここまでミロンの様子に特に不審は無い。
「だが誰かがシーリの罠を通過して神殿の奥を歩き回っていたのだな」
ヤロミールの若い声がベールの奥から聞こえてきたそれにシーリがすかさず答えた。
「そうよ、中に新しい足跡もあった」
しかしヤロミールはいい加減ベールの奥の素顔を見せようとしない、魔術師に変人が多く奇妙な誓いを立てている者が少なくない、決められた食べ物を食べない奇妙な服装や習慣や物に固執する者が多いのだ。
今まで放置して来た事が悔やまれるが、エルヴィスも無駄に波風を立てたくなかったからだ。
「奥に進もう」
皆を促してエルヴィスが先頭に立って神殿に踏み込んだ、まずは根源の蛇神のレリーフがある最奥の部屋を目指す。
アンソニー先生は何かつぶやきながら通路の壁のレリーフに感嘆の声を上げていた。
「これは素晴らしい!私はなかなか現地に行くことが難しくてね、出土品や文献でしか触れる事ができないんだ、これだけでもここに来て良かったと思えるよ」
やがて最奥の根源の蛇神の部屋に到達した。
「これはたしかに根源の蛇神」
ザカライアがシーリを見てから正面奥の壁のレリーフを見直して口を開いた。
先生が最奥の蛇神のレリーフに歩み寄ると、自分の魔術道具を灯してレリーフを照らし出す。
照明用の魔術道具は節約しろと通達していたのでエルヴィスは止めさせようと一瞬迷った、だが長年の経験から専門家には自由に調べさせた方が良いと思い直して彼の好きにさせる。
「これは古代文明の末期の様式だよ、五万年前の様式だね、闇王国はここを何の為に利用したんだろうね」
先生は舐めるようにレリーフを観察している、エルヴィスはミロンの様子に目を光らせていたが、先生と較べて彼は極めて冷静な態度だった。
「先生落ち着いてくださいよ」
ミロンは笑ったそれは冷笑ではなく暖かな笑いだった。
「そろそろ階段の処にいかないかい?」
スザンナが皆を促す、しかしなぜ彼女が自然な態度でここにいるのだろうか?
それが起きたのは皆が根源の蛇神の部屋から出た直後の事だった、部屋の奥から何か唸り声の様な音が響き渡った。
「エルヴィスこの音か?」
親方が大声を上げると部屋に駆け戻る、皆それにつられて部屋に戻った。
音はひょうひょうと部屋に響き渡っている。
「確かに空気の流れがあるな、ラウル!!」
「なにか悲しい音ですね」
副隊長としてここに加わっていたドロシーの平凡な感想が聞こえてきた。
親方が発煙棒を取り出しラウルに持たせると着火する、ラウルが蛇神のレリーフがある天井付近にそれを掲げると煙は早い速度で吹き流された、それは出口に向って消えて行く。
「たしかにここだったな」
親方が感心した様に天井を見上げている。
「蛇神のレリーフの上から音がするなんて偶然ではないね、これは研究の余地があるよ?今まで聞いた事がない仕組みだ、これは素晴らしい発見だよ」
先生だけが浮かれた感嘆の声を上げている、その風の歌は物寂しく何時までも響き続けていた。
続いてエルヴィスは調査団を親方が発見した埋められた階段の在る部屋に案内した。
「ここだヤロミールたのむ」
エルヴィスの呼びかけにヤロミールが部屋に入ってきた、砂がむき出しの床を見て彼はうなずいた。
先生は剥がされた石板を観察していた。
「この石版も古代の物だね、ここは作られた時から砂で封じられていたと思うよ」
親方も我が意を得たりと賛同する。
「先生、俺もそう思うね石板があまりにも綺麗過ぎる後から足したものならこうはならねえ」
その場にいた下達も全員その意見に賛同した。
「全員部屋から出てくれ」
エルヴィスはこのままでは作業が進まないと思い二人の論議に割り込むことにした。
部屋の中にいた者は全員下がる、代わりに部屋に入ってきたヤロミールはしばらく砂を観察していたがつぶやいた。
「これはかなり深いようだ」
エルヴィスが見ている前でヤロミールが術式の構築を開始する、精霊術士特有の力の放散を感じると詠唱が始まりそして終わった。
砂がまるで流砂の様に渦を巻くと地を這うように階段から湧き上がって部屋に広がっていった、白味の強い薄黄色い粒の大きな砂が部屋にどんどん堆積していく。
しばらくするとヤロミールが入り口を振り返りエルヴィスの方を見た。
「やはりまだ砂が階段に残っている、この砂が邪魔だ一度外に捨てたい」
作業の邪魔になるのでエルヴィス達は中央の部屋に移動した、雑談に華をさかせる彼らの下に術で砂を神殿の外に棄てたヤロミールが戻ってきた。
「やはり底まで深かいようだ」
部屋に戻りヤロミールが同じ術式を行使した、生き物の様に流砂が階段から這い出し部屋に広がっていく、突然ヤロミールが小さな叫びを上げた。
「どうした?」
「道が開けた」
「なにっ!?」
入り口で見物していた者達からどよめきが上がる。
エルヴィスは厚く積もった砂を上を階段に向って駆け寄る、シーリの青白い魔術の明かりも部屋の真ん中から階段の上に移動していく。
たしかに長い階段の先の砂の上に暗黒が口を開けていた。
エルヴィスは魔術道具を握りしめ危険なガスを検知する道具を起動させる、そして階段を慎重に降りていく、しだいに暗くなってきたので自分の照明道具を起動させ穴の中を照らしだす。
長い階段の先は通路になっていた、床も壁も灰色の硬い岩で僅かに表面が湿っていた。
湿った風が穴から静かに吹き出して来る。
エルヴィスは階段の上に戻った。
「階段の下に通路があった、残りの砂もそう多くはないヤロミール残りを頼んだ」
「階段の砂を取り除いたら、この部屋の砂も片付けよう、君達は少し下がっていたまえ」
だが通路が開きかけた状態でヤロミールを一人にするわけにも行かない、エルヴィスとシーリが残る事になった、他の者は邪魔にならないように中央の部屋に移る。
だがドロシーとスザンナは当たり前の様に横に残っている、この二人はシーリとセットなのだ。
ヤロミールが再び砂を動かす作業を再開する。
「エルヴィスさん通路の先は湖の下まで続いているのかしら?」
ドロシーが横でささやいた。
「そのはずだが2000年の間にどうなったかわかったものじゃねえな」
エルヴィスが苦笑するとドロシーの目は丸くなった。
「あのエルヴィスさん心配じゃないんですか?」
「大きな声じゃあ言えないが、必要な経費はもらっているんだ、出土品が見つかれば契約に応じて貰えるから成功した方が嬉しいがな」
出土品を狙った遺跡荒らしは当たれば見返りを独占できるが危険も大きな博打だった、今回の様な遺跡調査の請け負いの方が遥かに手堅い。
「そうでしたわね、私も調査が成功しても失敗しても報酬は変わらないのよ」
ドロシーがちらっと舌をだした。
大きな目に大きな口をした個性的な美貌の彼女がそうすると妙に愛嬌があった、だがどこかからくり人形じみていて笑いをこらえるのが苦痛だった。
「気に食わ無いね」
スザンナが太い低い声でぼそりとつぶやいたのでエルヴィスは慌てて彼女を見る、ドロシーはなぜか動揺し目が泳いでいた。
「嫌な気が下から風に乗って上がってくるよ」
「気だと?」
それはスザンナが言っていた負の聖域の気の事だろうか。
「私にはわからないわ、スザンナにはわかるの?」
シーリが不思議そうにスザンナを見た。
「聖霊拳の修行をすると感覚が鋭くなるのさ、聖霊拳は体内の命の気をたぐるからね、魔術師ならそれを感じる事ができる者も多いんだがね」
シーリが頭を傾げている、感じる事ができると自負しているエルヴィスにもわからない。
「いやな何かが奥にあるよ」
「砂は全て取り除いた、部屋の砂を捨てるのでそこをどいてくれ」
部屋の中からヤロミールの声が聞こえてきた、エルヴィス達は部屋の入口から神殿の奥に移動する。
やがて白い黄味を帯びた砂が蛇の様に床をのたうちながら出口に向って流れ始めた、それを感嘆したまま三人はそれを見送った。
砂が除去された後で中央の部屋に集まり方針を決める、調査団はこちらに来たばかりで疲労していた、今日は階段付近を調べるだけで終わる事に決定した。
本格的な調査は明日からだ、いつのまにか奥の部屋の風の音が消えていた。
階段を降りると長い廊下が真っ直ぐ先に伸びていた、先は真っ暗なはずだがその先に違和感を感じた。
「シーリ明かりを頼む」
青白い光の珠が階段をゆるゆると降りてくると先頭を進み初めた。
「後ろから来るものは前を詰めすぎ無いように、何かあったら自分の照明をつけて階段の上に向って走れ」
エルヴィスが全員に注意した、密集するのは危険なのだ暗い場所は無意識に人が固まりになりやすい。
列の後方が明るくなる列の最後尾にいるラウルが照明をつけた。
エルヴィスが先頭を進み始める、すぐ隣で用心棒が罠や危険を警戒し、背後にアームストロング隊長とヤロミールがいた。
その後ろにシーリ達と地図職人がいるはずだ。
その通路の壁は次第に表面が黒く変色し苔の様な何かに覆われていく、前の方からゆっくりと風が吹いてくる。
だが青白い淡い光に照らされていた壁が少し先で消えていた、その先に闇が広がっているが何かが奇妙だった。
「シーリ消してくれ」
青白い光球が消えると前が真っ暗になる、ラウルの照明だけが光を与えていた、背後でざわめきが聞こえる。
「動くな静かに音を立てるな」
エルヴィスは姿勢を低くして神経を研ぎ澄ませて前に出る、静かになると水が流れるような音が聞こえてきた、そして闇の中に緑色の光が無数に光っている、死人の様に無気力なおぼつかない光だった、それが視界一面を覆っている。
まるで夜空の様な緑の星空が広がっていた、洞窟などでありふれた光苔の群生が広がっていた。
「何これ?」
小さな悲鳴が上がるドロシーの声だ。
「みんなこの先に広い洞窟がある」
エルヴィスが戻ると団員に説明する。
「シーリ明かりをたのむ洞窟全体を照らしてくれ」
「みんな光を見ないようにね」
シーリの言葉と共に青白い光球が再び生まれた、エルヴィスは経験から視力を奪われない様に下を向いていたが、成れない者達が光で視力を奪われ不平の声が上がった。
これは慣れてもらうしかない何事も経験だ。
だが彼女の魔術の輝きは大きな洞窟全体を照らし出すには力不足だ。
「今度は私がやろう」
ザカライヤが出口に進み出ると詠唱を始めた、そこから部屋の奥10メートル程の場所に薄緑に旋回しながら輝く光の旋風が生まれる。
その光は広い空間全体を照らし出した。
光の中に巨大な洞窟が姿を表す、天井から薄汚れた鍾乳石が幾本も吊り下がっていた。
小さな水面が魔術の光を反射する、少し先に瓦礫の山が見えるそこに上から水滴が滴り落ちていた。
その真上を見ると丸い小さな光が見える、天井の一部が崩壊したのだろう、穴の場所はあの神殿の入り口がある断崖の上になるはずだ。
そして洞窟の奥に更に奥に向かう洞窟が大きな口を開けていた。
背後から圧倒される景観に感嘆の声が上がっていた。
「これから楽しみだわ」
その中からシーリの呟くような声が聞こえた。
「さて今日はここまでにしよう」
エルヴィスは後ろの調査団の者達を見渡した、誰からも異論は出なかった。