暴虐の巨人
「ベルさん何してるんです?」
台所の整理が一通り終わったコッキーが屋敷の二階の階段を昇るとベルが窓際で鏡で頭を見ている。
少し青みを帯びた外の光が彼女の銀髪を美しく輝かせていた。
「髪の毛の根元が黒くなって来たんだ、目立つ前に黒く染めないと」
「銀髪も素敵なのに残念ですね、聖女様みたいなのに」
ベルはリネインにやってきた巡検使の聖女を思い出していた、名前は思い出せないが確かに彼女は美しいプラチナブロンドの髪をしていた。
「あ!ベルさんもう動いて大丈夫なのです?」
「無理しなけりゃ痛くないよ、すこし動きにくいけど大丈夫」
ベルは軽く部屋の中を歩いて見せる。ベルの体は恐るべき回復力を見せていた。
「そうだベルさんはお馬さんのお世話できるのです?私は家事洗濯はできますがお馬の事は分からないのですよ」
コッキーは少し困った様な顔をした、この少しズレた世界のセナの屋敷にはジンバーから奪った馬車と二頭の馬がいる。
「・・・少しはできるけどルディが一番馬をよく知っている、今日鞍や鐙を買ってくるって言ってたよ、調整もここでやるらしい」
「凄いですね、馬車を引かせるだけじゃあもったいないですよね」
「まあね」
「じゃあルディ達が戻るまで僕が馬の世話をするよ」
「お願いなのです!私は台所に戻るのです」
二人は連れ立って他愛もない話をしながら屋根裏部屋から去っていった。
ハイネの西にソリアと呼ばれる小さな都市がある、この都市から更に四日ほど西に進むとテレーゼの有力者ヘムズビー公爵の本拠地ヘムズビーの街に至る、そこから更に西に進むと国境の護りラングセル要塞に至る。
ソリアの街はハイネ通商同盟に加わり旗手を鮮明にすべきか最後まで迷っていた事で知られていた。
ハイネ通商同盟がヘムズビー派と争う事になるとこの街が最前線になってしまう、結局ハイネ経済に依存していたので通商同盟に加わる事になったが。
それに北の情勢がきな臭くなってきた事もある、いつまでも中立でいられないと街の支配者がそう判断したのだ。
そんなソリアの街の北方の森の寂れた街道を北に進む商隊がいた、数台の荷馬車で構成された商隊はあまり素性の良くない商材を扱っている。
おかげで彼らはハイネから北に向かう大街道を避けグディムカル帝国に向かう裏街道を進んでいた、そのはずだった。
商隊のリーダーが停止命令を出すと商隊は一斉に止まる。
「おい路が間違っているぞ?見ろマイン山の見える方向が違うだろうが!」
リーダーらしき男は森の樹々の切れ目から頭を出している岩山を指差し怒鳴った。
マイン山が右手に見えた、この山はハイネの北西にある質の良い鉄鉱石を産出する事で知られていた。
太陽の位置を考えるとこの方向に山が見えてるのは問題だったこれは道に迷った証拠。
「あれ?ボスこのまま進むと本街道にでちゃいますよ、どこで間違ったんでしょう」
ボスと呼ばれた男の隣にいた若い使用人が少し不安げに顔色をうかがう。
「ボス先程倒木があった場所に北西に向かう道があったのではないか?」
後ろの黒いローブの壮年の男が思い出したように口を開いた。
「そういえば随分でかい倒木があったな、このルートを使うのも半年ぶりか・・・クソ!!あれから一時間は進んでいるぞ」
ボスはまた空を見上げた、少し陽が傾きかけていたが日没までかなりの時間がある、予定では今夜は小さな村に一泊する予定だった。
先を調べていた騎馬の護衛が戻って来る。
「ボスこの先に西に向かう道が枝分かれしてます、轍の跡がありました」
「轍の跡があるのか?いつものルートに戻れるぞ、よし行くぞ!!」
商隊は再び動き出した、やがて二股に差し掛かると商隊は北西に向かう枝道を進み初めた。
だが調子が良かったのは最初だけだった、ボスは街道が北西から徐々に北に向きを変えている事に気づいて焦り始める、それだけ予定のルートに戻るのが遅れるからだ。
だが道に轍があるのでどこかに通じている事は確かだ、西に向かう枝道がある事を祈りながら進む。
「ボスなかなか街道にでませんね」
不安を感じたのか若い使用人がふたたび話しかけて来る、ボスはポケットから方位道具を取り出した、僅かに西寄りの北を指していた。
「西に向かう道があったらそちらに行くぞ」
すると遠くから木こりが斧を振るう音が聞こえてきた。
「ん?この時間に木こりが仕事を始めるのか?」
ボスは僅かな疑念を感じた。
「ボス村が近いんじゃあ?音も西の方から聞こえてきます」
空を見上げると空が赤く染まっている、目的地の村の東側に出たのかもしれない。
そこに偵察に出ていた護衛が戻って来る。
「ボスこの先に西に向かう枝道があります、轍の跡があります」
若い使用人はあからさまに喜んだ、宿泊予定の村は丸太の柵で周囲を囲われ獣やケチな盗賊からそれなりに護ってくれる、できれば村の中で一泊したい。
「きっと裏街道に戻れますよ、野宿はまっぴらですね」
すぐに西に向かう道が見つかったので商隊はそこに進んでいく、だが少し進んだところで斧が木を打つ音が増え始めた、周囲の森の中からいくつも聞こえてくる。
「こんな時間に皆さん勤勉ですね、ははは」
若い使用人が乾いた笑いをあげた、不安を紛らわせているのだろう。
「前に人がいます!!」
護衛の警告で皆前を見る、たしかに赤い夕焼け空を背景に道を横切る人影が見えた、だがまだかなり遠くのようだ。
人影はのろのろと道を横切ると森に消えてしまった。
なぜか虫の知らせの様な嫌な予感がする、ボスは現実主義者の小悪党だがそんな直感を軽視したりはしない、今までもそれで危機を乗り越えた事があったからだ。
護衛が馬を宥めている馬達に落ち着きが無かった、ボスは自分の感が外れていないと確信した。
「さっさとここを通り抜けるぞ!!」
ボスの命令と共に商隊は速度を上げた。
「止まれ!!!誰だ?」
少し先の森の脇からふたたびのろのろした動作の男が現れたのだ、彼は粗末な大きな斧を抱えていた。
男は商隊に目もくれずに道を横切って行く。
ボスは苛立ちを含めた大声で呼びかける。
「おい!!聞こえないのか?」
するとその男は立ち止まりゆっくりと商隊の方を向き直った。
隣りにいた若い使用人の小さな悲鳴が聞こた。
その男の顔色は青を通り越して土気色だった、その目は見開かれていた、男の目は白く濁りくすんだ灰色をしている。
何かを見ている様でいて何も見ていない、そいつは緩慢な動きでこっちに向かってくる。
荷馬車の馬が怯え御者が必死に馬を落ち着かせようとあがいた。
「なんだこいつ!!」
誰かが叫んだその声は怯えを隠さない、前を護る二人の護衛が抜剣しそいつの動きを止めるべく動いた。
「動くな!!」
護衛の警告を無視してなお止まろうともしない、護衛は剣の先を男に突きつけながらボスを見た。
「そいつは異常だ武器を持っている、切れ!!」
若い使用人が息を飲む音が聞こえた、護衛は馬を操り男の側面に出る。
まず男の肩先から切り下ろした、護衛はかなりの手練のようだ、普通はそれだけで身動きが取れなくなるはずだが、そいつは痛みなど感じぬようにのろのろと向かってくる。
「この野郎!血が出ないぞ!?」
護衛が呻くと今度は狂った様に剣で男をメッタ切りにした、男はバランスを崩して地面に倒れ伏した。
その時森の中から下草を踏みしめ藪をかき分ける様な音が近づいて来た、商隊の皆がその音に気づく、その音はしだいに大きくなっていく、何者かがこちらに向かってくる。
「熊かも知れん気を付けろ!!」
ボスは大型の獣の襲来を予感した、背後のローブの男に目配せするとローブの男がうっそりとうなずく。
音は更に近づきそこに足音が混じり出す、そこで初めてボスは不審を感じたのだ、まるで人の足音に聞こえるからだ。
その不審を商隊の者が共有していった。
やがて物音の主がその正体を現す。
熊ならばまだ良かったのに、今になってボスはそう思った。
巨大な戦鎚を担いだ巨人が商隊の側面に現れた、その巨人は三メートル近い身長で横幅も規格外に広い、全体の印象が巨大な四角な箱に見えた。
全身筋肉の鎧に覆われ肌は黒く日に焼けて全身古い切り傷だらけだ、そして古代の剣闘士の様な革の防具を着込んでいた、だが露出部分が大きすぎて防御効果があるとは思えず急所のみを重点的に護っている。
そして巨大な戦鎚を肩に担いでいた、それは小柄な人間程もある巨大な鉄塊だった。
その男の姿は例えようもない禍々しさに満ちていた。
体のバランスが不自然で見ているだけで嫌悪を感じさせる、筋肉の塊の様な肉体は手足も腰回りも巨大だ、その広い肩の上に申し訳なさげに小さな頭がちょこんと乗っている、その頭を薄い金髪が覆っている、そして目も鼻も口も耳も小さかった。
まるで巨人の肩の上に赤ん坊の頭が乗っていた。
その男の金壺眼が異様な光を帯びて商隊を見下ろしていた。
誰かの呻き声が聞こえる。
衝撃のあまり誰も動けなかった、いやその男の放つ禍々しいまでの気配に威圧され動けなかったのだ。
「なんだこいつ?」
若い使用人の上ずった悲鳴の様な声が上がる、それが一瞬の均衡を破った。
その直後に地響きが上がり護衛が馬ごと消えた、たしかに消えた様に見えたのだ、目に前に信じられない光景が広がっていた。
巨人の巨大な戦鎚が地面にめり込んでいた、そして暫の時間それを脳が理解する事を拒絶していた、戦鎚が地面にめり込み馬が胴体の真ん中で真っ二つにへし折られていた。
巨人の一番近くにいた護衛は馬ごと戦鎚の下に消えてたのだ。
総ては一瞬の出来事だ、いかなる剛力であろうと重い戦鎚を目にも見えない速度で振り降ろせるものだろうか?
やっと何がおきたか商隊の者達は理解した、背後の魔術師が詠唱を始めた、この男は下位魔術師だが経験豊富なベテランだ、長年にわたって商隊を支えて来た男だった立ち直りも早く行動に出る。
この距離と位置では今更商隊を逃がす事は不可能、いったい何が起きているのか解らなかった、今は生き延びる事だけを考えなければ。
ボスは初めて己がしなければならない事を思い出す。
「連携して対抗しろ!!」
商隊に指示を出せるのは自分だけだ。
生き残りの三人の騎馬の護衛が巨人を半包囲すべく動く、馬車から戦える者たちが武器を持ち飛び出す。
彼らが逃げ出さなかったのは上出来だ、彼らは自分で考えて動いているわけではない、長年にわたって叩き込まれた行動だった、頭や心が働かなくても命令を与えられれば何も考えずに機械のように動く事ができるものだ、それは軍隊と同じだった。
続いて馬上の護衛が消えた、恐るべき速さで踏み込んだ巨人の戦鎚の一閃が鞍の上から護衛を吹き飛ばしていた、彼は気味の悪い何かが砕ける音を発すると商隊の上を飛び越えて背後の大木の幹にぶつかり不愉快な物が潰れる音を遺す。
巨人は隊列に踏み込み手当たりしだいに馬車と馬と人を粉砕しはじめた、人々の抵抗も虚しく一蹴されて行く。
巨人は魔術攻撃を受けてもまったくダメージが無いかの様に平然と闘い続けた。
まるで総てを憎み破壊するかのように死と破壊を撒き散らした、一体彼らが巨人に何をしたと言うのだろうか。
冷や汗が止まらない、これは現実なのか?あまりにも非常識で悪夢の世界に紛れ込んでしまったかのように足が地に着かない奇妙なもどかしい感覚。
早く目を覚まさなければこの現実離れした悪夢から目覚めないと。
誰かの金切り声の様な悲鳴が上がる、武器を取り戦う者も抵抗虚しく叩き潰される、狂気を帯びた悲鳴と笑い声が上がった、もうこれが限界だ商隊にたちまち恐怖と動揺が広がると逃げ出す者が現れる。
そんな阿鼻叫喚地獄を囲むように木こり達の斧が木を打つ音が木霊の様に響き渡っていた。
夢ならば早く覚めてくれとボスは祈った。