ドロシー
ラウル達が野営地に偵察から帰ってきた時にはあたりが暗くなっていた、野営地はアンナプルナ山脈の東側にある、山脈のむこう側に日が落ちるので暗くなるのも早い。
エルヴィスは天幕の中の敷布の上に地図を広げてラウルの報告を受けていた。
偵察隊は幻の山岳民族や危険な獣に遭遇する事も無く、順調に道を切り開きながら進み、目的地まで半分ほどの地点で引き返してきたようだ。
「道の状態はどうだラウル、歩くのに大きな問題があるか?」
ラウルは今日切り開いて来たルートを地図でなぞった。
「もともと古い道があったところだ、獣道かもしれないが、大きな障害はないな」
「明日は野営地を設置するところまでだな」
「そうだな、エルヴィス人を増やすか?」
「少し増やすか、先に現地に向かうチームと後から物資を運ぶチームに分ける」
「そうだな天幕は運ぶのに重いからな」
「道ができれば半日で行ける距離だ」
地図をにらみながらエルヴィスが地図のある一点を指で叩いた。
「ここもどうなっているか実際に行って見ないと何もわからないぜ?」
「ああ、そこに行った事がある奴が一人もいない」
ラウルが指差す場所は環状の蛇のレリーフがある遺跡にほど近い開けた場所のはずだ、だが本当に地図の通りなのかは知れた物ではなかった。
正確な地図は不足している、大体の位置関係がわかるだけで上等な部類なのだ。
二人は明日の計画を決めて行く、野営地の設営や輸送の手配はエルヴィス達に一任されている、計画は調査団に報告するがこれはすべてエルヴィスチームの裁量だ。
荷役人や傭兵や下働きの者を動かす権限を与えられていた。
そこに匠の頭が天幕に顔を出す、男は中に入らず天幕の入り口から顔をのぞかせていた。
「ラウルもどったのか」
「そうだが、お頭なんだい?」
「向こうはどうなっているかと思ってな」
「明日は向こうの野営地の設営だけで終わりそうだ、お頭が行くのは明後日になりそうだよ」
「ほう、なら明日は道具の手入れで過ごす事にするさ、じゃあな」
匠の頭は無愛想に棄てセリフを残すと去って行ってしまった。
エルヴィスとラウルは思わず顔を見合わせて苦笑した。
「エルヴィスさんラウルさん夕食ができました」
天幕の外からまた声がかかる。
「もうこんな時間か、夕食をとったら会議だな」
そう言いながらラウルがのろのろと立ち上がった、かなり足腰が疲れているらしい。
「さって報告しねーとな」
エルヴィスも立ち上がった。
二人は入り口の厚手の布をかき分ける、外にメンバーが既に集まっていた、火が爆ぜる音とおしゃべりの声が天幕に流れ込んできた。
入り口が閉じられると再び中は静かになった。
夕食が終わると中央の調査団本部の大天幕の前で定例会議だ、ザカライアが会議場に自ら防音結界を張る、ここに来てから警戒が厳重になったとエルヴィスには感じられた。
まずラウルが偵察の報告を行い質問を受け付ける。
「砂漠で見たあの不気味な黒い何かの様な物は見かけなかったかね?」
アンソニー先生の質問を聞いて僅かに声を立てた者がいた、エルヴィスがそちらを見るとドロシーだ。
エルヴィスと目が会うと僅かに目を逸してまたこちらを見た、何か言いたげだったが昨日から少し彼女の態度がおかしい。
何かあったかと思い出すが決め手に欠けた。
一度ちゃんと話してみねーとだめだな。
「今回は特に何も無かった、申し訳ないが俺達はあまり鋭くないんだ、魔術師がいると良かったんだが」
鋭いとは魔術的な現象に対する感受性の事だ、エルヴィスが魔術師の術式の気配を感じる事ができるように人によって差がある。
「処でなぜ君たちに魔術師がいないのかね?前々から気になっていたが」
ザカライアがここで口を開き割り込んできた。
これはエルヴィスから説明するしか無い、エルヴィスは簡易椅子から立ち上がる。
「分析や魔術道具の整備をする魔術師はいる、調査団に参加できる魔術師は今はいないんだ、なかなか定着しなくてね」
シーリが顔を上げて背筋を伸ばした。
「コステロさん、やはり危険だからかしら?」
「報酬と危険の収支が合わないんだ、魔術師は貴重で仕事に困らないからな、今回は中位以上の魔術師が三人参加と聞いて無理をしなかった」
この場にいた者はそれで一応納得した様子だった。
「そうだ、ならば明日魔術師の誰かに参加して貰えないだろうか?魔術的な監視をお願いしたい」
エルヴィスはザカライアの方を見る、魔術師を動かす権限はザカライアにある。
「あの私が行こうかしら?」
シーリが挙手をして声を上げた、ザカライアは少し驚いた様子だがすぐにうなずいた。
「まあよかろう」
「スザンナも一緒に行くけどいいかしら?」
「それは頼もしいな」
エルヴィスは笑って承諾した、熊が出てきても彼女なら何とかしてくれそうだ。
この後は明日の予定を報告してから会議は終わる。
アームストロング隊長と会議場を去っていくドロシーの背中を見送った、彼女もシーリ達の天幕で寝るはずだ、あとでそちらに行ってみる事にする。
エルヴィスは天幕に戻らずラウルと別れて野営地を見回る事にした、ラウルは明日の準備でいろいろ忙しい。
荷役人の天幕を挨拶しながら彼らの様子をうかがう、荷役人のチームも半分に減り寂しくなったものだ、だがあのリーノ少年の姿が見当たらない、荷役人監督と一緒に街に帰ったとは聞いていなかったが。
「あいつ荷役人のチームに入っていなかったよな」
つい独り言が漏れる。
やがてアームストロング隊長と傭兵達の宿泊地にやって来た。
焚き火の周りに隊長の魁偉な姿がまっさきに目に入る、そこに傭兵達と隊長の昔の部下の荷役人達の姿もあったがドロシーの姿が無い。
そのかわりにリーノ少年の姿が見える、少年は隊長の昔の部下の隣に座っている。
「おおエルヴィスかいつもご苦労だな」
野太いアームストロング隊長の声が歓迎してくれた。
エルヴィスはあいさつしながら隊長の昔の部下の隣にさり気なく座った、リーノは三人の反対側に座っている。
すると隣に座っている見覚えのある男が話しかけてきた。
「エルヴィスの旦那、この子供は俺達が預かる事になったよ、監督から聞いているか?」
ふと見るとリーノが隣の男を殺しそうな目で睨みつけていた。
「いや、あいつも忙しかったんだろう、聞いてなかったよ」
大きな問題をしでかさない限り荷役人一人の処遇をいちいちエルヴィスに報告はしない、エルヴィスはリーノ少年を気にしていたが監督にとっては単なる荷役人の一人に過ぎない。
「残留組の中で俺たちの数が一番少なかったからだろうさ」
「そう言う事か、こいつ使えそうか?」
「まだわからんよ、ははは」
リーノが今度はこちらを睨みつけてくる、まだ幼いがなまじ整った容姿なので凶悪な顔に見える。
「おーいエルヴィスこっちに来い!!」
野太いアームストロング隊長の声が焚き火の反対側から呼びかけてきた。
「早く行けよ」
そいつは笑いながらエルヴィス促した。
しぶしぶと移動するとアームストロング隊長の隣の空いている場所に座る、さっきまで隙間が無かったので隊長が開けさせたのだろう。
「隊長話があるのか?」
「うむ、明日はドロシーも一緒に行くことになったぞ」
少し隊長の息が酒臭かった飲んでいたのだろう。
「ドロシーはシーリの護衛だったな」
「そうだ、彼女の役割はシーリの護衛だが、シーリと上手く付き合えそうな年齢が近い若い女性を探していてな、それでドロシーに決まったのだ」
「ドロシーならうまくやれそうだな」
「ああ」
「なあエルヴィス、たしかお前は天涯孤独だったか?」
「そうだが、親の顔も知らない、それがどうかしたか?」
「そうか・・・」
アームストロング隊長は何かを考え込んでいる。
「そうだドロシーはシーリのところにいるのか?」
隊長はこちらに顔を向けるとニヤリと笑った、そうするとその見事な白い鳥の様な髭が羽ばたくのが面白い。
「この近くで武術の訓練だ」
「そうだ俺はまだ見回りが残っている、そろそろ行くよ」
「うむしっかりやれよ」
エルヴィスはアームストロング隊長の顔をまじまじと見つめる、彼の顔が僅かに赤く染まっていた。
「アンタも毎日酒臭いな?」
「がはは、酒ぐらいしか楽しみがないでのう」
エルヴィスは隊長と傭兵たちに別れを告げてその場を去った。
少し石積みの壁にそって歩いていると壁の外から風切り音が聞こえて来る、そして若い女性の息使いが闇の向こうから聞こえてくる。
石垣の崩れた場所から砦の外に出る、夜の闇が広がり照らすものは星明かりしか無い、目が慣れてくると古い集落の跡が見えてくる。
その暗闇の中にドロシーがいた、剣を片手に握り流れる様な足の動きと舞うような剣筋、それは流麗な剣舞の様に力強く美しい。
エルヴィスは思わずしばらくの間見惚れていた。
訓練を終えて汗を布で拭う彼女が離れた場所で見ていたエルヴィスに気づく、彼女の声には僅かな緊張の響きが有る。
「そこにいるのは誰!?」
「俺だエルヴィスだ」
「あ、よかった、ああ、そういう意味じゃないのよ?そんな処で何しているの?」
「少し君が気になったんだ、話しをしておくべきだと思った」
エルヴィスはドロシーにゆっくりと近づいた、彼女は当惑していたが何かを決意した様に見えた。
「私も、エルヴィスさんに謝りたいと思って」
エルヴィスは当惑していた、彼女が俺に謝る理由があるとは思い至らない、だが先程のアームストロング隊長との奇妙なやりとりを思い出す、そして昨日の夜の出来事を思い出した。
もしかすると。
「なんだい謝りたい事って?」
「貴方の前で、故郷の家族の事をペラペラ話しちゃったから、気を悪くしたのかなって思ったのよ、私って家族の話が好きだから、考え足らずよね」
やはりエルヴィスの予感が当たっていた。
「それは慣れっこだ、でも君の家族の話を聞くのは楽しかったよ、それに俺にも家族の様な者がいなかったわけじゃないぜ」
エルヴィスは苦笑した世の中には不幸などいくらでも溢れているのだ。
「ねえ、よければ貴方の事きかせて?」
二人は廃墟の大きな礎石の上に隣合って腰掛けた。
隣でドロシーの丸みを帯びた愛嬌のある美しい顔が星明かりに浮かび上がった。
「俺はある街の娼婦や酒場の女達になぜか可愛がられて育てられたんだ、そして八歳の時に美術品贋作詐欺師の男に引き取られた」
「ええっ!?美術品贋作!?」
ドロシーの声が大きくなる。
「アホ、声がでかいぞ!!」
ドロシーの頭をついポカリと叩いてしまった、だが頭が固くてこちらの手が痛む。
「そこで雑用や手伝いをやらされた、そこで文字の読み書きや計算の仕方を仕込まれたんだ、これが出来なければ役に立たない、おかげで今があるからなそいつには結構感謝している」
「その人は今もその仕事しているの?」
「死んだよ、殺された、八つ当たりで殺されたんだ、俺が十二の時さ」
「恨まれたの?」
「客が贋作を流した先とトラブルになって、巻き込まれて殺されたんだ、よくある話さ」
「その後でそいつと取引があった男の手伝いを始めた、遺跡や古い墓を荒らす家業の男だ」
「まあ今の仕事ね?」
「それだけじゃあない、遺跡調査や発掘の仕事を請け負う仕事も初めた、出土品の価値に頼るのは博打なんだわかるだろ?」
「何が出るかわからないから?」
「それもそうだが、大概は先客がいるものさ」
「あっ、すでに盗掘されているのね?」
エルヴィスは笑いながらうなずいた。
ドロシーもおかしそうに笑ったがこれは正直笑い事ではないのだが。
ふとドロシーの汗の香りが夜のそよ風に乗って漂ってきた、思わずエルヴィスは目眩がして慌てて気を取り直す。
どこか芳しくそれでいて妖しい香水の様な香りに一瞬だけ理性が揺らいだ。
「その男も四年前に死んだよ、おれはそいつの仕事を引き継ぎ大きく広げた」
「殺されたのね?」
「おいおい、なんでも殺されたと思うなよ?」
ドロシーはペロッと舌を出したがその仕草が妙に可愛かった、彼女は時々からくり人形のように見える時があるのだ。
「事故で死んだんだ、これで念入りな準備を心がける様になったさ」
このまま彼女とずっといたい気分だが、そろそろ天幕に戻らなければ成らない時刻だ。
「ドロシー天幕に戻ろう、俺が送っていくよ」
エルヴィスはドロシーを誘い砦に帰る、そろそろ砦から篝火の光が消えようとしている、野営地の夜は早い。