休息
ルディは屋根裏部屋の椅子の上で目を覚ました、体の節々が痛く昨日の疲れが抜けていない、ハイネ城の闘いで傷ついたベルをセナ村の魔術陣地に運び込み、そのまま椅子で眠ってしまった様だ。
精霊力を解放して疲れを癒やして行く。
窓の鎧戸を開くと朝の風が吹き込んでくる、風は潮風の様に僅かに肌にべとつくような不快感を与えてくれた。
そして僅かに青みがかった日の光が薄暗い部屋の中に射し込む。
干し草の上の毛布がもぞもぞと動くと粗末なパジャマ姿のコッキーが起き上がった。
目をこすってから窓際のルディに気づいて声をかけてきた。
「ルディさんおはようなのです」
「おはようコッキー」
するとベルが眠っている干し草のベッドの毛布が動き出した。
「ベル、起こしてしまったか?」
ベッドに近寄ると彼女は毛布から頭だけ出していた。
「おはようルディ・・・」
「どうだベル?」
干し草のベッドの横の籠の中に泥まみれのベルの衣服が脱ぎ捨てられている、床には血が染み込んだ布が落ちていた。
つい目を逸らしてしまう。
「治りかけているみたい」
コッキーがベッドから抜け出してパタパタとやってくる足音が聞こえる。
「ベルさんは私がみるのでルディさんは少しあっちに行ってください」
「気にしなくてもいいのに・・・」
まだ夢うつつなベルが面倒くさそうにつぶやいた。
「ベルさん気にしてください!」
昨夜ベルの傷を最後に診た時に治り始めていた、それで以前バーレムの森で負傷した時も自分の傷の治りが異常に早かった事を思い出したのだ。
闘いで負った傷はコッキーより自分が見た方が良い、だが世話をするのが女性の方がベルも気が楽だろうそこで彼女に任せる事にする。
「わかった」
大人しく窓際に行ってホンザの魔術陣地の外の世界を見る事にした、二階の屋根裏部屋から遠くが良く見えると二人から聞いていたからだ。
僅かに青い陽の光に照らされてセナ村の美しい田園風景が広がっていた、だが畑には人の姿が全く無かった、そして村の中心に視線を移すと人影が見える、だが何かがおかしかった思わず窓から身を乗り出した。
その違和感の理由がすぐにわかる、人影は近くの建物と比較すると高さが普通の人間の倍近くあるのだ。
その人影を詳しく観察しようとするとなぜか姿がボケて曖昧になってしまう、目を逸らすと明確になる、そして人影の姿形から不吉な意味を読み取ってしまいそうになるのだ。
何かを見つけても気を取られてはならぬとホンザが言っていた事を思い出した、あわてて頭を振って視線と意識を人影から外す。
するとその人影は消えていた、探しても見つからなかった。
「ルディさん診てください」
ベルが干し草のベッドの上でうつ伏せにされていた、毛布とシーツで覆われ背中の傷だけ晒している、近寄るとコッキーがベルの背中の傷の周りを濡らした綺麗な布で拭いていた。
「すでにふさがり始めているな」
アゼルが治癒術を使ったとは言え、彼女の傷は塞がりかけていた。
治癒術は傷から入った毒を消し腐敗を防ぎ治癒を加速させるがここまで劇的な効果はない。
これだけの傷が糸で縫合することも無く治りかけていた、解っていたがあらためて驚く。
普通の人間ならば最低でも全治するのに二週間以上かかるだろう、それに治癒魔術を受ける事ができなければ傷が腐り死に至る事もあるのだ。
「どうですルディさん」
「信じられない程早いな、これならすぐに塞がる、今日一日大人しくしていれば大丈夫だ」
「わかったよルディ、まだ傷が開く気がするので大人しく寝ている」
「じゃあ綺麗な布を当てて包帯を巻きますね」
自分も手伝おうかと思ったがコッキーが剛力の持ち主だと思い出した、コッキーが離れろと目線で訴えている、どうやらベルの着替えを手伝うつもりらしい。
大人しく一階に降りる事にした。
一階の居間には朝の早いホンザがいた、アルコールランプで薬草茶を沸かしている、薬草茶の爽やかな香りが居間を満たしていた。
「ルディガー殿も起きたかベルサーレは大丈夫かな?」
「もう治りかけている、今日明日中には完全に治る」
「凄まじい速さだな・・・」
扉が開く音と共にアゼルが自分の部屋から出て来た、その後ろから小さな白い猿のエリザも出てくる、彼女は昨日まで怯えて部屋に閉じこもっていた。
「殿下、ホンザ殿おはようございます・・・」
「アゼル、ベルは今日明日中には治りそうだ」
「そうですか、やはり早いですね」
「まあ二人共座りなさい」
ホンザが微笑みながら促すと二人は思い思いにソファーに腰を降ろした、アゼルの横の肘掛けにエリザがちょこんと座る。
落ち着いた処で昨日の闘いで得た情報を整理するつもりだ。
「アゼル、ホンザ殿、髑髏が吊り下げられたあの部屋をなんと見る?」
「あの部屋ですか、髑髏から瘴気が生まれ床に描かれた魔術陣に吸収されていましたね」
「ワシにもそう見えたな、だが魔術陣を解読する時間がなかった・・あれは腰を据えて研究しないと解読できぬぞ」
ホンザがそう言いながら三つの木製のティーカップに薬草茶を注ぐ。
「複雑巨大な魔術陣たが制御陣に見えた、基本構造に通じる物がある」
「あれを破壊すればテレーゼの死の呪いを解くことができるのだろうか?」
テレーゼを覆う死の呪いの元凶ならばやっと目的が定まった事になる、五里霧中の状態から大きく前進する事になる。
「殿下、あそこが重要な場所なのは間違いありませんが、断定する決め手はありません」
「うむまだ断定するには情報が少ない」
ホンザが木製のティーカップを皆の前に動かした。
この問題は今後の調査しだいだと判断する、ここで議論するより次の疑問を検証したい。
「ホンザ殿あの区画に入った途端に幽界との繋がりが切れてしまった、ここも最初は精霊通信が使えなかったがそれと同じなのだろうか?」
ホンザとアゼルは真剣に考え込み始める、やがてアゼルが顔を上げると口を開く。
「最初は部屋に死霊術でなんらかの結界が張ってあると思いました、だがベル嬢が扉が開いている事に気づきましたね」
「ルディガー殿アゼルよ、ここから幽界の門を開く事は初めからできていたのは覚えておろう、あの区画に幽界への繋がりを妨害する何かがある、そして死霊術師共には害にならない何かじゃ」
「たしかにあそこで死霊術が妨害されたのでは意味が無い、奴らは魔界の門から力を導いているのだったな?」
「殿下そのとおりです」
「あの部屋の結界は、その妨害の影響が外に漏れぬ様に逆に封じていたとワシは見る」
魔術師は精霊力に依存する精霊術師そのものを指す、死霊術師はこの世に数えるほどしかいない、影響が外部に漏れたらたちまち異常に気づかれてしまう。
ルディもアゼルもその推理に納得してしまった。
「奴らに精霊術を妨害する手段が有るとなると厄介、これも今後の調査しだいじゃな」
ホンザがしみじみとティーカップの薬草茶をすすった、ルディもアゼルもそれにうなずく。
そこに籠を抱えたコッキーが階段を降りてきた、コッキーは皆に朝の挨拶をすると台所に籠を置いて居間に戻って来た。
「アゼルさん後で籠の中身の浄化お願いします」
「ええ、わかりました」
「コッキーもそこに座るが良い」
コッキーは頭を横に振った。
「お爺さん朝ごはんの用意があるのです」
そう言い残すと彼女は台所に行ってしまった。
『ん?もう起きていたか』
ルディのペンダントが声を発した、三人はアマリアと朝の挨拶を交わした。
『昨日も少し話したが、ザゼールめがここまで変わり果てたとは思わんかったわい』
アマリアは弟子の変貌にかなり衝撃を受けていた、今だにそれにこだわっている、セザールの狂気の原因が自分にも有ると考えていたからだろう。
『儂が子どもになったと知った奴の声には辛いものがあった・・・』
「アマリア様、奴は不死者ではないのですか?」
『アゼルよ、ザゼールはもはや人間では無いだが不死者とも言い切れぬ』
「愛娘殿、やつからは命の光を感じる事ができなかった、強い瘴気の塊として捉えた、以前戦った吸血鬼共と同じだった奴らは不死者ではないのか?」
『ルディガーよ、不死者とはこの世に残された屍体に下等な精霊や物質界に残留した死霊が憑依したものじゃ極めて弱い力しか持たぬ。
だが闇妖精族は古代の高等種族よ不死性を持つが不死者ではない、セザールは自ら不死性を己に与えたのじゃろう、だが奴は不死者ではない奴自身が独立した種族と言っても良い』
「アマリア様、死霊術師の召喚精霊は不死者なのでしょうか?奴らが大量に骸骨共を召喚していましたが」
『あれらは魔界の精霊じゃな、しかし精霊術の召喚とは概念が違うかもしれん』
「と言いますと?」
アゼルが身を乗り出した。
『だがそれ以前に理解できぬ謎がある、なぜ簡単に奴らは召喚術を使えるのじゃ?かつて幽界の精霊が現実界に顕現できたのは渡り石が大量に存在したからじゃ、だが今は多くが失われておる』
「アマリア様、では死霊術師が渡り石を持っているか、魔術道具の支援を受けているのではありませんか?」
『それがまともな発想じゃなアゼルよ、だがお主らが捕らえた死霊術師共がそれに類する怪しい物を持っていたか?』
ルディとアゼルが頭を横にふった、捕虜にした死霊術達は触媒を持っていたがありふれた物しか手に入れられなかった。
『これも儂の仮説じゃが、魔界のプレイン境界を越える事が容易になっているのではあるまいか?容易になるほど依代への依存度が減るからのう、実体に近い形で現実界に現れる事が可能になる』
これにアゼルとホンザが硬直させられた。
「アマリア様それでは古代の神話のプレイン間大戦の再現になります!」
『アゼルよこれが本当ならば魔界の大精霊が今頃我が物顔で歩きまわっておるはずじゃからのう・・今の処は総て仮説にすぎない』
そこにコッキーが居間に戻って来た。
「みなさん朝ごはんができましたよ!まだ台所の整理できてないのでこれで我慢してください」
大きな木製の皿に黒パンを乗せ、小さな鍋から湯気を立ち昇らせる、野菜スープの香りが部屋に広がって行く。
『コッキーかいつも元気で羨ましいわい、儂も普通の食事を食べたいものじゃのう』
「アマリアさんは何も食べていないのですか?」
コッキーの顔がいかにも気の毒そうな物を見る様に変わった、眉を八の字にさせてルディのペンダントを覗き込む。
『無理やり体を保たせておるのじゃ、目の毒なのでしばらく切るぞ!』
最後にアマリアの声が少し不機嫌に変わる。
アマリアが去るとささやかな朝食が始まった。
その部屋の石造りの曲面を描く壁は巨大な円筒形の塔の一室である事を物語る、部屋の窓はすべて厳重に締め切られ魔術道具の薄暗い青い光に照らされていた。
黒檀の重厚な執務机を前にした黒い豪奢な椅子に腰掛けているのはセザール=バシュレその人だった、いや人と言って良いのだろうか。
彼のローブは金糸で古代文明の神聖文字に似た象形文字が象られ、ローブを深くかぶりそこから青白い炎の様な目が二つ光を放っていた。
部屋の壁にはハイネ評議会や塔を象った記章が飾られていが、絵画や美術品など情感に訴える様な物が決定的に欠落していた。
その彼の執務机の前に黒いローブの男が立ちすくんでいる、セザールの放つ冷気か瘴気のせいかその人物は身を震わせていた。
「人的損害ですが、中位死霊術師二名、下位死霊術師七名死亡確認、下位死霊術師ニ名が行方不明です。
更に警備隊から四名、評議会府の職員六名が行方不明になっています、負傷は中位死霊術師一名、下位死霊術師三名となっております」
報告する黒いローブの男の言葉は震えていた、寒さや恐怖だけではなく貴重な死霊術師の損害の深刻さに震えている様にも見える。
昨日はセザールを含めた上位死霊術師はすべて『魔導師の塔』から出払っていた、セザールだけがハイネ城に戻る事ができたのだ、彼らから損害は出ていない。
「制御魔術陣ノ機能が止まっている、速やかに回復させるのダ」
セザールは机の上の箱の蓋に触れた。
その箱はシンプルで飾りも何も無い黒い箱だが禍々しさを放っていた。
蓋を開くと中から青い光が溢れた。
箱の中に粉々に砕けた白い破片が詰まっている、それが青白い光を発している、背骨のような形をした白い物が見える、これは砕かれた骨の破片なのだ。
「興味深い試料だっタ、闇妖精族の眷属ハなかなか手に入らぬ、加工にも手が掛かったが、これにも使いみちはまだあろう」
セザールは箱の蓋を閉じた。
「さあ行け」
黒いローブの男は慌てて逃げるように執務室を後にした。