円舞の剣士
設営を終えた調査団のメンバー達はオアシスをかこむ林の中それぞれ寛いでいた、ラクダ達ものびのびと木陰で休んでいる。
だが荷役人達は革袋や木の樽にオアシスの水を詰め込み明日に備え、調査団の下働きの者達は宴会の準備に忙しく動き回っていた。
「やれやれ戻ったぞ」
エルヴィス達の天幕に会議を終えたエルヴィスとラウルが戻ってきた、エルヴィスのチームは明日の準備を早めに終えようと忙しく働いている所だった。
「どうでしたエルヴィスさん」
天幕にいた物資管理をしている男が帳簿から顔をあげる。
「教授がうるさくてな、ところで物資の状況はどうだ?」
男は開かれた帳簿を指差す。
「食料など問題ありませんぜ」
「ペンタビア調査団の荷物だが減っていないな、触媒の一種だと言っていたが」
「荷役人に丁寧に扱えと指示を出しているようですな、まだ開封した事が無いようです」
「他は中身が明示されているが、やはりこいつが気になる、これは大学の荷物か?教授か先生のところだな」
「まあ高原に行けば明らかになるでしょ」
「それじゃないと困るぜまったく」
しかし天幕に人が妙に少なかった。
「他の奴らはどこだ?」
「みんな洗濯してますよ」
「なんだと!?」
エルヴィスは立ち上がり大天幕の方向を思わず見た。
「料理に使う水は全部汲み上げてあるそうだ」
ラウルが苦笑いをしながらエルヴィスの心配を察して教えてくれた。
「そりゃよかった、野郎のスープなど飲みたくねえぞ」
その場にいた者は皆笑った。
「じゃあドロシーやシーリのスープは飲めるのかよ?」
ラウルが混ぜ返す。
「お前スザンナがいるの忘れているだろ?」
それでまた笑いが起きた。
「そうだ、おーいケビンどこだ!?」
エルヴィスはカバン持ちのケビンの名を大声で呼び始める。
白い山嶺の向こう側の空から赤みが薄れ闇が広がって行く、空に眩しいほどの星が散らばって行く。
大天幕の近くに篝火が置かれ、その周りに敷布が敷かれて宴会の場が整い初めていた、下働きの者達にスザンナが的確に指示を出していた、料理も酒も控えめな宴だが砂漠の旅では精一杯の贅沢だ。
エルヴィスが林が開けた宴会場に入ると、下働きの者達が何人かがこちらを見て目礼しまた仕事に戻って行く。
バーナビーの姿を探すが見当たらない、大天幕の中にいるのだろうか。
調理場を見渡してもドロシーの姿がない、さすがに副隊長を働かせるつもりはなかったらしい、彼女も今晩はゲストなのだろう。
エルヴィスは着ていた衣服を洗濯させたので、今は砂漠の遊牧民の様な衣装に変わっていた。
彼の容姿と腰の曲刀のせいでまるで砂漠の盗賊の様な姿になっていた。
やがて人々が少しずつ宴会場に集まり出す、まずアンソニー先生とミロンの二人が、そこにアームストロング隊長と傭兵隊が現れた。
荷役人達も小さな固まりをいくつか作って宴会場の外側に席を取る、この宴会では荷役人達にも慰労を兼ねて振る舞われる予定だ、下働きの者達にも宴の後でご馳走が振る舞われる手はずになっていた。
エルヴィスはアームストロング隊長の元部下の荷役人三人組を目ざとく見つけた、彼らも注意が必要だ。
彼らは今まで不審な行動もせず地道に仕事をこなしていた。
もし動きがあるならばこの先の事だろう、そもそも情報を集める事が目的で最後まで何もしない可能性もあるが。
「めんどくせーな」
「何が面倒なの?」
驚いて背後を見るとドロシーがいる、その後ろにシーリとスザンナがいる、スザンナはいつのまにかドロシー達と一緒にいた様だ。
ドロシーは白いローブを脱ぎ革鎧も外していた、小綺麗なそれでいて活動的な小物入れが4つも付いた上着に、柔らかいクリーム色の布を腰に巻いている。
布地の見慣れない紋様が美しい、これは彼女の故郷のデザインだろうか、だが暗褐色のブーツはそのままだった。
彼女の綺麗に切り揃えられた短いボブカットに、美しい表情豊かな目と鼻と口のせいで、ますますお天気人形じみて見える。
だがまさか彼女達が後ろから来るとは思っていなかった。
「こんばんわエルヴィスさん、さあ私達の席に行きましょう」
シーリがドロシーをせかす。
彼女も白いローブを脱ぎ魔術師の黒いローブに着替えていた、彼女の薄茶色の頭に鍔広の帽子を少し斜めに被っている、彼女の薄灰色の目が篝火の光を映して妖しく輝いていた。
「さあ、二人共行った行った!」
スザンナが軽くシーリの背中を押したこいつ本当に侍女なのか?
そのスザンナもローブを脱ぎ捨てていた、サイズの合わない侍女服を無理に着込んでいるせいで、その膨大な筋肉を強調している。
はたしてこいつと腕相撲をして勝てる気がしない。
「そうだ二人は剣の試合をするんだって?」
通り過ぎかけたスザンナが立ち止まりニヤリと笑いながらこちらを見た。
「ああドロシーが面白い剣技の持ち主と聞いてな、砂漠の旅も区切りがついたお相手願えるかな?」
最後はスザンナからドロシーに向き直っていた。
「え、ええいいですわ」
ドロシーは一瞬戸惑っていたがすぐに笑って答える、彼女の大きな口が笑うととても魅力的だ。
「なら宴会の後はどうだい?」
スザンナは不敵な笑顔で顔を近づけてくる、こいつの顔はエルヴィスよりわずかに高い位置にある、少し圧迫される。
「ええでも?」
「俺はいいぞ、こんな場だからできるんだ」
「そうね、もう機会が無いかもしれないわ、わかった宴会の後でね」
「私が立会人さ」
スザンナが審判を請け追った、それに二人共うなずき賛同した。
「さあ席に行きましょう、ではまたエルヴィスさん」
シーリがまた二人をせかしたので、そんなシーリにスザンナとドロシーが『そんなにお腹が空いているのかい?』と突っ込みを入れながら指定席に向かって歩き去っていく。
そしてまた背後からまた声がかかる。
「エルヴィスさん洗濯終わりました」
それは鞄持ちのケビンだ。
「そうかご苦労さんお前も席につけ」
「いいんですか?」
「お前は下働きの仕事をしているが、下働きじぁあねえんだよ」
「は、はい」
ケビンはエルヴィスのチームが陣取る場所に向かって急ぐ。
そこに大天幕からバーナビーとザカライアとヤロミールが出てきた、エルヴィスもこれを見て席に急いだ。
退屈なザカライアの長い挨拶が終わると宴が始まる、とはいえ食材が単調で酒も少ない、それでもひさしぶりの饗宴となった。
砂漠を無事に越えた喜びに浮かれて、あちこちで大騒ぎを始めていた、エルヴィスは酒は控えめにして食事を楽しむ事にする。
調査団には専門の調理人がいる、調理人の手による食事を楽しめるのは久しぶりだった。
宴会が始まり一時間も経つと、あちこちで酔と満腹で眠る奴がでてくる、エルヴィスはそろそろだと思い席を静かに発った、仲間たちはいまだに大声で騒いでいて彼が席を外した事に気づいていない、いや気づいていたがトイレかと思い気にしなかったのかもしれない。
宴会場を離れ林の中をおおきく回る、林の中まで宴会の騒ぎが聞こえてくる、そしてドロシー達のいる場所に近づいていく、大きなスザンナの背中が見えてきた。
スザンナがいるせいで彼女達が男どもに絡まれる心配は無かった、すばらしい人選だがおかげでエルヴィスも近づきにくいのだ。
そっと近づくとスザンナが突然振り返ってニッと笑った。
「おう、きたか」
まるで彼女の背中に目があるとしか思えなかった、聖霊拳の使い手は皆こうなのか?
スザンナはドロシーの背中を指で突く、ドロシーが振り返りエルヴィスに気づいて何かを言おうとしたが、エルヴィスが口に指を当てて黙らせてそしてウィンクする。
少し酔っているのかドロシーの顔は僅かに赤い、ドロシーはシーリの背中を軽く手の平で叩いて砂地を這うようにこちらにやって来た。
すぐにスザンナもやってくる。
「準備できたの?」
エルヴィスは腰の曲刀の鞘を叩く。
「私もできているわ」
ドロシーは細身の直刀の鞘を叩いて見せた。
「じゃあ少しはなれようか」
スザンナは二人を案内して林の奥に向かう、少し遅れてシーリが追いかけて来る、二人が居なくなった事に気づいたのだろう。
宴会場の篝火が遠くに見える林の端に四人は移動した。
エルヴィスは腰の曲刀を鞘から抜き放った、そして酒に酔っていないか足元を確かめる、模擬戦とは言え手違いから怪我を負わせてしまう事もありえるからだ。
剣を抜き放ち体を慣らすドロシーも殆ど酒を飲んでいないらしく、彼女の動きに危なげな処はまったくなかった。
「さあ、始めようかね、あたしが止めろと言ったら辞めるんだよ?」
スザンナが二人に促した。
距離を保ち二人は向き合った、そしてスザンナが合図を送る。
「始め!」
最初にドロシーが動いた、まるで円を描くような流れる足運びと剣戟で細身の直刀で襲いかかって来た。
エルヴィスは正式に剣を習った事は無い、エルヴィスの剣はすべて実戦の中から編み出した自分の剣、だがドロシーの剣技は今まで経験した事が無かった。
剣舞のように美しく優美な動きで、それでいて絶えず変化し幻惑される、変則的な足運びに絶えず惑わされ狂わされた。
エルヴィスはドロシーの攻撃に受け身になり追い込まれる。
エルヴィスはドロシーの見事な剣技に唸る、だが彼女の剣の弱点も見えて来る、まず力に欠けていた、そして複雑に見えるが基本的な型の組み合わせだ、しだいにそれをエルヴィスは見抜いて行った。
闘いは長期戦となりエルヴィスが押されていたがドロシーにも決め手がない、しだいに彼女の息が荒くなっていく。
そしてある瞬間エルヴィスは攻勢に出た、その直後ドロシーの剣が空に舞っていた。
「終わり!!エルヴィスの勝ちだよ」
スザンナが判定を下した。
ドロシーが砂の上に座り込んだ、彼女は汗をかきその息も乱れ荒い。
見物していたシーリがパチパチと拍手をしている。
「ああ、負けたわ」
「君の剣技は見たことがない、なんと言う剣技なんだ?」
「あらまあいいか、教えて上げる西エスタニアの拳法の足運びを剣技に取り入れたものなのよ」
「君の独創した剣技なのか?その拳法も使えるのか?」
「ええそうよ拳法も使えるわ」
「ほうあんた見たいのかい?」
スザンナが口を開く。
「まあな」
エルヴィスはそれに曖昧に答えた、流石に素手で拳法の攻撃を受けた経験が無かったからだ。
スザンナが一歩出てくる。
「ドロシー剣を捨てて素手でかかってきな、手加減なしで構わないよ、おっと少し休もうかね」
ドロシーが少し休んでからふたたび立ち上がる、こんどはエルヴィスが見守る番だ。
スザンナが受けにまわってドロシーに拳法を披露させようとしていた。
エルヴィスはドロシーの拳法に興味があるが、それ以上にスザンナの聖霊拳の腕にも興味をそそられていた。
シーリがドロシーから剣を受け取ると後ろに下がっていく。
ドロシーは落ち着き払いスザンナに正対する、この様子では二人は今まで何度も手合わせしているに違いなかった。
「おいで!!」
エルヴィスの目が驚きに見開かれた、ドロシーがスザンナに突入し目の前に白い腰布の花が咲いた、
彼女の細く長い強靭な足が真っ直ぐ伸びてスザンナの胴に突き刺さる、それをスザンナは易々と丸太の様に太い筋肉の固まりの様な腕でまともに止めた。
次の瞬間に今度は彼女の反対側の脚が美しい弧を描き天を疾走る、そのままスザンナの頭上からブーツが襲いかかる。
ドロシーの双脚が風車の様に旋回し、腰を軸に回転し、彼女の腰に巻いた白い布が白い花の様に咲いた。
だがスザンナはそれも片腕で易々と受ける、まるで岩の様にスザンナは揺るがない。
ドロシーの攻撃は複雑で多彩な物に変化していく、だが恐るべき事にスザンナは余裕すら感じさせる動きで捌いていく。
その頑健さに下を巻いた、それと同時に不自然なまでに揺るがない事に僅かな不審を感じる、闘いや喧嘩にあけくれた男の感が警告を発している。
エルヴィスはアルシラの港町の宿の踊り子達の様な鍛えられた娘が好みだった、美しくとも贅沢や奢侈でたるんだ体は目に入れたくない。
ドロシーの美しい流れるような動きを見ていると心の中に熱いものを感じ始めていた。
だがそれは唐突に終わる、疲れで呼吸が乱れ足がふらついた処をスザンナが襲いかかると軽く地面に押さえつけてしまった。
「降参!!」
息を切らしたドロシーが遂に降参した。
「たいしたものだな」
エルヴィスは率直に二人を称賛した。
「すごいでしょ?スザンナさんって」
「スザンナこれが聖霊拳なのか?」
「はは、技を受けただけだね、まあこれも基本は聖霊拳さ」
「ドロシーの拳法は何という名の拳法なんだ?」
「うん名前はないの、手を封じられた奴隷の拳法らしいわ、足技が主体なのよ」
エルヴィスは思った、足技主体の拳法なら剣技に活かせると思ったのかもしれないと。
「なあ皆そろそろ戻ろうか?」
「そうね、早く戻って汗を流したいわ」
エルヴィスはドロシーの言葉にギクリとなった。
「おいオアシスで水浴びする気なのか?」
「あたしが見張っているから大丈夫さ」
スザンナが豪快に笑った。
四人はまだ明るく輝く林の向こうの篝火に向かって帰って行く、満点の星がぎらつくように天空で輝いていた。