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紅砂の砂嵐

「エルヴィスさん、エルヴィスさん起きてくださいよ」

エルヴィスが薄く目を開けると、上からのっぺりとした鞄持ちのケビンの顔が覗き込んでいた。


「おっと寝過ごしたか?」

エルヴィスは慌てた、急いで身を起こすと天幕の入り口の外はまだ暗い、まだ日は昇っていないようだ。


「あぶねーな」

慌てて起き出し天幕を出る、朝食の準備中の部下達がまちまちに挨拶してくる。


「エルヴィスさん珍しいですね?」

「すまねえ寝過ごしたぜ」


ふとケビンに話しかける気分になった。

「お前は調査旅行は初めてだったな?」

ケビンは急に話しかけられて戸惑っている。

「は、はいそうですが?」

「向こうに付いてから気が緩んだ時が危険なんだ覚えておけよ?」

「はい・・・」


ケビンは緊張しながら頷く事しかできなかった。

彼は隊の下働きの様な仕事をしている、チームには遺跡発掘の専門家以外も荷役人(ポーター)監督や会計、物資管理を担うなどチームを支援する者達がいる、細々とした雑用を専門に担う者は少ない、雑用係も水や食料を必要としている、今回のような仕事ではぎりぎりまで要員を切り詰めていた。

だがこうした専門の人間がいると便利だった。


「エルヴィス起きたか」

そこにラウルが戻ってくる隣の天幕にいる荷役人(ポーター)を見てきたのだろう。

「寝過ごしたよ」

それにラウルが笑った。


「明日中にはオアシスに到着するそこで休息するさ」

「楽しみだオアシスで体の汚れを流したい」

そこにいた仲間達も大いに賛同した。


ここまで途中で奇妙な現象があったが旅は順調だった、魔術師達の警戒網にも夜番からも異常の報告はない。

朝食の後で朝の定例会議が本部で開かれた、エルヴィスはヤロミールが気になったがいつもとまったく彼の態度は変わらず何も発言しようともしない。

この男がどのような立場で調査団に加わったのかわからない事が多すぎた、どうやらペンタビア大学のザカライヤ教授に近い様だが。

会議が終わる頃には天幕の殆どが撤去され見晴らしが良くなっていた。

西の地平にアンナプラナ大山脈の山嶺が朝光を浴びて大地の白い牙の様に立ち並んでいた。


ふたたび調査団は旅の準備を整えた、今日野営をすれば明日の夜はオアシスの側で休息を取る事ができる、白い山嶺が旅の終わりが近いことを告げていた、調査団の雰囲気もどこか軽やかになっていた。


「よーし、出発!!」


エルヴィスの号令で調査団の隊列は再び動き始めた。



しばらく進むと陽も高くなりアンナプラナ山脈の山肌がより細かく見えてくる。


「ラウルあの峰に見覚えがあるぜ」


隊列の先頭で指揮をとっていたエルヴィスはラウルを振り返り、アンナプルナ山脈の一角を指で指し示した。

まだまだ遠いが北西の彼方に見えるその峰の形は特徴があったのでラウルもすぐに思い出した様だ、あそこの台地の麓に第一目的地のオアシスがあるはずだ。


「まだ遠いなあれか?ああ覚えているぞこのまま真っ直ぐ進むだけだな」


ラウルは方示機を取り出して方向を改めて確認した。

予定では四日目の野営地から半日でオアシスに到着し休息を十分にとる予定だった、だが砂嵐で二時間ほど全体の計画が遅れていた。

エルヴィスは隊列の進む速度を早めて時間を稼ぐことにする、隊列の見回りもラウルに任せ巡回数を減らす事にした。


「今日は少し遅れを取り戻そう」

ラウルはそれを聞いて少し訝しげな顔をした、慌てて距離を詰めるほど遅れていないだろうと彼の目は語っていた。







調査隊が二度目の小休止を終えてふたたび動き始めてしばらく経った頃それは始まった。


「西をみろ!!」


誰かの叫びとともに西の地平線を見た、西の空が茶褐色の低い雲に覆われている、やがてそれが次第に大きくなって行く。


それは急な変化だった・・・あれはいつ生じた?


「砂嵐だラウル!」


これは逃げ切れないと即断する、砂嵐の規模からあの中でうかつに動いても隊列がバラバラに成りかねない。

隊列を止めて砂嵐が通り過ぎるまで耐えるしかない。


そして急いで命令を出した。


「砂嵐だ隊列を止めろ、停止だ全員降りて備えろ!!」


命令を受けて荷役人(ポーター)のリーダ達が指示を出して行く、彼らはやるべきことをやり始めた。

彼らはラクダの上の客を下ろしラクダを座らせる。

ラクダの積荷も可能な限り下ろそうと荷役人(ポーター)達が急ぐ、後の事は彼らに任せるしかない。


しだいに赤黒く地を這うように砂嵐が迫ってくる、経験した事の無いほど奇妙な砂煙が迫って来ていた、

砂嵐の経験は何度もある、だがこれはまるで赤黒いスープの様な異様な砂嵐だった、砂嵐の上を何か黒い布切れの様な物体が乱舞している、あれは一体なんだ?


その赤黒い砂嵐はたちまち迫り調査団の隊列を飲み込んで行く。


周囲が暗くなり、側面から砂粒が叩きつけて来た、素早く風下に向き直る、とても目を開けてはいられないローブを深くかぶり姿勢を低く保った。


「風下を向け!!」


荷役人(ポーター)のリーダー達の叱咤が轟音を縫うように聞こえて来る。


やがて砂嵐の轟音に総ての音が聞こえなくなった、砂粒がローブを叩く音が豪雨の様だ、ローブの隙間から砂と砂塵が入り込んでくる。

その砂嵐はとても長く次第に時間感覚が狂って行く、まるで永遠に続くかのように終わらなかった単調な轟音の中で次第に意識すら遠くなって行く。


ふとその轟音の中に何か風音とは違う何かが紛れ込んでいる。

幻聴だろうか?エルヴィスは聞き耳を立てそれを聞き分けようとした、それはまるで無数の群衆の叫びに聞こえて来た。

狂乱と恐怖に泣き叫ぶ群衆の叫び、だがその叫びは言葉を成さなかった、異国の言葉なのかただの叫びなのかすらわからない、エルヴィスは数ヶ国語を知っていた、使える言葉は僅かだが聞き分ける事ができた、だがその言葉に聞き覚えが無く似た言葉すら知らなかった、そしてその叫びから無数の人々の恐怖と絶望を感じ取る。


その群衆はエルヴィスの周囲を駆け去って行く、何かに追われるように慌てふためきながら駆け抜けて行く、彼らの石畳みの上を駆けるような足音が聞こえるのだ周囲は砂漠だと言うのに。

どちらの方向に向かって逃げていくのかもわからない、やがて方向感覚も失われていった。


だがある方向から胸が締め付けられる程の圧迫感を与える何かが迫って来る、それは不快で危険で邪悪な存在感を放っていた。

群衆はそれから逃げようとしている、しだいにそれが近づいて来た、まるで巨大な城の様に圧倒的な気配。


なんだこれは!?


その時遥か頭上に何かが現れようとしていた、まるで上から押しつぶされ地面に押し付けられそうな圧倒的なまでの圧力、新しく現れた力は不快ではなく邪悪な気配こそなかった、だがそれはあまりにも異質で非人間的な巨大な力の塊だった。

最初の力の源が止まった、そして両者の間に巨大な力の対立が生じるとそれが激突するのを感じた、世界が終わるかと思われる程の力の激突、何もかもが砕かれ溶かされ消えていく。

無数の群衆の絶叫とともに全てが飲み込まれ消えて行った。




僅かな砂粒がエルヴィスの頬を叩いていた、だが豪雨のように叩きつける砂嵐の力は失われていた、まぶたの外が明るかった。


ゆっくりと目を開けるとローブの隙間が明るくなっている。


まだ風の音が遠く聞こえていたが、いったいどのくらい時間が経ったのだろうか?


立ち上がりフードを払った、砂が白いローブの上に積もっていたそれが地面にこぼれ落ちる。

東を見ると赤黒い砂嵐が遠ざかっていく。

西を見ると砂塵に陰ったアンナプルナの山嶺が遠く見えていた、そして太陽の場所を探して少し安心した、太陽はほぼ真上でそれほど時間は立ってはいない。


告時機を確認すると嵐の時間は30分程だった事を示していた。


隊列に目を転じると立ち上がり仲間を助け起している者、積み荷の整理を始めた者がいる。


「嵐は去ったぞ!さあ出発の準備を急ぐんだ」


エルヴィスは命令を発した。


ラウルも起き上がり苦笑いしながら砂を落としていた。

「酷い砂嵐だったぜ」

エルヴィスはふと疑念を感じた、ラウルはあれを体験しなかったのだろうか?


「特に何かあったか?」

「まあこんな酷い砂嵐は初めてだよ」

ラウルの顔を見ているうちにラウルはあれを体験しなかったのだと理解していた。


隊列は再び活気を取り戻した、荷役人(ポーター)達は荷物の上に積もった砂を落としラクダに再び荷を積み上げて行く。


「俺が少し見てくる」

ラウルが調査隊の見回りに動き出した。


先頭で一人になったエルヴィスは周囲の様子に気を配る、遠ざかっていく砂嵐を見送った。


あれは一体何だったのか?


30分程で出発の準備が整う、脱落者もいないラクダも積荷にも損害は出ていなかった、遅れたが致命的な遅れではなかった。


やがて調査隊はエルヴィスの号令と共に再び砂漠を進み始める。











調査隊は砂漠の往路最後の夜を迎えようとしていた、あの異様な砂嵐の後は順調だった。

今赤い太陽がアンナプルナの山嶺の向こうに沈んで行こうとしている、明日はあの山の麓のオアシスの畔で野営する予定だ。


「エルヴィスさん干し肉の表面に細かい砂がへばりついていますよ、どこから入ったんだ?」

今夜の調理番の男が呆れた様に叫んだ、細かい砂はどこからでも入り込んでくるのだ、体中がどうも不快だった細かい砂が服の内に入り込んでいるのだろう。


「明日はオアシスで休める、それまで我慢しろ」


「ラウルさん体中が気持ちわるいですよ」

「ああ、ほんとだぜ」

それにラウルが賛同した。


「そうだ、お前ら砂嵐の中で何か気づいた事はあったか?」

エルヴィスはさり気なく聞いてみることにした。


「砂が痛いのと煩いので耐えるだけで精一杯でしたよ」

料理番の男がそうぼやいた、他の者達もうなずくだけで何も無かった。


あれは幻聴で俺だけだったのだろうか?




エルヴィスは食事を早めに終わらせると考古学者の二人の天幕に向かう事にした。

天幕の側でアンソニー先生と准教授のミロンが食事をとっていた、側に彼らの世話をする下働きの男もいる。


「こんばんわ、先生」

「やあエルヴィス君」

アンソニー先生は機嫌良さげにエルヴィスを見上げた。

「こんばんわエルヴィスさん」

ミロンも快活に挨拶をよこした。

「こんばんわミロン、お二人共あの砂嵐は大丈夫でしたか?」

「特に問題がなかったよ、ははは」


「砂嵐は非常に細かな砂が含まれていましてね、どんな隙間にも入り込んできます、精密な道具などは使う前に整備した方がいいですよ」


「そうなのか、わかった砂漠を越えたら分解して整備してみる事にするよ、アドバイスありがとう」

アンソニー先生はそれに感心したようにうなずいて率直に感謝をのべる。

ミロンも曖昧な笑みを浮かべていたが、胸から告時機を取り出し蓋を開いた。

「うわっ!!たしかにパウダーのような砂が入り込んでいる」

ミロンは道具を逆さにして中の砂を捨てた。


エルヴィスは焚き火の側に座ったそして少し落ち着くと話し始めた。

「あの砂嵐は俺にも経験の無い異常な嵐でした、お二人は何か気になる事がありましたか?」

「君は何かあったのかね?」

「砂嵐が来る前の事です、砂嵐の上に奇妙な黒い布の様な物を目撃しましてね」


「いや私はそんな物見ていないぞ?」

なに!?と叫びたくなったがエルヴィスは耐えた、この二人にはアレが見えていなかったのか?

ただ気づいて居なかったのかわからない。

他の者ならばどうだろうか?そうだスザンナと魔術師に聞くべきだった。


だがここに来た用を思い出す。

「お二人はザカライヤ教授とヤロミールさんとは共同で仕事をされていたのですか?」


二人は顔を見合わせた。


「同じ大学に居ますが考古学の様な学問と魔術とはあまり交流がないのですよ」

すこし淋しげにアンソニー先生は笑った。

「それは西エスタニアも似たようなものです、むしろ東のほうが自由な交流があるぐらいですよ」

ミロンも遠くを見るように呟く。

「ヤロミール氏は北方の出らしいが、北の世界について俺は詳しくないのですよ、あまり良い出物が無いせいですがね」

エルヴィスはニヤリと笑う。


「北方世界はまた独特でね、セール半島の国々は古くは呪術師が大きな地位を占めていた、そこに魔術師の技術や知識が融合したものなんだエルヴィス君」

「西エスタニアや東エスタニアで居場所が無くなった魔術師が北に逃げていると言われてますよ」

そこでミロンが先生を補足する。


「居場所が無くなった?禁忌に触れたとか?」

「そうですエルヴィスさん、他に犯罪を犯した者とか、それに危険な実験をしたい者ですね」

「そうだ無政府状態のテレーゼにも怪しい連中が集まっていると聞いた事があったよ」

アンソニーの口から出てきた国の名前に聞き覚えがあった、たしか内戦状態で酷い事になっている遥か東の大国の名前だ。

「ヤロミール氏は大丈夫なのか?」

アンソニー先生とミロンがまた顔を見合わせる。


「そうだね人の悪口は言いたくないけど、彼の事がわからなくてね、どんな経緯でザカライア氏と関わっているのも私にはわからないんだ、調査団での彼の役割もわからないんだよ」

「バーナビーは知ってるのか?」


アンソニーは首をふった。

「私からは何も言えないんだ、知らないんだ」

ミロンはあいまな遠くを見るような目で暮れゆく砂漠の彼方を見つめていた。





エルヴィスは二人に別れを告げると、ドロシー達の天幕に向かった。

どうやら三人は既に食事を終えたらしい、砂漠の砂で食器の汚れを落としてた、貴重な水を節約する為に砂で汚れを落とすのが決まりだった。

シーリの触媒を節約する為にも洗うためだけに水は出せなかった。


「今晩は淑女の皆さん」

エルヴィスの挨拶にスザンナが笑った。

「お世辞を行っても何も出ないよ?」

「あらエルヴィスさん今晩は」

ドロシーが立ち上がって迎えてくれた。

シーリは半分眠っているのか半眼になって船を漕いでいる。


エルヴィスが招かれるまま敷布に腰を下ろした。

「今日の砂嵐について聞きたいんだ」

「えっ?砂嵐ですか?」

「砂嵐が来る前に、砂嵐の上に奇妙な黒い布の様な物を見た」

シーリが目を見開き背筋を真っ直ぐに伸ばす。


「その話だけど皆でしていたところよ、私にはわからなかったけど」

ドロシーは曖昧に笑った。


「あれは良くない物だね」

スザンナはそう断言した、エルヴィスは彼女が何か言うかもしれないと予感があった。


「昨日聞いた負の聖域の精気かね?」

「ああそうさ、あまりにも強いと異界の力が投影される様になる、そして負の聖域が生まれた記憶を永遠に保存すると言われているね」


エルヴィスは絶句したあの幻聴がその原因かもしれなかった、逃げ惑う群衆の恐怖と絶望の記憶を再生しているのだろうか。


「でも少しおかしいね、負の聖域が動くなんて、こんな事は記録に残るくらい珍しい事なんだ」

スザンナがそう断言した。

「普通は動かないのか?」

「ああそうさ、古い記録に曖昧に記録されているだけなのさ」

この女も単なる侍女では無いとエルヴィスは思いを更に強くする。


しかし今日は疲れている、この三人と少しだけ楽しく過ごしたい気分になっていた、不愉快な会議の前に気分転換をしたい。


「ドロシー故郷の話を聞かせてくれ」

「うふふ、いいわよ?」


砂漠の夜の闇はしだいに深くなって行く。







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