魔の月蝕
ルディは丘の頂上を目指して駆けた、背後にホンザの魔術の完成を感じると彼の気配が消える。
エルマを包み込み込んでいた光球が更に空に昇っていく、前方に精霊力と瘴気が集まり異様な力の嵐が生まれていた。
コッキーが巨人の相手をしてる、突然六碗の巨人が穴に落ちたかのように傾く。
ベルが凄まじい機動力でドロシーと激しく切り結ぶ、ベルが瘴気の弾を避けると流れ弾がルディ頭の上を抜けた、ベルの相手をしていたドロシーがこちらに一瞬だけ視線を向けた、それは一瞬だが彼女が自分を嘲笑っている様な気がした。
そのまま丘を駆け昇りドロシーを挟み撃ちにできる位置につこうと動くが二人の動きが早すぎて思い通りにならない。
ベルに素早く視線を走らせた、彼女の瞳は黄金色に輝き頭の上に三角形の耳が二つ風に震えていた、そしてスカートの裾から細い黒い尻尾が頭をのぞかせる。
だが昨晩の様に全身が黒い艷やかな毛並に覆われてはいない、その姿にベルの迷いを感じとる。
ふと俺にも魔物がいるのだろうか?そんな想いがよぎる、来るべき時がくればわかるとあえて考えない様にしていたが・・・
六碗の巨人が軋む様な音を立てはじめる、ドロシーが訝しむ様な顔をそちらに向けたが、そのまま無造作にベルの攻撃を受け流している、まるで背中に目があるかのように。
ドロシーに強大な瘴気が集まり始めた。
目の前の化物は術式構築速度が異常に早い上に詠唱を必要としない、人の魔術師相手の常識は通用しなかった。
人間相手なら詠唱のタイミングがもっとも空きが生まれる瞬間だ、このタイミングで潰せば精霊力を無駄使いさせる事ができる、だがドロシーに瘴気が集まりだした時点で攻撃に踏み出さなければ手遅れになる、すでに何度か攻撃タイミングが遅れている。
いつの間にか六碗の巨人が姿を消していた、そしてコッキーがドロシーとの戦いに加わる。
ドロシーはそれを優雅に避けながら魔術術式の構築を進めた。
「ヘビと猫は相性がわるいのよ?」
どこか間延びした緊張感の欠けた口調で二人を挑発した、べルとコッキーの顔が不機嫌に変わる、しかし会話をしながら魔術術式を行使するなど人間には不可能だ。
ルディはその時動いた。
ドロシーはベルの斬撃を躱し、襲いかかるコッキーの爪を避けた、そこにかぶせる様に魔剣を叩き込んだのだ。
ドロシーが目を瞠る魔剣は彼女のボロボロになった真紅のドレスを切り飛ばしたが手応えがない、だがその直後ドロシーから膨大な瘴気が放散した、ドロシーの魔術術式を初めて潰す事に成功したのだ。
ドロシーが花が咲くようにルディに微笑むその微笑みに背筋が凍った。
今度は上から魔術術式の力を感じた、上空にいるバルログが魔術を行使しようとしていた。
この混戦で魔術を使うつもりなのだろうか?
ベルとコッキーがさらに激しく攻勢に出る、それを彼女は余裕で回避し続けた、踊るように舞うように遊んでいるかの様にその動きは優雅で美しい。
その瞬間ドロシーの両足が氷に包まれた、彼女の瞳がエンドウ豆をぶつけられた野鳩のように丸くなった。
その瞬間ベルが姿勢を地を這うように屈めると精霊力を一気に収束させた、コッキーが慌ててベルの対面から逃げ出す、ルディもつられて姿勢を低めた。
その直後ベルが瞬間的に力を爆発させベルの姿が消え草と土が舞い上がる。
直後に何かが潰れた様な乾いた音が生まれた、その瞬間ベルは丘の上に空高く舞っていた、月夜を背景にベルの影が空を駆けていく、細くて長い尻尾をまっすぐ後ろに引きながら。
真紅のドレスの残骸が花吹雪の様に舞った、そして無数のコウモリが羽ばたく羽音に包まれた。
『な、何が起こった!?』
アマリアの声が僅かに動揺している。
「奴はどこだ?」
真紅の怪物の姿がどこにも無かった、ベルの力で消滅したのだろうか?
その直後に上空から魔力の散弾が降り注ぐ、それはルディではない背後に移動していたアゼルの周囲に降り注いだ、アゼルが自らに張り巡らした魔術防壁に干渉しオーロラのような美しい光の舞踏を演じた。
アゼルはドロシーの足を氷で封じるタイミングを図っていたのだろう、ベルがそれを逃さずあの不可解な力を使ってドロシーを消滅させたのだ、だがあの圧倒的な彼女の威圧感はまだ消えてはいない。
着地したベルも立ち上がり周囲を見回している。
夜空を乱舞するコウモリの群れがしだいに集まり球体を形作った、やがて膨大な瘴気が集まり黒いスープのように密度が高まって行く。
そして魔術術式の構築が始まりそれはすぐに終わった。
瘴気が晴れると空に黒い歪な形をした球体が浮いていた、それは黒い鞣し皮の様に艷やかで滑らかだった、だがよく見ると幾筋もの切れ目が表面を取り巻いている。
それが果物の皮が剥けるように開き始める、それとともに強烈な瘴気が中から吹き出し、空気を軋ませるかの様な威圧感が内部から湧き上がる。
やがてその中から体を丸めたドロシーが姿を現すと空中でまっすぐと立ち上がる。
解けた漆黒の球体は巨大なコウモリの羽に変化していた、それは彼女の背から生えている、まったく羽ばたきもせず大きく左右に広がっていた。
彼女の青白い肌が月の光に照らされ幻想的なまでに美しく、血の通わぬ人形の様な肢体を月の光の下に晒していた。
彼女が高みから地上にいる者達に顔を向けた。
両眼は真紅の強い光で輝きその顔は人口的なまでに作り物めいた微笑を刻んでいた、その真紅の瞳に魅入られ意識が吸い込まれる。
『あの目を見てはならん!!』
アマリアの警告で我に返り意識を保つとドロシーから意思の力で視線を外した。
バルログが遠巻きにドロシーの周りを周っていたが、突然バルログが弾けて消えた、ドロシーの真紅の瞳は怒りをたたえている。
ふたたび強大な力がドロシーに集まり始める、今まで経験したことのない巨大な力が集まり始めた。
魔術術式が築かれる気配が神経を逆撫でるほどの力の波動を奏でた、そこに巨大な瘴気が押し込められていくのを感じとる。
ドロシーは更に上昇を始めた、大きなコウモリの羽が羽ばたくことは無い、だが羽が力を帯びて彼女を更に上空に運んでいくのが感じられる。
空に異変を感じさせる程の圧倒的な力の集結だった、周囲が常闇に包まれた、何かが起きているめぐらした視界の隅で月が欠け始めた。
月蝕?
だがその月はいつもの数倍の大きさがあった。
月が見る間に欠けて行く、白い炎に包まれた輪の様な輪郭だけが残された、その内側は虚無の暗黒が口を開いていた。
これは世の常の月蝕ではないとルディの直感が訴えていた。
『いかん!!』
「みんな散れ!!」
ルディは大声で叫んだ。
身体強化したアゼルが真っ先に丘を駆け下り始めた、エルマの光球があたふたと逃げ出していく。
ベルは丘の東側にコッキーは南に向けて丘の上を駆け出そうとしている、ルディも西に向かって全力で駆けた。
その直後に巨大な力が暗黒の月から力の柱となり大地を打ち据えた、そして丘の頂上に巨大な爆発が生まれる。
その力は丘の頂上に巨大な穴を穿った。
ハイネの東の新市街は衝撃波と爆風に襲われ新市街の住民の粗末な家々が崩壊していく、衝撃波がハイネの上空を駆け抜け轟音が鳴り響いた。
その夜ハイネの旧市街の住民は轟音と家々を揺らす振動で全員叩き起こされた、そしてハイネの北東の丘に巨大な火柱が生まれた、太陽の様にハイネ城の四本の尖塔を横から赤々と照らし出した。
轟音は遠くゲーラの住人を叩き起こし、そして遠くリネインの街でも爆音が聞こえたとこの夜の爆発は長く語り草になる。
死んだように静かになった丘の麓の土砂の上に二人の人影が現れしだいにはっきりと形をなしていく。
それはやがてルディとホンザの姿になった。
「酷いありさまだな」
ホンザは周囲を見渡して嘆息した、新市街には何箇所から火の手が上がっている。
この距離では街の騒ぎの音は聞こえない、だが遠くから警鐘の音だけが聞こえてくる。
「ホンザ殿は大丈夫か?」
「儂はなんとか、だが他の者達は無事か?」
「アゼルが心配だ」
やがて丘の反対側からベルが姿を現した、完全に精霊力を消していたので姿を見るまで気づかなかった、やがて駆け足になってやって来る。
「二人共無事だったんだね」
近くに来たベルは完全に変異が解けていた。
「アゼルとコッキーはどこ?」
ベルがあたりを見回している、すると南側の斜面に強い精霊力が突然出現した。
「みなさ~ん」
コッキーがこちらに向かって走って来る、彼女も変異を完全に解いていた。
彼女の古着の青いワンピースはあちこちが切り裂かれ、全身泥だらけで頭に草の根がこびりついていた。
「アゼルさんは無事なのです?」
「まって西の方から人が来る、これはアゼルだ」
ベルが優れた探知力でアゼルを捕捉した、全員ハイネ城市の方を睨んだがまだ人影は見えなかった。
「ベルが言うのなら確かだ、ここにも人が来るアゼルと合流を急ごう」
それに異論は出ないアゼルと合流すべく丘を降り始めた、そして数分後にはアゼルと合流を果たした。
状況はかなり悲惨だった、ホンザとアゼルは魔力を使い果たしていた、ホンザは魔術陣地の構築と維持で、アゼルもコッキーの支援で魔力を使い果たしていたのだ。
コッキーは暫くは光る糸は戻らないと頭を横にふった、だがトランペットは使えそうだ。
そして彼女の腕に青い痣ができていた、真紅の怪物に握り潰されそうになりまだ痛むらしい。
ベルもまだ普通に戦えるが暫くはアレを呼び出せそうも無いと首を振る。
「奴らは何処にいったんだ?」
「北の別邸でしょうか?」
アゼルがそれに答えたそして全員沈黙する、あの攫われた少女はどうなったのか。
「ルディ確認だけしておく?」
「ああ、まだあそこに近づいた事は無かったな」
全員で慎重にコステロ所有の別邸に向かう、この丘の位置ならばニキロ程の距離にある。
別荘地は先ほどの爆発で目を覚ましたのか、あちこちの邸宅に灯りが灯っていた。
人が外に出ているのか小さな灯りが幾つも揺れていた。
コステロの別邸に近づき真剣に観察していたアゼルが驚いた様子で口を開いた。
「意外です一般的な精霊術による防護魔術しか施してありません」
『外から見て異常がわかる様な施術を避けておるのじゃろう』
たしかにアマリアの言う通り厳重すぎたり死霊術による防護ではあからさまに疑われると言う事だ。
「アゼル、ホンザ殿、結界を解除できるか?」
二人は首を横にふった、まだ万全な状態から遠すぎた。
「みなさん!私に任せてください!」
コッキーが誇らしげにトランペットをにぎりしめている、泥まみれだがそのトランペットは鈍く黄金の輝きを放っていた。
やがて防護結界は総てコッキーに破壊されてしまった、そしてベルが探知の力を屋敷に放つと、館の中には数人の人の命の輝きがあるだけだった、探知を阻むような施設も結界も見つける事ができなかった。
そして真紅の怪物達のあの瘴気の気配も見つける事ができなかった。
館に侵入した彼らは使用人達を尋問した、彼らは主人をとても恐れていて余計な事は言うまいと頑なに口を閉ざす、それでも先ほど彼らが還ってきて、また何処かに出ていった事だけ知る事ができた。
全員あの少女の運命を思う、だが彼らがいつ戻ってくるか解らない、ルディは遂にセナの屋敷へ帰還する決断を下した。
ここはハイネの北の別荘地帯から更に数キロ北に離れたなだらかな丘の森の中だった、南の空が僅かにオレンジ色染まっているがここからでは街の灯りを見ることはできない。
少し切り開かれた草地の真ん中にドロシーが立っている、その周囲に三つの人影があった。
焚き火も照明も無く木々の隙間から溢れる月明かりだけが彼らを照らしていた。
「ドロシーやりすぎだわ!あとで文句言われるわよ?」
エルマが可愛らしい指をドロシーに突きつける。
「少し反省している」
「あんな凄い爆発がおきたんだもの、僕も驚いたよ」
エルマの隣でヨハンが少し批判じみた声を上げた。
「あんな術使えたんだね・・・ねえちゃ、いやお姉さま」
「まだ何回か使えるわ、冷凍ミイラが悔しがる」
エルマとヨハンが呆れた様に顔を見合わせた。
「なにふたりとも?」
ヨハンがドロシーを見上げたが目を彼女から逸してしまう。
「ねえドロシーなぜお屋敷に戻った時に服を着なかったのよ?」
「一刻も早くこの子を仲間にしたいから、それに羽がじゃま」
「その羽根ほんとじゃまだわね?」
「しばらくはこのまま、力を維持したい」
エルマはそれに納得したようにドロシーのコウモリの羽を眺めている。
「さあこの娘を仲間にする」
そして三人の悪鬼は改めてマフダを見た、彼女は夢遊病者の様に立ちながら蕩けた顔でドロシーを見詰めている。
その様子にエルマが不機嫌そうに口を尖らせた。
ドロシーがマフダの正面に近づくと両手で彼女の頬を優しく挟む、真紅の長い爪がマフダの頬に映えた。
「マフダ周りを見て御覧なさい」
ドロシーの言葉にマフダは周囲を見渡した。
「お墓がいっぱいあるわ」
周囲の暗い森の中に木の墓標が幾つも立ち並んでいる。
「みな私達の命をつなぐ為に死んだの」
「命をつなぐ?」
「小さな虫を大きな虫が食べ、鳥が虫を食べ人が鳥を食べる、生ける者は他の生命を切り取って自分の命につないで生きているの、私達は人の命を切り取って私達の命につないで生きている」
「それでいいのかしら?」
「それがこの世の理なの、そう決めたの」
「誰が決めたの?」
「大昔に私達が決めた」
「そうなんだ・・」
ドロシーはそっと顔をマフダに寄せた。
「次に目が覚める時に貴女は生まれ変わっている、さあおやすみなさい何も怖くはないわ、痛みもすぐに消えるから」
ドロシーの瞳が真紅に燃え上がる、鋭い牙が口から頭を覗かせた、マフダは夢の中にいるように彼女を惚けた様にうっとりと眺めるだけだった。