世界を別つ蛇
ラウルがチームの用心棒と数人の荷役人と調査団の下働きの者達を引き連れ、次の野営地までのルートの調査に向かった。
幻の山岳民族の噂はあったが、この地を人が訪れる事はほとんど無かった、湖への道から切り開く必要があったのだ。
道ができればそれだけ移動が楽になる。
ラウル達は鉈や鎌で邪魔な木々や下草を取り除き道を切り開きながら林の中に消えていった。
エルヴィスは彼らを見送ると野営地に帰る。
野営地でも移動に備えて人々が忙しく働いていた。
エルヴィスが匠達の天幕に入ると頭の初老の男が声をかけてきた。
「エルヴィスさん例の輪になった蛇の話ですが、ペンタビアの連中のところに資料はなかったのですかね?」
たしかにペンタビアには大学がありそこには考古学科がある、先生達が石碑の手がかりから真っ先にそれを調べるはずだ。
「たしかにそうだな、これは確認する必要があるぜ」
エルヴィスは他にも違和感を感じたがまだはっきりとはしない。
「奴らまだ何かを隠しているかもしれねえ」
「エルヴィスさんあっしもそんな気がします」
頭の男は手を休めず荷物を整理している、大きな帳面を油紙で包み大きな巻き尺や物指しや引き墨の道具を背嚢に詰め込んで行く。
最後に愛用の古風な意匠の計算尺を丁寧に収めると大きなため息をついた。
彼も今回の調査団には不信を抱いていた。
他の者達も荷造りに勤しんでいるが、大きな機材は手付かずのままだ、まず下見を行い必要な物を定めて改めて運び出す予定だった、長年の経験から彼らの動きに無駄は無い。
彼らに別れを告げると自分の天幕に戻る、天幕の前で物資管理の男が帳面を調べている、調査団の物資の状況を管理する非常に重要な仕事を担ってる男だ、彼はこの砦跡の野営地から動かずにここの管理を担う事になる。
軽く挨拶すると自分の荷物の整理の続きを初めた。
エルヴィスは遺跡近くに作られる野営地に移動してそこでチームの指揮を取る事になる。
だが最初に野営地を切り開く作業が待っている、遺跡の調査に本格的に手を付けられる様になるまでそれなりに時間がかかるだろう。
ラウル達の報告によっては明日も道作りだけで終わる可能性すらあった。
手早く自分の背嚢に荷物を纏めるとエルヴィスは立ち上がる、まず確認しておかなければならない事ができた。
エルヴィスがアンソニー教授とミロンの天幕を訪れた時、二人は荷物の整理をしていたところだった。
彼らが湖の野営地にいつ向かうかははっきりとしていない、だが何時でも動けるように背嚢に必要な物を分別しておく必要があった。
「先生!!ミロン少しいいかな?」
「エルヴィス君か何か話があるのかい?」
先生は手を休めて何事かとこちらを振り返った。
「環状の蛇についてもう少し詳しく聞きたいと思ってね」
先生の顔が喜色に輝いた、それを少し呆れ顔でミロンが眺めている。
エルヴィスは核心に切り込むことにする。
「この地域の遺跡の調査はずいぶん昔に行われたはずだ、それなら環状の蛇のレリーフのある遺跡の記録が大学に有るのではと思ってね」
「ああ、そうだよね」
先生は顔を曇らせてミロンと顔を合わせた。
「確かにこの地域の遺跡の調査記録は大学の資料室に有ったはずなんだ、だが一部が紛失していた」
「その一部が環状の蛇の遺跡の記録なのか、持ち出されたのか?」
先生は苦笑しながらうなずいた。
「はっきりとした事はわからないんだ、最後の閲覧記録が三年前なので、紛失したのはその後の事だね、その人物は問題なく資料を帰しているよ」
「一応聞いて起きたいが誰だ?」
「ザカライヤ教授だよ、彼が言うには古代魔術の研究で興味があったので遺跡群の資料を閲覧したかったらしい、彼は環状の蛇の遺跡以外の資料もまとめて閲覧してから返却していたよ」
先生達も紛失に疑問を感じていろいろ調べた様だ、よりによってザカライヤだとは、そしてこれを隠していたのだ。
「僕がここに逃げてくる前の話ですから・・・湖の底から石碑の破片が出てくる前ですよ」
ミロンがおずおずと割って入った。
紛失したのは彼がペンタビアに逃げてきた後の可能性は高い、たしかにザカライヤの閲覧は偶然と考えるべきなのだろうしかし。
他に疑問があるのでそれから聞くことにした。
「環状の蛇に関して永遠や無限の象徴だと思っていたが、別の意味があったのか」
「そうだねエスタニアでは蛇は知恵ある者として、生と死を支配する存在と見なされ、死と再生の繰り返しから大地母神と深く結びついたのさ、だが環状の蛇はまた特別な意味を持つ。
輪になる事で内なる世界と外なる世界と世界を別つ存在とされたんだ。
この世とあの世を区切る蛇としてね、私達のいる現実界を取り囲み異世界と別つ境界に見立てたんだよ、世界を取り囲むプレイン境界の象徴とみなされたのさ」
エルヴィスは仕事柄それなりに神話や世界に関する知識を持ってはいたが、これは初めて聞いた言葉だった。
「プレイン境界?」
「君も聞いたことはあるはずだ、私達のいる物質界の他に幽界、霊界、神界、魔界がある、それをプレインと呼ぶ事があるが、プレイン境界とはそれを区切る場なのだよ」
「あの遺跡はそれを祀った物なのか?」
「そうだろうね、古代文明の神々はパルティア十二神教や聖霊教の大精霊に通ずる神々が多い、だが環状の蛇の遺跡は少ないんだ」
エルヴィスはこれに興味を刺激されたが今はまず知らなければならない事がある。
「資料は外部の者に奪われたのか?」
「調べたところ資料室は厳密に守られているんだ、魔術的に閲覧許可を得た者だけが入れる、外部の犯行ならば魔術的に極めて熟練した者か、想像出来ない力を持った特別な何かだろうと教えてもらったよ」
「内部の犯行かもしれないと?」
「それも疑われたんだ、だが今だにわからないんだ、いずれにしろ厳重に守られている結界に侵入し盗み出せる力が有るって事だね」
「この話だがバーナビーは知っているのか?」
先生は僅かに考え込んでいたが。
「たぶん知っていると思うよ」
エルヴィスはため息をついた。
「そうか、ありがとうとても参考になった先生」
そう言いながら立ち上がる。
「参考になれて嬉しいよ」
エルヴィスは二人に別れを告げると天幕から出ようとした、そこである疑問が浮かんだので足を止めて振り返った。
「ミロン」
「な、なんですか?」
エルヴィスが急に振り返ったので彼は驚いた。
「犯人が聖域神殿に関わりが有る可能性があると思うか?」
「そ、それはわかりません」
慌てて頭を振った。
「そうか、驚かせてすまなかったな、確認したかったんだ」
「いえエルヴィスさんが気にするのはもっともです」
「それならいいんだ」
エルヴィスは今度こそ二人に別れを告げると天幕から出ると空を見上げた、ラウル達が戻ってくるまでまだ時間がある。
中央の天幕に向かうと今度はバーナビーの姿を探した、彼は二人ほどの調査団の下働きの者に指示を出していた。
エルヴィスが近づくと彼もこちらに気付いた、何かを二人に言いつけるとバーナビーもこちらに向かってくる。
「よおバーナビー」
エルヴィスは声を潜めた、バーナビーの顔が変わり彼も声を落とす。
「どうした何か用か?」
「聞いたぞ環状の蛇の遺跡の資料が大学から無くなっていたそうだな?」
「先生から聞いたのか?」
「ペンタビア大学に遺跡の資料が無いはずが無いと思ってな、あれが外部の犯行ならと警戒していたのか?」
「犯人はわかっていないんだ、方法すらわかっていない、内部犯行の可能性も無いとはいいきれないんだ」
「なあ俺たちが資料を持っていると期待していたな?」
「ああ、正直当てにしていた」
エルヴィスは苦笑いを浮かべた。
エルヴィスは更に声を落とした。
「最後に資料を閲覧したのはザカライア教授だろ、奴は本当に返却しているのか?」
「調査に関わった者は皆それを疑ったんだ、調べた結果それは無かった、大学の資料の管理は魔術道具や術を組み合わせた物で非常に厳格なんだ」
エルヴィスはこの男が監視に神経質になっていた原因、秘密主義の原因の一端を理解できた様な気がした。
だがまだ何かを隠しているとも思う。
「ヤロミールはどこだい?」
「ザカライア教授と打ち合わせだ」
ザカライア教授は初めからエルヴィスとラウルそしてエルヴィスチームに敵意を隠さなかった。
エルヴィスはあまり気が進まなかったがこの件をきっかけにして彼と話をする事を決意する。
すぐ側に本部の大天幕がある二人はその中にいるはずだ。
少し歩くと大天幕の入り口をくぐる、小さな机の上に書類を広げ確認している教授がいた。
そして敷布の上で書籍を開いているヤロミールがいる。
ザカライアは顔を上げて少し驚いた様だ。
「何の用かね?」
彼は不信に満ちた表情を隠すこともなく見上げる。
「環状の蛇の遺跡の資料が大学から無くなっていたそうだな」
「誰から聞いた?まあ良い何が言いたいのかね?」
どうエルヴィスが話を進めようかと迷ったが言葉を紡いだ。
「俺たちは調査団の安全にも気を配らなければならないし、調査に妨害が加わる可能性がある場合はメンバーに注意を払うように伝えなきゃならないんだ、それは理解しているはずだ」
「安全は傭兵部隊がいるし魔術師もいる問題ない」
「脅威がある場合は俺たちも認識していなきゃならないんだよ、野営地の設営や場所にも配慮が必要なんだわかっているのか?それに俺たちが環状の蛇の遺跡の資料を持っていなかったらどうするつもりだったんだ?」
エルヴィスの言葉は次第に強くなって行く。
もし資料がなければ湖周辺の遺跡をすべて調べる事になったはずだ、これでどれだけの日数が失われるだろう。
『エルヴィス達が資料を持っているに違いない』たしかに用意して来たが、だろうと言う判斷は唾棄すべき怠慢だ。
ザカライアの顔は怒気で赤くなったが言葉が出ないらしい。
ヤロミールもベールで隠された顔をこちらに向けている。
「お前たちの様な遺跡荒らしなど信用できるか!!」
ザカライアの言葉は吐き捨てる様だ。
「なんだと!?」
「学問の価値もわからぬ俗物共に貴重な遺物を高値で売りさばく、学問をどれだけ停滞させてきたと思っているんだ!!」
エルヴィスは嘲り笑った。
「この調査団の経費がどのくらいかかったかアンタは知っているのか?帝国金貨2600枚だぜ」
「ペンタビア政府と魔術ギルドが出している金だ!!」
「彼らが好奇心の為だけに出資したと思っているのか?」
「それは・・・」
「小悪党の盗掘者や偶然遺物を掘り当てた農民共は金目の物だけ外して残りは放り捨てるだけだ、価値がわかるからこそ好事家に適切な値段で売る事ができるんだよ、ペンタビア政府と魔術ギルドが適切な報酬を用意したからこそ俺たちは働いているんだ?文句があるなら自分で探すか俺たちを雇ってみせるんだな、あと俺達の邪魔をすると言うことはクライアントの邪魔をすると言う事だ、それを頭に叩き込んでおけ!!」
「エルヴィス、君が知りたい事はなにかな?」
突然ヤロミールが冷静な口調で話しだした。
これでエルヴィスも頭が冷める。
「資料を盗み出したのは誰なのか、その話を聞きたかったんだ」
「外部であれ内部であれ、資料室の魔術防御を欺くならば精霊術とは別の力に属した力かもしれない」
「別の力だと?」
「精霊術が幽界の精霊の力に由来するのは知ってるだろう、ならば魔界や神界の力ならば欺けるかもしれない」
「それは大学も魔術ギルドも認識しておる」
ザカライアが打って変わって冷静な声で話し始めたのでエルヴィスは驚く。
「神界の力が顕れるのは奇跡の形を取る、これはまずあり得ない、魔界の力ならば・・・」
「魔界の力ならば?」
エルヴィスは先を促した、だがザカライアは躊躇した後でふたたび言葉を繋いだ。
「魔界の力がどの様な形をとるのかは定かでは無い」
ザカライアは沈黙してしまった。
ヤロミールがまた語り始める。
「エルヴィス、魔術の防護にもかからず侵入し資料を持ち去る事ができるとしたら、精霊術と別系統の力を使役したとしか考えられない、それがどの様な力かは言えない、それを知らないからだ」
「それならば外部の犯行の可能性が高いのか?」
「断言する事はできないが可能性は高いと私は考えている」
「わかった」
そしてヤロミールも口を閉じてしまった、エルヴィスはそろそろ引き時と感じた。
「わかった俺も気を付ける事にする」
気を付けると言ってはみたが具体的な方法などわからない、エルヴィスは大天幕を後にしてチームの天幕に向かう、そろそろ昼食の時刻も近い仲間たちと楽しい時を楽しみたい気分になっていた。