ドロシーの結界
ハイネの南西の倉庫街の一角にあるマフダの小さな宿屋は一見すると何時もと変わらずに営業していた。
だが店の扉に事情があって新しい客を断る看板がかけられていた。
近所の住民と雑談していたルディはやがてゆっくりと北に向かって歩き出す、中央通りの角で高級使用人姿のベルが待っていた。
「ルディどうだった?」
「住み込みの娘が帰らないので探したいらしいが、手が足らなくて困っている様だ」
ベルは宿屋の主人と女将さんの姿を思い出した様だ。
「マフダの事だね」
ルディは何も言わずに頷く。
ハイネを東西に貫く大通りを二人の男女が東の城門に進んでいく。
若い男は大柄な美丈夫で商家の若旦那風だ、精悍さと育ちの良さがそこはかと無くにじみ出て、行き交う女性が老若問わず見惚れた。
その少し後ろを上品な高級使用人のドレスを身にまとった銀の長髪をした美しい女性が澄ました顔で歩く。
彼女の使用人らしからぬ雰囲気が人々の注目を密かに集めていた。
だが二人は自分たちが周りからどう見られているかあまり理解できていなかった。
しだいに東の城門に近づくに連れて辺りが騒がしくなってくる、人の往来が激しく荷馬車や人が曳く荷車の数が増えてくる。
二人は思わずまた顔を見合わせた。
「ベル人の往来がやけに多いな」
「みて城壁の向こう側から煙が見える」
やがて旧市街の城門を通過したルディとベルは口を開けたまま立ち止まってしまった。
新市街の北東の方向が壊滅的な被害を受けていた、数多くの建物が倒れ焼け跡も見える、無事に見える建物も屋根が剥げたり壁が壊れている。
ハイネの東側の新市街は炭鉱や製鉄所のある西側より寂れていたが、それでもいったい何軒の家が被害を受けたのか想像もつかなかった。
火事は消し止められたようだが、あちこちで廃材を燃やして焚き火にしていた、そして多くの人々が瓦礫の中を動き回っている。
ルディは横を通り抜けようとしていた人のよさそうな中年の婦人に声をかけ呼び止めた。
「失礼します、小間使いの者があの当たりに住んでいたはずですが、あのあたりの人々がどうなったかご存知ですか?」
その婦人はルディとベルを上から下まで見てから、商人が仕事に出て来ない使用人がどうなったか確認しに来たのだろうと思ったのか、すこし気の毒そうな顔で親切に教えてくれた。
「人死が出たと聞いたよ行方不明も多いらしい、あそこらへんは流れ者が多いから誰が何処に住んでいるのかわからないのさ。
火事場泥棒やどさくさに紛れて悪いことをする奴がたくさんいる、あんた達は近づかないほうがいい特に若い娘はね。
婆さんがここの南に住んでいるけど窓が壊れて大変さね、まあ命があるだけ感謝しなきゃね」
そして婦人はさっさと行ってしまった。
ルディはこの破壊の原因に自分たちが絡んでいたので複雑な想いにかられた。
自分達が簡単に倒されてしまうほど弱いか、真紅の化物を倒せるほど強ければこのような事にはならなかったはずだ。
「ほんとだ警備隊と戦っている連中がいる暴動かな?犯罪者かもしれないけど」
ベルが破壊された新市街の方向を指差した。
ベルは視力が異常に優れていた、その彼女が今度は一キロ以上先の昨夜の戦いのあった丘を指差した。
「あの丘の周りはロープが貼られている」
「よく見えるなベル」
手をかざしてもよく見えない。
その時ハイネ警備隊の装備で固めた小隊が城門を通過していった。
「できるだけ近づいてみよう、市街を迂回して丘から近づくぞ」
二人は街道沿いに東に進む、この街道の遥か東に古都ゲーラの街があった、丘を越えたその先でベントレーを経由してラーゼに向かう街道に分岐している。
丘の上に出るとそこから北に進んだ。
その先が褐色に変色し朝の太陽に照らされていた、丘の上が大きく抉れ大きな穴ができている。
周囲にはかなりの数の人の姿が見える、周囲に武装した兵が警戒にあたっていた、魔術師らしきローブの姿が数人見える。
「凄い穴ができている、大きいと思ったけどこんなに大きな穴ができていたとは思わなかった」
「あの真紅の化物にここまで力が有るとはな」
「ルディあいつ全然本気じゃなかった、僕の顔を狙わなかったし」
思わず驚き息を飲んだ、そういう見方もあるのかと驚いたのだ。
「これ以上近づくと煩そうだね」
「ああ引き上げるか・・・あれが出来た原因はわかっている、あの屋敷も見ておくか・・・」
「せっかく来たんだしのんびりしてから帰ろうと思ったけどそんな気分じゃなくなった」
「ベル遊ぶつもりだったのか?」
「最近働きすぎだ」
言われてみるとドルージュの巨大な悪霊との戦いから狭間の世界に行ってアマリアと出会う、ふたたび戻り馬車を奪いホンザと共にセナ村に拠点を移動した、そしてハイネ城に潜入しセザールと対決、中の様子が判明し破壊活動を行った。
そして間をおかず真紅の化物ドロシーとの戦いだった。
二人は街に向かって引き上げる。
「とにかく古着や食材を買って帰らないと、戦いになるとコッキーの裁縫の腕じゃ間に合わないぐらい傷みが早いんだ、着るものがなくなっちゃう」
今やセナの屋敷で裏方を仕切っているのはコッキーだった。
「コッキーにたのまれたのか?そう言えばコッキーを手伝うとかいっていたな」
「皮むきやお皿を洗う仕事しかさせてくれない、僕の料理の腕を認めないんだよ、小間使みたいで可愛です、とか言い出したんだぞあの娘信じられない、あと刺繍はできるけど裁縫はだめだ」
ルディはそれに小さく笑った。
「そうだメゾンジャンヌで髪を染める薬を買うから付き合って、凄く高いけど安物はもうこりごりだ」
「毛染め薬も売っていたのか?気づかなかった」
「化粧品も少し置いているんだ、棚にあったよ高いけどね」
「なあ買い物の前にあの屋敷を見ておくぞ」
「・・・わかった」
二人はとりとめもない話をしながら丘の斜面を下っていく、ここまでは新市街の騒ぎは聞こえてこない。
セナの屋敷の居間に全員集められた、家事に忙しいコッキーも呼び集められる。
「そんな大きな被害が出ていたか」
一人がけソファに深く腰を降ろしていたホンザがルディ達の報告を聞いて苦渋に満ちた顔をする。
「我々の目的はテレーゼを呪う死の結界の破壊ですが、面倒な事になりましたね」
「闇妖精族がここまで強大だったとはな」
『いやそんな記録はない、奴らが死者の軍勢をつくり騒動を起した記録があるが、あれほどデタラメではないぞ』
沈黙を保っていたルディのペンダントが声を発する。
「アマリア様そのような記録があったのですか?」
『アゼルよ魔術師ギルド連合の限られた者だけが触れる事ができる記録じゃよ、儂すら触らせようとしなかった記録もあったのう、皇帝の威光すら通じぬ秘密があるのじゃよ』
皇帝とは70年前に滅びた帝国の皇帝以外にあり得ない、アマリアが200年の歳月を生きてきた事を改めて思い知らされた。
『あれは闇妖精族の中でも高位存在なのではないか?妖精族は神々に人を模して作られ、人を管理する為に生み出されたと言われておる、奴らの視線に人が逆らえぬ力があるのもその為じゃ』
「妖精族にも身分があったのです?」
すこし退屈そうにソファで話を聞いていたコッキーが身を乗り出してきた。
『うむ?実力主義だった様だが、力は血統に左右されたようじゃ、5万年前に滅びた種族ゆえに記録が少ない、奴は妖精族の支配階級の者かもしれん』
「アマリア、昔暴れた闇妖精族はどうなったの?」
窓際の三脚丸椅子に腰掛けて壁に持たれかかっていたベルが初めて口を開いた。
『すべて悪戦苦闘の末に滅ぼした、だが本当に滅んだのかは不明じゃ、奴らは半霊半物質的な存在じゃ幽界の神々に近い、滅ぼしたのでは無く魔界に追い返しただけと言う者もいた、だが眷属共は根絶させたはずじゃ』
「やはりドロシーと言う名前の闇妖精が総ての根源でょうか?」
『あれが誰かの下につくとは思えん、それに奇妙な名前じゃなあまり闇妖精らしくない、偽名かも知れんが』
「あれより強いのがいるならお手上げだよ」
ベルが座ったまま降参の仕草をした、手が壁に当たる音がした。
「だとすると違和感があるのだ、はっきりとは言えないがな」
ルディがボソリと呟いた、皆それに納得したようには見えない。
ベルが思いついたように立ち上がると数歩部屋の真ん中に歩み出た。
「ねえ昼間に攻め込んで見よう?吸血鬼なら弱くなっているかも、今までジンバーや魔道師の塔に気を取られ過ぎていたんだ」
『たしかにベルサーレの言う通りじゃ、奴らに都合の良い時間に合わせる必要は無い』
ルディも立ち上がった。
「時間が経つほど奴らも体勢を整える、城の地下に馬鹿にできない損害を与えたばかりの今こそ動く時だ」
ルディは皆の状態を確認する、コッキーは腕の傷も急速に治り戦うのに問題は無かった、彼女が腕まくりをすると肌の痣も消えかかっていた。
だがホンザは昨晩の消耗と魔術陣地に大量に魔力を流し込んだので万全ではなかった、昨日は魔術陣地に魔力を流し込んでいなかったらしい。
それに反してアゼルは睡眠と午前中の休息でほぼ回復していた。
ホンザが万全になってから真紅の怪物の別邸を襲撃する事にする、だがすぐに懸念が持ち上がった。
「殿下彼らがまだそこにいれば良いのですが」
アゼルがそれにまっさきに気づいたのだ。
「奴らが拠点を変えるかもしれないわけだな」
一日待ってホンザが万全になってから攻撃を仕掛けるか、今すぐ攻撃を仕掛けるべきか。
「奴らが拠点を変えてしまったら、また一から振り出しに戻るよ」
ベルが意見を述べた。
ルディは唸った。
彼らが住処を変える確証は無いが、どこかに移られてはまた探さなくてはならなくなる。
こちらが昨日別邸を襲撃した以上、彼らが住処を移す可能性があった。
マフダを救おうと無理をしたかと今更のように思った。
「今から奴らに攻撃を加える!」
もしかしたらまだマフダを救えるかもしれないと僅かな期待まで抱いた。
ホンザはセナの魔術陣地に残る事になった。
皆慌ただしく準備を始める、特別準備する物があるわけではなかった、コッキーは火の回りを確かめている、四人は日が高い間に襲撃しようと慌ただしく魔術陣地からハイネに向かって出撃して行った。
この四人の戦力はこの人数としてはこの世で最強かもしれなかった。
ホンザはただ一人ソファに深く腰を降ろし熟考を始めた、留守番のエルザがソファの上で淋しげに鳴いた。
コッキーのトランペットが別邸を護る強力な防護結界を破壊していく、虹色の光が揺らめき結界は脆くも崩壊していった。
「全部消えたのですよ!」
トランペットを高々と掲げたコッキーは誇らしげだ。
ルディが命令を下そうとした瞬間、今度はベルの鋭い叫び声が空気を切り裂く。
「誰も居ないぞ!!」
「何だと!!」
ルディもコッキーも慌てて館の中に探知の気を放ち探った。
「誰もいません、使用人の人もいないのです!」
「遅かったか!?」
四人は館に踏み込み内部を調べた、最近まで人が居たような痕跡だらけだが、館には誰も居ない、不気味な暗黒の部屋も空だった。
マフダがここにいた証拠も見つからない。
手分けして館の中を調べていた四人は館のエントランスに集まる。
「どうやら奴らは住処を移した様だな」
「そうですね、使用人の姿が消えています」
『ペンダント経由ではわからぬ事が多すぎるすまぬのう』
「帰ろうかルディ」
ベルがポツリと呟いた、皆の目はそれに賛成している。
「引き上げるか」
ルディが最後に決断を下した、皆落胆したように館から引き上げて行く、太陽はまだ高く日没までまだ時間がある。
だが四人はどこか黄昏れていた。
彼らの姿が森の中に消えた頃、カーテンが閉じられ薄暗い二階の居間に淡い人の形をした影が現れた、それはやがて若い美しい侍女の姿になった。
彼女はまろびながら前に出ると床に座り込んで両手を床についた。
「恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい」
彼女は全身で震えながら呟いていた。
その背後にまた淡い人の形をした影が現れる、それは先ほどより二周りほど小さい。
影はやがて白いドレスの少女の姿をとった、それは小さな吸血鬼のエルマだ。
「ポーラ大丈夫かしら?」
背後に現れたエルマに声をかけられて、ポーラと呼ばれた女性は慌てて床に転がってしまった。
「お嬢様!?」
「ドロシーが言ってたけど魔術陣地らしいわ、深いから外がかなり怖くなったって言ってたわ、私は平気だけどね」
エルマはキャラキャラと笑うそれにポーラがまた怯える。
その背後に再び淡い人の形をした影が現れる、それもしだいに実体を成していく。
ポーラが怯えて遠ざかろうと床を這った、腰が抜けてしまったらしい。
現れたのは吸血鬼のヨハン少年だ。
「使用人はこっちで働いて欲しいってさ、みんな帰したよ」
「ド、ドロシーお嬢様は?」
「ねーちゃんはしばらく向こうにいるって」
「その口どうにかしなさい!ドロシーに怒られるわよ?」
エルマが怒った様に指をヨハンに突きるける。
「ねーちゃんはねーちゃんだろ?あとさ僕はこっちの方がいいや、エルマはどうなの?」
「訳の解らない生き物だらけだし、こっちの方が落ち着くわね、ポーラもそうでしょ?」
ポーラは激しく頭を縦にふって賛同する。
「あそこドロシーのいた魔界に似ているんだってね」
「そうらいしわねー気持ち悪いわ」
エルマがキョロキョロとし始めた。
「あれマフダはまだ向こうなの?」
「ドロシーと勉強だって」
ドロシーの魔術陣地の評判はこの二人にはあまり良くない様だ。




