闇の妖精達
その部屋は全く光の無い暗闇に閉されていた、それなのに生き生きとした生活の物音に満たされていた、茶器が鳴る音に子供が歩き回る小さな足音と遊戯に興じる嬌声が聞こえてくる。
時々木製の安楽椅子が軋む音がそれに混じる。
ハイネの北の別荘地に建てられたコステロ商会の別邸のこの部屋こそが、ドロシーと彼女の二人の眷属の安息の地だった、屋敷の外は危険な太陽の光に支配されていた。
「エルマその調子ならもう大丈夫」
繊細でそれでいて無感情な若い女性の声が聞こえてきた、その声は暗闇その物が発したかの様だ。
飛び跳ねる靴音がすると茶器が騒がしい騒音を立てた、男の子の抗議の叫びがそれに重なる。
「カードが落ちる!」
「こら暴れない!!」
鋭い若い女性の叱咤とともに柔らかい湿った何かが叩かれた様な重い音が鳴り響く。
そして木の机が倒れる激しい音。
「もう平気だわドロシー、だけど情け容赦ないわねちょぴり痛いわよ?」
「二人のせいでカードが下に落ちたじゃないか!僕が勝っていたのに二人共いい加減にしてよ!!」
男の子の甲高い抗議が闇を引き裂いた。
男の子を無視して少女は話を続ける。
「ドロシーもうそろそろ外に出ていいでしょう?力も戻ったわ」
「勝手に眷属増やさない、約束を破った罰よエルマはしばらく大人しくしていなさい」
「ねえここにいるの退屈なのよ」
「我慢しなさい」
「せめてお友達が増えれば楽しいのに」
「どうしてもお友達が欲しいのエルマ?」
「欲しいわ、いいの?でも誰でも良いってわけじゃないのよ」
「お友達にしたい子でもいるの?」
「うん幼馴染のとっても良い子よ」
キャラキャラと少女の声が嘲笑った。
「私が眷属にしないとエルマと同じにはならない、それでも良い?」
「本当はあの娘から血を吸いたいけど我慢するわ、マフダは格下にしたくないのよ」
「マフダって娘のこと詳しく」
「新市街にいた頃からのお友達よ、今はジンバー商会近くの宿屋で住み込みで働いているわ」
「前に話を聞いた事ある娘ね、一度見てみる」
「ドロシーなぜ友達を作って良くなったの?今までダメだったのに」
「のんびりしていられなくなった」
「ねえコステロ商会が奴らと戦える化け者を集めているんでしょ?」
「その奴らが冷凍ミイラのところに攻め込んだ、かなりの被害が出た」
「ふーん」
「エルマ他人事では無いの、あいつの仕事が遅れるのはそれなりに困る」
「ねえドロシーの頭も復活したよね、月の半分馬鹿になるのなんとかならないの?」
再び少年の声が聞こえて来る、だがその一言で闇の中に気不味い沈黙の間が生まれたがすぐに破らる。
「ヨハン、それは月を選んだ宿命だからどうにも成らない、月の満ち欠けに力も知力も作用を受ける」
「月は気まぐれよね」
「エルマそんな言葉どこで覚えたの?」
すると扉の外から近づいてくる足音が聞こえて来た。
「隅っこの人が来た」
「ドロシーいい加減に名前を覚えてあげなさいよ」
「覚えてもなぜか忘れてしまう」
やがてドアがノックされた、扉の向こうから若い使用人の声がする。
「お嬢様コステロ商会から届け物でございます」
「わかった窓から入れなさい」
乾いた音と共に小さな四角形に闇が切り取られた、淡いオレンジの光が部屋に射し込む、扉に設けられた小さな窓が開かれたのだ。
ドロシーがゆったりと扉に向かう、彼女のヒールの音が妙に大きく聞こえる。
彼女が窓から腕を差し出した、作り物めいたアラバスター細工の様な美しい腕と青白い肌、血塗られた様な真紅の長い爪が廊下の淡い照明に照らし出される。
使用人の息を呑む小さな呻きが聞こえて来た、何度見ても慣れる事ができないのだろう。
ドロシーは小さな木箱を受け取った。
「確かに受け取った、ご苦労さま」
「では確かにお渡しいたしました、これにて失礼いたします」
窓が閉じられると部屋は再び暗闇に閉された、急ぎ足の使用人の足音が廊下を遠ざかって行く。
「ドロシー何かしら?お菓子かな」
木の箱が開けられる音とともに、ゴトリと硬く重い音がする。
「これは『死者の軟膏』やっとできたのね」
「これで昼でも外に出られるのね?」
「でもあまり量が無い、無くなる前に早めに追加させる」
ハサミで何かを切る音がする、そして焼き物の蓋が外され鈍い音と共に机に置かれた。
「ドロシー今から外に出るの?」
「貴方のお友達を見に行く、エルマ案内しなさい」
「まあ外に出ていいの!?」
「酷いよ僕も出たい!!」
ヨハンが大きな叫び声を上げた。
「静かにしないさい、ヨハンも連れて行ってあげる」
子供達が歓声を上げた、立ち上がり椅子がけたたましい音を立てた。
「ねえ何をしたら良いの?」
「二人共服を脱ぎなさい軟膏を塗ってあげる、ヘマをすると灰からやり直し、灰を集めるのも大変」
「ええっ脱ぐの?」
「あと外に出たら気を殺しなさい、石になったつもりになるように」
「・・・わかったわドロシー」
「さあいそいで準備!私も久しぶりだわ」
ドロシーの声に感情の熱量が欠けていた、だが彼女を良く知る者がいたならば彼女の気分が高揚している事を見抜いたはずだ。
彼女に感情が無いのではなく表現する能力に欠けているだけなのだから。
優雅な人々がお茶を嗜む時刻、午後の静かな陽射しの下にハイネの魔術街に奇妙な一行が姿を現した。
一人は聖霊教会の修道女に似た白いローブを着込み、おまけにフードを深くかぶっている。
細身だが女性らしい体形で背は平均より高い、体の動きと裾からのぞくエナメルの真紅のヒールから若い女性に思える。
修道女の様な簡素な服装と真紅のヒールがまったく似合っていない、チグハグな印象を見るものに与えた。
フードの奥がたまに見えたが顔は黒い透けたベールで隠されていた。
彼女の後ろから彼女を小さくしたような二人の白いローブ姿がついて行く、背格好からまだ子供であろう。
その妖しい一行は高貴な身分の女性と子供が勝手にお忍びに出た様にも見えた、世間知らずなせいでこのような格好をしていると思われかねない。
通行人はみんな怪訝な顔で彼らを見送っていた。
これでは悪人の注意を引きそうだが本人たちは意に関しなかった。
「ドロシーここが魔術街よでも用が無いから二三回しか来た事ないわ、ここを南に抜けると倉庫街が近いの」
小さなローブの中から鈴を転がす様な少女の声がした。
「街の事は良く知らない」
背の高いローブ姿が応えた。
もうひとりの小さなローブの子供はキョロキョロと周りを見回している。
やがて中央通りに出る、ハイネを東西に貫く中央通りは道の両側に露天や屋台が軒を連ねていた。
荷馬車と通行人の往来が激しい、売人の呼びかけと往来の騒音が入り交じる。
「ここを右に少し行くとすぐに南に行く道があるのよ、そこにマフダのお家があるのよ」
しばらく進むとエルマが南に抜ける路の奥を差した。
「この先だけど・・・あらマフダがいるわお掃除している」
「ちょうど良いこのまま行く、エルマは何も話さない」
ローブ姿の小さな頭がうなずいた。
マフダはちょうど宿屋の前の掃除を始めたばかりだった。
父親が旧市街で仕事をさせた方が娘の為になると、信用のできる古い剛毅な知人の宿に彼女を住み込みで働かせる様にしたのだ、ついでに料理や掃除洗濯など学ばせるつもりだった。
実は父親が宿の主人からお金を借りていた、借金の形に奉公に出た様なものだ。
「今日は何も起きないわね?」
朝一番の掃除以外は毎日掃除の時間を変える事にしている。
なぜか掃除をしていると変な事が起きるのだから。
恐る恐る南の倉庫の壁を見た、恐ろしくてすぐに目を逸らす、その壁が血に染められた瞬間を見てしまったから。
ガラス珠の様な目をした恐ろしい美少女が黒い剣を一閃させると二人の男が真っ二つになったのがその場所だった。
彼女の瞳に怒りや憎悪が有ったならまだ良かった、あの目には何も無いその虚無を思い出すと今でも体が震える。
宿の主人は誠実な人だがマフダが借金の形に取られたに等しいのは否定できなかった、辞めたいが辞めるわけにもいかなかった。
仕事そのものはそれほど辛くは無いのだから、歯を食いしばって耐えるしかない。
友達のエルマが行方不明になり殺人現場に居合わせた、聖霊教会が燃えてやさしい修道女様達も行方不明になった。
最近ジンバーの嫌らしい男が姿を見せないのが救いだけど。
「ここに来てから嫌な事ばかり起きるんだもの」
その時マフダの目に真紅の色が目に飛び込んで来た、エナメルの質感の光沢を放つ美しい真紅の靴の先が純白のローブの裾から頭をのぞかせていた。
その真紅の色が血の色を連想させて思わず震える。
ひっ!!
上を見上げると白いローブの背の高い女性が目の前にいる、まったく気が付かなかった、足音も気配もしなかったのにこんな目の前にいる。
頭を白いフードで包み彼女の顔はシースルーの黒いベールで隠されている、その隠された顔ですらこの女性が並ではない美貌の持ち主だと感じる事ができた、そのベールの奥の瞳に魂を掴み取られる、魂を吸われるような虚脱感と自分が消えて行きそうな恐怖に捕らわれた。
白いローブの女性はすぐに視線をずらしたのでマフダは解放された。
そこで初めて彼女の後ろに二人の子供らしき白いローブ姿が居る事に気づく。
「南の聖霊教会はどこ?」
女性の声は平坦で抑揚に乏しい小さな声だ、だがなぜかとても良く耳に通る。
マフダは頭があまり働かなくなっていた、半分眠った様な気分で南の聖霊教会への道筋を教えている、いつのまにか古からの知人と話しているような気分になっていた。
最後にその美しい女性は微笑んだ、白いフードと黒いベールに包まれているのに何故かそう感じてしまったのだ。
マフダは見たことも無い巨大な神殿の中にいた、台座の上から目が覚めるような美貌の貴婦人に見下されている。
彼女の漆黒の髪と精緻な芸術品の様な美貌と長い先が尖った耳をしていた、そして深いエメラルドの宝石の様な瞳に飲み込まれそうになる。
その幻影は一瞬の間に消えた。
マフダは思わず慌てて顔を左右に振った。
「合格」
その白いローブの女性がつぶやいた。
えっ?
「ありがとう私達は行くわ」
白いローブの女性が歩き始めた、ハイネの倉庫街を南に向かって進んで行く。
彼女の後を追う小さな白いローブの子供の一人が名残惜しそうに時々後ろを振り返る。
三人の姿が見えなくなったころ、マフダはある予感に捕らわれていた、そしてつぶやいた。
「エルマ?」