死闘の始まり ~ エピローグ
セナ村の魔術陣地の屋敷の中に射し込む陽も傾き、青い陽射しも不気味な赤みを帯び始めている、悪夢の様な夕暮れ時が近づいていた。
屋敷の居間でホンザはソファに深く座り静かに眠っていた、三脚台の上の薬缶が沸いている、薬草茶の臭いが部屋中を満たしていた。
突然居間にいたエリザが急に落ち着きがなくなる。
「ただいまホンザ」
「ただいまなのです」
その直後に台所から聞こえて来た声にホンザは思わずソファから身を起した。
「おお帰ったか随分と時間がかかったな、その調子では失敗したな?」
ホンザは二人の顔を見て事情を察してしまった。
「奴らの館は蛻の空だった」
「ホンザ様、館の内部を調べたので時間がかかりました」
続いて屋敷に入ってきたルディとアゼルが疲れた声でそれに答える、エリザがアゼルの肩に嬉しそうに飛び乗った。
長椅子に体を投げ出すようにすわったベルが吐き捨てるように言った。
「昨日の夜に見かけた物が結構無くなってた、アイツラ引っ越したんだ」
「殿下、コステロ商会の所有する他の館を調べましょうか?」
「そうだなアゼル」
二人もソファにやれやれと腰をおろした。
「お爺さんもう大丈夫です?」
コッキーが心配げにホンザの顔をのぞき込む。
「ああ今日一日休んだからのう、魔術陣地に注げるだけ力を注いでおいたぞ」
少し苦笑いを浮かべながらホンザが笑った、そして急に顔が真顔に変わった。
コッキーの顔も訝しげに変わる。
「まてよ、あの真紅の化物は魔術陣地を使えるのだろうか?」
「魔術陣地は地精霊術固有の術では無いのですか?ホンザ殿」
アゼルが驚いた様に身を乗り出したので、アゼルの膝がテーブルに当たる。
「危ない!!」
ベルが素早くホンザの三脚台の上の薬缶を抑えた、ティーセットが騒がしい音を立てる。
『儂も死霊術にそう詳しくは無い』
「愛娘殿、奴は別格だぞ」
突然話し始めたアマリアのペンダントにルディが応えた。
『まあ儂も長く生きてきたが、ここ40年ほど引きこもっていたからのう、死霊術も最近は急速に進歩しておるようじゃし』
アマリアの歯切れがどこか悪い。
「やはり一度調べて見る必要があるか・・・」
「ホンザ様、あそこに魔術陣地がある場合調べる事ができるのですか?」
「アゼルよある程度まではわかる、しかし魔術陣地を構築できるとなると、居場所を突き止めるのは困難となるな」
場を沈黙が覆った、ではいったい彼らは今どこにいるのだろうか?
「まだ魔術陣地が使えると決まってないじゃないか、探すべき場所は調べておくべきた」
吐き捨てる様なベルの声から微妙な不快感がにじみ出ていた、現実主義者のベルがこの話の流れに不満を持った様だ。
「そうだなベルの言うことはもっともだ、コステロ商会所有の他の館も調べておこう、いずれ役に立つかもしれん」
ルディがみんなを見渡しながら言う。
ソファから立ち上がったベルが窓辺に近寄ると外の景色を眺め始めた。
「みんな、今日はもう自由にしよう」
ルディが一同を見渡して告げた。
『儂もやることがあるのでしばらくは出られぬぞ』
アマリアのペンダントはそれっきり沈黙してしまった。
コッキーが立ち上がると台所に向かう、アゼルも自室に引き上げて行った。
ルディもエントランスから外に出ると馬小屋に向かった。
「よし!!やるぞ!!!」
ベルは窓辺から離れると握りこぶしをして一人気合をいれる、そしてキッチンに向かって声をかけた。
「コッキーお湯わけて!!」
「いいですよベルさん、入れるものは用意してください」
すかさずキッチンから元気なコッキーの声が返ってきた、ベルはそのまま階段を勢いよく昇って行ってしまった。
ホンザはそれを見届けるとソファにゆったりと深く腰掛けて目をつむる。
ハイネ城北西の魔道師の塔の最上階の一室、部屋の窓は完全に閉め切られ、僅かな魔術道具の照明が微かに部屋を照らすだけだ。
重厚な執務椅子に腰掛けたセザール=バシュレは報告に訪れた三人のローブの男達に青白い鬼火の様な視線を向けていた。
彼の目は洞穴の様な眼窩の中で燃える青白い炎だ、鬼火の様な彼の目に意思と感情が宿る事を疑う者はここにはいない。
彼のローブの金糸で象られた神聖文字が室内の照明の光を照り返す、そして薄暗い扉の両側の影の中に黒いローブの男が更に二人ほどひっそりと侍っていた。
「あの爆発はやはり真紅の淑女のしわざだったカ、しかし我らヘの報告ガ遅い」
執務机に置かれたレポートに目をやる、それは貴重品の紙に書かれていた。
「コステロ商会からは先ほど連絡がありました、真紅の淑女様との連絡がとれなかったと言っていました、地下施設に潜入した例の者たちと戦った模様です」
「で?奴らを倒したのカ?」
「それは、奴らは混乱に紛れて姿をくらましたと」
その場にいた者達は部屋の温度が更に下がったような錯覚に襲われた。
セザール=バシュレの青い鬼火の様な瞳が燃え上がった様に感じられたのかローブの男達はたじろぎ一歩後ろにさがった。
「あの女ハ遊んでいるのか?何をやるにもいい加減デ適当ではないカ!!」
だが怒りをおさめ報告を進めるように部下達を無言で促した。
「あの爆発に関してですが、爆発の調査はハイネ魔術師ギルドと我ら魔道師の塔が関与する事がきまりました」
セザール=バシュレはハイネ評議会に身を置いている立場だ、調査に関与しても不思議な事は何もない、セザールは残った腕で任命受諾書にサインするとそれを黒いローブの男に返した。
「あれは地下に埋もれていた古代の魔術道具が暴走したとでも説明ヲ付けるしかあるまイ」
「これがハイネの被害状況です」
もうひとりの男が差し出したレポートに興味なさげに視線を走らせた、だがセザールの炎の目が強く揺らいだ。
「かなりの犠牲者がでていル・・使えるな」
「もしや」
「力の供給源を回復しなければならヌ、若い健康的な屍が大量に入る機会などそうそうはない」
「たしかに、手配をいたしますか?」
「詳細は任せル、可能な限り数をおさえよ、あの近くは流れ者が多いからやりやすかろう、お前は速やかニ動け」
被害レポートを提出した男が一礼するといそいで部屋から出て行った。
セザールは残った男の一人を向いた。
「お前は魔術師ギルドに圧力をかけて余計な事をさせるな事故として処理しろ、そして評議会の動きにも目を配れ」
セザールの目はもう行けと語っている、任命受諾書を持った黒いローブの男もセザールの執務室から下がっていった。
「ところで死んだ魔術師達の処理は進んでいるか?」
「はい制御用魔術陣のパワーリソースとして優秀だと思われます、偉大な計画に奉仕できるのであれば彼らも満足でありましょう」
「だが人材ノ損失の埋め合わせには足らヌ」
「はい」
「魔術師が足らなくなったナ、メトジェイのところから何人か魔術師を引き抜クか、各地の支部からも少しずつ呼び戻す」
「メトジェイのところには下位魔術師しかおりません、ジンバーに新しい中位魔術師を廻してしまいました」
「バルターザールのところから中位の術師を借りよう、これは俺ガ話をつけよう」
黒いローブの男はうっそりと頭を下げた。
「候補リストを作成し提出しろ俺が最後に判断する」
セザールの目はもう良いと語っていた、最後の男もセザールの執務室から下がっていった。
また仕事に戻ったセザールの執務室にすぐにやって来た者がいる、セザールはその男に部屋に入るように促した。
またも黒いローブの男だった一見すると区別がつかないがセザールには違いが解るようだ。
「セザール様、地下の公共スペースの穴を塞ぎました、明日以降水抜きを始めます」
先日の戦いで大きな穴が地下に二箇所空いている、そこから北の水堀の水が浸水したのだ、その穴を塞ぐ事についに成功した。
強力な魔術師がいるからこそ二日で穴を塞ぐことができたのだろう。
「そうか、できるだけ速やかに復旧をいそげ」
その男もすぐに部屋から退去していく。
行方不明を含めると下位魔術師九名と中位魔術師ニ名を失い簡単には補充が効かない、制御用魔術陣のパワーリソースを破壊され、失った機材と物資の価値はとてつもない金額に登る。
あの幽界の神々の下僕どもは見事に仕事をやってのけた事になる、セザールは改めて損害の大きさに頭を痛めた。
「まずいナ」
セザールは執務椅子から立ち上がった、扉の両側に侍っていた黒いローブの男たちが身じろぎした。
「だが奴らに対抗できる駒は、すべてコステロの手に有るデはないか、すべては奴が気まぐれ姫を手中にいれているからだが」
数歩だけ部屋の中を歩き立ち止まった。
「あれの完成を急がねばならん、クソこれも奴らのせいで遅れるか、何だ?何か重要な事を見落としているような気がするガ」
ふたたび部屋の中を歩き始める。
「アマリア!!」
セザールの虚ろな眼窩の中の鬼火は青白く激しく燃え上がった。
コステロは商会本館の私室で夜遅くまで働いていた、朝から対応すべき案件が殺到していたからだ、すでに窓の外は夜の帳が降り街は月明かりに照らされている。
彼の部屋のカーテンは総て開け放たれていた、コステロ商会本館の窓は高価なガラスが使われていた、おかげで中央広場の周囲の建物の窓から漏れる灯りが美しく映えた。
室内は淡いオレンジ色の魔術の照明に薄暗く照らされている。
コステロは私室に仕事を持ち込みんでいたが、今までも仕事が立て込んでいる時にここに泊まる事があった。
すると机の中で魔術道具が繊細な音を立てた、それを聞いて仕事の手を休めたコステロは微笑む。
そんな彼は美男ではないが精悍な髭面にはどこか凄みと愛嬌すらある。
「忙しいのはお前のせいだぞ」
そう呟きながら引き出しを開け魔術道具に触れる、小さな不自然だが繊細で美しい音が三度鳴った。
そして再び仕事に戻ってしまった。
どのくらい時間がたった事だろうか。
窓の隙間から青白い煙が滲み出る様に部屋に入り込んで来た、それは不自然でまるで生きているかのように部屋に入り込み気まぐれに漂い始める。
その異変にコステロはすぐに気づいた、だがその異変にまったく動じていない、むしろ呆れるような色すら顔に浮かべている。
その煙は絶え間なく部屋に入り込んで来る、それはしだいに集まると青い雲を形作り渦巻始めた、それは更に濃くなるとドロドロの液体の様になった。
やがて縦に引き伸ばされ人の姿を形取り始めた、やがて細身の人の姿に変わって行く。
それはやがてドロシーの姿を形どった、彼女の全身の肌がアラバスター細工のように無機的なまでに冷く白く輝いていた。
コステロは何をしに来たなどと今更たずねたりはしない。
「ドロシー珍しい訪問のしかただな」
「自由で気持ちがいい」
コステロは笑った煙の様に流れてここまで来た姿を想像して笑ってしまったのだ。
「死者の軟膏が手に入ってハメをはずした、奴らに見つかったの」
「昨日街に出たのか、だいたいわかった」
「これから少しずつ眷属を増やしていく、力を付ける時が来たわ」
「目立たねー様にやってくれよ、やっと駒が集まり出したんだ奴らを近々紹介しよう、魔界の神の寵愛を受けた素敵な連中だぞ」
「わかった」
ドロシーは優雅に歩き始めるとコステロのベッドに腰掛けてしまった。
コステロはそれに目をやって微笑んだ。
「ドロシーあとどのくらい時間がかかるんだ?」
「私の肉と魂が貴男に染み透るまで」
「気の長い話だなおい」
「エルヴィスあなた眷属になりたいわけじゃないでしょ?」
「まあそうだ」
「じきに時間なんて気にならなくなる」
「それでお前はいいのか?」
ドロシーは何かを理解しようと小首を傾げる、そして真紅の唇が言葉を紡いだ。
「貴方に私の100年をあげた、それが貴方の望みならかなえてあげる」
「100年もらっても人間は使い切る前に先に死んでしまう」
「それはそうね、うっかりしていたのよあの頃は」
コステロはドロシーにめぐりあった遺跡盗掘稼業最後の仕事を思い出していた。
やがてコステロは椅子から立ち上がりドロシーに近づいた、それを見たドロシーの瞳が揺らいだ。
「さあきて」
ささやくようなドロシーの声が聞こえる。
やがて室内の照明が総て落ちた。