高原の野営地
「すこし肌寒いぜ」
「ああ寒いくらいだ」
二人の話し声がエルヴィスチームの天幕の入り口に近づいて来た、天幕の中で荷物を開封し整理に取り掛かっていた男たちが外の声で手を休める。
「戻ったぞ」
エルヴィスは入り口の厚手の布をかき分けると中に入る、後からラウルもすぐに入って来る。
薄暗いランプが天幕の中を照らしていた。
この天幕は遺跡調査の主役の職人達の天幕で、中は彼らの日用品と数多くの機材と道具で埋め尽くされていた。
二人を確認した男たちはまた作業にとりかかった、道具を布の上に広げ埃や砂を落とし整備しながら布の上に手際よく並べていく。
中には金属製の起重機や滑車など大掛かりな機材も目立つ。
初老の男が手を休めずに口を開いた。
「どうでした?エルヴィスさん」
匠の最年長の男がぼそりと口を開いた、この男が纏め役になっているのだ。
「帰還組がここを出た後で本格的な計画を決めるそうだ」
「よほど外に漏れるのを嫌っているようで」
「そうだな」
匠の男が声を潜める。
「しかしあの湖の近くにそんな物があるとは信じられませんぜ、数え切れないほど調査された場所です」
「湖から離れた場所に入り口があるとしたらどうだ?」
実は湖が調査対象と知っている者もまだ僅かしか居ない、エルヴィスのチームでもラウルとこの職人達だけだ。
匠の男が更に小声になった。
「もしや他に何か知らされているのですかい?」
「推理だよ、それ以外に考えられるか?」
「たしかに、あっしもあるとしたらそれしか無いと思いますが・・・」
「明日になったら見えてくるさ」
「そう願いますよ、仕事にならねえ」
職人たちは皆苦笑した、しばらく皆と世間話をしながら過ごしたが、ラウルが明日の予定を彼らに告げ天幕を出た。
外に出て天に向って背伸びする、空は薄曇りで雲の隙間から明るい星が見えていた。
「エルヴィス俺はこのまま天幕に戻るがお前はどうする?」
「あちこち行ってくるさ」
「わかったよ」
ラウルはなぜかニヤリと笑うと、そのままもう一つの天幕に向って行った。
砦の外の荷役人の天幕の中から騒ぎが聞こえて来る、明日帰路につける事で気が緩んでいるのだろう。
エルヴィスは先生とミロンの天幕の前を通りがかった、二人はちょうど天幕の外で議論に興じていた、この二人は他とあまり交流が少ない、調査団のリーダーのザカライアがそういった事をまったく顧みないのも悪いが。
「先生、ミロンいいかい?」
「エルヴィス君か、ここにすわりたまえ」
先生が敷布の一角を叩いた。
「少しおじゃまする、皆の様子を見て回っているんだ」
エルヴィスが落ち着くと、アンソニーは少し態度を改めた。
「何か聞きたい事があるのかな?」
エルヴィスは少し思わせぶりに何か言いたげに言いよどむ。
「パルティナ十二神教の聖域神殿について興味があるんだ」
「歴史に興味があるのかな?ミロン君が彼らの目を逃れて逃げて来たからかな?」
「それもありますが、我々の調査に支障があるのではと恐れていましてね、聖地や遺跡は古い土地神と繋がりが深い事が多い、今までも土地神を信仰する者達の妨害を受けた事がある、俺達は仕事柄あまり歓迎されない事が多いんでね」
これに先生もミロンも納得した様な顔をしていた。
そしてエルヴィスはミロンの顔を見詰めた。
「パルティナ十二神教の聖域神殿について知りたくてね、俺たちは今まで東でしか仕事をしたことがなかった、これから手を広げるとなると知らないではすまない」
「君はそれでも詳しい方さ、パルティナ十二神教は聖霊教より1000年以上古いのは知ってるはずだ」
先生はそこで区切ると二人しかいない聴衆をゆっくりと見渡した。
「聖霊教以前の東エスタニアは各地の土地神信仰が盛んで今でもその力が残っている、だが西エスタニアは整理されパルティナ十二神教に統合されているのさ、ゆえに聖域神殿に力が集中しているんだよ」
エルヴィスは聖域神殿に権力や権威が集中していると理解していた、だがそれを見越したようにミロンが口を開いた。
「エルヴィスさんそれは政治的な力や権威だけじゃないんです、精霊力などと言われる力を含めてですよ」
ふと脳裏にスザンナの言葉が浮かんできた、あそこは恐ろしい所だと。
エルヴィスはミロンの表情から何かを読み取ろうと見つめる。
「ミロン、君はそこから逃れる事ができたのだろう?」
「僕は考古学者です、ですが古代文明や禁忌に関わる事にふれる事ができません、発見も研究も聖域の倉庫の中に押し込まれてしまうんです、あそこには学問の自由が無い、僕は聖域神殿の鼻をいつか明かしてやろうと考えていたんです」
「どうやったんだ?」
「信用ですよエルヴィスさん、勤勉に聖域神殿に協力して信用を得たんです、だからあの遺跡の出現の報告にふれる事ができました」
エルヴィスは遺跡の話を思い出そうとした、たしか地震で湖の底が抜けて出てきたと聞いた記憶がある。
「あの遺跡の事か?」
「ええペリヤクラムの大地震で湖の底から遺跡が見つかったんです、傷んで泥に埋もれていましたが、そこから石版の一部を持ち出す事ができました、信用が時間を稼いでくれたんです」
ミロンはウィンクして今にも舌を出しそうだった。
話としては一応筋が通っているように思えたが、本当にそれだけなのか?聖域神殿の実力がわからない以上判斷できない。
そしてミロンからは特別な何かを感じる事もできなかった。
湖の底か・・・
「勉強になったよ、ありがとう先生、ミロン」
「エルヴィス君、いつかパルティナ十二神教やその前史について語りたいな」
「はは俺は学生なんて柄じゃあない先生、では」
エルヴィスは二人に別れを告げてアームストロング隊長の処に向かった。
だが驚いた事に傭兵隊の天幕が占める一角に思わぬ客がいた。
アームストロング隊長と傭兵達が篝火を取り囲む中に、あの三人の元傭兵達の姿とドロシーの姿がある。
思わず足を止めてしまった。
「おおエルヴィスこっちに来い」
アームストロング隊長は自分の隣を叩いた、歓談していた傭兵たちが一斉にこちらを見た、ドロシーと傭兵たちが少し場所を詰めて隙間を開ける。
「ドロシー、シーリの側にいなくていいのか?」
「シーリは疲れてねちゃったの、山道でとても疲れたみたい、スザンナがいるから心配いらないわ」
横乗りで山を登るのは気をつかうし疲れるものだ、乗馬服のドロシーはもとよりスザンナもラクダの鞍に平然とまたがっていた事を思い出す。
しかし不埒者対策にしては大げさな様な気がしてくる、スザンナの実力を見たからこそ思う事だが。
なぜあんな怪物がいるのだろう?
今度はエルヴィスは隊長を見た。
「アンタはドロシー達とは知り合いだったのか?」
「ドロシー達って変だわ、シーリと知り合ったのは旅に出る三週間ぐらい前よ、スザンナはその時からシーリといたの、このときから警護の仕事よ」
アームストロング隊長が声を挟んだ。
「俺はドロシーと顔を合わせた事が二度三度あっただけだ、ドロシーは貴婦人の警護などで名前が知られていたのでな」
すでに傭兵達はまたそれぞれの歓談に戻っていた。
「君はその時からシーリの護衛だったんだな?」
「ええ、それもこの調査の契約に含まれていたわ」
「この仕事を受けた理由は?」
「うん指名があったのよ、報酬も良いし街の外に出てみたいって思ってね」
「だからかスザンナから仕込まれていたんだな」
ドロシーは少しはにかんで曖昧に笑った、目線があらぬ方向を向いている、野営の経験が有るように語っていたが、実は野営の経験が浅かったらしい。
ふとあの三人の元傭兵が油断なくこちらを見ている事に気づいた、さり気なく自然体だが修羅場を生き抜いて来たエルヴィスはその種の感覚が鋭い。
「隊長さん、あんたはどこの生まれかい?」
急に話をふられて驚いた様だ。
「ペンタビアではないぞ、ペンタビアの東のラベンナ王国の生まれよ、一応家族もここにおる」
「一応だと?」
「娘も嫁いで出て行った、継がなきゃならない家業があるわけじゃあないからな」
こいつに娘がいるとしたらどんな娘なのか気になった。
アームストロングが魁偉な顔をしかめたので、白い羽を広げた大鳥の様な髭が羽ばたいた。
「なんだその顔は、儂らと違って綺麗な娘だぞ良いとこの嫁になった、可愛い孫も生まれたよアンと言う、一族から美を総て吸い取ったなどと言われておる天使の様な娘だ、ファハハハ」
「娘がいるって事は奥さんもいるのか?」
「何?あれもなかなか忙しくてな、家にはおらんよ・・・」
微妙に物が歯に詰まった感じがしたので話はそこまでにした。
「ドロシーはタバルカの生まれだったな?」
「ええっ!?そうよ?」
また急に話を振られてドロシーはうろたえた。
「君に家族はいるのかい?」
「いるわ、両親もいるわ兄弟姉妹が多くて大変なのよ今も送金してるのよ?」
「そうか感心だな」
「おかずの取り合いで姉妹なんていらないと思っていたけど、家族は多いほうがいいわね」
ドロシーは笑う、だがエルヴィスは天涯孤独で親も兄弟もいないのでその気持はわからない、だがそれで心が痛む事も今は無かった。
「そろそろ俺は戻るぜ、明日も早いからな」
アームストロングが立ち上がったエルヴィスを見上げた。
「戻るのか?明日から忙しくなるぞ」
「ああ、わかってるさ」
皆に軽く手をふり野営地をぐるっと廻る事にした、ドロシーが何かを言いたげな顔をしていたのが気になった。
すぐにシーリ達の天幕の前を通過したが中から明かりが漏れていなかった、すでに寝てしまったのだろう。
そのままゆっくりと下働きや荷役人のグループに挨拶しながら、エルヴィスはそのままチームの天幕に戻って行く。
すると石積みの壁が崩れたところに闇にわだかまる黒い影があった、野営地の篝火の光に暗くオレンジに照らされていた。
天幕の影にいたので近づくまで見えなかったのだ。
「ヤロミール?いやシーリなのか?」
エルヴィスはその影がヤロミールだと思った、だがその影はフードを被っていなかった。
薄い茶色の髪が後ろで束ねられていた。
「エルヴィスさんね、私に用?」
彼女の声は小さく抑えていた、まるで囁くように。
「君は疲れて寝たんじゃないのか?」
シーリはこちらを向いているがあまり表情が見えない。
「体は疲れていたけど、なぜか眠くならなくて、休もうと無理に横になってもだめね魔術で疲れをとったわ」
「そうかスザンナはどうしたんだ?」
「寝ちゃったわよ、起きないように魔術をかけておいたわ」
スザンナの声は低めで落ち着いた声だが、今のはどこか茶目っけを感じさせた。
「そんな事して大丈夫か?あれは只者ではないぜ?」
「そうね、只者じゃあないと思うけど」
「君は今回の調査団をどう思う?」
「すごく答えにくい質問だわ、あえて言うといろいろおかしな事が多すぎる」
「ペンタビアの魔術師ギルドの代表できたのだろ?」
「そうだけど、そうね私は発掘された物を確実にペンタビアに持ち帰るべく監督しろと言われているのよ、そうだスザンナは魔術師ギルドの推薦なのよ」
「そうだったのか・・・バーナビーはペンタビア政府の監督だと聞いたが、彼の目的は知っているのかい?」
「表向きは私と同じだわ、他にあるかはまではわからない」
「そうかとても貴重な話を聞かせてくれてありがとう君が一人になる機会がなかなか無かったからな、俺はそろそろ戻らないと」
エルヴィスが別れを告げ天幕に帰ろうとしたところで後ろからシーリに呼び止められた。
「なんだ?」
「エルヴィスさんって、ずっとその戦ってきたのかしら?」
戦いってどういう意味なんだ?
「柄の悪い街で育った、あまり自慢もできないやり方で生きてきた、何度も死線をくぐってそうやって腕を磨いたんだ、それがどうかしたか?」
エルヴィスはシーリがなぜこんな事を突然言い出したのか理解できなかった。
「えーと怪我とかしたのね、貴方は文字の読み書きも計算もできるでしょ?不思議に思ったの」
エルヴィスは彼女が何を言いたいのか納得できなかったが、確かに教育を受けられる育ちでは無かったと苦笑した。
「文字の読み書きもできねーとケチな小悪党で終わるさ、まあそれも仕込まれたんだがな」
「そうなの」
「今は長くなるから機会があったら話してやるよ」
エルヴィスはまた別れを告げ帰ろうとしたところシーリが小声でささやいた。
「なんだ?」
「なんでもないわ」
「じゃあおやすみ」
エルヴィスは天幕を目指して歩き去っていく。